『パルムの僧院』 スタンダール(岩波文庫)

パルムの僧院〈上〉 (岩波文庫)パルムの僧院〈上〉 (岩波文庫)パルムの僧院 下 改訂 (岩波文庫 赤 526-6)パルムの僧院 下 改訂 (岩波文庫 赤 526-6)

書名:パルムの僧院
著者:スタンダール
訳者:生島 遼一
出版社:岩波書店
ページ数:371(上)、401(下)

おすすめ度:★★★★★




赤と黒』と並び、スタンダールの代表作とされるのがこの『パルムの僧院』である。
『パルムの僧院』というタイトルではあるものの、不思議と当の僧院はほとんど登場しておらず、宗教臭さの感じられない非常に世俗的な小説となっている。
スタンダールの緻密な心理描写や状況描写は終始冴え渡っているので、本書が再読に値する傑作であると高く評価されるのも納得がいくというものだ。

『パルムの僧院』は、ナポレオンを崇拝する青年ファブリスが主人公であり、作中における彼の運命の行く末も気になるところではあるが、「魔性の女」とでも呼ぶべき典型的なファム・ファタルであるその叔母の暗躍も見逃せない。
殺人事件が起こり、命懸けの恋愛もあり、策略と陰謀の渦巻く宮廷も舞台となり・・・。
一般的に言って、スタンダールの描写の進め方はそれほど速い部類には入らないと思うが、次から次へと何かが起き続けるスリリングな展開は、最後まで読者の心を放さないのではなかろうか。
パルムの僧院 (上) (新潮文庫)パルムの僧院 (上) (新潮文庫)パルムの僧院〈下〉 (新潮文庫)パルムの僧院〈下〉 (新潮文庫)

知名度では『赤と黒』にやや劣る感があるものの、『パルムの僧院』も文学全集では常連となっている古典中の古典だ。
私自身、読み比べてみたことがないので優劣はつけられないが、右に挙げた新潮文庫の大岡昇平訳も昔からある定番となっている。
むしろ、『パルムの僧院』ほどの傑作なのに、新訳が存在しないことが意外であると言うべきかもしれない。

スタンダールの言によると、彼は『パルムの僧院』をわずか2か月足らずで書き上げたらしい。
この発言自体を額面通りに受け取る必要はないだろうが、実際にスタンダールが短期間で仕上げたのは事実のようであるし、『パルムの僧院』のクオリティを考え合わせると、彼の手腕にはやはり驚かされるものがある。
執筆時のスピード感を損なわないためにも、読者の方でも一気呵成に読み切ってみるべき作品なのかもしれない。
スポンサーサイト

『暦物語』 ブレヒト(光文社古典新訳文庫)

暦物語 (古典新訳文庫)暦物語 (古典新訳文庫)

書名:暦物語
著者:ベルトルト・ブレヒト
訳者: 丘沢 静也
出版社:光文社
ページ数:312

おすすめ度:★★★★




劇作家として知られるブレヒトの、短編小説と詩作品の計17編を収録しているのがこの『暦物語』である。
短編小説と詩が交互に収録されていて、簡潔で読みやすい文章を書く散文家として、また美しい詩を書く詩人としてのブレヒトを垣間見ることができる一冊だ。
子供の十字軍子供の十字軍

『暦物語』の中でよく知られている作品といえば、『アウクスブルクの白墨の輪』であろう。
この作品にストーリーの斬新さを期待することはできないかもしれないが、結構の整ったよくできた一編であるということは賛同いただけるものと思う。
詩作品の中で言えば、『子どもの十字軍 1939年』が最も有名なのではなかろうか。
右に挙げるように、かつて銅版画の挿絵入りの単行本にもなっているほどで、切なく感動的なストーリーに、誰もが胸を打たれるに違いない。

『暦物語』の収録作品の中では、個人的には『カエサルとカエサルの軍団兵』と『怪我をしたソクラテス』をお勧めしたい。
前者は、暗殺を目前に控えたカエサルをテーマとする歴史小説風の小品で、結末は誰の目にも明らかなのに、それでも面白く読めてしまうのだから不思議なものだ。
後者も歴史ものといえば歴史ものかもしれないが、話のスケールなどの面で少し毛色が異なっている。
ソクラテスが戦争で武勲を立てたと称賛される一方で、戦場での事実を知るのは本人ばかりというややコミカルなタッチの作品となっており、こちらもやはり面白い。

ブレヒトは、日本で十分に紹介されてきたとは言い難い作家の一人であるように思う。
そんな中で、『暦物語』のようなブレヒトの劇作品以外が文庫化されるというのは、うれしいサプライズであった。
本書を読めば、意外と多角的であるブレヒトを、誰もがもっと知りたいと思うのではなかろうか。

『アンティゴネ』 ブレヒト(光文社古典新訳文庫)

アンティゴネ (光文社古典新訳文庫)アンティゴネ (光文社古典新訳文庫)

書名:アンティゴネ
著者:ベルトルト・ブレヒト
訳者:谷川 道子
出版社:光文社
ページ数:186

おすすめ度:★★★★




ブレヒトの『アンティゴネ』は、ソポクレスによるギリシア悲劇の改作という、ブレヒトとしては異色の作品となっている。
ブレヒトが亡命中であった第二次世界大戦後に書かれた作品で、『アンティゴネ』もまた、戦時下における市民のあり方を問うている作品として読むことも可能だろう。

テーバイの国王であり、叔父でもあるクレオンによって、血を分けた兄弟の埋葬を禁じられたアンティゴネ。
肉親の遺骸が動物に食い荒らされていくことに耐え切れず、法に背いて埋葬することを決心をするのだが・・・。
人としての倫理と国の法律との不一致という葛藤に接したアンティゴネが人道を選ぶことは、特に本書のように法が恣意的なものである場合においては、大半の読者の賛同を得られることであろう。

光文社の古典新訳文庫ではけっこうありがちなことではあるが、本書『アンティゴネ』においても、全ページにおける本文の比率が低い。
裏を返せば、訳者による解説やあとがきが非常に充実しているということではあるのだが、約200ページのうち三分の一以上が解説、年譜、あとがきで占められるというのでは、本文の少なさに少しがっかりしてしまう読者がいても仕方ないのではなかろうか。
解説なしでも自立して十分面白い作品なのだから、もっと薄く、そして安くしてくれたほうがお手頃でありがたいと考えるのは私だけだろうか。

社会派作家のブレヒトのことだから、『アンティゴネ』に込められた思想的主張はなんだろうかと、読者はつい勘ぐってしまうかもしれない。
オリジナルであるソポクレスの『アンティゴネ』との相違点も気になるところではある。
しかし、個人的には、『アンティゴネ』はあまり深いことを考えずに純粋にストーリー展開を楽しめる戯曲になっているので、研究者目線でなく、鑑賞者目線で接してみてもよいのではないかと思う。

『肝っ玉おっ母とその子どもたち』 ブレヒト(岩波文庫)

肝っ玉おっ母とその子どもたち (岩波文庫)肝っ玉おっ母とその子どもたち (岩波文庫)

書名:肝っ玉おっ母とその子どもたち
著者:ベルトルト・ブレヒト
訳者:岩淵 達治
出版社:岩波書店
ページ数:253

おすすめ度:★★★★★




『肝っ玉おっ母とその子どもたち』は、『三文オペラ』と同様にブレヒトの代表的な戯曲の一つに数えられている。
タイトルからも察せられるように、従軍商人として戦地を渡り歩くアンナ一家のたくましい姿が描かれている。
第二次世界大戦やナチズムとも無関係ではないものの、作品自体に重苦しさはないので、気軽に手にしていただければと思う。

『肝っ玉おっ母とその子どもたち』の舞台は、三十年戦争の最中のスウェーデンやドイツ、ポーランドなどだ。
新教陣営から旧教陣営まで、アンナ一家は図々しいとも言えるほどの商人根性で切り抜けていこうとするが、やはり戦争中とあって様々な不幸が襲い掛かるのだけは避けられず・・・。
戯曲の全編を通じて、アンナの占めるウェイトの大きさはかなりのもので、他の人物が添え物に感じられてしまうほどである。
読者は自ずと波乱万丈な人生を送るアンナの言動に注視させられることだろう。
母アンナの子連れ従軍記 (光文社古典新訳文庫)母アンナの子連れ従軍記 (光文社古典新訳文庫)

この作品は、光文社古典新訳文庫では『母アンナの子連れ従軍記』というタイトルで出版されている。
原題は"Mutter Courage und ihre Kinder"であり、アンナの名も出ていなければ従軍記であることも示されていないため、岩波文庫のほうがより正確な訳語であるはずで、『母アンナの子連れ従軍記』はタイトルとしては完全な意訳ということになる。
しかしながら、劇中でアンナたちが商品を載せた幌車を引っ張り続けるように、アンナというたくましい登場人物の魅力だけで引っ張っていく作品であるのは事実であろうから、この意訳にもある程度は頷けるというものだ。

『肝っ玉おっ母とその子どもたち』は、軽快な言葉の掛け合いの中で、命の重みや家族の愛情、そして何より、苦境の中で生きていくということを考えさせられる、そんな作品だ。
現実的、あまりに現実的なアンナの生き方に触れてみることは、現実問題として、興味深い体験になるのではなかろうか。

『三文オペラ』 ブレヒト(岩波文庫)

三文オペラ (岩波文庫)三文オペラ (岩波文庫)

書名:三文オペラ
著者:ベルトルト・ブレヒト
訳者:岩淵 達治
出版社:岩波書店
ページ数:285

おすすめ度:★★★★★




ブレヒトの代表作として知られているのがこの『三文オペラ』である。
200年前の戯曲を翻案したものではあるが、ブレヒトらしさが存分に発揮された秀逸な作品であると言えるだろう。
作品全体を通して下品な言い回しも多いが、それだけ強く下層民の活気に満ちた息遣いが感じられるのも『三文オペラ』の特長だと思う。

乞食を演じる人々に衣装一式を貸し出し、乞食によって儲かった分の上前をはねるという何とも不名誉な商売を営むピーチャム。
手広くやっていた商売はうまくいっていたが、彼の娘がロンドンの街で知らぬ者のない犯罪者マクヒスと勝手に結婚してしまったものだから・・・。
『三文オペラ』には、裕福な者に利するように世の中ができていて、貧富の差が倫理観の堕落を生むといった、社会主義的な思想がけっこう露骨に前面に押し出されているので、ひょっとするとそれを少々煙たく感じる読者もいるかもしれない。

『三文オペラ』は、戯曲と音楽との融合をテーマにした、ミュージカル風の作品に仕上がっている。
もちろん、過去にも音楽を用いた戯曲は数えきれないほどあるが、戯曲と音楽との融合を追求したブレヒトの変わっている点は、芝居と歌とは明確に区別されるべきであり、芝居の流れから自然と歌に入ってはいけないと考えているところだろう。
つい先ほどまで普通に台詞を述べていた役者が心情の高揚に伴って唐突に歌い出すことの多い今日のミュージカル作品と、異化作用を提唱するブレヒトの作品とでは、やはりその趣向が大きく違うようだ。

岩波文庫の『三文オペラ』の表紙には、結末部分を含むネタばれが書かれていて、あらすじを楽しみたい方はがっかりすることになるかもしれない。
そうはいっても、結末が明かされていたとしても戯曲の面白さはさほど損なわれていないので、少しでも興味を感じた方はぜひ手に取ってみていただければと思う。

『赤と黒』 スタンダール(岩波文庫)

赤と黒〈上〉 (岩波文庫)赤と黒〈上〉 (岩波文庫)赤と黒〈下〉 (岩波文庫 赤 526-4 9赤と黒〈下〉 (岩波文庫 赤 526-4 9

書名:赤と黒
著者:スタンダール
訳者: 桑原 武夫、生島 遼一
出版社:岩波書店
ページ数:382(上)、468(下)

おすすめ度:★★★★★




言わずと知れたスタンダールの代表作といえば、この『赤と黒』である。
主人公の心の動きを克明に描いた心理小説として高く評価され続けている、フランス文学の古典中の古典でもある。
フランス文学のみならず、欧米文学に興味のある方には必読の一冊と言えるだろう。

頭脳明晰で容姿端麗でもあるジュリアン・ソレルは、生まれが田舎町の庶民ではあるものの、何とか出世したいとの強い野心を抱いていた。
そんな彼が、町長の家で家庭教師をすることになり、次第にその家の夫人と親密になっていくのだが・・・。
大事件が連続するというわけではないものの、『赤と黒』の筋の起伏は読者を最後まで飽きさせることがないはずだ。
読後にタイトルの「赤」と「黒」がそれぞれ何を意味しているのかを考えてみるのも、面白いのではないかと思う。
赤と黒【字幕版】 [VHS]赤と黒【字幕版】 [VHS]

有名な作品だけあり、『赤と黒』は宝塚歌劇の題材となっていたり、映像化されたりしている。
映画化作品のお勧めはユアン・マクレガーが主演している右の『赤と黒』で、原作にはない演出も見られるには見られるものの、概ね原作に忠実な映像化作品となっているのではあるが、VHSしか出回っていないというのがデメリットとなっている。
『赤と黒』という邦題を冠して、現代風にアレンジを加えた韓国ドラマも作成されているようで、『赤と黒』がいまだにアクチュアルな古典作品であることを窺い知ることができる。

『赤と黒』と『パルムの僧院』の二作品が、スタンダールの作品の中で双璧を成しているが、どちらの作品がより優れているかとなると、これには諸説あるようで、要は意見の分かれるところである。
『赤と黒』を気に入った読者は、ぜひ『パルムの僧院』も読んでみていただければと思う。

『ゲーテ格言集』 ゲーテ(新潮文庫)

ゲーテ格言集 (新潮文庫)ゲーテ格言集 (新潮文庫)

書名:ゲーテ格言集
著者:ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
訳者:高橋 健二
出版社:新潮社
ページ数:231

おすすめ度:★★★☆☆




ドイツが誇る世界の文豪、ゲーテが残した格言や名言の数々を集めたのが本書『ゲーテ格言集』である。
当然ながら、これは訳者がゲーテの膨大な著作群の中から言葉を取捨選択して編んだものであり、ゲーテ自身が編んだ選集にはなっていないが、ゲーテのネームバリューにふさわしく、驚くほど含蓄のある言葉にあふれている。
前世紀の半ばの初版以降、すでに百刷を超えて久しいという、格言集としては異例のロングセラーとなっているが、それも頷けるというものだ。

本書では、ゲーテの言葉は、愛と女性、人間と人間性、芸術と文学、幸福、個人と社会、人生などといった、幅広いジャンルに分けられている。
大半はゲーテが格言として残したものであるが、中には『親和力』、『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』や『ファウスト』など、ゲーテの小説や戯曲から採られた言葉もあり、ゲーテの文学におけるテーマの核心に迫るような鋭い言葉も散見する。
ゲーテの作品に直接触れたときのような感慨は受けないかもしれないが、この格言集に頻出する作品に対する読者の興味は強くかき立てられるに違いなく、本書はゲーテ文学の読書案内としての役割を担うこともできそうな気がする。
性質上、一気に読み通すよりは、落ち着いた時間のできたときに少しずつ読み進めると、より深く味わうことができるのではないかと思う。

ゲーテの言葉が体系的にまとめられているとはいえ、やはり全体として見れば断片的であるという印象は拭い難い。
ゲーテの作品の編訳書である本書は、人間観察の大家でもあるゲーテに一歩近付くための足掛かりとなるべき一冊であろう。
そういう意味では、ゲーテをよく知る方はもちろん本書を楽しめるだろうが、ゲーテの著作に触れたことのない方が本書から始めてみるのも悪くないかもしれない。

『ボルジア家風雲録』 デュマ(イースト・プレス)

ボルジア家風雲録 (上) 教皇一族の野望ボルジア家風雲録 (上) 教皇一族の野望ボルジア家風雲録 (下) 智将チェーザレの激闘ボルジア家風雲録 (下) 智将チェーザレの激闘

書名:ボルジア家風雲録
著者:アレクサンドル・デュマ
訳者:吉田良子
出版社:イースト・プレス
ページ数:208(上)、192(下)

おすすめ度:★★★★




デュマ初期の小説作品の一つがこの『ボルジア家風雲録』である。
原書はもっと大部の作品集なのだが、昔からなぜかこのボルジア家のパートだけが注目を集めていて、ここだけ抜粋されて訳出されるという運命にあるらしい。
他の部分を読んだことがないのでその抜粋の妥当性については判断がつかないのだが、翻訳出版されている『ボルジア家風雲録』に限って言えば、読み応え十分の歴史小説であると断言することができる。

『ボルジア家風雲録』は、権謀術数を駆使して自らの野心を実現していくアレクサンドル六世とその息子チェーザレ・ボルジアという、ボルジア家の中でも最も悪名高い二人の人物を中心に描かれている。
日本でいうところの戦国時代のように、イタリア国内では群雄割拠、さらにフランス、ドイツ、スペイン、トルコといった大国との油断ならない接点も多く、ローマの政治は綱渡りである。
そんな中、アレクサンドル六世とチェーザレ・ボルジアは、持ちうる宗教的権力や世俗的権力から最大限の利益を引き出すべく、同盟と裏切りを繰り返していく。
本書の読者は、なぜボルジア家の面々の評判が今日に至るまでこうも悪いのか、嫌でも納得させられることだろう。

『ボルジア家風雲録』は、歴史書ではなく、あくまでデュマによる歴史小説なので、明らかに史実と異なる記述や人物設定も散見するようだ。
これはデュマの認識誤りではなく、ドラマとしての効果を狙った演出の一種とみなされるべきものであり、この紛らわしい改変に対する賛否両論はあるにせよ、デュマの歴史小説とはそもそもそういうものとして読むしかないような気がする。
そういう意味では、ボルジア家の歴史に興味のある方には不向きな作品と言えるかもしれない。

デュマの小説といえば、その読みやすさとスピード感が売りであるが、『ボルジア家風雲録』においてもそれらは健在である。
その点、文豪と称されるデュマの作品には、チェーザレの口約束なんかとは訳が違い、裏切られることが少ないので安心だ。

『けむり』 ツルゲーネフ(河出書房新社)

世界文学全集〈第9〉プーシキン,ツルゲーネフ スペードの女王 猟人日記 けむり 他(1962年)世界文学全集〈第9〉プーシキン,ツルゲーネフ スペードの女王 猟人日記 けむり 他(1962年)

書名:けむり
著者:イワン・ツルゲーネフ
訳者:神西 清
出版社:河出書房新社
ページ数:457

おすすめ度:★★★★




ツルゲーネフ円熟期の長編小説の一つがこの『けむり』である。
思想色の濃い恋愛小説とでも呼べそうな作品であるか、いかにもツルゲーネフらしい読み応えのある作品になっており、ツルゲーネフに興味のある方には非常にお勧めだ。

バーデンを訪れているロシア人の青年リトヴィーノフは、婚約者の合流を待っている身であった。
しかし、そんな折に、かつて相思相愛でありながら、彼を捨てていった美貌の女性と10年振りの再会を果たしてしまったものだから・・・。
『けむり』には、恋愛感情を軸とした心理描写もさることながら、重みのある人物、重みがありそうには見えるが実は薄っぺらな人物、はたまた露骨に軽薄な人物など、いろいろな種類の登場人物から成る当時のロシア社会の上流社会やインテリ層が活写されている。
また、物語の終盤に至って顕在化する『けむり』という表題の奥深さを考えてみるのも面白いように思う。

『けむり』は岩波文庫からも出されているが、こちらは仮名遣いが古く、読みにくいと感じられる読者もいるかもしれない。
私が読んだ河出書房の文学全集のほうは、プーシキンとツルゲーネフを収めた作品集となっていて、プーシキンの『ベールキン物語』と『スペードの女王』、抄訳ではあるがツルゲーネフの『猟人日記』も収められている上に、肝心の『けむり』が名訳者として知られる神西氏の訳業であるというメリットもあるので、活字が小さいという難点はあるにせよ、お勧めできる。

ツルゲーネフの小説は読みやすく、それでいてとても面白いのが常であり、本書『けむり』もその例外ではない。
ツルゲーネフのことを個性の強い作家であるとは言えないかもしれないが、良識と品格に裏打ちされたツルゲーネフの作品は、どこか王道的な小説といった威厳を備えているようにも感じられる。
作品の質の割りに、あまり数多く出回っていないようなので、『けむり』の入手は急いだほうがいいかもしれない。

『ビュグ=ジャルガルの闘い』 ユーゴー(潮出版社)

ビュグ=ジャルガルの闘い (1982年)ビュグ=ジャルガルの闘い (1982年)

書名:ビュグ=ジャルガルの闘い
著者:ヴィクトル・ユーゴー
訳者: 辻 昶、野内 良三
出版社:潮出版社
ページ数:272

おすすめ度:★★★☆☆




ユーゴー初期の長編小説の一つがこの『ビュグ=ジャルガルの闘い』である。
後に大幅に書き直されたという経緯があるとはいえ、処女作とも言えるほどに初期の作品であり、それなりの粗さというか、緻密さに欠けるところがあるにはあるが、ユーゴーらしい作品になっていることは疑いを入れないように思う。

『ビュグ=ジャルガルの闘い』は、戦闘となれば比類なく勇敢でいながら平時には至って物憂げな様子をしているとある大尉が、カリブ海のフランス植民地であったハイチにおける黒人奴隷の反乱を思い出話として語るという、回想風のスタイルだ。
黒人奴隷の身でありながら、高慢とも言えるほどの毅然とした態度を崩さないピエロに対して、大尉は生意気だという反感だけではなく尊敬の念すら抱き始めるが、奴隷たちを虐げ続けていた植民地には不穏な空気が漂い始めていて・・・。

作品の中頃でストーリーが少し停滞しているように感じられる箇所があるとはいえ、『ビュグ=ジャルガルの闘い』はあくまでスリリングかつスピーディーな展開が基調となっており、一度読み始めれば読者を引き付けて離さないのではないかと思われる。
レ・ミゼラブル』や『エルナニ』を思い出させるような、人間としての誠実さも描かれていて、初期作品にもそういったユーゴーの特徴が表れていることを知れば、読者はそれこそがユーゴーの生涯のテーマであったということを実感できるのではなかろうか。

ユーゴーの小説のあら捜しをしようとすれば欠点は見出せるかもしれないが、何はともあれ、ストーリー性に富んでいて面白いものであることは間違いない。
日本に意外と研究者が乏しいのか、出版界の事情なのかは知らないが、多くの小説作品を残したユーゴーはもっと翻訳紹介されてしかるべき作家の一人であろう。
非常にレアな本となってしまっているのが残念ではあるが、可能であれば『ビュグ=ジャルガルの闘い』を手にしていただければと思う。
カテゴリ
PR
最新記事
RSSリンク