『黄金虫・アッシャー家の崩壊』 エドガー・アラン・ポー(岩波文庫)

黄金虫・アッシャー家の崩壊 他九篇 (岩波文庫)黄金虫・アッシャー家の崩壊 他九篇 (岩波文庫)
(2006/04/14)
ポオ

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書名:黄金虫・アッシャー家の崩壊 他九篇
著者:エドガー・アラン・ポー
訳者:八木 敏雄
出版社:岩波書店
ページ数:410

おすすめ度:★★★★★




短編の名手として知られるポーの作品のうち、代表作である『黄金虫』と『アッシャー家の崩壊』を収録したのがこの本だ。
読み応えのある短編を数多く残しているポーの場合、短編集にどれを収めることにするか決定するのは非常に困難な作業であろうが、この岩波文庫版は量と質の両面からいって、たいへん充実したセレクションとなっている。
ポーを初めて読む人にもお勧めできる優れた短編集だ。

『アッシャー家の崩壊』は、ポーの全作品の中で最も知られたものの一つである。
不気味な雰囲気の漂う館を舞台にした、語り手の体験する不思議な体験を綴った傑作中の傑作だ。
一般にゴシック小説というジャンルに分類されており、併録されている『リジーア』や『群集の人』、『赤死病の仮面』や『アモンティラードの酒樽』などと合わせて読めば、ポーの描く怪しげな世界の虜となる読者も出てくることだろう。

『アッシャー家の崩壊』とは異なり、推理小説風の傑作として知られるのが『黄金虫』だ。
今日的な観点からすると『モルグ街の殺人』などと比べて不完全な意味でのミステリーであるが、暗号文をきわめて論理的に謎解きしていく書きぶりは、頭脳派の作家であるポーらしさが全面に打ち出されている。
数あるポーの作品のなかでも、筋の面白さが抜群の作品なので、ポーの短編を読むなら『黄金虫』は絶対にはずせないと思う。

欧米のみならず、ポーに由来するペンネームを持つ江戸川乱歩を筆頭に、この日本においても、ポーが文学界に与えた影響は計り知れない。
ポーの緻密さ、凝縮された文体、芸術品としての完成度の高さ、新ジャンルの確立・・・ポーの残した功績と、いまだに高く評価され続ける所以、これをぜひ味わっていただきたいと思う。
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『黒猫/モルグ街の殺人』 エドガー・アラン・ポー(光文社古典新訳文庫)

黒猫/モルグ街の殺人 (光文社古典新訳文庫)黒猫/モルグ街の殺人 (光文社古典新訳文庫)
(2006/10/12)
ポー

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書名:黒猫/モルグ街の殺人
著者:エドガー・アラン・ポー
訳者:小川 高義
出版社:光文社
ページ数:219

おすすめ度:★★★★★




ポーの代表作として『黒猫』と『モルグ街の殺人』などを収録した光文社の古典新訳文庫。
『アモンティラードの酒樽』が重複するが、岩波文庫の『黄金虫・アッシャー家の崩壊』と合わせて読めば、ポーの小説の有名どころはだいたい押さえることができる。
活字が大きく読みやすいだけに、物足りなさを感じないわけではないが、『黒猫/モルグ街の殺人』がポーを楽しむ上で手頃な本であることは間違いない。

主人公の自意識の巧みな掘り下げが魅力である『黒猫』は、作品自体が短いということもあり、ポーの全作品の中でも特に緻密に仕上げられたものの一つで、結末まで一気に読み通すことができる。
合理的に展開される心理描写が読者を引き込んでいく力の強さは、さすがはポーであると言うしかない。
併録されている『告げ口心臓』も、同様のジャンルの作品として邦訳されることの多い傑作の一つだ。
また、『ウィリアム・ウィルソン』は、取り扱っているテーマがドストエフスキーの『二重人格』に似通っているので、比べて読んでみるのも面白いと思う。
『早すぎた埋葬』は、落ちの秀逸さで長く記憶に留まる作品だろう。
黒猫・モルグ街の殺人事件 他5編 (岩波文庫 赤 306-1)黒猫・モルグ街の殺人事件 他5編 (岩波文庫 赤 306-1)
(1978/12/18)
ポオ

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『黒猫』と『モルグ街の殺人』を表題に掲げた本は、右に示すように、少々版が古いが岩波文庫からも出されている。
こちらは『マリ・ロジェエの迷宮事件』と『盗まれた手紙』も収録されていて、いわゆる「デュパンもの」と呼ばれるミステリー草創期の三作品を網羅しているので、そちらの方面に興味のある人には非常にお勧めだ。
「デュパンもの」三編を読み通せば、『モルグ街の殺人』だけでは短編の一登場人物に過ぎないという印象を与えかねないデュパンが、ホームズをはじめとする数々の名探偵の原形であることをおわかりいただけるに違いない。

短編小説やミステリー小説を文学ジャンルとして確立したポーの影響は、後世の多くの作家に及んでいる。
ポーの作品を知っておけば、後の作家の作品中にポーの遺伝子を見出すという楽しみ方も可能となるだろう。
そういう意味では、『黒猫』や『モルグ街の殺人』は欧米文学の古典中の古典の一つと言ってもいいのかもしれない。

『ポオ評論集』 エドガー・アラン・ポー(岩波文庫)

ポオ評論集 (岩波文庫)ポオ評論集 (岩波文庫)
(2009/06/16)
八木 敏雄

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書名:ポオ評論集
著者:エドガー・アラン・ポー
訳者:八木 敏雄
出版社:岩波書店
ページ数:323

おすすめ度:★★★☆☆




短編小説家、詩人としてのみならず、評論家としても活動していたポーの評論を集めたのがこの『ポオ評論集』だ。
ポーの詩に対する考え方や、ディケンズやホーソーンなど、日本でもよく知られた同時代の作家の作品に関する評論を収めていて、そのすべての評論がとは言わないまでも、たいていは非常に興味深く読むことができる。
ポーに関心のある人や、ポーの活躍した時代のアメリカ文学に興味のある人にはお勧めの一冊だ。

収録されている評論の中で、最も読み応えのあるのは『詩作の哲学』だろう。
この中でポーは、詩人としてのポーの名を一躍有名にした彼の代表作である『大鴉』の成立過程について詳述している。
詩で扱うモチーフの選び方から、使用する単語の音としての効果や、そもそも適切な詩の長さとはどの程度なのかについてまで説明し、アメリカの詩で最も有名なものの一つである『大鴉』ができるまでの過程を非常に分析的かつ論理的に解説してくれるのだ。
すべての記述を鵜呑みにするのは安直に過ぎるかもしれないが、一つの詩論として読むとたいへん興味深い文章である。

また、ディケンズやクーパーの作品に対する批評も面白い。
必ずしも文学批評としての傑作ではないかもしれないが、他者の作品のどこを褒め、どこを難じるのかによって、ポー自身が短編小説を書く際のスタンスを察することができる。
読者に及ぼす心理的効果を重視して作品を仕上げていたポーらしい評言にも出会うことだろう。

本作は評論集ということもあり、あまり一般には受けないものと思われる。
実際、ポーを知っているからこそ楽しめる部分が大きいので、できればポーの短編小説をいくつかと、そして彼の詩の代表作である『大鴉』を読んだ上で手にしていただければと思う。

『ポー詩集―対訳』 エドガー・アラン・ポー(岩波文庫)

ポー詩集―対訳 (岩波文庫―アメリカ詩人選)ポー詩集―対訳 (岩波文庫―アメリカ詩人選)
(1997/01/17)
エドガー・アラン・ポー

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書名:ポー詩集―対訳
著者:エドガー・アラン・ポー
訳者:加島 祥造
出版社:岩波書店
ページ数:201

おすすめ度:★★★☆☆




日本では短編小説家としてよく知られるポーは、英米では詩人としても有名で、そんな彼の代表的な作品をほぼ網羅しているのがこの『ポー詩集―対訳』だ。
岩波文庫から出ている同じ対訳詩集でも、『対訳 バイロン詩集』などはオリジナルの詩が長大なために一部分の抜粋を連ねるという形になってしまうのだが、一篇の詩があまり長くないポーは、そのすべてを掲載することができる。
そういうわけで、ポーの詩はいくつかある有名作品を一冊にまとめることが可能であり、それらをまとめたものがこの『ポー詩集―対訳』である。

同じアメリカの詩人といっても、ポーの作風はホイットマンのそれと大いに異なり、どちらかといえば内向的で、あまり明るいテーマではない作品が多いように感じられる。
決して満ち足りた生涯を送ったわけではないポーの悲しみを歌ったものも多く、それらはきっと読者の琴線に触れるはずだ。

この詩集と合わせて読むのなら、『ポオ評論集』の中の『詩作の哲学』が最適だろう。
ポー自らが『大鴉』の成立過程を詳述していて、いわば作者自らが物した『大鴉』の解説である。
英米文学の教授をしていたボルヘスも、国書刊行会から出された『ボルヘスの北アメリカ文学講義』という本の中で、『大鴉』と『詩作の哲学』について言及している。
その言及の比重が、北米文学をざっと俯瞰するための本のわりに非常に大きく、ボルヘスのポーへの、またポーの詩への関心の高さを示していると言っていいだろう。
いずれにしても、『詩作の哲学』を読めば、ポーの詩から受ける印象は大きく変わってくるに違いない。

ポオ評論集』と同様、詩集ということで一般受けは望めないかもしれないが、詩作品としては非常に読みやすい部類に入ると思う。
難解な単語には脚注が付されてもいるので、ほぼ同時代のアメリカの詩人であるディキンソン同様、英詩の初心者が手にするにふさわしい一冊だろう。

『白鯨』 メルヴィル(岩波文庫)

白鯨 上 (岩波文庫)白鯨 上 (岩波文庫)
(2004/08/19)
ハーマン・メルヴィル

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白鯨 中 (岩波文庫)白鯨 中 (岩波文庫)
(2004/10/15)
ハーマン・メルヴィル

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白鯨 下 (岩波文庫 赤 308-3)白鯨 下 (岩波文庫 赤 308-3)
(2004/12/16)
ハーマン・メルヴィル

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書名:白鯨
著者:ハーマン・メルヴィル
訳者:八木 敏雄
出版社:岩波書店
ページ数:493(上)、495(中)、474(下)

おすすめ度:★★★★★




メルヴィルの代表作としてはもちろん、アメリカ文学の代表作としてもその名を轟かせる『白鯨』。
原題は『Moby Dick』で、巨大な白鯨に付けられたあだ名のモービー・ディックがそのままタイトルとなっている。
本作を一言で表すなら「壮大なドラマ」とでも言えばいいだろうか、独特の深い味わいを備えている、お勧めの傑作だ。

『白鯨』は、語り手が個性豊かな船員たちの乗り組んでいる捕鯨船に仲間入りをして、その体験を綴っていくというスタイルで書かれている。
そしてその捕鯨船の船長が、果てしなく広がる大洋の中、一匹の白鯨を執念深く追い求めているのだ・・・。
一般に非常に象徴性が高い作品であると言われていて、聖書との対比やモチーフの分析が数多くの研究者たちによって行われてきているらしいが、裏の意味を探らずとも、復讐に燃える船長とモービー・ディックの闘いはそれだけでも十分読み応えがあるはずだ。

モームが「世界の十大小説」の一つに選んだ『白鯨』は、話の展開と直接関係のない説明的な部分が多いことでも知られている。
ドン・キホーテ 前篇』や『ピクウィック・クラブ』のように挿話を入れるのではなく、鯨の説明や捕鯨船の解説などに当てられている章が複数あるのだ。
脱線を余計と感じる読者からすると退屈で仕方ないだろうが、そのような脱線も含めての『白鯨』であるから、各人がその全体を鑑賞し、作品の良し悪しを判断するのが一番だろう。
この章はまるごとカットできたのではないかと思える脱線が多いのは『レ・ミゼラブル』にも見られる特徴だが、どれだけ脱線しても名作として名高い作品が存在するのは事実のようだ。

日本でも古くから翻訳・紹介されてきている作品だけに、古い訳書の中には読みにくいものもあるに違いない。
そんな中、同時代のアメリカ文学を多数翻訳している八木氏による岩波文庫の新訳は、訳文の読みやすさはもちろん、挿絵の豊富さもうれしく、非常にお勧めだ。

『完訳 緋文字』 ホーソーン(岩波文庫)

完訳 緋文字 (岩波文庫)完訳 緋文字 (岩波文庫)
(1992/12/16)
N. ホーソーン

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書名:完訳 緋文字
著者:ナサニエル・ホーソーン
訳者:八木 敏雄
出版社:岩波書店
ページ数:472

おすすめ度:★★★★★




本書はホーソーンの代表作である『緋文字』の完訳版だ。
わざわざ「完訳」と表記されているのは、この『緋文字』は冒頭の「税関」の章にて以下に語られるストーリーの関係書類が見つかるという体裁で始まる小説なのだが、その「税関」の章が省略されて翻訳されないことがあるためだ。
その章がなくても本筋は確かに成立するが、なるべく作者が書いたとおりのものに触れたいという読者は、「完訳」と書かれているものを選んだほうが無難だろう。

『緋文字』は若いアメリカ社会を舞台にした作品だ。
宗教色の強いピューリタン社会で、姦通をした人間の胸に記される緋色の「A」。
その緋文字を胸に愛娘と暮らしている女、ピューリタンとして模範的な生活を送っている牧師、この二人を中心に話は進んでいく。
宗教的生活と人間的生活、戒律と愛、真実と虚偽・・・対立項の間で模索する人々の心情を巧みに描いており、アメリカ文学初期の傑作として、『白鯨』と並びお勧めの長編作品だ。
スカーレット・レター [DVD]スカーレット・レター [DVD]
(2003/07/24)
デミ・ムーア、ゲイリー・オールドマン 他

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私は見ていないのだが、『緋文字』はデミ・ムーア主演の『スカーレット・レター』という映画になっている。
タイトルこそ原題に忠実だが、映画自体はあまり原作に従っていないらしいので、原作を知っている人が見るとおそらく賛否両論だろう。

宗教界と人間界の相克を描いた小説は、往々にして退屈きわまりない作品に堕しやすいものだが、この『緋文字』はテーマこそ深遠なものの、ストーリー性が強いおかげでたいへん読みやすく、読み始めるにあたり身構える必要はない。
17世紀のアメリカ社会という、あまり文学で触れられることの多くない時代を反映した名作でもあるので、他の文学作品と比べて独特な宗教的雰囲気も、必ずや楽しめることと思う。

『ホーソーン短篇小説集』 ホーソーン(岩波文庫)

ホーソーン短篇小説集 (岩波文庫)ホーソーン短篇小説集 (岩波文庫)
(1993/07/16)
ホーソーン

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書名:ホーソーン短篇小説集
著者:ナサニエル・ホーソーン
訳者:坂下 昇
出版社:岩波書店
ページ数:363

おすすめ度:★★★★




『緋文字』の作者として有名なホーソーンだが、彼は同時に多くの優れた短編小説を残した作家でもあった。
そんな彼の、『緋文字』以前の短編作品12点を収めたのがこの『ホーソーン短篇小説集』である。
ゴシック風のものあり、メルヘン風のものありと、幅広い作風の作品が集められていると感じる一方で、ピューリタン、悪魔や魔女、罪などといった、非常にホーソーンらしいテーマが散見する短編集でもある。

育った環境も大きな要因の一つであろうが、ホーソーンの作品はその多くが宗教的なイメージに彩られている。
牧師や魔女、罪の意識といったテーマは定番中の定番であり、読者はこの『ホーソーン短篇小説集』においてもそれらに頻繁に出くわすことだろう。
後に『緋文字』を書いた作者の手になる短編だと思えば、いかにも納得の内容と感じられるに違いない。

最大のお勧めは、『ウェークフィールド』というボルヘスが激賞してやまなかった作品で、作風でいうとポーやカフカに近い。
他の収録作品と比べると、舞台がロンドンであるというだけですでにホーソーンの作品としてはやや異色の感があるのだが、事実、全体を通して他の作品との類似性がきわめて弱い。
18、19世紀のアメリカ社会を反映していない分、それだけより普遍的な人間心理に迫った名作と言えるであろうか。

表紙には、ホーソーンの短編小説のうち、「物語性に優れた12篇を厳選」したとある。
すべてがすべて傑作であるとは言いがたいものの、筋の巧みさの感じられる作品もあれば、建国間もない頃のアメリカの閉鎖的で不寛容な社会を反映しているものもあったりと、ホーソーンという作家とその時代を知る上では格好の短編集となっている。
手軽に読める文庫版でもあることだし、『緋文字』を読んだ方であれば、一度手にしてみても悪くない本だろうと思う。

『ビリー・バッド』 メルヴィル(圭書房)

ビリー・バッドビリー・バッド
(2009/08/07)
ハーマン・メルヴィル

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書名:ビリー・バッド
著者:ハーマン・メルヴィル
訳者:留守晴夫
出版社:圭書房
ページ数:216

おすすめ度:★★★★




白鯨』の作者として知られるハーマン・メルヴィルだが、彼の最後の作品がこの『ビリー・バッド』だ。
作品の舞台は軍艦の船上なので、海洋小説の一つとして読むことができる。
一般に高い評価を得ている作品でもあるし、船乗りを描いた作品でもあるので、『白鯨』の次に手に取るメルヴィルの作品としては最適だと思う。

主人公のビリー・バッドは、素直で陽気な船乗りである。
ひょんなことから軍艦上の人となったビリーだが、持ち前の純真無垢な性格から、一躍水兵たちの人気の的となる。
しかし、そんなビリーにも、敵意を感じる人間が現れて・・・。
ここも『白鯨』に似ているところだが、印象的な船長の言動は非常に読み応えがある。
ビリーと船長とのやり取りはこの物語の軸となる部分なので、ぜひ注意深く読み込んでいただきたいところだ。

白鯨』を読んだ読者ならばすでにご存知だろうが、メルヴィルの紆余曲折を経る書き方は、なかなか話を前に進めない。
『ビリー・バッド』も同様で、あらすじだけを追っていくのなら、同じ物語を短編小説にまとめることもできたことだろう。
しかし、メルヴィルは背景となる状況や人物像の描写にあらかじめ多くのページを割くので、後のストーリー展開が一段と深みを持つことになる。
蛇足を嫌う読者には不向きかもしれないが、私は個人的にメルヴィルの蛇行する作風を、作品に味わいを添えるものとして評価したい。
ビリー・バッド (岩波文庫 赤 308-4)ビリー・バッド (岩波文庫 赤 308-4)
(1976/01/16)
メルヴィル

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近年、圭書房をはじめとする複数の出版社からメルヴィルの作品の新訳がいくつか出されているので、それらを機にメルヴィルの名作がより多くの読者を獲得することを期待したい。
とはいえ、圭書房から出された留守晴夫氏によるこの新訳は、仮名遣いや漢字の古さゆえに少々読みにくいのも事実だ。
右に示すように『ビリー・バッド』は岩波文庫からも出されているので、そちらで読むのもいいかもしれない。

『七人の風来坊―ホーソーン短篇集』 ホーソーン(岩波文庫)

七人の風来坊―ホーソーン短篇集 (岩波文庫)七人の風来坊―ホーソーン短篇集 (岩波文庫)
(1952/10/15)
ホーソーン

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書名:七人の風来坊―ホーソーン短篇集
著者:ナサニエル・ホーソーン
訳者:福原 麟太郎
出版社:岩波書店
ページ数:114

おすすめ度:★★☆☆☆




岩波文庫から出版されたホーソーンの短編集である『七人の風来坊』。
タイトルに「風来坊」という語を選択することからもわかるように、そもそもの出版年が古く、その後改版も行われていないようなので、理解に苦しむというほどではないものの、訳文には旧漢字が多用されていて少々読みにくいのが難点だ。
収録内容に重複もあるので、ホーソーンの短編を読まれたい方には新しく出されたほうの『ホーソーン短篇小説集』をお勧めしたい。

『七人の風来坊―ホーソーン短篇集』は、表題作の『七人の風来坊』を含めた全五編からなる短編集で、ピューリタン色の薄い作品ばかりが訳出されていて、ある意味ではあまりホーソーンらしくないチョイスなのかもしれないが、ストーリー性は高いものが多い。
タイトルが少々異なっているが、収録作品のうち『人面の大岩』と『デイヴィッド・スウォン』の二つは、『ホーソーン短篇小説集』に収められているので、そちらのほうが読みやすくていいだろう。
パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉 [DVD]パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉 [DVD]
(2011/12/02)
ジョニー・デップ、ペネロペ・クルス 他

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最近の映画作品との関連で言えば、『ハイデガア博士の実験』が最も興味深い作品だろうか。
この短編は若返りの力を持つ「青春の泉」に関する物語なのだが、それは右の『パイレーツ・オブ・カリビアン 生命の泉』で追い求められる「生命の泉」と同一のものである。
同じ冒険家への言及もなされているので、映画を知っている人ならば心地よい驚きを覚えることだろう。
『ハイデガア博士の実験』が映画の原作となったわけではないだろうが、同じ題材を扱った19世紀の作品としてたいへん面白く読むことができる作品だ。

先ほども述べたとおり、ホーソーンの短編を読むなら『ホーソーン短篇小説集』のほうが読みやすいし、入手もはるかに容易だろう。
訳文が古くてももっとホーソーンを読みたいという方は、この『七人の風来坊』を手にしていただきたい。

『バートルビー/ベニト・セレノ』 メルヴィル(圭書房)

バートルビー/ベニト・セレノバートルビー/ベニト・セレノ
(2011/01/10)
ハーマン・メルヴィル

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書名:バートルビー/ベニト・セレノ
著者:ハーマン・メルヴィル
訳者:留守晴夫
出版社:圭書房
ページ数:287

おすすめ度:★★★☆☆




本書は『白鯨』とほぼ同時期に発表された『バートルビー』と『ベニト・セレノ』という中編作品二編を収録している。
どちらもタイトルロールであるバートルビーとベニト・セレノという、言動の奇妙な男を軸にした謎めいた物語なので、読者を惹き付ける力はきわめて強いように思う。
特に『ベニト・セレノ』は、舞台が船上、主な登場人物が船長ということで、メルヴィルのファンであれば必ずや面白く読めることだろう。

バートルビーは、ウォール街の法律事務所に勤める、不気味な落ち着きをたたえた代書人である。
雇い主が、新しく雇ったバートルビーのことを無口ながらも勤勉な働き者かと思っていた矢先、ある仕事を頼まれたバートルビーは・・・。
ディケンズを思わせるようなユーモア交じりの文体、戯画化された登場人物で縁取られた作品世界は、生死を懸けた男たちを描く海洋小説とはまったく異なった趣きで、『白鯨』や『ビリー・バッド』に親しんだ読者には少々新鮮な印象を与えるかもしれない。
とはいえ、作品に窺える問題意識からひしひしと感じ取られるメルヴィルらしさが、『バートルビー』の魅力であることに変わりはないのだが。
幽霊船 他1篇 (岩波文庫 赤 308-5)幽霊船 他1篇 (岩波文庫 赤 308-5)
(1979/12/17)
ハーマン・メルヴィル

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『ベニト・セレノ』は、かつて岩波文庫から『幽霊船』というタイトルで、こちらも『バートルビー』を併録して出されていたものだ。
私見によると、そのようなタイトルの改変は不必要だったろう。
『幽霊船』というタイトルの本を手にした読者は、これから読む作品に対してメルヴィルが意図していなかった余計な先入観を植え付けられてしまうはずだ。
最近この手のタイトルの「意訳」が減りつつあるのはうれしい傾向であるように思う。

あまり脚光を浴びることのないメルヴィルの中編を非常に美しい形で出版してくれた圭書房には感謝するばかりだが、『ビリー・バッド』同様、本書『バートルビー/ベニト・セレノ』も旧い漢字や仮名遣いを用いている。
私自身はほとんど苦労することもなく読める訳文であったが、お世辞にも読みやすい文章とは言いがたく、一般的な表記の方がより多くの人が楽しめるのではなかろうかと思うと、少々残念な気もする。

『詐欺師』 メルヴィル(八潮版・アメリカの文学)

詐欺師 (八潮版・アメリカの文学)詐欺師 (八潮版・アメリカの文学)
(1997/07)
ハーマン メルヴィル

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書名:詐欺師
著者:ハーマン・メルヴィル
訳者:原 光
出版社:八潮出版社
ページ数:366

おすすめ度:★★★☆☆




難解であると言われることの多いメルヴィルだが、この『詐欺師』の存在もその一因かもしれない。
長編作品にもかかわらず、『詐欺師』には明確なプロットが与えられているわけではなく、次から次へと詐欺を働く情景が数珠つなぎに描かれていて、それらがすべて「詐欺師」という紐でくくられているかのような、そんな印象を受ける作品だ。
詐欺を働き警察に追いかけられる、といったスリリングな展開を期待すれば裏切られることは確実であるが、メルヴィルの独創性は強く表れている作品であると言っていいだろう。

時はエイプリルフール、舞台はミシシッピを航行するの船の上である。
とはいっても、単に舞台が船の上というだけのことで、『白鯨』や『ビリー・バッド』とはまるで異なった雰囲気の中で話が、というより数々の詐欺が進められていく。
詐欺行為が失速し、様々な議論が中心となる後半部分はやや退屈な感を受けないでもないが、そのような議論こそ、メルヴィルが最も書きたかったことなのかもしれない。

『詐欺師』の原題は『The Confidence-Man』で、"confidence"といえば第一義的には「信頼・信用」を意味する語である。
それが"Confidence-Man"という熟語となると「詐欺師」を意味するというのだから、英語では詐欺に対して「信頼を悪用する行い」という意味合いが日本語よりもかなり強烈に打ち出されているようだ。
メルヴィル全集に収められている坂下氏の訳では、本書のタイトルは『信用詐欺師』となっていたように記憶しているが、これも本書をただの詐欺行為の集まりとしてではなく、人間間における「信頼・信用」そのもののあり方を意識した作品であると考えてのことと思われる。
事実、『詐欺師』の中で頻出する単語があるとすれば、それは皮肉にも「信頼」なのだ。

仮名遣い、ルビの振り方や語順などの面で、訳文が少々読みにくいかもしれない。
いくらか実験的な要素すら感じられる作品である『詐欺師』、一般受けは望むべくもないが、一風変わった作風に飢えている方なら必ずや満足いただけることと思う。
とはいえ、私がここで嘘を言っていないとすればの話であるが・・・。

『ねじの回転  デイジー・ミラー』 ヘンリー・ジェイムズ(岩波文庫)

ねじの回転デイジー・ミラー (岩波文庫)ねじの回転デイジー・ミラー (岩波文庫)
(2003/06/14)
ヘンリー・ジェイムズ

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書名:ねじの回転 デイジー・ミラー
著者:ヘンリー・ジェイムズ
訳者:行方 昭夫
出版社:岩波書店
ページ数:366

おすすめ度:★★★★★




ヘンリー・ジェイムズの代表作でもある中編二編を収めたのが、本書『ねじの回転 デイジー・ミラー』である。
アメリカ人をヨーロッパ人との対比の中で描いた名作を数多く残しているジェイムズだが、『デイジー・ミラー』はそれらの中で最も優れたものの一つと言われている。
また、作風はまったく異なるが、多様な解釈の可能性を秘めた『ねじの回転』も傑作として名高く、一読の価値ある作品としてお勧めだ。

『デイジー・ミラー』の主人公であるデイジーは、少々お転婆気味の快活なアメリカ娘であるが、そんな彼女が家族と共にヨーロッパを訪れる。
デイジーのアメリカ気質を好ましく感じる男性との出会い、それは幸福の始まりだったはずなのだが・・・。
ヨーロッパを詳しく知るアメリカ人であるジェイムズ、彼ならではの二大陸間の相違に対する細やかな観察力には舌を巻いてしまう。
そして何より、ヘンリー・ジェイムズの最大の特長でもあるが、人物の心理描写が素晴らしい。
『デイジー・ミラー』を楽しまれた読者は、ぜひ長編作品である『ある婦人の肖像』へと読み進めていただきたい。

『ねじの回転』については多くを語るまい。
ポーを髣髴とさせるような不気味な雰囲気の作品であると述べるにとどめ、読者が感じられる不気味さを軽減しないように努めることが最善であろう。
ねじの回転 (新潮文庫)ねじの回転 (新潮文庫)
(1962/07)
ヘンリー・ジェイムズ

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デイジー・ミラー (新潮文庫)デイジー・ミラー (新潮文庫)
(1957/11)
ヘンリー・ジェイムズ

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『ねじの回転』と『デイジー・ミラー』は、新潮文庫からそれぞれ出版されているほど、いずれもヘンリー・ジェイムズの代表作としてよく知られた小説だ。
この二作品を一冊にまとめた岩波文庫は、まさにお買い得としか言いようがない。
後期の作品のような難解さはないので読者を選ばないだろうし、ヘンリー・ジェイムズを知る上での格好の一冊として、強くお勧めしたいと思う。

『ワシントン・スクエア』 ヘンリー・ジェイムズ(岩波文庫)

ワシントン・スクエア (岩波文庫)ワシントン・スクエア (岩波文庫)
(2011/08/19)
ヘンリー・ジェイムズ

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書名:ワシントン・スクエア
著者:ヘンリー・ジェイムズ
訳者:河島 弘美
出版社:岩波書店
ページ数:368

おすすめ度:★★★★




ヘンリー・ジェイムズ初期の名作の一つである『ワシントン・スクエア』。
部屋、服装、風景など、物質的なものに関する描写は最低限で、もっぱら人物の言動や思考に焦点が当てられたその作風は、いかにも心理主義の先駆と呼ばれるジェイムズらしいと言わざるをえない。
後期の作品と比べるとやはりたいへん読みやすいので、『ねじの回転 デイジー・ミラー』と合わせて万人にお勧めできる一冊だ。

『ワシントン・スクエア』は、ニューヨークの一角にある、同名の広場に面して建てられた屋敷が主な舞台となる。
そこには裕福で知性的な医者と、派手なところのないいくらか平凡な娘であるキャサリン、医者の妹でありキャサリンの叔母に当たる少々滑稽な夫人が暮らしていたが、突如その娘に言い寄るハンサムな若者が現れる。
キャサリンが巨額の財産の相続人であることから、彼らの関係は徐々にもつれ始め・・・。

ほとんどニューヨークを出ることのないこの物語は、ヨーロッパ的な視点が重要な役割を担う『デイジー・ミラー』や『ある婦人の肖像』とは大いに異なり、限定的な価値観の中、限られた空間で限られた人物が感じ、考え、行動しているという印象を受ける。
それにもかかわらず、それぞれの登場人物の思考や心情を浮き彫りにするジェイムズの巧みさは、読む者を楽しませるに十分すぎることだろう。

この『ワシントン・スクエア』は、ストーリーそのものに創意工夫が見られるとは言いがたいものの、また、上流社会特有の落ち着きの中で話が進むために人々の動きにダイナミックさも見られないものの、各人の性格を如実に示す会話が登場人物たちを見事に脈打たせているのは疑いようがないように思う。
いくらか凡庸な人間ドラマなので本書の要約を知ってもあまり興味を引かれない作品かもしれないが、ジェイムズの手腕がそのドラマを著しく引き立てており、次の章を読みたくさせる力は抜群である。
2011年の岩波文庫の新刊の中で、最も読んでみていただきたい本の一つだ。

『ある婦人の肖像』 ヘンリー・ジェイムズ(岩波文庫)

ある婦人の肖像 (上) (岩波文庫)ある婦人の肖像 (上) (岩波文庫)
(1996/12/16)
ヘンリー・ジェイムズ

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ある婦人の肖像 (中) (岩波文庫)ある婦人の肖像 (中) (岩波文庫)
(1996/12/16)
ヘンリー・ジェイムズ

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ある婦人の肖像 (下) (岩波文庫)ある婦人の肖像 (下) (岩波文庫)
(1996/12/16)
ヘンリー・ジェイムズ

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書名:ある婦人の肖像
著者:ヘンリー・ジェイムズ
訳者:行方 昭夫
出版社:岩波書店
ページ数:387(上)、373(中)、387(下)

おすすめ度:★★★★★




ヘンリー・ジェイムズ初期の代表作として知られるのが本作『ある婦人の肖像』だ。
アメリカ的な価値観とヨーロッパ的な価値観が交錯しあう「国際状況もの」の一つであり、「ある婦人」が恋愛や結婚に思い悩む様を見事に描ききった傑作である。
ジェイムズならではの心理描写の卓抜さはもちろん健在で、感動的な結末も読者の心に忘れがたい印象を刻み込むことだろう。
全三冊ということで、気軽に読み始めにくい作品かもしれないが、文章量に匹敵するだけの読み応えはあるはずなので、ぜひ読んでみていただきたい。

『ある婦人の肖像』は、いわば聡明で美しいアメリカの娘イザベルの肖像を描いた長編作品である。
彼女がイギリスの親戚の屋敷を訪れるところから物語りは始まる。
若く、美しく、知的な魅力をも備えたイザベルは、そこで様々な出会いをすることになり・・・。
当時のヨーロッパ人からすれば、伝統的価値観に従わないイザベルの態度は承服しがたいように思われたのかもしれないが、今日の読者からすると彼女の結婚観や人生観に違和感を覚えることも少ない、もしくはまったくないのではなかろうか。
そういう意味では、『ある婦人の肖像』はより女性読者の共感を得やすい作品なのかもしれない。
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(2011/09/09)
ニコール・キッドマン、ジョン・マルコビッチ 他

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本書は『ある貴婦人の肖像』というタイトルで映画化もされている。
二コール・キッドマンとジョン・マルコヴィッチの共演というなかなかのキャスティングで、ジェイムズの創造した心理的奥行きの深い人物を彼らがどう演じるのかという一点に対する関心だけでも、この映画を楽しむには十分ではなかろうか。
全般に映像もたいへん綺麗なので、『ある婦人の肖像』の読者にはこちらもお勧めしたい。

結婚と、それに伴って財産とが問題になるという点においては、ストーリーが『ワシントン・スクエア』と似ていなくもないが、『ある婦人の肖像』はヨーロッパを舞台にしているし、ましてヒロインの性格が根本的に異なる。
自らの道を自らの手で切り開こうとする強気のイザベルには、能動性や行動力がある。
しかし、それゆえにこそ、常に開拓者としての気丈さを保ち続けなければならないという厳しさもある。
自立を志す彼女の行く末は、読者の注意を引き付けてやまないことだろう。

『アスパンの恋文』 ヘンリー・ジェイムズ(岩波文庫)

アスパンの恋文 (岩波文庫)アスパンの恋文 (岩波文庫)
(1998/05/18)
ヘンリー・ジェイムズ

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書名:アスパンの恋文
著者:ヘンリー・ジェイムズ
訳者:行方 昭夫
出版社:岩波書店
ページ数:214

おすすめ度:★★★★




ヘンリー・ジェイムズ中期の中編作品が本書『アスパンの恋文』である。
作家としてのジェイムズをとらえる際に、初期、中期、後期の三つに区分するのが一般的のようだが、中期の作品はあまり翻訳紹介されていないのが実情なので、そういう意味では珍しい部類の作品と言ってもいいだろう。
本書がジェイムズの代表作として数えられることはほぼないとはいえ、ジェイムズの特長のよく表されている、とても読みやすい作品なので、一般受けも十分望めるように思う。

『アスパンの恋文』の主人公は、アスパンというアメリカの詩人の研究家である「わたし」だ。
そんな「わたし」がアスパンが残した恋文を手に入れようとヴェニスを訪れ、その手紙の持ち主と思しきとある夫人と知り合いになり・・・。
アメリカ人がヨーロッパ色の非常に強い町の一つであるヴェニスを訪れるという設定自体が、いかにもジェイムズらしいもので、そんな作者の十八番にほくそ笑む読者もいるかもしれない。
また、登場人物の心理の流れが克明に描かれていることは、改めて言うまでもない本書の長所だ。

ジェイムズの作品というと「視点」に関して云々されることが多いが、一人称で書かれた作品はそう多くはないのではなかろうか。
当然ながら、「わたし」がアスパンを研究しているのと同程度に私がジェイムズの作品を熟知しているわけではないのだが、いくつかの短編を別とすれば、彼の長編・中編小説はたいていが三人称で書かれているという印象を持っている。
もしその印象が誤っていないとすれば、『アスパンの恋文』はジェイムズの「視点」について関心のある読者には一読の価値があるものと言えるだろう。

それほど有名な作品ではない『アスパンの恋文』だが、ヘンリー・ジェイムズの作風がお好きな方には期待通りの作品と言えるのではなかろうか。
近年、『大使たち』や『ワシントン・スクエア』などの新刊によって岩波文庫におけるジェイムズの作品が充実しつつあり、今後さらなる新訳の出版、または既訳の文庫化が待たれるところだ。

『大使たち』 ヘンリー・ジェイムズ(岩波文庫)

大使たち〈上〉 (岩波文庫)大使たち〈上〉 (岩波文庫)
(2007/10/16)
ヘンリー ジェイムズ

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大使たち (下) (岩波文庫 赤)大使たち (下) (岩波文庫 赤)
(2007/11/16)
ヘンリー ジェイムズ

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書名:大使たち
著者:ヘンリー・ジェイムズ
訳者:青木 次生
出版社:岩波書店
ページ数:458(上)、432(下)

おすすめ度:★★★★




鳩の翼』、『金色の盃』と並び、ヘンリー・ジェイムズ後期の代表的な長編作品が、この『大使たち』である。
主人公の心理とその「視点」から見たその他の登場人物の心理に対する徹底的な描写は、それまでの文学作品には例のない革新性があるだろう。
一般に難解であるという評価を受けている作品であるが、思想的に難解であるとか、豊富な予備知識を要するという意味ではないので、ぜひ挑戦してみていただきたいと思う。

『大使たち』の主人公ストレザーは、これまで充実した生涯を送っていたとは感じていない、初老のアメリカ紳士である。
そんな彼が知人の富豪の女性からある依頼を受けてパリに、すなわち「大使」として赴くわけである。
周囲の人間との触れ合いを通じてストレザーの心理がいかに変化するか、深層に至るまで描き出すジェイムズの筆致は素晴らしく、それだけを追って読み進めても十分楽しめるものと思う。

ジェイムズ後期の作品では、多くのページ数を割いて登場人物の心理について克明に記述しているようでいて、不明瞭のままに留め置かれている部分が多い。
その不分明さを読者が補わなければならない点が難解であると言われる所以かとも思われるが、それだけ読者の能動性を促す作品であるとも言えるだろう。
ストーリーの転変がぐいぐい読者を引っ張っていくタイプの小説ではないにもかかわらず、ジェイムズの作品を読者が面白いと思えるのは、推理小説かと思えるほどに謎めいた雰囲気が漂っていて、その謎を解くためのヒントが徐々に与えられていくからなのかもしれない。

評価が高いわりに読まれないというジェイムズの後期作品だが、三部作と言われる本書と『鳩の翼』、『金色の盃』とは、いずれも文庫化されている。
確かに向き不向きがあると思われる作風で、すべての読者が楽しめるとは限らないが、高い評価を受けるのもうなずけるたいへん完成度の高い傑作だと思うので、一度試してみることをお勧めしたい。

『鳩の翼』 ヘンリー・ジェイムズ(講談社文芸文庫)

鳩の翼(上) (講談社文芸文庫)鳩の翼(上) (講談社文芸文庫)
(1997/09/10)
ヘンリー・ジェイムズ

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鳩の翼(下) (講談社文芸文庫)鳩の翼(下) (講談社文芸文庫)
(1997/10/09)
ヘンリー・ジェイムズ

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書名:鳩の翼
著者:ヘンリー・ジェイムズ
訳者:青木 次生
出版社:講談社
ページ数:502(上)、442(下)

おすすめ度:★★★★




ヘンリー・ジェイムズ後期の傑作である『鳩の翼』。
ジェイムズの代名詞とも言うべき精緻な心理描写は本書においても遺憾なく発揮されており、また、読者の関心事をオブラートに包むかのような適度な曖昧さには、読者の関心を必然的に高める効果が感じられる。
ストーリーこそまったく違えど、発表年の近い『大使たち』と作風は似通っており、『大使たち』を気に入られた方が次に読むべきはこの『鳩の翼』であろう。

『鳩の翼』の序盤のあらすじを大雑把に述べると、いずれも金銭的にさほど恵まれていない恋し合う男女の間に、病弱で富裕な娘が現れ、その男に恋することで二人の間に波紋を広げる、といったものである。
『鳩の翼』は、しばしば指摘されるように幾分メロドラマ的な筋書きであり、私もそのことを否定しようとは思わないのだが、それでも読者は安っぽい本を読んだという感想を抱くことは絶対にできないように思われる。
書き方によっては文学史に名を残さない平凡な作品にもなっただろうが、ジェイムズの後期作品の最大の魅力とも言うべきうねるような独特の文体がそれを許さなかったのであろう。
また、物語は後半にはヴェニスへと舞台を移すが、『アスパンの恋文』同様、古色蒼然たる運河の町が作品に程よい哀愁を添えてくれるに違いない。

デイジー・ミラー』や『ある婦人の肖像』などの代表作で優れた女性像を描き上げたジェイムズだが、『鳩の翼』においてもヒロインの性格描写の素晴らしさは読者をうならせることだろう。
中にはろくな女性を一度も創造できなかった作家もいるが、ヘンリー・ジェイムズはフローベールなどと並び、心に奥行きのある女性像を数多く提供してくれる作家の一人だ。
ジェイムズの作品には、結婚するかしないかで揺れ動く女性の心理が頻繁に描かれてもいる。
生涯独身だったジェイムズだが、彼も自らの結婚についていろいろと思い悩むことがあったのかもしれない。

愛と嫉妬と、天上的な優しさと俗世的な金銭欲と・・・。
ありがちなテーマを扱うストーリーを味わい深く描かせたら、円熟期のジェイムズの右に出る作家はそう多くはないはずだ。
そのあまりの巧みさゆえに晦渋とも評されるのだろうが、精巧な作品を仕上げる巨匠の技は、やはり読者を感動させずにはいないことだろう。

『死者の祭壇』 ヘンリー・ジェイムズ(審美社)

死者の祭壇死者の祭壇
(1992/03)
ヘンリ・ジェイムズ、牛玖 健治 他

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書名:死者の祭壇
著者:ヘンリー・ジェイムズ
訳者:野中 恵子
出版社:審美社
ページ数:108

おすすめ度:★★☆☆☆




長編のみならず、優れた短編作品も数多く残しているヘンリー・ジェイムズだが、そんな彼の短編作品一つを取り上げ、挿絵入りで一冊の単行本として出版したものが本書『死者の祭壇』だ。
『死者の祭壇』自体は、『大使たち』や『鳩の翼』といった後期作品より少し前に発表された作品であり、心理描写の精密さやすべてを明かさない曖昧な筆致からは、それらの長編作品の縮図のような印象を受ける読者もいるかもしれない。

『死者の祭壇』は舞台をロンドンに置き、主人公は内向的で、少しばかり偏執的な傾向のある初老の紳士である。
その彼が「ストランサム」という名を名乗るとあっては、そこから『大使たち』を思い浮かべる読者がいても不思議ではない。
ストーリーはタイトルから想像できるとおりの暗めの雰囲気に支配されたものなので、読みどころはやはり登場人物の心理描写になってくるのではなかろうか。

本書には牛玖健治氏の絵が複数挿入されている。
それが理由で、本書は画用紙と言っても過言ではないほどに厚手の用紙を使ったのだろうか。
ここで絵画について詳細に論じるつもりはないが、ギュスターヴ・ドレの挿絵をこよなく愛する私からすると、牛玖氏の作風は必ずしもストーリー中の一場面を反映しているようには見えないため、あまり好きになれない絵であるように感じられた。

審美社から出されたこの『死者の祭壇』は、さほど有名ではない一つの短編に挿絵を入れて単行本化するというやや珍しい試みが実現した本であるが、その割高感はどうしても拭い去ることができない。
20年ほど前の本であるために新品での入手はほぼ不可能で、まして中古が新品の価格を上回って販売されているのでなおさらである。
小説としての『死者の祭壇』の出来は決して悪くないものの、よほどのジェイムズ愛好家でもない限りお勧めできない本だ。

『友だちの友だち』 ヘンリー・ジェイムズ(バベルの図書館)

友だちの友だち (バベルの図書館)友だちの友だち (バベルの図書館)
(1989/06)
ヘンリー・ジェイムズ

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書名:友だちの友だち
著者:ヘンリー・ジェイムズ
訳者:大津栄一郎、林節雄
出版社:国書刊行会
ページ数:280

おすすめ度:★★★☆☆



ホルヘ・ルイス・ボルヘスの編纂・序文による「バベルの図書館」の一冊である短編集、『友だちの友だち』。
Amazonには書籍であれば何でも売っているというイメージがあったが、かつては全く取り扱いがなく、現時点ではごくわずかに販売されているという状態になっている。
同じ「バベルの図書館」シリーズのうちの何冊かは在庫がわずかとはいえ新品で売られているようだが、この『友だちの友だち』は中古で売りに出している人さえあまりいないという非常にレアな本のようだ。

本書の収録作品は、『私的生活』、『オウエン・ウィングレイヴの悲劇』、『ノースモア卿夫妻の転落』に表題作の『友だちの友だち』を加えた四編である。
ボルヘスによると、これらの中で『ノースモア卿夫妻の転落』はジェイムズの短編の代表作と目される作品らしく、言われてみれば彼の著作のどこかでこの短編について言及されていたような気がしないでもない。
それとはやや毛色の異なる他の三編は、いずれも幻想的な作風の短編小説で、そこに選者であるボルヘスの怪奇趣味を垣間見ることができるというものだ。
ヘンリー・ジェイムズの短編で最も有名なものと思われる『ねじの回転』の読者であれば、『オウエン・ウィングレイヴの悲劇』や『友だちの友だち』に、いかにもジェイムズらしい不思議な、そしておぼろげな輪郭のストーリーを見出すことができよう。
私見によると、本書の収録作品は総じてジェイムズを好きな読者を裏切ることはないように思われる。
とはいえ、本書の冒頭を飾るボルヘスの序文はわずか数ページのたいへんあっさりとしたものなので、それを楽しみにしている読者がいくらかがっかりする可能性は否定できないのだが。

『友だちの友だち』は、ジェイムズのファンのみならず、ボルヘスに興味のある読者も読みたいと感じる「バベルの図書館」シリーズの一冊なのだが、入手が困難ということもあり、一般の読者にはこれ以外の短編集をお勧めせざるをえない。
本書に強い関心のある方は、Amazonで見当たらない場合、まれにヤフオクなどに出品されているので、そちらで探されるといいだろう。

『ヘンリー・ジェイムズ短編集-「ねじの回転」以前』ヘンリー・ジェイムズ(文芸社)

ヘンリー・ジェイムズ短編集―「ねじの回転」以前―ヘンリー・ジェイムズ短編集―「ねじの回転」以前―
(2010/05/01)
ヘンリー・ジェイムズ

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書名:ヘンリー・ジェイムズ短編集-「ねじの回転」以前
著者:ヘンリー・ジェイムズ
訳者:李 春喜
出版社:文芸社
ページ数:320

おすすめ度:★★★★




ジェイムズの短編集はいくつか出されているが、それらの中でおそらく最も新しいものがこの『ヘンリー・ジェイムズ短編集-「ねじの回転」以前』だ。
わざわざ副題で『ねじの回転』以前と断ってはいるものの、必ずしも内容の上で『ねじの回転』に直結する作品集というわけでもないため、単純にジェイムズ初期の短編集ととらえたほうがいいかもしれない。
収録作品六編はいずれも本邦初訳とのことなので、初期のジェイムズに興味のある方はぜひ手にしていただきたいと思う。

ジェイムズが二十代から三十代前半にかけて発表した作品を集めた本書には、心理主義的な作風の強いものや確固たる「視点」から描かれた作品も収められているため、読者が『ヘンリー・ジェイムズ短編集』という名の本に期待するところのものに仕上がっている。
そんな中、モーパッサンを思わせるようなストーリー重視の作品に出会うという、うれしい期待はずれもある。
とはいえ、舞台がヨーロッパだったりアメリカだったり、登場人物が大西洋を行き来したりすることから見ても、やはりジェイムズらしさが存分に発揮されている短編集であると言っていいのではなかろうか。

収録作品は、『過ちの悲劇』、『友人ビンアム』、『ある肖像画の物語』、『ある問題』、『ユースタス様』、『アディナ』の六編で、私のお勧めは『ある肖像画の物語』だ。
ジェイムズで「肖像画」といえば、『ある婦人の肖像』を思い起こしてしまいがちかもしれないが、こちらはまさしく「肖像画」とそれを取り巻く人々の物語で、多少強引な比較を許してもらえるならば、『ある婦人の肖像』よりはむしろワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』に近いように思う。

文芸社の出版物にこれまであまりなじみがなかった私だが、いざ読んでみると、誤字や脱字は少ないし、製本上の質の良さから考えれば、1600円+税という値段も相当に手頃であるという印象を受けた。
3000円以上の本を買ってそのつくりが粗雑だとあまりいい気がしないものだが、そういう面でこの本に失望することは絶対にないだろう。
収録作品はややマイナーな作品ばかりなので、ジェイムズを初めて読んでみようという方には不向きのような気もするが、ジェイムズ初期の作風を俯瞰する上で格好の一冊であることは確実だ。
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