『伝奇集』 ボルヘス(岩波文庫)

伝奇集 (岩波文庫)伝奇集 (岩波文庫)
(1993/11/16)
J.L. ボルヘス

商品詳細を見る

書名:伝奇集
著者:ホルヘ・ルイス・ボルヘス
訳者:鼓 直
出版社:岩波書店
ページ数:282

おすすめ度:★★★★★




アルゼンチンのみならず、ラテンアメリカを代表する作家であるボルヘスの代表作がこの『伝奇集』だ。
洋の東西を問わない豊富な学識を、詩人としての鋭敏な感性を用いて書き上げた、そんな印象を受ける独特な作風の短編集だ。
ボルヘスの作品はよく難解であると評されるし、明確な筋のある話を集めた一般的な意味での短編集ではないので、好きか嫌いか両極端な反応が予想されるが、どっぷりはまる可能性に賭けて、ぜひ一度は読んでみてほしい、そんな本だ。

おそらく『伝奇集』に収められている短編作品のあらすじを述べようとすることほど野暮なこともないだろう。
ボルヘスの魅力は言葉の迷宮にこそあるのだし、各々の読者が迷い込む迷宮で私がどのように迷ったのかをあらかじめ伝える必要もないはずだ。
ボルヘスの描く世界が迷宮であるからこそ、すべての読者は異なる道筋を進むのではなかろうか。
また、迷宮から抜け出すことができなくても、迷うこと自体を面白いと感じることができるのではなかろうか。

夢、時間、本、言葉、無限・・・ボルヘスの好むモチーフは数多いが、いくつか彼の作品を読んでいるうちに、きっと読者はボルヘスの傾向性をつかむことができるだろう。
それらのモチーフはいわばアリアドネの糸、迷宮を練り歩く際の手助けとなってくれるに違いない。
ボルヘスの他の作品に触れてから『伝奇集』に戻るとまた違う楽しみを味わうことができるはずなので、ボルヘスは再読をお勧めしたい作家でもある。

一般受けが絶望的であるこの『伝奇集』は、不幸にして途中で投げ出されることの多い本の一つだろう。
しかし、これを最後まで読み通し、ボルヘス・ワールドに魅了された読者は、『エル・アレフ』、『砂の本』と読み進めていただきたい。
ボルヘス・ワールドのさらなる虜となること疑いなしだ。
スポンサーサイト

『エル・アレフ』 ボルヘス(平凡社ライブラリー)

エル・アレフ (平凡社ライブラリー)エル・アレフ (平凡社ライブラリー)
(2005/09)
ホルヘ・ルイス ボルヘス

商品詳細を見る

書名:エル・アレフ
著者:ホルヘ・ルイス・ボルヘス
訳者:木村 榮一
出版社:平凡社
ページ数:261

おすすめ度:★★★★★




伝奇集』に次いで出されたボルヘスの短編集が、この『エル・アレフ』だ。
本作では、表題作である「エル・アレフ」をはじめ、「不死の人」や「タデオ・イシドロ・クルスの伝記」のような無二の傑作に出会えることだろう。
伝奇集』と比べて、やや話の筋をつかみやすい作品が多いようなので、ボルヘスの短編作品に初めて触れる方にもお勧めできる。

ボルヘスは、自身の作品に実在の人物、例えば友人の作家やボルヘス自身を登場させたりすることで、摩訶不思議な作品世界に一抹の現実味を与えようとし、そしてそれに成功している。
作者本人が登場するというのは、彼が心酔していたダンテが『神曲』において用いた手法なので、たいていはそこにルーツを求めているようだが、いずれにしても、「ボルヘス」という登場人物のいる作品には独特の味わい深さがあり、読者はそれを強く記憶に留めることだろう。
短編集『エル・アレフ』の中でも「ボルヘス」との出会いに事欠くことはない。
ボルヘスが描く「ボルヘス」の世界、作家本人からすれば、「鏡」の中の世界とでもいえるだろうか。
そして「鏡」は、ボルヘスがよく使用する最重要モチーフの一つであり・・・『伝奇集』に負けず劣らず、『エル・アレフ』は「無限」の興味が沸き起こる作品のはずだ。
不死の人 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)不死の人 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)
(1996/08)
ホルヘ・ルイス ボルヘス

商品詳細を見る

『エル・アレフ』は、過去に『不死の人』というタイトルでも邦訳が出されていたらしい。
右は白水Uブックスから出された『不死の人』で、私は手にしたことがないので内容等は未確認だが、おそらくは同じ内容の本だろう。
平凡社の『エル・アレフ』が現在品切れのようなので、新品を好まれる方はこちらの『不死の人』を読むという手もある。

伝奇集』に連なる短編集である『エル・アレフ』からおよそ二十年のときを経て、次なるボルヘスの短編集は『ブロディーの報告書』だ。
一度読み出したら癖になるボルヘス作品を、ぜひ読み進めていってほしいと思う。

『アトラス―迷宮のボルヘス』 ボルヘス(現代思潮新社)

アトラス―迷宮のボルヘス (^Etre・エートル叢書)アトラス―迷宮のボルヘス (^Etre・エートル叢書)
(2000/10)
ホルヘ・ルイス ボルヘス

商品詳細を見る

書名:アトラス―迷宮のボルヘス
著者:ホルヘ・ルイス・ボルヘス
訳者:鼓 宗
出版社:現代思潮新社
ページ数:108

おすすめ度:★★★☆☆




ボルヘス最晩年の旅行記が本書『アトラス―迷宮のボルヘス』である。
ボルヘス独特の世界観を伝える文章の美しさの光る作品だ。
また、表紙にもボルヘスと並んで写っているが、日系人の助手であるマリア・コダマが撮影した写真が多数用いられていて非常に読みやすい。
全般にテーマの選び方がいかにもボルヘスらしさに満ちていて、ボルヘスに興味のある人ならば必ずや楽しめることだろう。

高齢に達したボルヘスは、ほぼ盲目の状態でマリア・コダマと世界各地を回っている。
旅行記とはいっても、旅先の魅力を紹介する普通の意味での旅行記とは異なり、ボルヘスの内面世界を象徴するような写真を手がかりに、ページを繰るのに合わせて彼の心のひだが一枚一枚めくられていくかのような印象を受ける作品である。
七つの夜』などの講演集にも言えることだが、執筆時点で八十歳を過ぎているにもかかわらず、ボルヘスの記憶力や感受性の衰えを感じさせない仕上がりには驚かされる。

ボルヘス最晩年の作品であるこの『アトラス』は、1983年と比較的近年に出版された本だが、ボルヘスの没年が1986年であることを考え合わせると、読者にまた違った味わい深さを与えてくれるだろう。
加えて、助手として同行していたマリア・コダマと、ボルヘスが死の数ヶ月前に結婚しているという伝記的事実もある。
ボルヘスに関心を抱く読者からすれば、興味の尽きない本といえるだろう。

さほど難解な印象を受けることもないし、文章量自体も決して多くないので、『アトラス』はボルヘス初心者が読むのにも悪くない一冊かもしれない。
最晩年の作品から出発するのではなく、できれば出版年代順に読みたいと感じられる読者もいるだろうが、そのような時間の流れに対する考え方こそ、おそらくはボルヘスの流儀に最も反するものなのだから、なおさらのことだ。

『ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件』 ボルヘス(岩波書店)

ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件
(2000/09/26)
ホルヘ・ルイス ボルヘス、アドルフォ ビオイ=カサーレス 他

商品詳細を見る

書名:ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件
著者:ホルヘ・ルイス・ボルヘス、アドルフォ・ビオイ=カサーレス
訳者:木村 栄一
出版社:岩波書店
ページ数:291

おすすめ度:★★★☆☆




ボルヘスとビオイ=カサーレスとが、オノリオ・ブストス・ドメックとのペンネームで執筆したのがこの『ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件』だ。
迷宮の作家であるボルヘスは、推理小説風の短編作品も残しているし、ポーやチェスタトンなどのミステリー作家に対する関心も高かったから、ボルヘスが推理小説に手を染めるのはある程度当然の成り行きだったのかもしれない。
推理小説としての完成度はそれほどでもないように思うが、六つの話がそれぞれ非常にコンパクトでたいへん読みやすいので、ボルヘスらしさこそないものの、ボルヘスの名を冠する本の中では最も気軽に手にすることができるものの一つだろう。

ドン・イシドロ・パロディは、無実の身ながら有罪を宣告され、そしてその有罪になるまでの経緯の滑稽さはなかなか傑作なのだが、いずれにしても、彼は監獄生活を送る囚人である。
そんな彼の独房に事件の関係者が相談に来るというのが本作のパターンだ。
そういうわけで、パロディはホームズのように入念に現場を探るタイプではなく、『モルグ街の殺人』のデュパンのように第三者からの伝聞によって推論するという、いわゆる「書斎の人」タイプの名探偵だ。

この『ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件』、文章のほとんどが事件に関する描写のみに絞り込まれており、ストーリーがきわめて簡潔にまとまっているのは長所でもあるが、同時に短所でもあるように思う。
パロディのもとに相談に来る人々は戯画化され、一定の性格が窺えるのだが、肝心のパロディの方はというと性格づけが明らかに物足りなく、主人公としての存在感や風格に欠けていて、パロディのファンになる読者は一人として現れないのではないかと考えたくなるほどだ。

長いものでも60ページ程度と、それぞれの事件がとても簡潔に語られ、軽い読み物である反面、ミステリーとしては少々物足りない印象も受ける。
推理小説をお探しの方にというよりは、ボルヘスやビオイ=カサーレスの著作に興味のある人向けの本だろう。

『続審問』 ボルヘス(岩波文庫)

続審問 (岩波文庫)続審問 (岩波文庫)
(2009/07/16)
J.L. ボルヘス

商品詳細を見る

書名:続審問
著者:ホルへ・ルイス・ボルヘス
訳者:中村 健二
出版社:岩波書店
ページ数:406

おすすめ度:★★★★




ボルヘスのエッセイ・評論を集めたものがこの『続審問』である。
本書は、かつて『異端審問』というタイトルで晶文社から出版されていたものが、近年になって『続審問』と名を変えて岩波文庫入りしたものだが、訳者は変わらないので、どちらの版でも訳文にそう大きな異同はないだろう。
ボルヘスの博識が織り成す世界観は、独特ではあるものの妙に説得力があり、ボルヘスの他の作品を知らない読者でも大いに楽しめる一冊となっている。

ボルヘスといえば『伝奇集』のような短編小説集が日本では最も有名だろうが、実際には彼は詩人でもあり、評論集や講演集をも出版している。
そしてその評論集はといえば、短編小説に負けず劣らずの面白さで、ボルヘスの膨大な読書量を駆使するには、評論の方が向いているという印象さえ受ける。
いずれにしても、読者は博識な作者の知見に触れることができるわけだから、非常に勉強になる本であることは間違いない。

世にもまれな読書家であるボルヘス、彼がその知見を存分にふるって書いた小論から成る『続審問』を理解するには、当然ながら読む側も豊かな知識を持っているに越したことはない。
とはいえ、研究者などならいざ知らず、一般の人が彼の読んだであろう本のすべてを読むことは非常に困難であろう。
むしろ、ボルヘスの言及をきっかけに次に読む本を決めるくらいのスタンスで臨んだほうがいいのかもしれない。

ボルヘスの評論集で文庫化されているものはあまり多くはない。
そんな中、最も興味深いものの一つである『続審問』が文庫化されたというのは、ボルヘスファンにはとてもうれしいニュースだ。
これを機に、豊穣な知の源泉のごときボルヘスがますます多くの読者を獲得することを期待したい。

『砂の本』 ボルヘス(集英社文庫)

砂の本 (ラテンアメリカの文学) (集英社文庫)砂の本 (ラテンアメリカの文学) (集英社文庫)
(2011/06/28)
ホルへ・ルイス・ボルヘス

商品詳細を見る

書名:砂の本
著者:ホルヘ・ルイス・ボルヘス
訳者:篠田 一士
出版社:集英社
ページ数:288

おすすめ度:★★★★★




ボルヘスの短編集としては後期の作品である『砂の本』。
執筆時点でボルヘスは七十代も半ばに達していたはずであるが、創作力の衰えは微塵も感じられず、まさに作家人生の集大成とも呼ぶべき傑作である。

ボルヘスの短編集に見られる作風の変遷には興味深いものがある。
初期の作品である『伝奇集』と『エル・アレフ』は、作風も似通っていて、二冊を続けて読んでもほとんど違和感がない。
そのボルヘスが、『ブロディーの報告書』では、直截的でリアリスティックな作品群を書き上げたものだから、中には期待外れに感じた読者もいたことだろう。
そしてその五年後に発表されたものがこの『砂の本』である。
こちらは一般の読者が思い描くボルヘスのイメージ、前衛的な初期の作風に回帰したかのような晩年の作品集で、ボルヘスの描き出す迷宮を期待する読者を裏切ることはないだろう。
ラテンアメリカ/集英社ギャラリー「世界の文学」〈19〉ラテンアメリカ/集英社ギャラリー「世界の文学」〈19〉
(1990/02/20)
川村 二郎、 他

商品詳細を見る

右は「集英社ギャラリー」のラテンアメリカ編で、ボルヘスの作品では『伝奇集』、『エル・アレフ』、『砂の本』を収録している。
一冊でこれだけのボルヘスの短編集を収めているものはおそらく他に例がないし、さらにこの本にはアストゥリアスの『大統領閣下』やガルシア=マルケスの『族長の秋』といった中南米を代表する作家の作品も併録されているという圧倒的なボリュームが非常に魅力なのだが、1300ページ超えの分厚さは扱いに困ることがあるかもしれない。

ボルヘスの短編作品を堪能したい読者は、上記の「集英社ギャラリー」が選抜したように、『伝奇集』、『エル・アレフ』、『砂の本』、この三つは必読である。
それらの中にはエッセイ風の短編も含まれているが、ボルヘスの描く世界に魅了された読者は、『続審問』や『七つの夜』のような、ボルヘスが多用するモチーフをより深く掘り下げたエッセイや講演集、これらも必ずや楽しんでいただけることと思う。

『七つの夜』 ボルヘス(岩波文庫)

七つの夜 (岩波文庫)七つの夜 (岩波文庫)
(2011/05/18)
J.L.ボルヘス

商品詳細を見る

書名:七つの夜
著者:ホルヘ・ルイス・ボルヘス
訳者:野谷 文昭
出版社:岩波書店
ページ数:256

おすすめ度:★★★★




晩年のボルヘスが七夜にわたり行った講演を一冊の本にまとめたものがこの『七つの夜』である。
ボルヘスの愛読書である『千一夜物語』をテーマにした夜もあるのだが、一夜ごとに一つのテーマを決めて語るというこの構成自体が、故意なのか偶然なのか、すでに『千一夜物語』風になっている。
扱っているのはボルヘスが長年心中で温めてきたテーマばかりであり、本書の編集途中のボルヘスに「私の遺言書になりそうだ」と言わしめたそうだ。
語り口調で訳されているためにたいへん読みやすく、一見難しそうに思えるテーマも肩肘張らずに読めることだろう。

『七つの夜』は、『千一夜物語』の他に、『神曲』、「悪夢」、「詩」、「仏教」、「カバラ」、「盲目」をテーマにした講演を収めている。
宗教的・神秘的なものに強い関心を示し続けたボルヘスだけに、彼の口から語られる「仏教」や「カバラ」の話は非常に興味深い。
また、徐々に光を失っていったボルヘスが、ホメロスやミルトンを引き合いに出しつつ論じる「盲目」についての話も、一味違う感動を与えてくれることだろう。

ボルヘスが高く評価してやまなかった『千一夜物語』と『神曲』は、ボルヘスの中で確固たる地位を占めている。
これら二作品については、『続審問』などの他の作品でもしばしば言及されてきているし、『神曲』に至っては『ボルヘスの「神曲」講義』という単行本まで出しているほどだ。
そのあまりの長大さが敬遠される原因でもあり、同時に魅力の源でもある『千一夜物語』はともかくとしても、『神曲』をまだお読みでない方は、ボルヘスに勧められたと思ってぜひ一読を。

作家としてのボルヘスの魅力だけではなく、老境に差し掛かったボルヘスの人間性の美しさも垣間見ることのできる『七つの夜』。
枕元にでも置いておき、七晩に分けて読んでみてはいかがだろうか。

『ボルヘスのイギリス文学講義』 ボルヘス(国書刊行会)

ボルヘスのイギリス文学講義 (ボルヘス・コレクション)ボルヘスのイギリス文学講義 (ボルヘス・コレクション)
(2001/02)
J.L.ボルヘス、M.E.バスケス 他

商品詳細を見る

書名:ボルヘスのイギリス文学講義
著者:ホルヘ・ルイス・ボルヘス
訳者:中村 健二
出版社:国書刊行会
ページ数:196

おすすめ度:★★☆☆☆




英米文学の教授をしていたボルヘスによる、イギリス文学を広く浅く紹介した本がこの『ボルヘスのイギリス文学講義』である。
英語での原題は「An introduction to English literature」で、イギリス文学初心者向けの総覧といった本だ。
「文学講義」というほど堅苦しい内容ではないので非常に読みやすいが、ボルヘスのファンからするとあっさりとした記述に少々残念な気がすることだろう。

紙幅に限りがあるので個別の作品に深入りすることはほぼなく、イギリス文学史に名を残す作家の伝記的事実の説明や、大雑把な作風の解説が主である。
イギリス文学という歴史あるテーマを論じているわりに、文章量自体は決して多くないため、名だたる作家でさえもが数ページ、もしくは数行で終えられるので、本書はあたかも走馬灯のような雰囲気を帯びている。
一般のイギリス文学史と比べると取り扱う作家や作品にむらや偏りがあるが、逆を言えば、その偏りが著者であるボルヘスの関心を探る指針とはなるだろう。
続審問』などの評論で言及される作家が、この『ボルヘスのイギリス文学講義』でどのように触れられているのかを見てみるのはなかなか面白い。
読書案内―世界文学 (岩波文庫)読書案内―世界文学 (岩波文庫)
(1997/10/16)
サマセット・モーム

商品詳細を見る

同様の本としてお勧めなのは、モームの『読書案内―世界文学』だ。
こちらはイギリス文学、ヨーロッパ文学、アメリカ文学の三章から成っている本で、ボルヘス同様、読書に楽しみを求めるモームの推薦は、次に読む本を決める際に大いに参考になることだろう。

『ボルヘスのイギリス文学講義』という書名から想像するような、ボルヘス流の文学論を期待すると、がっかりすることになるかもしれない。
原題については先ほども触れたが、「文学講義」などという大仰なタイトルではなく、原題に即したもの、それこそ『読書案内』のようなものにするか、もう少し内容に沿ったものにしてくれれば、期待外れの感がいくらか薄れたに違いない。

『ボルヘスの北アメリカ文学講義』 ボルヘス(国書刊行会)

ボルヘスの北アメリカ文学講義 (ボルヘス・コレクション)ボルヘスの北アメリカ文学講義 (ボルヘス・コレクション)
(2001/07)
ホルヘ・ルイス ボルヘス

商品詳細を見る

書名:ボルヘスの北アメリカ文学講義
著者:ホルヘ・ルイス・ボルヘス
訳者:柴田 元幸
出版社:国書刊行会
ページ数:208

おすすめ度:★★★☆☆




ボルヘスのイギリス文学講義』の姉妹編がこの『ボルヘスの北アメリカ文学講義』だ。
英米文学の教授だったボルヘスは、北米の文学にも通暁していて、愛好する作家・作品も多い。
なにしろ読みやすい本なので、アメリカ文学について知りたい人には手頃な入門書として、ボルヘスに興味のある人にはボルヘスのとらえた北米文学について知ることのできる本としてお勧めしたい。

『ボルヘスの北アメリカ文学講義』は、アメリカ文学史にその名を留める偉大な作家たちが一同に会した、いわばパンテオンだ。
既読の作品への言及は多大な関心を持って読めるだろうし、未読の作品へのそれは好奇心をくすぐられることだろう。
ボルヘスの他の作品中においてしばしば言及のあるポーやホーソーンなどの記述は特に興味深い。
ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件』のような推理小説を手がけたことのあるボルヘスだけに、推理小説も忘れてはいない。
正統文学史では無視ないしは軽視される分野にもスポットを当てているのは、本書の文章量を考えれば非常に珍しいことではなかろうか。

国書刊行会から出された「ボルヘス・コレクション」、これまで邦訳のなかった作品を多数出版してくれているのは非常にうれしいことなのだが、また活字が大きいのも読みやすくて歓迎すべきことなのだが、大きな活字で200ページそこそこの本となると、やはり内容にはいくらか乏しさを感じてしまう。
ここ数年、ボルヘスの作品が相次いで岩波文庫化されたが、この『ボルヘスの北アメリカ文学講義』あたり、『ボルヘスのイギリス文学講義』と合わせて一冊の文庫にでもなってくれるとありがたいように思う。
読書案内―世界文学 (岩波文庫)読書案内―世界文学 (岩波文庫)
(1997/10/16)
サマセット・モーム

商品詳細を見る

ボルヘスのイギリス文学講義』と比べると、アメリカ文学の歴史の浅さもあってか、本書はやや密度の高いアメリカ文学の解説になっている。
とはいえ、「文学講義」という堅苦しい書名がやや不適当なものであると感じてしまうのは『ボルヘスのイギリス文学講義』と同様だ。
そしてここでもまた、類似の本として岩波文庫から出ているモームの『読書案内―世界文学』を紹介しておくことにする。

『ボルヘスの「神曲」講義』 ボルヘス(国書刊行会)

ボルヘスの「神曲」講義 (ボルヘス・コレクション)ボルヘスの「神曲」講義 (ボルヘス・コレクション)
(2001/05)
ホルヘ・ルイス ボルヘス

商品詳細を見る

書名:ボルヘスの「神曲」講義
著者:ホルへ・ルイス・ボルヘス
訳者:竹村 文彦
出版社:国書刊行会
ページ数:203

おすすめ度:★★★☆☆




欧米文学の中でダンテの『神曲』を最も優れた作品とみなしていたボルヘスによる『神曲』論が、この『ボルヘスの「神曲」講義』だ。
十ページ程度の小論を連ねたものなので、『神曲』の入門書としてはいまひとつであり、同様に『神曲』全体に対する概観を求める読者にも不向きかもしれないが、『神曲』を読んでいて、なおかつボルヘスのファンであれば楽しめる本であろう。
そういう意味では、読者は限定的とならざるをえないかもしれない。

『ボルヘスの「神曲」講義』は、序章と九つの論考を一冊にまとめたものである。
神曲』ほどの古典的名作ともなると有名な場面がいくつもあるが、ボルヘスはそれらのうちのいくつかにも触れている。
七つの夜』の中の「神曲」の夜など、ボルヘスが残したその他の評論や講演と合わせて読めば、『神曲』への興味が高まるに違いない。
ブレイク『神曲』
神曲』を題材にした絵画を描いた画家は少なくないが、『ボルヘスの「神曲」講義』にはその中で最も有名な画家の一人であるブレイクの挿絵がカラーで数枚入っている。
右は、その中でさらに最も有名であろうと思われる、『グリフォンの引く凱旋車 ダンテを叱責するベアトリーチェ』。
煉獄篇第29~30歌の一場面を描いたもので、華やかな彩りの美しさに、ベアトリーチェとの再会を喜ぶ気持ちと、これから天国へと向かう期待がにじみ出ている秀作である。

ボルヘスの作品にも多大な影響を及ぼしている『神曲』、その影響は具体例を示してくれている解説からも窺うことができる。
ボルヘスと『神曲』の関係性を知る上で最適の本であることは間違いないだろう。

『永遠の薔薇・鉄の貨幣』 ボルヘス(国書刊行会)

永遠の薔薇,鉄の貨幣 (文学の冒険シリーズ)永遠の薔薇,鉄の貨幣 (文学の冒険シリーズ)
(1989/08)
ホルヘ・ルイス・ボルヘス

商品詳細を見る

書名:永遠の薔薇・鉄の貨幣
著者:ホルヘ・ルイス・ボルヘス
訳者:鼓直、清水憲男、篠沢真理
出版社:国書刊行会
ページ数:197

おすすめ度:★★★★




ボルヘス後期の詩集である『永遠の薔薇』と『鉄の貨幣』を一冊にまとめたものが本書である。
発表年が相次いでいるので作風は類似している印象を受けるが、いずれも非常にボルヘスらしさが出ている詩集だ。
ボルヘスの詩集を初めて読む人にもとっつきやすい作品であるように思う。

いずれの詩集においても、詩、鏡、盲目など、ボルヘスおなじみのテーマを用いた作品の中に、アルゼンチン人としてのアイデンティティーを表すかのようなラテンアメリカを舞台にしたもの、アングロ・サクソンやヴァイキングを題材にしたものが混ざり合い、そこにオリエンタルな雰囲気の作品も織り交ぜられている。
この本に限ったことではないが、『永遠の薔薇・鉄の貨幣』はボルヘスの世界の幅広さを窺い知ることができる作品であると言えるだろう。
ボルヘスの助手で、後に妻となるマリア・コダマと世界を旅した記録である『アトラス―迷宮のボルヘス』と合わせて読めば、ボルヘスの依拠する世界、彼が作り上げた迷宮世界のほうではなく現実に存在する世界のことだが、そのイメージをより膨らませることができるはずだ。
とはいえ、ボルヘス本人はその現実世界をも「夢」であると言うかもしれないが・・・。

『永遠の薔薇』と『鉄の貨幣』は、いずれも甲乙付けがたい二作品であるが、強いて言うならば『鉄の貨幣』のほうが南米色が強いだろうか。
邦訳の出ている南米の作家はそう多くはないので、ラテンアメリカをテーマにした作品は、ボルヘスをあまり知らない読者には新鮮なものと感じられることだろう。

『永遠の薔薇・鉄の貨幣』は、国書刊行会から「文学の冒険シリーズ」の一冊として出されたものだ。
「冒険」というニュアンスからすれば、ボルヘスの初期の作品のほうがシリーズ入りするにふさわしかったような気がしないでもないが、二つの詩集を収録しているということもあり、読み応えは十分の本に仕上がっている。
中古でしか手に入らないのが現状であるが、ボルヘスファンには自信を持ってお勧めできる本だ。

『ブロディーの報告書』 ボルヘス(岩波文庫)

ブロディーの報告書 (岩波文庫)ブロディーの報告書 (岩波文庫)
(2012/05/17)
J.L.ボルヘス

商品詳細を見る

書名:ブロディーの報告書
著者:ホルヘ・ルイス・ボルヘス
訳者:鼓 直
出版社:岩波書店
ページ数:208

おすすめ度:★★★★




奇想天外なストーリーの創作家たることをやめ、直截的でリアリスティックな作風で書かれた短編集がこの『ブロディーの報告書』だ。
たいていの短編がボルヘス自らの体験談、もしくは第三者から伝え聞いたエピソードという形式を採っていて、その内容がいかにも現実に起こりそうなことであるため、もしくは現実に起こったことなのかもしれないが、いずれにせよ、『伝奇集』や『エル・アレフ』に親しんだ読者からすると、ボルヘスの短編集に期待するところのものが見出されないかもしれない。
とはいえ、いかに現実的なストーリー展開ばかりであろうと、収録作品はどれもこれまでボルヘスが築き上げてきた迷宮世界に匹敵する面白さを備えているように私は思う。

『ブロディーの報告書』に収められている作品は、たいていが19世紀から20世紀初頭にかけての南米を舞台にしたものである。
ボルヘスにとってはお手の物であるガウチョや無法者を主人公にしたものが多く、彼らを描くボルヘスの筆のさえに、つい読者は引き込まれてしまう。
『ブロディーの報告書』以前にもそういった類の短編や詩を多数発表してきているボルヘスだけに、時代性や地域性にかなりの偏りこそあるものの、『ブロディーの報告書』はきわめてボルヘスらしい短編集であると言っていいだろう。

ボルヘスは、いわゆる良家のお坊っちゃんとして育ったにもかかわらず、血や闘いへの、そして特にナイフへの志向はたいていの作家より格段に強い。
多用するテーマやモチーフが明確であるボルヘスという作家に迫るのに、精神分析的なアプローチも興味深いことだろう。
いずれにしても、平穏ならぬ死の迫った瞬間こそが、ある人間を描く際のベストの瞬間の一つであることは間違いないはずだ。

ボルヘスといえば難解な作家であるというイメージが強く、一部の読者からは敬遠されてもいることだろう。
しかしこの『ブロディーの報告書』に限って言えば、読みやすさはボルヘスの短編集の中で随一である。
それを物足りなく感じられるボルヘスファンもいるはずだが、その反面、ボルヘスを初めて読む人にも非常に取っ付きやすい作品であるように思う。

『ブストス=ドメックのクロニクル』 ボルヘス(国書刊行会)

ブストス=ドメックのクロニクルブストス=ドメックのクロニクル
(2001/03)
ホルヘ・ルイス ボルヘス、アドルフォ ビオイ‐カサーレス 他

商品詳細を見る

書名:ブストス=ドメックのクロニクル
著者:ホルヘ・ルイス・ボルヘス、アドルフォ・ビオイ=カサーレス
訳者:斎藤 博士
出版社:国書刊行会
ページ数:213

おすすめ度:★★★☆☆




ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件』で共同制作を行ったボルヘスとビオイ=カサーレスの二人だが、そんな彼らの用いたペンネームが、他ならぬ「オノリオ・ブストス=ドメック」であった。
そして今回は書名にしてからが『ブストス=ドメックのクロニクル』であるが、作風や内容は探偵小説の『ドン・イシドロ・パロディ』とはまるで異なっていて、論理的に組み立てられた一種の知的遊戯のような小論の連続から成っている作品である。
いずれの小論もストーリー性が弱く、一般受けしにくいものかもしれないが、ボルへスらしさが随所に感じられるため、ボルヘスを好きな人なら面白く読めるはずだ。

『ブストス=ドメックのクロニクル』は、様々な分野で行われた非現実的な試みを現実的な装いのもとに、あたかも新聞のコラムかのような文体で描き出した20の小論から構成されている。
取り扱うテーマは多岐にわたり、詩、散文、彫刻、絵画、建築、演劇と、芸術分野の大半を網羅しているし、さらにはファッションから料理にまで至るという射程の広さだ。
ユーモアや風刺にも満ちており、堅苦しさはあまり感じられない文章なので、テーマの深刻さのわりにはすらすら読めることだろう。
とはいえ、それはボルヘスの書くものすべてに共通することでもあるのだが。

それぞれの分野でその極意に到達しようと試行錯誤を繰り返すあまり、常人の理解を超えた地点にまで行き着いてしまうという筋書きは、芸術家小説の王道的なストーリー展開の一つでもある。
関連作品をお探しの方には、芸術家小説の代表作であるバルザックの『知られざる傑作』をお勧めしたい。
こちらはブストス=ドメックの小論とはまた一味違う傑作短編だ。

ページによってインクに時折濃淡が見られるのは少々残念であるが、解説は充実しているし、ボルヘスの他の作品へのつながりも感じられる。
創作と現実との境界線があやふやな『ブストス=ドメックのクロニクル』に導かれ、その境界線上をふらついてみるのも悪くないのではなかろうか。

『創造者』 ボルヘス(岩波文庫)

創造者 (岩波文庫)創造者 (岩波文庫)
(2009/06/16)
J.L. ボルヘス

商品詳細を見る

書名:創造者
著者:ホルヘ・ルイス・ボルヘス
訳者:鼓 直
出版社:岩波書店
ページ数:206

おすすめ度:★★★★★




自らを詩人と名乗っていたボルヘスが、自身最高の出来とみなしていた詩文集がこの『創造者』だ。
ボルヘスという作家の中心に位置する作品と言っても過言ではないくらい、ボルヘスの作品における重要な構成要素がぎっしりと詰まった一冊なので、ボルヘスを初めて読む人にもお勧めできるし、ボルヘスのファンならこれは必読である。

『創造者』は、「詩文集」として紹介されているが、これは「詩的な散文」と解釈してもおそらく大きな間違いにはならないだろう。
とはいえ、「詩文」であるということをあらかじめ意識せずとも、読者の美的感覚が、読み進めていくうちにおのずとこれは詩であるとみなすものと思う。
事実、『創造者』は散文としても読めるほどに読みやすく、それでいて喚起されるイメージの豊かさや奥深さは計り知れないときている。
同様の読後感を与えることのできる本はそう多くないはずだ。

『創造者』には、ボルヘスが多用するモチーフの大半が登場する。
ボルヘスの作品を複数読んでいると、それらの繰り返しにより、まさしくボルヘスの手になる文章を読んでいるのだという独特の感じが味わえる。
長編作品を書かなかったボルヘスだからこそ、長編を読んだつもりで、短編や詩集、評論や講演集など、ぜひいろいろな作品を読んでみていただきたい。
きっとそれらが一人の創造者から生まれたものであるということに納得していただけることだろう。

年に数冊の割合で、なぜこれまで文庫化されていなかったのか不思議に思えるほど素晴らしい本が、文庫版で登場する。
あくまで主観的な判断であるが、ボルヘスの『創造者』はそういった本の一つだ。
他の作品にはないほどに濃密なボルヘスに触れることができるこの『創造者』、文庫化を機に、多くの人々に読まれることを願わずにはいられない名作だ。

『詩という仕事について』 ボルヘス(岩波文庫)

詩という仕事について (岩波文庫)詩という仕事について (岩波文庫)
(2011/06/17)
J.L.ボルヘス

商品詳細を見る

書名:詩という仕事について
著者:ホルヘ・ルイス・ボルヘス
訳者:鼓 直
出版社:岩波書店
ページ数:231

おすすめ度:★★★★




かつて岩波書店から出されていた『ボルヘス、文学を語る 詩的なるものをめぐって』、それを文庫化したのがこの『詩という仕事について』である。
詩人でもあるボルヘスが詩について語っているわけなので、最後の章を除き自作の詩についての言及はほぼないとはいえ、その内容にはたいへん興味深いものがある。
六十代も後半になって行った講義を活字にしたものであるだけに、長年詩人として活躍してきたボルヘスが最終的に辿り着いた詩論の総括とみなしていいように思う。
ボルヘスにはあまり関心がなくとも、ボルヘスの詩は読んだことがなくとも、それでも十分面白く読める本なので、幅広い読者にお勧めできる一冊だ。

『詩という仕事について』は、メタファー、語り、翻訳の可能性などのテーマに関して行われた、六回にわたるボルヘスの講義の記録だ。
いずれの論旨においても、豊富な実例を交えて解説してくれるので、ボルヘスの言うことにはいつもながらとても説得力がある。
現代の日本人にとってはあまりなじみのない詩人も多々引用されているが、ボルヘスの途方もない博識や、彼がアルゼンチン人であるという背景を思えば、読者が未知の領域に言及されるのはやむをえないことだろう。

個人的に最も楽しめたのは「言葉の調べと翻訳」の章で、詩の翻訳の可能性もしくは不可能性を、また原文と訳文の文学的価値の優劣について論じている。
その章においてボルヘスは、そもそも詩は翻訳できるのかできないのかという単純な二元論を超えた新しい視点を提供してくれている。
翻訳された詩をすなわち質の劣ったものであると考える姿勢に修正を迫る内容なのだが、改めて翻訳者の詩的才能の重要さに気付かされもする。

講義録ということで、口語で翻訳されているためにとても読みやすい『詩という仕事について』。
文学の一ジャンルとしての詩に、欧米文学の礎とも言うべき詩に興味のある方を楽しませる、非常に示唆に富んだ本であるといえるだろう。

『序文つき序文集』 ボルヘス(国書刊行会)

序文つき序文集 (ボルヘス・コレクション)序文つき序文集 (ボルヘス・コレクション)
(2001/10)
ホルヘ・ルイス ボルヘス

商品詳細を見る

書名:序文つき序文集
著者:ホルへ・ルイス・ボルヘス
訳者:牛島信明、久野量一、内田兆史
出版社:国書刊行会
ページ数:386

おすすめ度:★★★☆☆




ボルヘスがスペイン語に翻訳した訳書や、第三者の作品に付するために書いた序文の中から38編を集め、そこにさらに序文を付したのがこの『序文つき序文集』である。
シェイクスピアやカフカ、セルバンテスやメルヴィルといった有名な作家の作品に寄せた序文は、大いに読者の興味をそそることだろう。
しかしその反面、本書に収められている序文の大半はアルゼンチンを中心とした南米の作家の作品に対して書かれたものであり、それらの作品は邦訳が存在しないものが多いため、本書は必然的に日本でほぼ無名である作品・作家に割かれるページ数が大半を占めてしまっている。
そういうわけで、たいていの読者は非常に興味を持って読める序文と、あまり興味をそそられない序文との間を往復することになるものと思われる。

『序文つき序文集』には、上述の作家たちに加え、今日の日本ではあまり読まれていないように思うが、ボルヘスが好んだ作家であるカーライルやエマソンの作品への序文も含まれているので、ボルヘスの嗜好を知っている人にはうなずける選抜だと感じられるはずだ。
他に有名どころの作家を挙げると、ホイットマン、ヘンリー・ジェイムズ、ギボン、ウィルキー・コリンズ、ヴァレリー、ルイス・キャロルがいる。
また、本書を読み通せばアルゼンチンの、特にガウチョを主人公とした文学について、その輪郭をつかむことができる。
とはいえ、それも作者とは異なる第三者が記した序文からの推察に過ぎないのだが・・・。

本編へと続くことのない序文の集合体を楽しめるとすれば、それは本編のあらすじを知っているか、せめて本編を物した作家のことを知っているかのいずれかであるように思うのだがいかがだろうか。
この考えに同意していただけるのであれば、世界文学のみならずアルゼンチンの文学にも精通している人は別として、この『序文つき序文集』は楽しめる部分が非常に限られてくるとみなすことができよう。
結論として、本書はボルヘスの書いたものならすべて読みたいという人向けの一冊ということになると思う。

『エル・オトロ、エル・ミスモ』 ボルヘス(水声社)

エル・オトロ、エル・ミスモエル・オトロ、エル・ミスモ
(2004/09)
ホルヘ・ルイス ボルヘス

商品詳細を見る

書名:エル・オトロ、エル・ミスモ
著者:ホルヘ・ルイス・ボルヘス
訳者:斎藤 幸男
出版社:水声社
ページ数:297

おすすめ度:★★★☆☆




ボルヘスが1930年代から60年代にかけて発表した詩を収めたのがこの『エル・オトロ、エル・ミスモ』だ。
表題である『エル・オトロ、エル・ミスモ』は英訳すると「The other, the same」、邦訳すれば「他者、自己」とでもなるだろうか。
長い間に書きためてきたおよそ八十篇の詩を集めた詩集、これにボルヘスが『エル・オトロ、エル・ミスモ』と命名した理由を探ってみるのも面白い読み方だろう。

『エル・オトロ、エル・ミスモ』において、読者はいつものボルヘスに出会うことができる。
すなわち、多くの文学者や文学作品を愛し、サクソン人に惹かれ、ブエノスアイレスをさまよい、闘いと刃に憧れる、あのボルヘスだ。
ボルヘスの作品を読んだときに旧知の人に出会ったような心地よさを覚えるのは、そのためなのではなかろうか。

本書『エル・オトロ、エル・ミスモ』には、「マルジナリア」と題された、訳者による解説風の注記が巻末に添えられている。
しかし読者の中には、作品の成立事情や時代背景などにはまったく興味がないという方もいることだろう。
作品の味わい方は人それぞれだろうが、この「マルジナリア」をあえて読まないというのも、詩をいっそう詩的なものに留める一つの方法なのかもしれない。
余談ながら、かくいう私は一文字残さず隅々まで読んでしまう習性なのだが。

『エル・オトロ、エル・ミスモ』は、収録作品の成立時期が幅広いため、全体として見ればやや統一感に欠けるところがあるので、とはいえ詩集に必ずしも統一感が必要だと考えているわけでもないのだが、なにはともあれ、個人的には『永遠の薔薇・鉄の貨幣』のほうが、詩の題材のボルヘスらしさがより強いように感じられたし、読者が思い描くイメージも美的な哀愁に満ちたものが多いように思う。
視力の衰えという身体的な都合もあったのだろうが、老境に差し掛かって詩作に精力を傾けだしたボルヘスだけに、『エル・オトロ、エル・ミスモ』の読者には、ぜひ『永遠の薔薇・鉄の貨幣』も読んでみていただきたい。

『論議』 ボルヘス(国書刊行会)

論議 (ボルヘス・コレクション)論議 (ボルヘス・コレクション)
(2001/01)
ホルヘ・ルイス ボルヘス

商品詳細を見る

書名:論議
著者:ホルヘ・ルイス・ボルヘス
訳者:牛島 信明
出版社:国書刊行会
ページ数:307

おすすめ度:★★★☆☆




ボルヘスが比較的若い頃のエッセイを中心に、20編をまとめたものがこの『論議』である。
ボルヘス初期の作品であるにもかかわらず、アルゼンチンの詩や神学をテーマにしたものなど、晩年の講演集である『七つの夜』でも言及のあるテーマが少なからず見出されるので、ボルヘス後期の作品と合わせて読めば、長い間にわたってボルヘスという作家の根底に横たわっていた思想やイメージを読み解くことが可能となるだろう。
哲学・思想に関する記述も少なくないので、いくらか難解に感じられる読者もいるかもしれないが、ボルヘスに興味がある人にはお勧めだ。

主として文学を論じた20のエッセイから成るのがこの『論議』だが、いくつかそのテーマが重複しているものもある。
具体的には、ホイットマン、フロベール、アキレスと亀のパラドックスなどがそうである。
非常に高く評価していたホイットマンに関する言及はボルヘスの作品中に散見することができるし、ボルヘスの作風を思えば彼がパラドックスを嫌うわけがないというのもうなずけるのだが、これまでフロベールとその作品に対しての評言が多いという印象は持っていなかったので、少々新鮮な気持ちでそれを読むことができた。

いつもながら原文の参照などしていないし、あくまで直感的な判断でしかないのだが、本書『論議』の文体は、ボルヘスの書くものにしてはやや生硬であるような感じを受けた。
ひょっとすると、それは若き日のボルヘスと老年のボルヘスの書き方の差異なのかもしれない。
若い頃の作品に冷淡な態度を取りがちなのがボルヘスであるというのも、このことが一因なのだろうか。

ボルヘスのエッセイ集といえば、単なる評論の域を超え出た、非常にボルヘスらしい創造力に満ちた一冊である『続審問』が最もお勧めだが、初期の思想を読み取ることのできるこの『論議』もたいへんに興味深い本ではある。
とはいえ、『伝奇集』に始まる一連の短編小説に魅了された読者には『続審問』の方をお勧めしたい。

『夢の本』 ボルヘス(国書刊行会)

夢の本夢の本
(1992/10)
J・L・ボルヘス

商品詳細を見る

書名:夢の本
著者:ホルヘ・ルイス・ボルヘス
訳者:堀内 研二
出版社:国書刊行会
ページ数:277

おすすめ度:★★★☆☆




タイトルこそ似ているが『砂の本』とは似ても似つかない内容である、ボルヘス晩年の作『夢の本』。
この表題は、「夢のような」本という意味ではなく、ボルヘスが多大な興味を示し続けた無数の「夢」を世界中から集めたアンソロジーということであり、まさしく『夢の本』なのである。
何しろ取り扱われる夢の数が膨大で、過去にここまで古今東西の夢を集めた本は存在しなかったに違いない。
そういう意味では「夢のような」本というニュアンスもそう的外れではないのだろうか。

『夢の本』に収められている「夢」は、ギルガメシュから20世紀のものにまで至り、その数は優に百を超えている。
ボルヘスが度々言及する夢といえば、私は真っ先にコールリッジの『クビライ汗』にまつわる夢を思い浮かべるのだが、当然ながらその夢もエピソードの一つとして収録されている。
他にも聖書から取ったものもあれば、荘子がもれることもなく、ボルヘス自身の夢も入っている。
聖書からの夢が多すぎるような気がしないでもないが、いずれも短いエピソードなのでたいへん読みやすく、布団に入ってから寝る前に、というより夢を見る前にも、気軽に読むことができるはずだ。
夢判断 上 (新潮文庫 フ 7-1)夢判断 上 (新潮文庫 フ 7-1)
(1969/11)
フロイト

商品詳細を見る
夢判断 下 (新潮文庫 フ 7-2)夢判断 下 (新潮文庫 フ 7-2)
(1969/11)
フロイト

商品詳細を見る

夢に関する著作でお勧めといえば、やはりフロイトの『夢判断』だろう。
心理学や精神分析の基礎知識がなくても読める、いやむしろ基礎知識を得るための入門書としても読むことができるので、夢に興味のある方はぜひ読んでみていただきたい。
とはいっても、日常的でいて謎に満ちた「夢」に完全に無関心でいられる人はめったにいないのかもしれないが・・・。

ボルヘスの著作を何冊か読んでいるうちに夢に対するボルヘスの強い憧れを感じ取り、その憧れを共有した読者は決して少なくないように思う。
『夢の本』はそのような方に特にお勧めしたい。

『ボルヘス、オラル』 ボルヘス(水声社)

ボルヘス、オラル (叢書 アンデスの風)ボルヘス、オラル (叢書 アンデスの風)
(1991/12)
ホルヘ・ルイス ボルヘス

商品詳細を見る

書名:ボルヘス、オラル (叢書 アンデスの風)
著者:ホルヘ・ルイス・ボルヘス
訳者:木村 栄一
出版社:水声社
ページ数:172

おすすめ度:★★★★




晩年のボルヘスが大学からの依頼に応えて行った五つの講演を一冊にまとめたものがこの『ボルヘス、オラル』だ。
テーマの選び方や語りを進めていく手順などはいかにもボルヘスらしいもので、いずれの講演も手頃な分量であるためにたいへん読みやすい。
同じくボルヘスの講演集である『七つの夜』の読者であれば、必ずや楽しむことができる一冊になっているように思う。

『ボルヘス、オラル』には、「書物」、「不死性」、「エマヌエル・スウェデンボルグ」、「探偵小説」、「時間」の五講演が収録されている。
本、そして書かれた文字に関する考察の行われている「書物」、人の不死を取り扱った「不死性」、ボルヘスが重きを置いていた神秘的な思想家「エマヌエル・スウェデンボルグ」、ポーを中心に推理小説を論じた「探偵小説」、数々の時間論を俯瞰する「時間」。
ボルヘスをすでに何冊か読まれた方であれば、どのテーマにもぴんとくるものがあるだろうが、それぞれの講演の内容も決してその予感を裏切るものではないはずだ。
『ボルヘス、オラル』はきわめてボルヘス風の一冊に仕上がっているので、ボルヘスのファンが読むのに向いていることは言うまでもないし、ボルヘスをあまり知らない人が読めばボルヘスという作家の実像をおぼろげながら把握することができるのではなかろうか。

読者の側もある程度の予備知識がないとボルヘスの博識にはついていけないというのも事実であるが、ボルヘスの平易な語り口は本書で扱われる少々難解なテーマの敷居を大きく下げてくれているので、身構える必要はまったくない。
気楽に読めて、それでいて読み応えは十分な本として、幅広い読者層にお勧めしたい一冊だ。
カテゴリ
PR
最新記事
RSSリンク