『ルーゴン家の誕生』 エミール・ゾラ(論創社)

ルーゴン家の誕生 (ルーゴン・マッカール叢書)ルーゴン家の誕生 (ルーゴン・マッカール叢書)
(2003/10)
エミール ゾラ

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書名:ルーゴン家の誕生
著者:エミール・ゾラ
訳者:伊藤桂子
出版社:論創社
ページ数:402

おすすめ度:★★★★




ゾラといえば「ルーゴン・マッカール叢書」だが、その第一作目はあまり読まれていないのではなかろうか。
かくいう私も、『ナナ』や『居酒屋』は数年前に読んだけれども、一作目である『ルーゴン家の誕生』は長らく読まずにいた。
単独で読んでも十分楽しめるのがルーゴン・マッカール叢書の特徴でもあるが、時折なされる遺伝についての云々をやや唐突に感じた読者もいたのではないかと思う。
いかに緩いつながりから成るシリーズだからとは言っても、一作目から読むのが正攻法というか、シリーズを最大限に楽しむ方法ではあろう。

さて、『ルーゴン家の誕生』だが、原題は「La fortune des Rougon」とあり、必ずしもルーゴン家の誕生の経緯に焦点を当てた作品ではないことは表題からも察せられる。
どちらかといえば、話が進んでいくうちにあっさりと一家が誕生してしまったような観すらある。
それでいて、一族のスタートを知ることができるという意味では『ルーゴン家の誕生』は非常に興味深い作品だ。
先に『ナナ』や『居酒屋』のような有名どころを読み、ゾラに、ルーゴン・マッカール叢書に関心を抱いた方にはぜひお勧めしたい。

ゾラに特有の、登場人物の欲望をさらりと描写する筆は、本作においてもやはり読み応えがある。
清い心を持つ、少年から青年へと移り行く年頃のシルヴェールの存在によって、利己的な人々の心の醜さがかえって引き立ってしまう。
それでいて、それら醜い人々がのし上がっていくさまを心の底で応援してしまったのは私だけだろうか。
構成にも配慮がなされているように思えたし、ゾラとしては比較的初期の作品に分類されるのだろうが、随所にゾラの小説家としての巧みさを感じさせる仕上がりの作品だ。

初版が2003年というのもあり訳文も読みやすく、簡単なプラッサンの市街図以外に挿し絵こそないが、付録としてルーゴン・マッカール一族の遺伝的連関を示す家系樹が付いているのもうれしい。
ナポレオン3世の即位前後の歴史的知識があるとより楽しめる作品だと思う。
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『ナナ』 エミール・ゾラ (新潮文庫)

ナナ (新潮文庫)ナナ (新潮文庫)
(2006/12)
ゾラ

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書名:ナナ
著者:エミール・ゾラ
訳者:川口 篤、古賀 照一
出版社:新潮社
ページ数:716

おすすめ度:★★★★★




言わずと知れたゾラの代表作がこの『ナナ』。
居酒屋』と並び翻訳の種類も多く、ゾラの最高傑作として数々の文学全集にも収録され、文庫本にもなっており、それだけ最も読まれている作品ではなかろうか。

ナナは舞台で男たちを魅了した高級娼婦。
『マノン・レスコー』や『椿姫』、女性につぎ込み破滅していく人々が多々描かれているバルザックの作品群などを思い起こさせる、いかにもフランス文学の系譜中といった作品だ。
それらの多くの作品に共通することだが、読者は最初から熱狂的に恋する男たちはもちろん、当の娼婦自身にも、破滅的な結末をおぼろげながらに予感してしまう。
そしてやはり『ナナ』の結末もハッピーエンディングにはならない。
『ナナ』マネ
ゾラと親交のあったマネがナナの全身像を残している。
モデルは当時実在していた高級娼婦。
背景に描き込まれた鶴に、当時の流行であるジャポニズムを垣間見ることができるかもしれない。
美しいとされる女性にも流行があるが、このナナは現在も多くの男性を魅了できるのだろうか。

いいようにあしらわれる男たち、自由奔放な振る舞いを続けるナナ・・・登場する男たちのだらしなさに歯がゆい思いをした記憶が残っている。
ナナを取り巻く男たちは、現在であればホストやホステスに異様に熱を上げる人々に比せられるのだろうが、ただひとつ根本的に異なるのは、当時夢中になっていた男たちは階級社会の上層に位置するということ。
『ナナ』に限ったことではなく、『獲物の分け前』などにも窺えることだが、概してゾラは上流階級の人々を描く際に非常に手厳しい。
そのような描き方をするのはなにもゾラに限ったことではないけれども。

強烈な印象を残す必読の書とまでは言わないが、何しろ知名度のある作品なので一読をお勧めする。

『居酒屋』 エミール・ゾラ(新潮文庫)

居酒屋 (新潮文庫 (ソ-1-3))居酒屋 (新潮文庫 (ソ-1-3))
(1970/12)
ゾラ

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書名:居酒屋
著者:エミール・ゾラ
訳者:古賀照一
出版社:新潮社
ページ数:740

おすすめ度:★★★★★




ナナ』と並び、ゾラの代表作とされるのが本作『居酒屋』。
主人公であるジェルヴェーズの境遇の浮き沈みが大きく、それだけ興味深く楽しめる作品となっている。

当時、ほとんど売れていなかったゾラを一躍有名作家にしたのがこの『居酒屋』でもある。
それまでの上流階級の腐敗を描いたものや、田舎町プラッサンを舞台にしたものと比べて、パリの庶民生活を赤裸々に描いた『居酒屋』は、より多くの読者を獲得しやすかったのかもしれない。
人々の内面の汚いところをも描き出そうというゾラの傾向からか、登場人物の性格等をやや醜悪にし過ぎたきらいもないではないが、そこらへんも含めてゾラを心行くまで楽しむことのできる作品だ。

さらに、本作に登場するジェルヴェーズの子供たちも、後々他の作品の主人公として大きな役割を果たすことになる。
制作』のクロード、『ジェルミナール』のエティエンヌ、そしてその名を表題に持つナナ。
以降の登場人物を準備した『居酒屋』は、ルーゴン・マッカール叢書中において、『ルーゴン家の誕生』に次ぐ、その後の傑作の起点と言っても過言ではないだろう。
『居酒屋』と上に挙げた作品を読んでみるだけでも、マッカール家の一支流の運命が一望でき、ルーゴン・マッカール叢書の執筆にあたり、遺伝的・社会的要因を重視したゾラの広大なビジョンの片鱗を垣間見るという楽しみ方もできるように思う。
「行間」ならぬ「作品間」を楽しむことができるというのが、連作の醍醐味ではなかろうか。

やや長めの長編小説ではあるが、文庫本で一冊になっているというコンパクトさもうれしいところ。
筋の起伏もあるので読みやすく、ゾラらしさ、自然主義文学らしさも存分に発揮されているので、初めてゾラを読むという人にも堂々とおすすめできる名作である。

『獲物の分け前』 エミール・ゾラ(論創社)

獲物の分け前 (ルーゴン・マッカール叢書)獲物の分け前 (ルーゴン・マッカール叢書)
(2004/11)
エミール ゾラ

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書名:獲物の分け前
著者:エミール・ゾラ
訳者:伊藤桂子
出版社:論創社
ページ数:361

おすすめ度:★★★★




ルーゴン・マッカール叢書、第二巻に当たるのが本書『獲物の分け前』である。
話の筋という観点からすると、『ルーゴン家の誕生』の直接的な続編は第四巻の『プラッサンの征服』であり、ルーゴンの息子であるアリスティッドのその後を描いた本作『獲物の分け前』は、パリに舞台を移したやや傍系といった感じだ。
しかし、後々多くの作品の舞台となるパリはこの『獲物の分け前』を皮切りにしており、叢書内における重要性も決して小さくはないと言える。

アリスティッドとその若き後妻ルネ、先妻との間の息子マクシム、この三人が暮らす豪奢な館を中心に、第二帝政の開始、ひいてはオスマン男爵のパリ大改造、これらのどさくさの中でのし上がった、もしくはこれからのし上がっていく人々が彼らを取り巻いている。
大きな変革や大事業は、いつの世でも一部の人間に多大な富をもたらすもので、それらの「獲物」をめぐって、不正な取引が横行する・・・。
そんなものははるか昔の異国の地での出来事にすぎない、と完全に割り切ることができないのが、悲しくも腹立たしいところだ。

この作品で大きな役割を占めているもう一つのテーマは、作中にもそのタイトルの散見される、ラシーヌの『フェードル』に似た恋愛模様だろう。
それを倦怠と退廃が生み出す邪恋とみなすべきなのか、肉体的・精神的充足を求める一人の女性の悲恋とみなすべきなのか、そこは各々の読者が自らの胸に問えばいいことだが、果たして『フェードル』的恋愛に喜ばしい結末は期待できるのだろうか。

私自身そうした手合いなのだが、第一巻である『ルーゴン家の誕生』から続けて読むと、また同じつくりなのかと感じてしまうほどに、時系列の組み立て方など、構成は第一巻と似ている。
また、アリスティッド・サッカールは十八巻の『金』で主人公を務めるという、ルーゴン・マッカール叢書中の重要人物の一人だ。
『獲物の分け前』がゾラに、ルーゴン・マッカール叢書に関心のある方を失望させることはないだろう。

『ジェルミナール』 エミール・ゾラ(論創社)

ジェルミナールジェルミナール
(2008/12)
エミール ゾラ

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書名:ジェルミナール
著者:エミール・ゾラ
訳者:小田 光雄
出版社:論創社
ページ数:702

おすすめ度:★★★★★




ルーゴン・マッカール叢書、第十三巻目に当たるのがこの『ジェルミナール』。
ゾラの作品の中で、これは非常にお勧めのものの一つだ。
ストーリー展開も非常にダイナミックで、躍動感に満ちた登場人物にあふれ、ついつい先が気になってページを繰ってしまうというゾラの傑作の一つだろう。
個人的には、ゾラの代表作としてもっと読まれてしかるべき作品だと思う。

「ジェルミナール」とは、フランス革命暦における一つの月の名前で、日本語では「芽月」と訳されることが多い。
現今の暦では三月下旬から四月上旬に当たり、日本ではちょうど桜のほころぶ季節。
ただ、作品の中で流れる時間的スパンは比較的長く、必ずしもストーリーが「ジェルミナール」と直結していないようにも思える。
ゾラはなぜこのタイトルを選んだのかと読後に考えてみるのも面白いだろう。

舞台は劣悪な環境の中で貧しい労働者たちがひしめく鉱山町。
資本家たちの都合で運営される鉱山でいいように使われていた労働者たちが、渦巻く怒りを胸にストライキに突入、そして貧苦の末に・・・。
読み進めていくうちに、多くの読者がプロレタリア文学臭さを感じるのではなかろうか。
事実『ジェルミナール』は、ゾラの社会思想をも推し量ることができるような、そんな作品だ。
様々な視点からの鑑賞に耐えうる豊かさを内に秘めているので、論文のテーマに困っている学生にも多くのヒントを与えてくれるかもしれない。
坑夫 (新潮文庫)坑夫 (新潮文庫)
(2004/09)
夏目 漱石

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これは余談だが、『ジェルミナール』にやや遅れて、日本では漱石が『坑夫』という小説を発表している。
自暴自棄になった青年が鉱山労働者になろうとするところから始まる、こちらも鉱山を舞台にした物語で、『ジェルミナール』と合わせて読んでみるのも興味深いように思う。
とはいえ、叢書中の他の作品との内容的連関も少ない『ジェルミナール』は、ただこれだけを読んでも十分楽しめる優れた作品として、強くお勧めしたい。

『制作』 エミール・ゾラ(岩波文庫)

制作 (上) (岩波文庫)制作 (上) (岩波文庫)
(1999/09/16)
エミール・ゾラ

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制作 (下) (岩波文庫)制作 (下) (岩波文庫)
(1999/09/16)
エミール・ゾラ

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書名:制作(上・下巻)
著者:エミール・ゾラ
訳者:清水 正和
出版社:岩波書店
ページ数:382(上)、371(下)

おすすめ度:★★★★★




ルーゴン・マッカール叢書、第十四巻がこの『制作』。
個人的には、ゾラの諸作品の中で最も気に入っている。
西洋美術、特に印象派に興味のある方にはぜひ読んでいただきたい作品だ。

主人公は売れない画家、クロード・ランチエ。
彼は自らの芸術に対する信念を貫き通す頑固一徹な男で、いわゆる芸術家気質の典型的なタイプである。
印象派の後の隆盛を知っているだけに、読者はクロードを奇妙な絵を描き散らすただの変人とは思えず、ついつい彼の成功を応援してしまう。
彼の苦悩には、絵画等の制作に打ち込んだ経験のない人間でも強く共感できることだろう。
芸術家としての苦悩は、それをそのままゾラの経てきた茨の道ととらえることもできるかもしれない。
『ゾラ』マネ
非難の的でもあった印象派を早くからゾラが擁護していて、さらに印象派とされる数多くの画家たちと親交もあったという事実が、この小説の面白みを倍増させている。
『制作』には、ゾラと親しかったマネらしき男も登場する。
右はマネが描いたゾラの肖像。
周到な下調べのもとで執筆にかかる小説家としての、論戦も辞さずに自説を主張し続けた評論家としての、自信や力強さがうまく表現されているように思う。

ゾラはこの『制作』の執筆が原因で、中学以来の親友セザンヌと絶交したとも言われている。
また、主人公の「クロード」という名前はモネを連想させないでもない。
クロードが制作している絵の描写から、当時の誰の作風に類似しているのかを考えてみるのも面白い。
『制作』を現実の印象派と完全に切り離して鑑賞するのは難しいかもしれないが、絵画に関心があれば、それだけより深く楽しめる作品だろう。
私自身、絵心は絶望的なので、どなたか腕に覚えのある方に、クロードが作中で描いていた絵を実際に描くという試みに挑戦してもらいたいものだ。

他の叢書中の作品との結びつきは弱め。
関連作品をお探しの方には、同じくゾラの『美術論集』、バルザックの『知られざる傑作』をお勧めしたい。

『ごった煮』 エミール・ゾラ(論創社)

ごった煮 (ルーゴン・マッカール叢書)ごった煮 (ルーゴン・マッカール叢書)
(2004/09)
エミール ゾラ

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書名:ごった煮
著者:エミール・ゾラ
訳者:小田光雄
出版社:論創社
ページ数:528

おすすめ度:★★★★




『ごった煮』はルーゴン・マッカール叢書第十巻に当たる。
しばしば第十一巻の『ボヌール・デ・ダム百貨店』との連続性を指摘されるが、実際にはさほど厳密な意味での前編・後編という感じはなく、いつもの「ルーゴン・マッカール的」な緩いつながりがあるに過ぎない。
とはいっても、主要登場人物や、舞台となる服飾店など、共通する部分は多いので、やはりこの『ごった煮』、『ボヌール・デ・ダム百貨店』の二作品は順序どおり読むほうがより楽しめるだろうか。

『ごった煮』は、パリの一つのアパルトマンを舞台に繰り広げられる確執、打算、痴話、駆け引き・・・それらの混じりあう坩堝、まさしく一つ屋根の下に暮らす人々の「ごった煮」を描いている。
主人公は、『プラッサンの征服』で出来の悪い息子として登場したオクターヴ・ムーレ。
彼はルーゴン・マッカール叢書中、最も登場頻度の高い核となる人物の一人なので、また、彼の境遇や性格は非常に変化に富んでいるので、他の巻での彼の活躍を追ってみるのも興味深いに違いない。

ゾラの多くの傑作にありがちなことだが、『ごった煮』にもあまり心の清い人々は登場せず、腹黒い人々が大半を占めている。
そしてこのような人々を描いているときにこそ、自然主義の提唱者としてのゾラの腕前が遺憾なく発揮されているように思う。
決して作品の中で出しゃばらない作者は、ただ淡々と起こった出来事を連ねていくが、その無関心そうな態度が、冷たい突き放しのようで、いかにもとげとげしいと感じてしまうのは、私だけではないのではなかろうか。
醜悪なものをぎろりと横目でにらみつけたかのような、そんなゾラの鋭さが私は好きだ。

あまり知名度は高くないが、非常にゾラらしさの出ている『ごった煮』は読み物として普通に面白く、ゾラを初めて読む人にでもとっつきやすい。
『ごった煮』を気に入ることのできた方には、引き続いて『ボヌール・デ・ダム百貨店』を読んでみてもらいたい。
きっと少々毛色の異なるゾラを楽しんでもらえることだろう。

『ボヌール・デ・ダム百貨店』 エミール・ゾラ(藤原書店)

ボヌール・デ・ダム百貨店―デパートの誕生 (ゾラ・セレクション)ボヌール・デ・ダム百貨店―デパートの誕生 (ゾラ・セレクション)
(2004/02)
エミール ゾラ

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書名:ボヌール・デ・ダム百貨店
著者:エミール・ゾラ
訳者:吉田 典子
出版社:藤原書店
ページ数:651

おすすめ度:★★★★




ルーゴン・マッカール叢書第十一巻がこの『ボヌール・デ・ダム百貨店』。
第十巻の『ごった煮』の続編として紹介されることも多いが、『ごった煮』を知らずとも十分一つの作品として完結している。
とはいえ、『ごった煮』の主人公オクターヴ・ムーレのその後が描かれているので、両方とも読む予定なら順序としては『ごった煮』を先に読むのがベターだ。

『ボヌール・デ・ダム百貨店』は、世界最初の百貨店といわれるボン・マルシェ百貨店をモデルにした、デパートの黎明期を描いた作品。
ゾラの目指したものは歴史書ではないから、記述のすべてを鵜呑みにするわけにはいかないが、それでもおよそ150年前のデパートの様子を想像してみるよすがとはなる。
今日のデパートのあり方と比べてみるだけでも、興味深い相違点が多いことだろう。

ところで、同時期のフランスの作家たちを思い返してみても、本格化した産業革命の進展や、大量消費社会の形成など、社会の一大変革を取り扱った作品を残した作家は意外と少ないのではなかろうか。
百貨店を取り上げるということ自体が、様々な角度から第二帝政期を浮き彫りにしようとしようとしたゾラらしい焦点の当て方なのだろうし、このような手法によって、ゾラのライフワークとも言うべきルーゴン・マッカール叢書は、その分量では大きく引けを取るとはいえども、バルザックの「人間喜劇」にはない幅と奥行きを獲得している。
そういう意味では、急速に普及していった鉄道を舞台にした作品である『獣人』に通ずるところのある、時代性に富んだ素晴らしいテーマの選び方だと思う。

テーマの選び方は非常にゾラらしく、百貨店内に陳列された商品の描写にも、印象派を擁護したゾラらしい華やかな色使いは健在だ。
しかし、ストーリーの力強さやインパクトにやや欠けるところがあるだけではなく、ルーゴン・マッカール叢書内において異色の観もあるので、これだけで読むよりは叢書内の一作品として読むほうが面白みも倍増することだろう。
そういうわけで、やや玄人向けの作品だと思う。

『獣人』 エミール・ゾラ(藤原書店)

獣人 ゾラセレクション(6)獣人 ゾラセレクション(6)
(2004/11)
エミール ゾラ

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書名:獣人
著者:エミール・ゾラ
訳者:寺田 光徳
出版社:藤原書店
ページ数:526

おすすめ度:★★★★★




ルーゴン・マッカール叢書第十七巻の『獣人』。
ミステリー的な要素の強い作品で、クライマックスの盛り上がり方、スピード感は、ゾラの全作品の中でも屈指だろう。
ゾラのことをあまり知らない人にも安心してお勧めできるし、ゾラが好きな読者なら絶対に楽しめるはずだ。

『獣人』は、文明化の象徴でもある鉄道を舞台にしている。
ゾラの作品は、他殺、自殺、病死など、登場人物が最低でも一人は死ぬものが圧倒的に多いが、「愛と殺人の鉄道物語」との副題が示すとおり、本作においてもやはり人が死ぬ。
そしてこの場合の「愛」が清純なものでないことも、副題から予想されるとおりだ。
あまり内容については触れたくないので深入りはしないでおくが、愛と殺人の絡まり合いと、それに拍車をかけるかのような機関車の疾駆が、作家として円熟したゾラによって巧みに描かれている。

そういえば、官能の瞬間と死の瞬間の類似は、ゾラがこの小説を書く前の世紀にサドが指摘していたように思う。
そして同様の事実を基に、二十世紀になってバタイユが自説を展開するのではなかったか。
このような思想的側面に焦点を当てて読んでみるのも面白いかもしれない。

『獣人』はルーゴン・マッカール叢書の第十七巻だが、他の作品とのつながりはきわめて弱い。
とはいえ、ルーゴン家、マッカール家の始祖とも言えるアデライードからの遺伝性は、主人公であるジャックにおいて一つの頂点を迎えている。
ジャックの母は『居酒屋』のジェルヴェーズであり、彼もマッカール家の一員だ。
ところで、マッカール家の面々を主人公にした作品に傑作が多いように思うのは気のせいだろうか。

『獣人』といういかにも魅力的なタイトル。
以前から読みたいとは思っていたのだが、文学全集などに収録されているものを除けば、かつては岩波文庫しか翻訳がなかった。
しかし、その訳文は古かったし、そもそも入手が難しかったりした。
挿絵入りの読みやすい『獣人』を出版してくれた藤原書店に感謝である。
これを機に、これまで埋もれがちだったゾラの傑作『獣人』がより多くの人に読まれ、人々にただならぬ感動を与えることを期待したい。

『パリの胃袋』 エミール・ゾラ(藤原書店)

パリの胃袋 (ゾラ・セレクション)パリの胃袋 (ゾラ・セレクション)
(2003/03)
エミール ゾラ

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書名:パリの胃袋
著者:エミール・ゾラ
訳者:朝比奈 弘治
出版社:藤原書店
ページ数:446

おすすめ度:★★★☆☆




ルーゴン・マッカール叢書の第三巻がこの『パリの胃袋』である。
一つの風俗画として読むこともできるような非歴史的なストーリーにもかかわらず、それでいてきわめてゾラらしい時代性に富んだ作品だ。

タイトルの「パリの胃袋」とは、パリ中央市場のこと。
ロンドン万博を彷彿とさせる、ガラスと鉄骨で作られたモダンな中央市場には、あちこちから野菜、肉、魚介類がパリの人々の食欲を満たすために集まってくる。
それらの食材を色彩豊かに描き出すゾラは、やはり色彩に対する感覚が他の作家より鋭敏だったのだろう。
また、市場で働く雑多な人々を大雑把に、それでいて読者が彼らに興味を抱いてしまうように描く手腕には、ただただ感心せずにはいられない。

『パリの胃袋』は、叢書中において、マッカール家が主要登場人物となる初めての作品だ。
ルーゴン家と比べてはるかに庶民的な一族であるマッカール家の人々が活躍する作品は、活気に満ちているものが多い。
本作『パリの胃袋』は、それらの中でも特に生き生きとした印象が強く、描かれた食材のみならず、登場人物たちも全般にとても鮮度がいい。
ガラスを通して差し込む日の光に満たされた明るい雰囲気の中では、彼らの抱く邪な欲望でさえ、その暗鬱さを和らげられてしまうかのようだ。
その分あっさりめのストーリーに仕上がったようにも思うが、それだけ読みやすい作品とも言える。

強いて言うならば、庶民階級を描いた『パリの胃袋』は叢書の中で最も『居酒屋』に近い性質の作品だろうか。
居酒屋』を気に入られた読者ならば、本書『パリの胃袋』でまた一味違ったゾラの描き出すパリの情景を楽しめるはずだ。

『プラッサンの征服』 エミール・ゾラ(論創社)

プラッサンの征服 (ルーゴン=マッカール叢書)プラッサンの征服 (ルーゴン=マッカール叢書)
(2006/11)
エミール ゾラ

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書名:プラッサンの征服
著者:エミール・ゾラ
訳者:小田 光雄
出版社:論創社
ページ数:441

おすすめ度:★★★★




ルーゴン・マッカール叢書第四巻、『プラッサンの征服』。
第一巻の『ルーゴン家の誕生』の続編的位置付けであるだけではなく、後の作品で重要な登場人物となるムーレ家の人々が準備されてもおり、叢書内において枝分かれの起点の一つとなる作品だ。
同じ続編的性格を備えているといえども、『ごった煮』と『ボヌール・デ・ダム百貨店』の二作品より、『ルーゴン家の誕生』と『プラッサンの征服』のほうが、筋の上での結びつきが強い。
家族関係も多少複雑なので、『プラッサンの征服』だけを読んでも理解しにくい部分が多く、やはり『ルーゴン家の誕生』と合わせて読まれることをお勧めしたい。

本作『プラッサンの征服』は、この論創社版が本邦初訳とのこと。
訳者の小田光雄氏は、『プラッサンの征服』がこれまで翻訳されなかったのは、前後との関係性が強い分、単独訳が出版されにくかったのではないか、と推測されている。
非常にうなずける考えのように思うが、これは裏を返せば、『プラッサンの征服』が叢書の中で重要な役割を占めているということだろう。
ルーゴン・マッカール叢書に興味のある読者が飛ばしてはいけない必読の一巻ということだ。

『プラッサンの征服』の舞台はもちろんプラッサン。
ムーレ家に下宿人として謎めいた神父がやってくるところから話は始まる。
その怪しげな神父をはじめ、登場人物たちのうち何人かの目論見がなかなか明かされず、ミステリアスな雰囲気が持続しているため、読者は嫌でも興味をそそられる。
人物関係さえ把握できれば、ストーリー自体は非常にわかりやすいし、作品中における会話の割合も高いので、とても楽に読み進めることのできる作品だ。

ルーゴン家の誕生』についても同じことが言えるが、ある程度フランスの歴史を知っておいたほうが理解が深まるかもしれない。
そうは言っても、もちろん歴史的知識は必須ではないし、理解を深めずともストーリーを追っていくだけでも『プラッサンの征服』は十分面白いはずだ。
そしてさらに、『ルーゴン家の誕生』の後に続けて読めば何十倍も楽しめる、これは間違いない。

『ペール・ゴリオ』 バルザック(藤原書店)

ペール・ゴリオ パリ物語 バルザック「人間喜劇」セレクション (第1巻)ペール・ゴリオ パリ物語 バルザック「人間喜劇」セレクション (第1巻)
(1999/05/30)
バルザック、Honor´e de Balzac 他

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書名:ペール・ゴリオ
著者:オノレ・ド・バルザック
訳者:鹿島 茂
出版社:藤原書店
ページ数:466

おすすめ度:★★★★★




ゴリオ爺さん [DVD]ゴリオ爺さん [DVD]
(2008/04/23)
シャルル・アズナヴール、チェッキー・カリョ 他

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バルザックの代表作として知られる『ペール・ゴリオ』。
これまで日本語訳としては『ゴリオ爺さん』が一般的だったが、藤原書店版の「人間喜劇」セレクションでは『ペール・ゴリオ』と題されている。
『ペール・ゴリオ』は、バルザックが初めて「人物再登場法」を用いたことでも名高く、バルザックの作品群においてのみならず、文学史上においてもきわめて重要な作品の一つだ。
筋も非常に面白く、良い点も悪い点も含めてバルザックらしさが全開となっているので、バルザックを初めて読む人に特にお勧めである。

右のDVDはフランスで映像化された『ゴリオ爺さん』で、比較的原作に忠実に作ってあるように思う。
時間の制約からか、全般に多少駆け足のような気がしないでもなかったが、漠然とではあれ当時の雰囲気をつかむことができるし、母国フランスで今日バルザックがどのような形で鑑賞されているかも知ることができるので、バルザックファンなら必見だ。

『ペール・ゴリオ』で特に注目に値する登場人物は、タイトルロールであるゴリオ爺さんはもちろん、田舎から出てきたばかりの若き日のラスティニャック。
彼にはバルザックの小説を読み続けていれば何度となくお目にかかることだろう。
駆け出しの頃のラスティニャックを見ることができる『ペール・ゴリオ』は、後になって彼に関する描写だけを読み返してみるだけでも興味深いはずだ。
同じく登場頻度の高い人物である銀行家のニュシンゲンにも目をつけておくべきかもしれない。

とはいえ、『ペール・ゴリオ』の中で最も注目してほしい登場人物は、怪しげな雰囲気を漂わせる男、ヴォートランだ。
彼には実在のモデルがいて、バルザックも面識があったらしい。
『ペール・ゴリオ』だけを読むと、ただの小悪党として見過ごしてしまいがちだが、彼は後の作品『娼婦の栄光と悲惨』において縦横無尽の大活躍を見せることとなる。
人間喜劇の全登場人物の中でも、人気、知名度、共に非常に高く、バルザックが創作した何百という人物たちの中で最も印象的で魅力的な人物の一人だろう。

藤原書店から出版されたこの「人間喜劇」セレクションは、いわゆるヴォートラン3部作を網羅している。
過去にバルザックの全集も存在したが、人間喜劇の中でも特に興味深い一連の作品を手に取りやすい形で出版してくれた藤原書店にはただただ感謝である。
私にしたところで、このセレクションがなければ今ほどバルザックを好きになっていたかどうか・・・。
『ペール・ゴリオ』を読まれた方は、ぜひ『幻滅』、『娼婦の栄光と悲惨』と順を追って読み進めてみていただきたい。
必ずやバルザックの、人間喜劇の、そしてヴォートランの魅力に引き込まれ、もっとバルザックの作品を読んでみたいと感じられることと思う。

『幻滅』 バルザック(藤原書店)

幻滅 ― メディア戦記 上 (バルザック「人間喜劇」セレクション <第4巻>)幻滅 ― メディア戦記 上 (バルザック「人間喜劇」セレクション <第4巻>)
(2000/09)
バルザック、鹿島 茂 他

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幻滅―メディア戦記〈下〉 (バルザック「人間喜劇」セレクション)幻滅―メディア戦記〈下〉 (バルザック「人間喜劇」セレクション)
(2000/10)
バルザック、Honor´e de Balzac 他

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書名:幻滅(上・下巻)
著者:オノレ・ド・バルザック
訳者:野崎歓、青木真紀子
出版社:藤原書店
ページ数:480(上)、472(下)

おすすめ度:★★★★★




ペール・ゴリオ』に続き、ヴォートラン3部作の第二作目がこの『幻滅』。
3部作とはいっても、本作におけるヴォートランの暗躍は最小限に抑えられているから、3部作という観点からすると『娼婦の栄光と悲惨』へのつなぎ、もしくは導入としてとらえたほうがいいだろう。
しかしこの『幻滅』、ヴォートランの登場は少なくても読者を魅了する力は十分に持っている。

人間喜劇中で地方生活情景に分類されているように、アングレームという田舎町で物語りは始まる。
主人公は詩人を夢見る若き田舎の青年リュシアン、幸か不幸か彼は容姿端麗なのだが、そんな彼がパリに上京、いつしかジャーナリストとしての成功を目指し始め・・・。
結果的にはジャーナリズムの腐敗を痛烈に風刺した作品にもなっているのだが、「メディア戦記」と副題が付けられているのはそういうわけだろう。
とはいえ、あまりこの副題自体が必要なものであるとは思えないけれども。

ところでこのリュシアン、時として腹立ちを覚えてしまうほどに情けない男で、決して魅力的な人格を備えた主人公とは言い難い。
しかし、けっこうなページ数を誇る『幻滅』を読み通せば、おのずとリュシアンの先行きに興味も湧いてくるはずだ。
続編である『娼婦の栄光と悲惨』においてリュシアンがどのような運命をたどることになるのか、ぜひ読み進めてみていただきたい。

バルザックといえば借金大王としても有名だが、個人的な経験のおかげでその事情に通じているからか、作品中でも借金や手形、破産や高利貸しへの言及はきわめて多い。
セザール・ビロトー』は破産物語だし、『ゴプセック』は高利貸しの話、『骨董室』は借金のやり繰り算段が主筋であるし、バルザックの小説から金の話を抜き取ったら、多くの小説がそれはそれは味気ないものとなってしまうに違いない。
そして本作『幻滅』でも、やはり金が大きく物を言う。
バルザックを好きになれるかどうかの一つの分かれ道は、ひょっとするとこれら延々と続く金の話を面白いと思えるかどうか、この点にあるのだろうか。

田舎から若い青年が上京し成功をつかもうとする。
あらすじだけをざっと見るならば、ゴンチャロフが『平凡物語』で描いたような、いかにも「平凡」な話なのかもしれない。
しかし、そこはバルザックの腕の見せ所、欲望と愛情が織り成した、浮き沈みのあるストーリーに読者は強く惹きつけられることだろう。
そしてそこに輝きを添えるのは、そう、金だ。
『幻滅』は、とてもバルザックらしい傑作長編の一つとして非常にお勧めである。

『娼婦の栄光と悲惨』 バルザック(藤原書店)

娼婦の栄光と悲惨―悪党ヴォートラン最後の変身〈上〉 (バルザック「人間喜劇」セレクション)娼婦の栄光と悲惨―悪党ヴォートラン最後の変身〈上〉 (バルザック「人間喜劇」セレクション)
(2000/12)
バルザック

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娼婦の栄光と悲惨―悪党ヴォートラン最後の変身〈下〉 (バルザック「人間喜劇」セレクション)娼婦の栄光と悲惨―悪党ヴォートラン最後の変身〈下〉 (バルザック「人間喜劇」セレクション)
(2000/12)
バルザック

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書名:娼婦の栄光と悲惨(上・下巻)
著者:オノレ・ド・バルザック
訳者:飯島 耕一
出版社:藤原書店
ページ数:440(上)、432(下)

おすすめ度:★★★★★




ヴォートラン3部作の第3作目、『娼婦の栄光と悲惨』。
これは面白い、四の五の考えずにストーリーを追って読み進めていくだけでも十分面白い。
3部作の前2作においてヴォートランの活躍に物足りなさを感じていた読者も、『娼婦の栄光と悲惨』を読んでなお彼の働きに不満が残るということはないだろう。
バルザックのすべての作品に目を通したわけではないが、『娼婦の栄光と悲惨』こそ、現時点で私が思うバルザックの最高傑作だ。

『娼婦の栄光と悲惨』は、『幻滅』の続編に当たる。
3部作とはいっても、『ペール・ゴリオ』と『幻滅』との間に筋の上での直接的なつながりはないが、『娼婦の栄光と悲惨』を『幻滅』と切り離して考えることは不可能であるほどに話がつながっているので、『幻滅』を先に読んでおくとさらに面白みが増すはずだ。
幻滅』の主人公であるリュシアンは、『娼婦の栄光と悲惨』でもまた主要登場人物であり、彼のその後の運命が語られている『娼婦の栄光と悲惨』は、『幻滅』の読者には非常に興味深いものとなるだろう。

『娼婦の栄光と悲惨』は、娼婦とそれを取り巻く男たちの物語であると要約できなくもないが、終盤にさしかかってからのヴォートランの目覚ましい活躍ぶりと、彼を中心とした急展開の連続によって、『娼婦の栄光と悲惨』を読み終えた読者は、もっぱらヴォートランの物語を読んでいたかのような錯覚に包まれるかもしれない。
これはなにもバルザックが娼婦の描き方に失敗したからでも、リュシアンの使い方がまずかったからというのでもなく、他の登場人物の存在を霞ませてしまうぐらいヴォートランという男が面白いということだ。
そういうわけで、藤原書店のこの版では「悪党ヴォートラン最後の変身」という副題をつけているのだろう。
とはいえ、私は訳者や出版社が勝手につけた副題にはあまり感心しないことが多いのだが・・・。

本作にはラスティニャックやニュシンゲンも再登場する。
つまり、ヴォートラン3部作の1作目である『ペール・ゴリオ』とは、ヴォートラン以外の点でも結びついているということだ。
縦横無尽に人物網を張り巡らせることによって、人間喜劇は前代未聞の幅と奥行きを獲得しているわけだが、読者がこの網にからめ取られることこそ、まさにバルザックの思うつぼなのだろう。
現に私はまんまとバルザックの術中に陥っており、バルザックの小説を読んでいて、貴族、軍人、代訴人、政治家、伊達男など、知った名前の人物が顔を出すとそれだけでうれしくなってしまう。
人間喜劇を代表するこの3部作を皮切りに、少しでも多くバルザックの作品に触れてもらえれば、旧友に再会したかのようなこの独特の喜びを感じていただけるのではないかと思う。
『娼婦の栄光と悲惨』だけではなく、バルザックが私のお勧めだ。

『従兄ポンス』 バルザック(藤原書店)

従兄ポンス―収集家の悲劇 (バルザック「人間喜劇」セレクション)従兄ポンス―収集家の悲劇 (バルザック「人間喜劇」セレクション)
(1999/09/30)
オノレ・ド・バルザック、Honor´e De Balzac 他

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書名:従兄ポンス
著者:オノレ・ド・バルザック
訳者:柏木 隆雄
出版社:藤原書店
ページ数:496

おすすめ度:★★★★




パリ生活情景の中で、『従妹ベット』と共に「貧しき縁者」としてくくられている『従兄ポンス』。
貧しく役に立たない親戚と思われ、疎んじられていたポンスのコレクションに意外な価値があるとわかり・・・。
親族としての絆と金銭上の利益というテーマの選び方が、いかにもバルザックらしい。
やや厚めの一冊だが、さくさく読み進めることのできる作品だ。

『従兄ポンス』は、善人と悪人の区別がはっきりしているわかりやすい構図で、筋にもそう複雑なところはない。
バルザックの悪い癖である、知識のひけらかしのような部分もないわけではないが、物語自体はとても面白い。
ただ気になるのは、誤植の多いところだろうか。
人間の仕事だけに、ごくまれに誤植が存在するのは仕方のないことだろうが、藤原書店のバルザック「人間喜劇」コレクションではそれがとても目立つ。
句読点の脱落・重複、固有名詞の間違い、漢字の変換ミスなど、その出現頻度には驚かされる。
後のゾラ・セレクションにおいてだいぶ改善されているようなので、他であまり出版されない名作を出版してくれているだけに、今後の出版物や再版に期待したいと思う。

そうはいっても、バルザックの小説の面白さは出版上の不手際を補って余りあるだろう。
登場人物に欲望を持たせることで血を通わせ、具体的な金銭をやり取りさせることで話にリアリティを付与するその手腕は『従兄ポンス』においても健在だ。
バルザックはある特定の物事に偏執する人間をよく描くが、ポンスにとっては自身のコレクションがその対象である。
命の次に、いや、ひょっとすると命よりも大事にしているコレクションに危機が迫っていることを知ったときのポンスの描写は忘れがたい。
自らの財産を奪われるという権利の侵害に対する憤りだけではなく、愛情を注ぎ込んできた対象を奪われることに傷つく哀れな老人には、読者はいかに同情してもしすぎたことにはならないのではなかろうか。

『従兄ポンス』はバルザック最晩年の作品で、ストーリーの展開に無駄がなく、全体にとても引き締まった印象を受ける。
読み終えて本を閉じてみれば、よくたった一冊の本にこれほどまで紆余曲折を組み込めたものだと思えるほどで、フランス文学を代表する巨匠の巧みを感じることのできる作品の一つだといえるだろう。
同じく「貧しき縁者」に区分されている『従妹ベット』はもちろん、『絶対の探求』や『知られざる傑作』と読み比べてみるのも非常に面白いと思う。

『従妹ベット』 バルザック(藤原書店)

従妹ベット 上 (バルザック「人間喜劇」セレクション <第11巻>)従妹ベット 上 (バルザック「人間喜劇」セレクション <第11巻>)
(2001/07/20)
バルザック

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従妹ベット 下 (バルザック「人間喜劇」セレクション <第12巻>)従妹ベット 下 (バルザック「人間喜劇」セレクション <第12巻>)
(2001/07)
バルザック、鹿島 茂 他

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書名:従妹ベット
著者:オノレ・ド・バルザック
訳者:山田 登世子
出版社:藤原書店
ページ数:346(上)、348(下)

おすすめ度:★★★★★




従兄ポンス』と合わせて「貧しき縁者」に分類されているバルザックの長編小説『従妹ベット』。
決して華々しいストーリーではないが、金と女をめぐる泥臭さが面白いという、いかにもバルザックらしい作品だ。

利己的な人々の群れの中にわずかに正直者がいるという構図は、『従兄ポンス』と同様だ。
しかし、「貧しき縁者」の側が親戚を食い物にしようと画策するという意味では、正反対の物語である。
そしてその手の意地汚い人々の暗躍する物語を書かせれば、バルザックの右に出る小説家はそういないのではなかろうか。

狡猾で執念深いベットの立ち回りのうまさには、全編を通じて感心させられるばかりだが、ベット以上に注目に値するのは、『従妹ベット』の主人公といっても過言ではないユロ男爵だろう。
副題の「好色一代記」は、当然彼を念頭においてのことに違いない。
彼の女関係の、ひいては人間としてのだらしなさは、人間喜劇においても比類がないほどで、バルザックはまったく見所のない人間を何人か生み出してきてはいるが、この男爵の駄目さ加減はトップクラスだと思う。
読者は彼に腹が立つというよりは、ただただその情けなさには呆れてしまうばかり・・・。
男爵夫人の貞淑さとの対比もまた鮮烈で、読者は皆、彼に救いようがない人間との烙印を押すはずだ。
そしてまさにそれゆえに、彼は非常に興味深い登場人物の一人となっている。

長編小説において、何ページにも及ぶくだくだしい脱線をするのがバルザックの癖であり、それを退屈と感じる読者が多いらしいが、この『従妹ベット』にはほとんどそれがない。
登場人物や筋の絡み合いの完成度が高く、全体が緊密に結びついていて無駄がない。
それをわざとらしさとみなすこともできるだろうが、話の面白さという観点からすれば非常に高く評価できるのではなかろうか。
『従妹ベット』は、上・下巻にもかかわらず、ふと気付いたら読み終わっているような、そんな作品だ。

『十三人組物語』 バルザック(藤原書店)

十三人組物語 バルザック「人間喜劇」セレクション十三人組物語 バルザック「人間喜劇」セレクション
(2002/03/30)
バルザック

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書名:十三人組物語
著者:オノレ・ド・バルザック
訳者:西川 祐子
出版社:藤原書店
ページ数:533

おすすめ度:★★★★




ランジェ公爵夫人 [DVD]ランジェ公爵夫人 [DVD]
(2009/04/03)
ジャンヌ・バリバール、ギヨーム・ドパルデュー 他

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「パリ生活情景」の冒頭を飾るのがこの『十三人組物語』。
「デヴォラン組頭領フェラギュス」、「ランジェ公爵夫人」、「金色の眼の娘」の三話から構成されている物語群で、それぞれの話に直接的なつながりはないが、いずれも十三人組が関与しているという点でつながっている。
『十三人組物語』を読むにあたり、『十五少年漂流記』を手にする際と同様の逡巡を覚えた方もいらっしゃるかもしれないが、十三人も登場人物が出てきたら途中で誰が誰やらわからなくなるではないか、という心配はいらない。
そこらへんは文豪バルザックがうまくやってくれている。

『十三人組物語』第二話の「ランジェ公爵夫人」が、数年前にフランスで映画化された。
右上がそのジャケットだが、映画自体は概ね原作に忠実に作られているようで、映画を先にしても原作を先にしても、違和感を覚えることなくどちらも楽しめることだろう。
私個人の意見としては、三篇のうちで「デヴォラン組頭領フェラギュス」が一番面白いように思うのだが、映像化するならやはり最も華のある「ランジェ公爵夫人」なのかもしれない。
ランジェ公爵夫人ランジェ公爵夫人
(2008/03/04)
オノレ・ド・バルザック

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映画化を受けてのことだろうが、三篇のうち「ランジェ公爵夫人」のみを翻訳したものが集英社から出版されていて、右がそれである。
訳者は工藤庸子先生で、確か岩波文庫で『シェリ』、『シェリの最後』など、コレットの翻訳を数点されていた方だと思う。
それらがみなすんなりと読める自然な訳文だったように記憶しているので、私は集英社版の「ランジェ公爵夫人」には目を通していないが、こちらも読みやすい訳文になっているはずだと確信している。

しかし、『十三人組物語』は三つで一つの物語群なのであるから、そのうちの一つを読むのか、三つとも読むのかによって、読後の印象は大きく異なることだろう。
映画でもそうだったが、「ランジェ公爵夫人」だけではどうしても十三人組の登場がやや唐突すぎるように感じられるし、十三人組がどのような集団であるかも非常に曖昧でしかない。
十三人組の実態に少しでも迫れるように、また、作者であるバルザックの意図を汲んで、ぜひ三篇で一つの『十三人組物語』として読んでいただきたい作品だ。

『ムーレ神父のあやまち』 エミール・ゾラ(藤原書店)

ムーレ神父のあやまち (ゾラ・セレクション)ムーレ神父のあやまち (ゾラ・セレクション)
(2003/10)
エミール ゾラ

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書名:ムーレ神父のあやまち
著者:エミール・ゾラ
訳者:清水 正和、倉智 恒夫
出版社:藤原書店
ページ数:490

おすすめ度:★★☆☆☆




ルーゴン・マッカール叢書第五巻、『ムーレ神父のあやまち』。
居酒屋』や『ナナ』はもちろん、『ジェルミナール』や『獣人』などはゾラの代表作としてその名を挙げられるが、『ムーレ神父のあやまち』は代表的な作品と呼ばれることがまずない。
そして事実、ゾラを好きな人が好むであろうはずのゾラらしい点をあまり見出すことのできない作品だ。

『ムーレ神父のあやまち』は、そのタイトルからも察せられるとおり、神父が犯すあやまちが作品の主題になっている。
その「あやまち」という少々幅のある表現からすれば、宗教的な意味合いとも道徳的な意味合いともどちらにも解釈できるのだが、私はゾラがその両方を含ませたものと考える方に傾いている。
また、ゾラがムーレ神父を肯定しているのか否定しているのかを考えてみるのもいいだろうし、ムーレ神父と第四巻の『プラッサンの征服』に登場する神父との対称関係を考察してみるのも、この作品をより深く味わうためには有益なはずだ。

第二帝政期を様々な視点でとらようというゾラの意図を考えれば、叢書内に本作が存在していることも一種の成功だと言えるだろうし、叢書の最終巻が『パスカル博士』であることを知っていれば、パスカル博士が度々顔を出すこの『ムーレ神父のあやまち』に対する関心も強まるだろう。
ただ、宗教世界と現実世界の相克というテーマが現代の日本人に不向きというだけでなく、『ムーレ神父のあやまち』はストーリー性に乏しく、三部構成の真ん中、第二部において物語りは著しく停滞し、いくらか中だるみを感じずにはいられない。
読み通してみればその停滞は必要不可欠なものであったようにも感じられるのだが、生き生きとした娘や個性あふれる老人たちに囲まれている主人公のムーレ神父が、悲しいことにとても頼りなく退屈な人間と感じられてしまう。
同様のテーマを扱ったものであれば、ホーソーンの『緋文字』のほうが圧倒的に面白く読めるはずだ。

『ムーレ神父のあやまち』一冊だけを読んでゾラの他の名高い作品が与えてくれるような感動を覚えることは、現実に信仰心と現世的な愛情との板挟みを経験した人でもない限り、非常に難しいように思う。
あくまでルーゴン・マッカール叢書内の一冊として読むべき作品だろう。

『セザール・ビロトー』 バルザック(藤原書店)

セザール・ビロトー―ある香水商の隆盛と凋落 (バルザック「人間喜劇」セレクション)セザール・ビロトー―ある香水商の隆盛と凋落 (バルザック「人間喜劇」セレクション)
(1999/07)
バルザック、Balzac 他

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書名:セザール・ビロトー
著者:オノレ・ド・バルザック
訳者:大矢 タカヤス
出版社:藤原書店
ページ数:449

おすすめ度:★★★★




「ある香水商の隆盛と凋落」との副題が付されている『セザール・ビロトー』。
バルザックのまさに十八番である、投機と破産の物語である。
あまり知られた作品ではないように思うが、バルザックファンにはもちろん、バルザックの初心者にもお勧めできる作品だ。

「パリ生活情景」に分類されている『セザール・ビロトー』は、パリのとある香水商が主人公だ。
叩き上げで香水商の主人とまでなったセザール・ビロトーは、いまや界隈でも特に信頼されている一廉の人物で、実直さで知られる名士である。
そんな彼にも、自身の成功に伴いちょっとした欲が出てきて、妻の反対にも聞く耳を持たず、身の程以上の出費や投資をはじめて・・・。
代訴人や銀行家など、人間喜劇でおなじみの人物も垣間見られるその後の展開は見もので、バルザックならではの巧みな筋運びで終幕へと突き進む。

『セザール・ビロトー』の気持ちのいいところは、セザールをはじめ、誠実な人間が複数登場している点だ。
正直者のセザールを正直者が取り囲み、彼らが団結して訪れた不幸に誠意を持って対処していくさまは、あたかもユゴーに代表されるロマン主義の作品を読んでいるかのようだ。
いい人すぎる登場人物はいかにも作り物くさいと感じられる読者もいることだろうが、それでもやはりいい人の話は読む人の心を和ませるものではなかろうか。
バルザックの描く人物の中で、私はヴォートランのような悪人も大好きだが、その性質こそ違えど、ビロトー一家も同じくらいに好ましい人々だと思っている。

今まで全集でしか翻訳されていなかった『セザール・ビロトー』だが、決して退屈な作品ではない。
ストーリーの面白さはもちろん、いかにもバルザックらしい小説でもあるので、バルザックに興味のある人はぜひ読んでみて欲しい。

『あら皮』 バルザック(藤原書店)

あら皮―欲望の哲学 (バルザック「人間喜劇」セレクション)あら皮―欲望の哲学 (バルザック「人間喜劇」セレクション)
(2000/03)
バルザック、Balzac 他

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書名:あら皮
著者:オノレ・ド・バルザック
訳者:小倉 孝誠
出版社:藤原書店
ページ数:436

おすすめ度:★★★☆☆




『あら皮』は、バルザックの代表作とされる『ペール・ゴリオ』や『従兄ポンス』とは雰囲気が大きく異なる作品だが、バルザックはストーリー展開重視の作品だけではなく、人間性を深く掘り下げた小説をも数多く残しているので、バルザックの全小説の中で見れば、『あら皮』は必ずしも異色の作品というわけではない。
そしてそれらの人間性を追究した作品は人間喜劇の中で「哲学的研究」に分類されていて、『あら皮』はその第一作目に位置づけられている。

「あら皮」とは、まさしく皮の切れ端のことである。
切れ端とは言っても、手のひらサイズというほど小さいわけではないが、持ち主の願いをかなえてくれるたびに縮んでいくという、不思議な力を持った皮だ。
絶望の底に打ち沈む青年がその皮を手に入れるところから物語は始まる・・・。
しばしばリアリストと呼ばれるバルザックだが、幻想的な雰囲気を帯びた作品もいくつか書いた。
『あら皮』はその一つであり、読み応えのある長編としては最良の作に数えられるだろう。

謎の「あら皮」と人間の欲望との交錯。
「あら皮」の存在が不思議であるだけに、物語の奥行きはぐっと増している。
巨匠バルザックは、そのような神秘を前にした人々の描写にも抜かりがない。
読書好きを自認する方なら大いに楽しむことのできる、深みのある作品に違いない。
ペール・ゴリオ』などの読者であれば、ラスティニャックに再会する楽しみもあるだろう。

この『あら皮』もこれまであまり脚光を浴びることのなかった作品だが、バルザック生誕200年を記念した藤原書店「人間喜劇」セレクションの出版によって手に取りやすい形で普及したのは非常にうれしいことだ。
私個人としてはこの手の小説も決して嫌いではないのだが、一般受けはしにくいのかもしれないと思ったので★三つ。
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