『車輪の下』 ヘルマン・ヘッセ(新潮文庫)

車輪の下 (新潮文庫)車輪の下 (新潮文庫)
(1951/11)
ヘルマン ヘッセ

商品詳細を見る

書名:車輪の下
著者:ヘルマン・ヘッセ
訳者:高橋 健二
出版社:新潮社
ページ数:246

おすすめ度:★★★★★




数いるノーベル賞作家の中で、日本でもよく読まれている部類に入るヘッセだが、彼の作品の中で最もよく知られたものがこの『車輪の下』だろう。
しばしば難解な作風であると指摘されるヘッセだが、ヘッセの作品としては初期のものに分類されるこの『車輪の下』は、その難解さもさほど感じられないので、たいへん読みやすい作品といえる。
また、主人公が勉強に精を出す少年ということで、さほど特殊な環境に置かれた人々を描いているわけではなく、現代の日本人の多くが目指してきたもの、もしくは実際に経てきたものと似た道をたどる少年の描写は、読者の感情移入を容易にすることだろう。
読みやすく、しかも深みのある作品として、『車輪の下』は非常にお勧めだ。

内気で繊細な少年ハンスは、勉強もよくでき、周りからも「できる子」との烙印を押されている。
そんな彼が名門校に入学、エリート街道をまっしぐらに突き進んでいく。
一見順調そうに思われた彼の人生行路だったが・・・。
成績優秀な少年に向けられる周囲の一方的な期待を、「車輪」という語で表現するあたり、詩人としても知られるヘッセの詩的感覚の表れなのかもしれない。

ヘッセの代表作である『車輪の下』には、すでに数種類の翻訳がある。
しかし、高橋健二氏の名訳を上回るものはいまだ存在しないのではなかろうか。
すべての既訳に目を通したわけではないのであまり偉そうなことは言えないが、ヘッセの紹介者として有名で、ヘッセと面識もあった高橋氏の翻訳が最も優れたものの一つであることは間違いないように思う。

現に「車輪」を感じている人や、過去に「車輪」を感じたことのある人は決して少なくないことだろう。
本書はそのような人々の共感を呼ばずにはいない、はかなくも、どこか優しさの感じられる傑作である。
ヘッセが『車輪の下』で描いたテーマ、すなわち弱者を押しつぶす「車輪」が、一日も早く過去の遺物となることを願いたい。
スポンサーサイト

『デミアン』 ヘルマン・ヘッセ(新潮文庫)

デミアン (新潮文庫)デミアン (新潮文庫)
(1951/11)
ヘッセ

商品詳細を見る

書名:デミアン
著者:ヘルマン・ヘッセ
訳者:高橋 健二
出版社:新潮社
ページ数:223

おすすめ度:★★★★★




車輪の下』と並び、ヘッセの代表作として知られる小説が『デミアン』だ。
ヘッセの作風が大きく変わる転換点として注目されてもいるが、その反面、しばしば彼の作品が難解さを増していく契機とも言われているらしい。
確かに、よくわからなかったという感想も多く聞かれる作品であるが、悩める主人公が自身の精神を掘り下げ、手探りながらも己の進むべき道を見出そうとする様は、多くの読者を魅了するに違いない。
いかにもヘッセらしい傑作として強くお勧めしたい。

主人公の少年シンクレールは、ひょんなことからデミアンという少年に出会う。
他の少年たちにはない大人びた風格を備えたデミアンから影響を受けたシンクレールは、世界や自己などについての模索を始めるが・・・。
『デミアン』を読んでいるうちに、若いときにデミアンのような人間に出会えるという幸福に対して、憧れとも羨望ともつかぬ気持ちを抱いてしまうのは、おそらく私だけではないのではなかろうか。

ヘッセが創造したデミアンという人間像は、その年齢の割にあまりにも老成し、万事に達観したかのような精神態度ゆえに、ひょっとすると現実味が薄いと感じられるかもしれない。
デミアンに限らず、文学作品に登場する理想的な人物像は、確かにいくらかリアリティが損なわれていることが多いようにも思われるが、それが原因で作家の思い描いた理想まで、その価値が減ずるわけではないだろう。
外的事件の連鎖からなる物語を好まれる方には『デミアン』は退屈と感じられるかもしれないが、高邁な理想が帯びる美しさに触れたい方には自信を持ってお勧めできる本の一つだ。

青年期の主人公を描いた名作が多いからか、ヘッセには青年向けの作品を書くというイメージがある。
そして『デミアン』はそのイメージを裏切らない、まさしく青年期に読まれるべき本だろう。
すべての青年に感銘を与えるかどうかはもちろんわからないが、自らも思い悩むことの多かった作家であるヘッセが、作中の主人公に混沌たる外面世界・内面世界からどのような光明を見出させるのか、それを読み解こうと試みるだけでも十分楽しめる、また、十分読む価値のある作品ではなかろうか。

『シッダルタ』 ヘルマン・ヘッセ(岩波文庫)

シッダルタ (岩波文庫)シッダルタ (岩波文庫)
(2011/08/19)
ヘルマン・ヘッセ

商品詳細を見る

書名:シッダルタ
著者:ヘルマン・ヘッセ
訳者:手塚 富雄
出版社:岩波書店
ページ数:224

おすすめ度:★★★★




長きにわたり精神世界の彷徨を続けたヘッセによる釈迦の物語がこの『シッダルタ』である。
宗教談義にはまったく興味がないという方もおられるだろうから、一般受けはしにくいかもしれないが、平易な文章で書かれた含蓄のある作品があるとすれば、ヘッセの場合は『シッダルタ』こそがそれに該当するだろうし、さらには心や風景を巧みに描いた詩的作品として読むことも可能に思われる。
内容が内容だけにすらすら読める作品ではないかもしれないが、さほど厚い本ではないので、気軽に手に取ってみていただきたい作品だ。

世界的に高名である『シッダルタ』の主人公について、あまり多くを語る必要はないだろう。
ここでは、ヘッセのファンであれば、平和と沈思黙考を好むシッダルタの姿に、作者であるヘッセの姿を重ね合わせることもできるのではないかとだけ言い添えておきたい。

ドイツはかねてよりインド思想に関する研究が盛んで、ショーペンハウアーを筆頭に、ドイツの知識人のインド思想への接近は一つの伝統と化しているような気もしないでもないが、父が宣教師としてインドに滞在したことがあり、その地で出会ったインド生まれの女性との間に生を享けたというヘルマン・ヘッセは、人一倍東洋思想に憧れと親近感を抱きやすい環境で育ったという経緯がある。
成人してからアジアへ旅行した経験もあるヘッセであるからこそ、『シッダルタ』を物すことにもなったのだろう。

読者が仏教徒であるかどうかにかかわらず、『シッダルタ』はキリスト教的な作品よりも日本人に親しみやすいのではなかろうか。
シッダルタという実在の偉人を描いた作品なので、どこまでが真実なのか、もしくはどこまでが仏教徒の認める正統的なシッダルタの生涯と一致するのかと気になる読者も少なからずいることだろう。
何を隠そう私もその一人なのだが、『シッダルタ』が古来より日本に根付いている仏教の教えや釈迦の生涯に対して新たな関心を呼び起こす作品であることは間違いないと思う。

『郷愁 - ペーター・カーメンチント』 ヘルマン・ヘッセ(新潮文庫)

郷愁―ペーター・カーメンチント (新潮文庫)郷愁―ペーター・カーメンチント (新潮文庫)
(1956/08)
ヘッセ

商品詳細を見る

書名:郷愁 - ペーター・カーメンチント
著者:ヘルマン・ヘッセ
訳者:高橋 健二
出版社:新潮社
ページ数:200

おすすめ度:★★★★




ヘッセ最初期の作品として知られている『郷愁 - ペーター・カーメンチント』は、同時にヘッセの出世作でもある。
発表年が『車輪の下』と非常に近く、作品の帯びる雰囲気も似ているので、『車輪の下』を気に入られた読者であればおそらくこちらも気に入っていただけることだろう。
哀愁に満ちた故郷の詩的描写に優れている本作は、現在故郷を離れて暮らしている方、もしくは故郷を離れた経験のある方に特にお勧めしたい作品だ。

故郷を離れた若き主人公、ペーター・カーメンチント。
夢を抱いて出て行った都会で、甘くもあり辛くもある多くの経験を経た彼が、自らの心の奥底に見出したものとは・・・。
『郷愁』は、その邦題からも予想できるかもしれないが、寂しいながらもどこか懐かしく、そして温かく包み込んでくれるような雰囲気の作品となっている。
緩急のつけられた作品中の時間の流れも、それが緩んでいるときには、読者にゆったりとした心地よさを与えてくれることだろう。
『郷愁』を、ヘッセの作品の中で最も優しい色合いに染まっている小説作品と言っても過言ではないのではなかろうか。

作風が似通っているにもかかわらず、あれほど有名な『車輪の下』と比べると、この『郷愁 - ペーター・カーメンチント』は翻訳の種類も少なく、あまり読まれていない作品なのかもしれない。
しかし、ヘッセの最初期の作品である『郷愁』は、後年の作品に見られる難解さが少なく、それだけ詩的表現の柔らかさを存分に堪能できる小説となっているため、ヘッセを初めて読む方が手に取るにも最適の本であるように思う。
好感の持てる青年ペーターに導かれて、ぜひヘッセの創り出す叙情世界を味わってみていただきたい。

『春の嵐 - ゲルトルート』 ヘルマン・ヘッセ(新潮文庫)

春の嵐―ゲルトルート (新潮文庫)春の嵐―ゲルトルート (新潮文庫)
(1950/12)
ヘッセ

商品詳細を見る

書名:春の嵐 - ゲルトルート
著者:ヘルマン・ヘッセ
訳者:高橋 健二
出版社:新潮社
ページ数:246

おすすめ度:★★★★★




ヘッセ初期の傑作の一つに数えられる小説作品『春の嵐 - ゲルトルート』。
ヘッセの代表作である『車輪の下』とほぼ同時期に発表された『春の嵐 - ゲルトルート』だが、私にはこの二作品の優劣がつけがたく、『車輪の下』よりも『春の嵐 - ゲルトルート』のほうを好むという読者がいたとしてもまったく不思議には思わない。
ヘッセの作品を好きな方ならば必ずや楽しめるであろうし、ヘッセの作品に触れたことのない方が本書から始めてみるのも悪くないように思う。

不幸な事故により障害を抱えて生きることになった主人公クーン。
ヒロインのゲルトルートに密かな思いを寄せている彼だが、ゲルトルートはクーンの友人と結婚することになり・・・。
他の作家が同様のテーマを扱ったならば平凡な恋愛小説に止まったかもしれないが、そこは作品において人生に対する洞察まで掘り下げるのが特長のヘッセのことだけあり、この『春の嵐』も非常に深みのある作品に仕上がっている。
人間の絆〈上〉 (岩波文庫)人間の絆〈上〉 (岩波文庫)
(2001/10/16)
モーム

商品詳細を見る

それが主旋律となっているわけではないにせよ、『春の嵐』は障害を持った主人公のコンプレックスを描いた作品でもあるわけだが、類似の作品として、モームの『人間の絆』を紹介しておきたい。
『人間の絆』は自伝的要素の強いモームの代表作であるが、主人公は足に奇形を持って生まれた青年である。
作品自体の長さがまるで異なりはするものの、お世辞にも詩的な作風とは言いがたい散文的な作家であるモームの作品と比較すれば、ヘッセの作品ににじみ出る詩的天分がますます引き立って感じられるのではなかろうか。

これは多くのヘッセの作品に共通して言えることだが、この『春の嵐』もやはり若い世代に訴えかける力が強い作品であるように思われる。
すべての思い悩む若者に、悩み抜いた作家であるヘッセが、何かしらの救いの手を差し伸べてくれることだろう。

『荒野のおおかみ』 ヘルマン・ヘッセ(新潮文庫)

荒野のおおかみ (新潮文庫)荒野のおおかみ (新潮文庫)
(1971/02)
ヘッセ

商品詳細を見る

書名:荒野のおおかみ
著者:ヘルマン・ヘッセ
訳者:高橋 健二
出版社:新潮社
ページ数:349

おすすめ度:★★★☆☆




ヘッセの作家生活のちょうど半ば頃に当たる、五十歳のときに発表された作品がこの『荒野のおおかみ』である。
タイトルこそ似ているものの、ジャック・ロンドンの『荒野の呼び声』とはまるで異なり、動物を取り扱った小説というわけではなく、文明社会から距離を持って暮らすアウトサイダーを描いた作品だ。
一般受けはほぼ望めないように思うが、魂の真実を追及するヘッセらしい非常に深みのある作品としてお勧めである。

主人公のハリー・ハラーは、自らを社会になじめない存在として、社会に暮らす「荒野のおおかみ」であると感じている初老の男である。
幸福への道を断たれていると感じた彼は、真剣に自殺まで考え、すべてを終わりにするかみそりの魅力に惹かれているのだが・・・。
明るい物語ではないものの、強烈な文明批判と幻想的な場面とが交錯する独特の作風なので、とても読み応えのある作品ではある。

主人公ハリー・ハラーのイニシャルがH・Hであること、彼が反戦論者であること、また五十歳を迎えようとしていることなどから、『荒野のおおかみ』は概ね作者であるヘルマン・ヘッセの内面告白として読まれることが多いようだ。
さらに、作中に「ヘルマン」という男への言及、その女性形であるヘルミーネの登場などもあり、ヘッセの姿が見え隠れする作品であるといえよう。

テーマがテーマだけに、この『荒野のおおかみ』は万人に受ける作品であるようには思えない。
車輪の下』のような作品を期待している読者の中には、とても退屈な作品だと感じられる方もいることだろう。
しかし、自らが社会になじめないと感じている、もしくは感じたことのある方には、ヘッセの作品の中で最も興味深い小説と思われるに違いない。
そういう意味では、広く浅くではなく、狭く深く訴えかける作品であると思う。

『雲』 ヘルマン・ヘッセ(朝日出版社)

ヘルマン・ヘッセ『雲』ヘルマン・ヘッセ『雲』
(2001/04)
ヘルマン ヘッセ

商品詳細を見る

書名:
著者:ヘルマン・ヘッセ
訳者:倉田 勇治
出版社:朝日出版社
ページ数:196

おすすめ度:★★★☆☆




小説も詩も書き、多くのエッセイも残したヘッセだが、そんな彼の雲にまつわる作品をまとめ上げたのが本書『雲』である。
ヘッセは比較的多作な作家であるとはいえ、雲を主題とした作品がここまで多いものかと、読者はいまさらのように驚かされることだろう。
『雲』はヘッセの死後に第三者の編集を経た本であり、ヘッセ自身の監修による本ではないのだが、詩作品はもちろん、『郷愁 - ペーター・カーメンチント』などの小説からの抜粋や、遺稿から生前未発表の原稿をも収録するなど、「雲」というテーマの下で死後出版ならではのまとまりを見せている。
ヘッセの水彩画もいくつか掲載されているし、さらにはトーマス・シュミットというカメラマンによる美しい写真を複数織り交ぜて編まれた非常に味わいのある仕上がりなので、ヘッセに関心のある方にはぜひ読んでみていただきたい一冊だ。

ヘッセが自然の美しさに対する感受性のきわめて強い作家であることはよく知られているように思うが、雲とヘッセとの関係性は、単にその美しさを鑑賞するという傍観者的な立場には止まらないものがある。
自身の存在のはかなさや孤独、そういったものを痛切に感じていたヘッセは、しばしば雲を人間にたとえ、共感し憧れるような目線を送る。
浮雲のような自分は、どこへ向かっていくのだろうか・・・。
そんな問いかけが聞こえてくるような気がする。

あまり再版されることがなかったからか、この『雲』は現在新品があまり出回っていないが、中古品ならばアマゾンでとても安く売られている。
ヘッセのファンであれば、本書から汲み取ることのできるヘッセの自然に対する感受性の強さを楽しむことができることは請け合いだ。
ある晴れた日に空を見上げ、流れる雲を目で追い、その変幻自在に漂う様を美しいと感じたことのあるすべての人に。

『蝶』 ヘルマン・ヘッセ(同時代ライブラリー)

蝶 (同時代ライブラリー)蝶 (同時代ライブラリー)
(1992/03/16)
ヘルマン ヘッセ

商品詳細を見る

書名:
著者:ヘルマン・ヘッセ
訳者:岡田 朝雄
出版社:岩波書店
ページ数:173

おすすめ度:★★★☆☆




ヘッセの詩やエッセイなどから、蝶を主題にしたものや蝶を扱ったものを集めたのがこの『蝶』である。
』などと同様、ヘッセ研究の第一人者であるフォルカー・ミヒェルスの編集による本であり、ヘッセ自身が編んだ作品というわけではないが、幼い頃に蝶の収集に熱を上げていたことのあるヘッセが抱いていた蝶への思いがよく表されている一冊であると思う。
ヘッセという作家の中に占める蝶の位置付けの重要さはもちろんのこと、読者は蝶の美しさをも、再認識させられることだろう。

本書『蝶』は、制作年代の非常に幅広い、九つの散文と十一の詩から成っている。
インドでの体験を綴った散文、蝶のはかない命をうたった詩など、いずれもヘッセらしい哀愁に満ちたものが多く、それだけ味わい深いものばかりだ。
中でも、幼き日の思い出を語った『クジャクヤママユ』という散文が最も私の心に残っている。
ヘッセを好きな読者であれば、それぞれお気に入りの作品が見つかるに違いない。

『蝶』にはたいへん多くの蝶の挿絵や写真が入っているのもうれしい。
蝶といえばその姿形はもちろんのこと、極彩色の羽の帯びる美しさも最大の魅力の一つであるが、本書には彩色された銅版画がカラー版ならではの美しさをもって印刷されている。
蝶に詳しい方は興味を持って眺められることだろうし、私のように具体的な蝶の名称にきわめて疎い人間でも、ヘッセの散文や詩文を鑑賞する際の大きな助けとなってくれる。

ヘッセ自身の編集による本ではないから当然といえば当然かもしれないが、『』と同じく、この『蝶』も決してヘッセの代表的な作品には数えられることがない。
とはいえ、『蝶』にはテーマを絞った本特有の楽しみがあり、ヘッセのファンであれば一読の価値がある本だと思う。

『ヘッセ詩集』 ヘルマン・ヘッセ(新潮文庫)

ヘッセ詩集 (新潮文庫)ヘッセ詩集 (新潮文庫)
(1950/12)
ヘッセ

商品詳細を見る

書名:ヘッセ詩集
著者:ヘルマン・ヘッセ
訳者:高橋 健二
出版社:新潮社
ページ数:211

おすすめ度:★★★★




車輪の下』や『デミアン』といった小説作品で有名なヘッセは、同時に現代のドイツ語圏を代表する詩人でもある。
そんなヘッセの詩作品の中から有名なものを150点ほど抜粋し、ほぼ時代順に配列したものがこの『ヘッセ詩集』だ。
ヘッセ自身が選抜して刊行した詩集ではないものの、文庫本という手軽さながら、詩人ヘッセの輪郭を把握する上で最適の一冊であると思うので、ヘッセの詩作品に興味のある方にはまず本書をお勧めしたい。

『ヘッセ詩集』は、詩人としてのヘッセを、『処女詩集』、『孤独者の音楽』、『夜の慰め』、『新詩集』、これらの詩集とその発表前後という四つの時期に区分し、それぞれ代表的な作品を集めた本であり、ヘッセの五十年以上に及ぶ詩人としての生涯を通覧できるように構成されている。
ヘッセの詩の特長として感じられるのは、社会からはみ出たアウトサイダーの孤独をうたったものが多いという点ではなかろうか。
はかないものの美しさをうたった詩や、恋愛に関する抒情詩もないわけではないが、小説作品においてと同様、ヘッセは恋愛感情よりも自己の精神のあり方を徹底的に見つめた詩人ということなのだろう。
それだけに悲しく、切ない詩風ではあるが、深刻に思い悩むヘッセの思いがひしひしと伝わってくるような気がするし、世の中から孤独を感じる人々がいなくならない限り、ヘッセの詩はいつまでも新鮮味を保ち続けるに違いない。

この『ヘッセ詩集』には、ヘッセの詩や散文を集めた『』や『』に収録されている作品と重複するものも散見するが、一定のテーマで絞り込んでいないだけに広くヘッセの詩作品を鑑賞できるこの『ヘッセ詩集』のほうが、より一般の読者向けなのではないかと思う。
ヘッセの詩に興味のある方はもちろん、ドイツの詩に関心のある方にも、本書『ヘッセ詩集』は非常にお勧めできる一冊だ。

『少年の日の思い出 ヘッセ青春小説集』 ヘルマン・ヘッセ(草思社)

少年の日の思い出 ヘッセ青春小説集少年の日の思い出 ヘッセ青春小説集
(2010/12/21)
ヘルマン・ヘッセ

商品詳細を見る

書名:少年の日の思い出 ヘッセ青春小説集
著者:ヘルマン・ヘッセ
訳者:岡田朝雄
出版社:草思社
ページ数:200

おすすめ度:★★★★




車輪の下』に代表される、ヘッセの若い頃の作品4点を収録したのが本書『少年の日の思い出 ヘッセ青春小説集』だ。
表題作の他に、『ラテン語学校生』、『大旋風』、『美しきかな青春』の3編が収められており、特に『美しきかな青春』はヘッセの代表的な中編作品でもあるので、ラインナップは充実しているといえるだろう。
副題にもあるようにヘッセの青春小説を集めたということで、情感豊かな主人公は多くの読者の共感を得るに違いない。
いずれの作品からも後期のヘッセに見られるような難解な思想性は感じられず、たいへん読みやすいのが特徴でもある。

『少年の日の思い出』は、蝶の採集に夢中になっていた少年のエピソードである。
10ページそこそこの小品ながら、読む者の胸を打つ力は決して小さくはないはずだ。
ヘッセの蝶にまつわる散文・詩作品を集めた『』に収録されている『クジャクヤママユ』を改稿したものが『少年の日の思い出』らしいが、その『』のほうはずいぶん前から廃刊とのことなので、多少の異同はあるにせよ、本書によって再び日の目を見た作品といえるだろう。
青春は美わし (新潮文庫)青春は美わし (新潮文庫)
(1954/10)
ヘッセ

商品詳細を見る

併録されている作品のうち、『美しきかな青春』は新潮文庫でいうところの『青春は美わし』と訳者は違えど同じ作品であり、こちらの文庫版にはさらに『ラテン語学校生』も訳出されているため、『少年の日の思い出』とたいへん似通った一冊となっている。
肝心の『少年の日の思い出』こそ載っていないが、いっそう手頃な形でヘッセの青春小説を味わいたい方にはこちらもお勧めだ。

『少年の日の思い出』は、長きにわたって複数の中学の国語教科書に採用されていて、それが現在でも続いているらしい。
私自身は不幸にして『少年の日の思い出』を採用していない教科書で学んだらしく、『少年の日の思い出』にまつわる、それこそ少年の日の思い出は一つも持ち合わせていないのだが、読者の中には懐かしい気持ちを胸にしながら読まれる方もおられるのではなかろうか。
仮に『少年の日の思い出』を知らずとも、ヘッセの描く甘く、そしてほろ苦い青春の一ページは、読者の追憶を誘ってやまないことだろう。

『幸福論』 ヘルマン・ヘッセ(新潮文庫)

幸福論 (新潮文庫)幸福論 (新潮文庫)
(1977/01/27)
ヘルマン ヘッセ

商品詳細を見る

書名:幸福論
著者:ヘルマン・ヘッセ
訳者:高橋 健二
出版社:新潮社
ページ数:252

おすすめ度:★★★☆☆




歳を経るごとに、少なくとも数の面においては小説作品の執筆が減っていったヘッセだが、そんな彼の晩年の随想を、表題作をはじめとする全十三編を収録したものがこの『幸福論』だ。
本の紹介では全十四編と言われているが、そのうちの一つはヘッセが日本の読者に向けて書いた短い序文であるため、随想の数には入れなくともよいのではないかと思う。 
『幸福論』自体は20ページに満たない小品であり、同じく『幸福論』との表題で知られるアランやラッセルの作品のように「人間の幸福とは」といった明確な主題で貫かれている本ではないので、それだけ気楽に読める随想集であるが、ヘッセの人生哲学が直截的な言葉で語られている作品を求める方には期待外れとなるかもしれない。

『幸福論』は、『晩年の散文』と『過去を呼び返す―晩年の散文、後編』という二つの散文集から採った随想で成っている。
いずれの随想も老いを意識した老大家の、とはいえヘッセが自ら文豪を気取るようなことは決してないのだが、老境に達した作家が過去の出来事や自身の小説作品について振り返るものが多く、ヘッセの小説に親しんだ読者であれば大いに興味を持って読めるに違いない。

しかし、裏を返せば『車輪の下』などのヘッセの作品をある程度知っておかないと、何のことを言っているのかわかりにくい言及も多いので、ヘッセを初めて読む方には不向きな本であるといえる。
たとえば、収録作品の一つである『マウルブロン神学校生』などは、タイトルを読んでピンとくる読者とそうでない読者との間で読後の印象にかなりの開きがあるはずだ。
そういうわけで、ヘッセの他の作品も読んでみようと考えておられる方には、『幸福論』を後回しにされることをお勧めしたい。

閑居を望んだヘッセ、死を間近に意識しているヘッセ、優しくそして繊細なヘッセ・・・。
哀愁漂う『幸福論』には、当然のことながら小説作品以上にヘッセの人物像が浮き彫りになっている。
ヘッセのファンであれば、ぜひ手にしてみていただきたい一冊だ。

『知と愛』 ヘルマン・ヘッセ(新潮文庫)

知と愛 (新潮文庫)知と愛 (新潮文庫)
(1959/06)
ヘッセ

商品詳細を見る

書名:知と愛
著者:ヘルマン・ヘッセ
訳者:高橋 健二
出版社:新潮社
ページ数:495

おすすめ度:★★★★




ヘッセ円熟期の長編小説である『ナルチスとゴルトムント』は、日本では『知と愛』というタイトルで知られている。
ヘッセの芸術論、人生論が盛り込まれた作品で、思弁的な色合いも濃いめとなっており、いくらか難解に思われる読者もいるかもしれないが、思想性の深みのゆえに読み応えは十分だ。
ヘッセにしては長めの長編作品となるが、全体の構成も非常に整っていて、読者にその完成度の高さを感じさせることだろう。

『知と愛』は、若くして教師の役を務め、修道院で人生を送ることを予感している学者肌の優等生ナルチスの元へ、活気に満ちた人好きのする少年ゴルトムントが、一人の生徒としてやってくるところから始まる。
自らも修道院に身をうずめようと考えていたゴルトムントだったが、ナルチスとの出会いが彼に影響を及ぼしだして・・・。

それにしても、ヘッセほど原題とは異なったタイトルが普及している作品の多い作家も珍しいのではなかろうか。
『ペーター・カーメンチント』が『郷愁』と、『ゲルトルート』が『春の嵐』と、そしてこの『ナルチスとゴルトムント』が『知と愛』という邦訳題名をそれぞれ付されている。
訳者がその作品のテーマを汲んで新たに命名することで、「郷愁」であったり「知」と「愛」という観念に対して、作家が意図していない比重がかかるように思うので、私は個人的にオリジナルのタイトルからかけ離れた訳題があまり好きにはなれないのだが、どちらかといえば時流は原題を尊重する方に傾いているようなので、ヘッセのこれらの作品もいずれは片仮名表記のタイトルが浸透してくるのかもしれない。
決して一読者としてさんざん恩恵を被っている高橋健二氏の功労を軽視しているわけではないのだが、特に『ナルチスとゴルトムント』の場合のように、原題からも何らかのイメージをつかみうる場合においては、なおのこと惜しい気持ちがしてしまう。

どこかでヘッセ自身が『知と愛』は不道徳な作品だとの非難を受けたというようなことを記していたように記憶しているが、確かに主人公の純情さが胸を打つことの多いヘッセの若い頃の作品とは、少々毛色が異なっている。
しかし、それは裏を返せば、若かりし頃には書きえなかった作品ということなのだろう。
人生の酸いも甘いも経験し、人一倍悩める魂を持っていたヘッセの一つの到達点を窺い知ることのできる作品として、ヘッセに興味のある方すべてにお勧めしたいと思う。

『ヘッセの水彩画』 ヘルマン・ヘッセ(コロナ・ブックス)

ヘッセの水彩画 (コロナ・ブックス)ヘッセの水彩画 (コロナ・ブックス)
(2004/09)
ヘルマン ヘッセ

商品詳細を見る

書名:ヘッセの水彩画
著者:ヘルマン・ヘッセ
訳者:高橋 健二等
出版社:平凡社
ページ数:121

おすすめ度:★★★☆☆




静かな暮らしを望んだヘッセは、趣味という域を超えるほどに水彩画を描くことを愛好していたが、そんなヘッセの水彩画数十点を集めたのが本書『ヘッセの水彩画』である。
生涯において数千点の水彩画を描いたとされるヘッセの水彩画のうち、掲載されているのはほんの一部分に過ぎないのだが、カラーで複数の作品を見ることのできる機会は決して多くないことを思えば、貴重な一冊であるということができる。
本書の著者はいちおうヘッセということになっているものの、ヘッセ自身がこの本のために書き下ろした文章はなく、あくまで便宜上ヘッセの名前を戴いているととらえるしかないが、ヘッセのファンであれば興味深く鑑賞することができるだろう。

プロの画家と比べれば絵筆を操る技量に関して劣る部分があるのはやむをえないにせよ、ヘッセの心境を映したかのような柔らかな色合いは、見ているこちらの心をも落ち着かせてくれる。
本書のページを繰っているうちに、ヘッセが愛したスイスの田舎の風景に、読者も強い憧れを感じないではいられないのではなかろうか。
また、『ヘッセの水彩画』には『シッダルタ』や『郷愁』もその抄訳が掲載されているが、それらはほんの数ページにすぎないし、抄訳というよりはむしろ抜粋であり、ネタばれというほどでもないので、それらの作品の前に本書を読んでもまったく問題はないように思う。

かつて、ヘッセが水彩画に打ち込んでいた時期があるというのを知った時、私は少しもったいないという気持ちを抱いたものだ。
詩人や小説家としてあれほどの才能を持ち合わせているのだから、絵を描いている時間を小説を書くことに費やしていてくれれば、我々を感動させる新たな傑作が生まれたのかもしれないのに、と思ったのだ。
今ではそういう自己中心的もしくは鑑賞者中心的な考え方はあまりしなくなってきたが、『ヘッセの水彩画』を読んで、というより眺めていると、詩作品や小説作品と同様、ヘッセの水彩画は結局ヘッセのファンを楽しませているのだなと感じさせられた。
ヘッセの作家として以外の顔に興味を持ち、ヘッセの水彩画の世界を覗いてみたいという方にお勧めの一冊だ。

『クヌルプ』 ヘルマン・ヘッセ(新潮文庫)

クヌルプ (新潮文庫)クヌルプ (新潮文庫)
(1970/11)
ヘッセ

商品詳細を見る

書名:クヌルプ
著者:ヘルマン・ヘッセ
訳者:高橋 健二
出版社:新潮社
ページ数:130

おすすめ度:★★★★




車輪の下』ほどではないにせよ、ヘッセの作品としては非常によく読まれている部類に入る中編小説がこの『クヌルプ』である。
散文を書いてもどうしても詩的になってしまうヘッセならではの文章の美しさが如実に表れている作品で、「クヌルプの生涯の三つの物語」との副題にもかかわらず、ストーリーの進行が主人公の生涯を物語る一般的な小説のそれとは若干異なっていることもあってか、独特の味わいのある作品に仕上がっているように思う。
ヘッセらしさが存分に発揮された作品の一つなので、ヘッセに関心のある方であればぜひ読んでみていただきたい。

定職を持たず、日々を放浪のうちに過ごしているクヌルプ。
人懐っこい性格と美しい顔立ちのおかげで会う人皆から好かれる彼であったが、周りの人々はクヌルプの埋もれたままにされた才能を惜しんでやまない。
もっと違う生き方をすればよかったのに、と・・・。

『クヌルプ』は、ヘッセが得意とする放浪者、社会のはみ出し者を描いた作品であるが、岩波文庫版では『漂泊の魂―クヌルプ』という表題とされていることからも察せられるように、クヌルプという一個の人間の人生を描き出すだけにとどまらず、より普遍的な魂の領域にまで踏み込んだ作品となっていて、どこか『荒野のおおかみ』や『知と愛』を思わせる深いところがある。
執筆時期からすれば『クヌルプ』はヘッセの初期の作品に分類されるのであろうが、内容上は中期以降の作品と密接に結びついているようなので、ヘッセという作家を考えるうえで貴重な作品の一つとなるのではなかろうか。

印象的な結末を迎えることの多いヘッセの小説の例にもれることなく、『クヌルプ』の結末もまた秀逸なものとなっている。
幻想的な雰囲気さえたたえた『クヌルプ』、あまりにもヘッセ風の作品であるため、ひょっとすると初めてヘッセを読む方には不向きなのかもしれないが、すでに数冊ヘッセの作品に触れた方であれば、『クヌルプ』を読まないでいるのはとてももったいないことであるように思う。

『ヘッセの読書術』 ヘルマン・ヘッセ(草思社)

ヘッセの読書術ヘッセの読書術
(2004/10)
ヘルマン ヘッセ

商品詳細を見る

書名:ヘッセの読書術
著者:ヘルマン・ヘッセ
訳者:岡田 朝雄
出版社:草思社
ページ数:238

おすすめ度:★★★☆☆




フォルカー・ミヒェルスの編集による、読書にまつわるヘッセのエッセイ十数編を集めた本がこの『ヘッセの読書術』である。
原書は本訳書の三倍以上の分量を誇る大部となっているようだが、この『ヘッセの読書術』は単行本としてちょうどいいサイズに仕上がっているし、原書がそもそも選集であるから、そこから主立ったものを抜粋して訳出した本書が読者に物足りなさを感じさせることは少ないのではなかろうか。

『ヘッセの読書術』とはいっても、当然ながらヘッセが古今の文学作品をどう読むべきかについて厳かに教示を垂れるというスタンスの本ではない。
ヘッセはあくまで個々の人間と個々の作品との間の個別の関係性を重視しているようで、そして本書で最長となる紙幅を占める「世界文学文庫/世界文学文庫リスト」において、文学世界に対する教養を深めていくうえでお勧めの作品群を紹介してくれている。
個別の作家や作品に対して多くを語ることはないものの、作家名や作品名は非常に多くのそうそうたる名前が挙がるので、世界文学、そして特にドイツ文学に造詣の深い読者が接すると、いっそうの面白みを引き出すことのできるエッセイであるはずだ。
そうはいっても、本書には他にも「書物とのつきあい」や「言葉」といった少々堅いめのテーマのものや、「保養地での読みもの」や「本のほこりを払う」のように比較的気楽に読み流すことのできるエッセイも含まれているため、ヘッセを、そして本を愛する気持ちのある方であれば、誰もが興味深く読める一冊であるに違いない。

『ヘッセの読書術』の収録作品の執筆年代は50年以上という広きにわたっている。
また、しばしば日本に言及される部分もあり、日本の読者の関心を引き付けることだろう。
本を好きな人のための本、さらに本を読む気にさせる本があるとすれば、この『ヘッセの読書術』こそがそれであるように思う。

『空の旅』 ヘルマン・ヘッセ(ゼスト)

空の旅空の旅
(1999/04)
ヘルマン ヘッセ

商品詳細を見る

書名:空の旅
著者:ヘルマン・ヘッセ
訳者:天沼 春樹
出版社:ゼスト
ページ数:180

おすすめ度:★★☆☆☆




ヘッセの残した随想や詩などをテーマ別に編んだフォルカー・ミヒェルスによるヘッセのアンソロジーの一冊がこの『空の旅』である。
生身の人間を置き去りにして突き進んでいく文明社会に警鐘を鳴らしていたヘッセにしてはやや意外なことに思われるかもしれないが、その安全性が多くの人々から危惧されている時代に、彼はきわめて積極的に飛行船や飛行機に乗って空を旅していた。
その時の体験を綴ったものを中心に編まれた作品が本書『空の旅』だ。

空に、そして雲に強く憧れ続けたヘッセは、命の危険を冒して空に挑むパイロットたちに、詩人と同様、未知の領域に踏み込む冒険者としての親近感を持っていたようである。
上空から下界を見下ろすヘッセの口から洩れるいくらかとげのある言葉も、いかにもヘッセらしいと言えるのではなかろうか。

本書のお勧め度を★★と、やや低めの評価にせざるをえないのは、ヘッセの執筆部分がきわめて少ないという一事によっている。
全体で180ページの本書において、ヘッセのエッセイや詩を訳出した部分は50ページそこそこしかなく、そこに原著の編者であるミヒェルスの「飛行機に乗ったヘルマン・ヘッセ」というヘッセと空とにまつわるエピソードを紹介した文章と訳者のあとがきが続き、そして最後に、とはいっても割合から言えばそれは本書のおよそ半分を占めるのだが、飛行船のパイオニア的存在であるツェッペリン伯に関して訳者が物した「ツェッペリン年代記」が掲載されているといった具合で、どこかフェルメールの作品が一点しか来日していないフェルメール展のような印象を受ける本なのである。
フェルメール展の場合はフェルメールの作品がほとんど来ていないことを見に行く人が事前に予想できるだろうが、著者の名にヘルマン・ヘッセを戴いている本書の場合、ヘッセの手になる文章の少なさは読者を大いに失望させるのではなかろうか。

『空の旅』は現在、アマゾンで非常に手頃な値段で中古品が売られてはいるが、空に対しての憧れやその美しさをテーマとしたヘッセのアンソロジーをお探しの方には、同じくミヒェルスの編集による『』の方を強くお勧めしたいと思う。

『メルヒェン』 ヘルマン・ヘッセ(新潮文庫)

メルヒェン (新潮文庫)メルヒェン (新潮文庫)

書名:メルヒェン
著者:ヘルマン・ヘッセ
訳者:高橋 健二
出版社:新潮社
ページ数:199

おすすめ度:★★★☆☆




ヘッセの創作した童話を集めたのが本書『メルヒェン』である。
童話を集めているとは言っても、収録作品の全部が全部、子供でも楽しめるいわゆるメルヘンチックな作品かというとそうでもなく、中には少々堅苦しい内容のものもあるので、あまり軽い気持ちで手にすると期待外れとなるかもしれない。

本書には、『アウグスツス』、『詩人』、『笛の夢』、『別な星の奇妙なたより』、『苦しい道』、『夢から夢へ』、『ファルドゥム』、『アヤメ』の八作品が収録されている。
いずれも10ページから30ページ程度の作品となっており、メルヘンの要素の一つである幻想性に富んだものが多いが、その反面、寓意が不鮮明な『苦しい道』や、シュールレアリスム的な『夢から夢へ』の場合は、今日の日本人の一般的な感覚に従えば、「メルヘン」であると判断するのはさすがに少し無理があるような気もする。

しかし、『メルヒェン』の収録作品にヘッセらしさが表れていることは否定のしようもない。
ヘッセ文学にとってのキーワードとも言うべき、旅や漂泊が頻繁に取り上げられていることは注目に値するだろう。
また、中国を舞台とした『詩人』からは、ヘッセを特徴付ける東洋志向が窺えると言える。
本書の収録作品には、第一次大戦中に執筆されたものが少なくないようで、しばしばヘッセの暗澹たる内面が浮き彫りにされてしまっているのも、ヘッセらしいと言えばヘッセらしいことである。

本書の収録作品から、ヘッセの築いた文学作品の総体を予想することは不可能だが、ワイルドやトルストイもそうであったように、童話や民話というジャンルの作品を残したということ自体は、少なくともヘッセという作家を構成している一つのエッセンスになっていると言えるのではなかろうか。
安価な文庫本での入手も可能なことだし、ヘッセに関心を抱く方であれば手にする価値のある一冊だと思う。

『人は成熟するにつれて若くなる』 ヘルマン・ヘッセ(草思社文庫)

文庫 人は成熟するにつれて若くなる (草思社文庫)文庫 人は成熟するにつれて若くなる (草思社文庫)

書名:人は成熟するにつれて若くなる
著者:ヘルマン・ヘッセ
訳者:岡田 朝雄
出版社:草思社
ページ数:250

おすすめ度:★★★★




85歳でその生涯を閉じたヘッセによるエッセイや詩を集めた詩文集がこの『人は成熟するにつれて若くなる』である。
本書はヘッセ自身が編纂したものではなく、『ヘッセの読書術』などと同様、ヘッセの研究者の一人であるミヒェルスがヘッセの作品をテーマに沿って編んだものの翻訳となっている。
表紙もその一例であるが、本書には写真が多数掲載されているので、晩年のヘッセとその暮らしのイメージを得やすいというのが本書の長所と言えるだろう。

本書の場合、内容に関する誤解を招きやすいタイトルになっているかもしれない。
「成熟するにつれて人はますます若くなる」というヘッセの書いた文言があるのは事実だが、本書の内容がすべてその逆説に沿って書かれているというわけではないからである。
どちらかといえば、死を親しく迎え入れる従容とした態度がヘッセの主な立脚点となっているという印象を受けるのは、おそらく私だけではないだろう。

一般的に、代表作の『車輪の下』や『デミアン』などが青年向けの作品であると言われがちのヘッセではあるが、本書『人は成熟するにつれて若くなる』は、その逆に年配の方へのメッセージ性が強い作品であると思われる。
私自身、老境に入るにはまだかなりの時間的ゆとりがあり、そういう意味では当事者として判断できているわけではないのだが、既に山あり谷ありの長い人生を経てきた方であれば、本書に描かているヘッセの心的態度に共感する点が数多く見つかるのではないかと私は想像している。

今は文庫本として出されている『人は成熟するにつれて若くなる』ではあるが、かつて単行本が出版された時には、けっこうな注目作品となったらしい。
ヘッセによる物柔らかな筆致の心地よさを備えた本書は、そのような注目にふさわしいものと言える。
若い頃にヘッセを読んでヘッセに興味を持っていて、さらに自身の成熟を感じる年頃に達した方にこそ、最も強くお勧めしたいと思う。

『庭仕事の愉しみ』 ヘルマン・ヘッセ(草思社文庫)

文庫 庭仕事の愉しみ (草思社文庫)文庫 庭仕事の愉しみ (草思社文庫)

書名:庭仕事の愉しみ
著者:ヘルマン・ヘッセ
訳者:岡田 朝雄
出版社:草思社
ページ数:382

おすすめ度:★★★★




庭にまつわるヘッセの詩やエッセイ、さらには小説から手紙に至るまでを集めたのが本書『庭仕事の愉しみ』である。
都会から離れた田舎での暮らしを好み、非常に多くの時間を庭いじりに割いていたヘッセは、玄人と呼んでもよいほどの熱心な園芸家でもあった。
『庭仕事の愉しみ』は、そんなヘッセの自分の庭に対する強い思い入れが如実に見て取れる本となっている。

本書に収められているたいていの作品は10ページ未満の小品であるが、例外的に、叙事詩『庭でのひととき』、小説断片『夢の家』と童話『イーリス』は、いずれも30ページ以上あり、これらの作品は質的に見ても本書の中心的存在と言えるだろう。
このうち、童話の『イーリス』は、新潮文庫の『メルヒェン』にも『アヤメ』というタイトルで収録されていて、ヘッセの童話作品の中では代表的なものに数えられるようだ。
また、未完の小説の断片に過ぎないとはいえ、『夢の家』からはヘッセの自伝的要素が随所に透けて見えるようで、読者は非常に興味深いと感じるのではなかろうか。

本書には、ヘッセの写真だけではなく、ヘッセの描いた水彩画も数点、カラーで収められており、我々の目を楽しませてくれる。
ヘッセの詩と、ヘッセ自身によって描かれて詩に添えられた絵を同時に見ることができるというのは、ヘッセに興味ある人にはやはりうれしいものである。

『庭仕事の愉しみ』のようにテーマが限定的な詩文集は、実際に庭いじりをしている方のほうがより一層の共感を持って読み進めることができるはずだが、『庭仕事の愉しみ』の場合は、必ずしも庭仕事に愉しみを見出していない方でも面白いと感じることのできる内容になっていると思う。
むしろ、自らの庭を持つことのできない都会暮らしの人にこそ、お勧めすべき本なのかもしれない。
カテゴリ
PR
最新記事
RSSリンク