『トリストラム・シャンディ』 ロレンス・スターン(岩波文庫)

トリストラム・シャンディ 上 (岩波文庫 赤 212-1)トリストラム・シャンディ 上 (岩波文庫 赤 212-1)
(1969/08/16)
ロレンス・スターン

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トリストラム・シャンディ 中 (岩波文庫 赤 212-2)トリストラム・シャンディ 中 (岩波文庫 赤 212-2)
(1969/09/16)
ロレンス・スターン

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トリストラム・シャンディ 下 (岩波文庫 赤 212-3)トリストラム・シャンディ 下 (岩波文庫 赤 212-3)
(1969/10/16)
ロレンス・スターン

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書名:トリストラム・シャンディ
著者:ロレンス・スターン
訳者:朱牟田 夏雄
出版社:岩波書店
ページ数:400(上)、378(中)、319(下)

おすすめ度:★★★★★




スターンの傑作長編、『トリストラム・シャンディ』。
いかにもイギリスらしいユーモアに満ちた作風は、フィールディングやディケンズと並び、伝統的なイギリス文学の系譜の一角を成している。
イギリス文学、ひいては世界の文学の中でも、他の作家には到底真似のしようがない独特の作品で、まさに奇作と呼ぶにふさわしいのが、スターンの代表作であるこの『トリストラム・シャンディ』だ。

トリストラムの生涯を描くというのが小説の本筋なのだが、脱線に次ぐ脱線でトリストラムの生涯の方はなかなか進まない。
だがその脱線がなにしろ面白いので、バルザックのような作家のうんちく披露のための脱線とはわけが違い、早く本筋に戻ってくれないものかと期待することもなく、読者は次から次へとページを繰ることができる。
『トリストラム・シャンディ』は岩波文庫から3分冊で発行されているが、おそらくすぐに読み終わってしまうことだろう。
ただ一つ非常に残念なのは、スターンの死により作品が完結していないということだ。
しかし、途中で終わるとわかっていても独特な作風は十二分に楽しめる作品なので、欧米文学に興味のある方には強くお勧めしたい。

今日の日本ではあまり知名度も高くなく、さほど広く読まれている作品であるとも思わないが、『トリストラム・シャンディ』の登場人物に対する言及は、18、19世紀の他の作家の作品にしばしば見受けられるし、ジョイスなど20世紀の作家への影響も指摘されている。
私の読後の率直な感想は、なぜこんなに面白くもあり興味深くもある作品が日本でもっと有名にならないのだろうか、といったものだった。
「イギリス文学」のカテゴリーを追加するにあたり、一番最初に紹介する作品として『トリストラム・シャンディ』を選んだのも、その気持ちがいまだに根強く存在するからだ。

岩波文庫によくあることだが、この『トリストラム・シャンディ』も時折再版されてはいるものの、常に在庫があるわけではないので、在庫があるときにぜひ買われることをお勧めしたい。
他では味わえないオリジナリティあふれる小説に触れることができるはずだ。
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『センチメンタル・ジャーニー』 ロレンス・スターン(岩波文庫)

センチメンタル・ジャーニー (岩波文庫 赤 212-4)センチメンタル・ジャーニー (岩波文庫 赤 212-4)
(1952/10/25)
スターン

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書名:センチメンタル・ジャーニー
著者:ロレンス・スターン
訳者:松村 達雄
出版社:岩波書店
ページ数:214

おすすめ度:★★★★




ロレンス・スターン晩年の作品がこの『センチメンタル・ジャーニー』だ。
『センチメンタル・ジャーニー』だけでも十分鑑賞に値するが、『トリストラム・シャンディ』と重複する部分もあるので、どちらか一方を選ぶというのであれば、『トリストラム・シャンディ』を読むべきだろう。

『センチメンタル・ジャーニー』は、『トリストラム・シャンディ』に登場する牧師ヨリックのフランスでの体験記という形式を採っているが、スターンは牧師であったし、静養のために大陸旅行を経験してもいるので、スターンがヨリックの名を借りて自らの体験をつづっているとする見方が一般的のようだ。
トリストラム・シャンディ』と同じくゆったりとした進みぶりで、こちらもまた未完に終わってしまったが、スターンの文章が帯びるしっとりとした味わい深さは備えている。

スターンの魅力は、独特なユーモアセンスだけではなく、人情味あふれる筆致にもある。
人情味を素直に表現しすぎるあまり、牧師のくせにずいぶんとふしだらな人間だと評されることもあるようだが、同じ牧師が書いたものでも説教集なんかよりはよほど人間的で面白い作品に仕上がっているのは間違いない。
『センチメンタル・ジャーニー』には、牧師ならではの他者を慮る気持ちも表れているし、病を患う人間ならではの線の細さも感じられる。

朝日出版社からも小林亨氏の翻訳で出版されていて、実を言うと私が読んだのはそちらの方なので、岩波文庫版の『センチメンタル・ジャーニー』は確認したことがない。
版が古いので活字の古さや多少の読みにくさはあるのかもしれないが、朝日出版社の方はアマゾンに登録されていなかったので、岩波文庫版を紹介せざるをえないというのが現状だ。
そしてその岩波文庫版も長らく欠品が続いている。
漱石も高く評価していたスターンが、日本で日の目を見るときはやってこないのだろうか・・・。

職業作家ではなかったスターン、体調を崩しがちだったスターンの小説作品は、いずれも未完の『トリストラム・シャンディ』と『センチメンタル・ジャーニー』だけであるから、バルザックやディケンズなんかと比べるとはるかに簡単に読破できる。
優しさと温もりのあふれるスターンの小説を、ぜひ読破していただきたい。

『ボズのスケッチ 短編小説集』 ディケンズ(岩波文庫)

ボズのスケッチ―短篇小説篇〈上〉 (岩波文庫)ボズのスケッチ―短篇小説篇〈上〉 (岩波文庫)
(2004/01/16)
ディケンズ

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ボズのスケッチ 短編小説集(下) (岩波文庫)ボズのスケッチ 短編小説集(下) (岩波文庫)
(2004/02/17)
ディケンズ

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書名:ボズのスケッチ
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:藤岡 啓介
出版社:岩波書店
ページ数:281(上)、302(下)

おすすめ度:★★★☆☆




イギリスの国民的作家といえばチャールズ・ディケンズだが、新聞や雑誌に掲載された最も初期の短編を集めたのがこの『ボズのスケッチ』で、これをディケンズのデビュー作と考えてもそう大きな誤りとは言えないだろう。
ディケンズは長編のイメージの強い作家だが、短編にも味わい深い作品を残していると知ることのできる短編集だ。

ディケンズという作家は、後期の作品と比べると初期の頃の作品の方が全体的に明るく、世界を楽観視しているような印象を受けやすいが、『ボズのスケッチ』でもやはりその特徴は顕著だ。
そのような作風を作家の未熟ととらえることもできるかもしれないが、私はそれを作家デビューという輝かしい第一歩を踏み出した青年ディケンズの気分の反映なのではないかと思う。
ディケンズの十八番である優しさに満ちたユーモアは表れているし、それぞれの話が短いので、読みやすさはディケンズの全作品の中でも屈指だろう。

そうはいっても、ディケンズの醍醐味はやはり長編作品でこそ発揮されているのではなかろうか。
強引なストーリー展開や、女性の描写が画一的であるなど、欠点はいろいろと指摘されるし、確かに専門家の批評眼を持たずとも疑問点を抱かずにはいられない作品が多いのは事実だが、それでもディケンズの長編小説は一つ読み終えればその他も読みたくなるという、読者を惹きつけてやまない魅力を存分に持っている。
もし今までディケンズを読んだことのない人がディケンズの小説を何か読んでみたいと言うのであれば、私は何の迷いもなく長編作品を強くお勧めすることだろう。

『ボズのスケッチ』に関して言えば、優れた短編集だから翻訳されたというよりは、かの文豪ディケンズの短編集だからという理由で翻訳されたような感が拭いがたい。
決して出来の悪い作品集ではないのだが、『ボズのスケッチ』はディケンズを楽しむ上で補助的な役割を担う作品のように思えるので、『オリヴァー・ツウィスト』や『デイヴィッド・コパフィールド』などの代表作に触れた後で読んでみてほしい。
そうすれば『ボズのスケッチ』はディケンズという作家に味を付けるいい薬味になると思う。

『ピクウィック・クラブ』 ディケンズ(ちくま文庫)

ピクウィック・クラブ〈上〉 (ちくま文庫)ピクウィック・クラブ〈上〉 (ちくま文庫)
(1990/02)
チャールズ ディケンズ

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ピクウィック・クラブ〈中〉 (ちくま文庫)ピクウィック・クラブ〈中〉 (ちくま文庫)
(1990/03)
チャールズ ディケンズ

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ピクウィック・クラブ〈下〉 (ちくま文庫)ピクウィック・クラブ〈下〉 (ちくま文庫)
(1990/04)
チャールズ ディケンズ

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書名:ピクウィック・クラブ
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:北川 悌二
出版社:筑摩書房
ページ数:515(上)、493(中)、497(下)

おすすめ度:★★★★★




ボズのスケッチ』がディケンズのデビュー作だとすれば、『ピクウィック・クラブ』は彼の初の長編作品であり、イギリス中にその名を知らしめた出世作でもある。
発行当時、多くの人間が連載の次の号が出るのを首を長くして待ち焦がれていたというのだから、その人気は絶大だったに違いない。

『ピクウィック・クラブ』は、ピクウィック氏という好人物を中心とした行き当たりばったりの珍道中なので、これといったメインテーマもなければ、明確な筋書きがあるわけでもない。
このことを指摘し、『ピクウィック・クラブ』は構成に難があるという向きもいるようだが、構成が悪い、もしくは構成がなかったとしても、読者を楽しませることのできる読み物というのは存在するのではなかろうか。
『ピクウィック・クラブ』がその最たる例で、分析的な視点を捨て、ただただ蛇行するストーリー展開に身を任せてディケンズ・ワールドを楽しんで欲しいと思う。
ピクウィック氏の高尚な人格、道中を共にする愉快な仲間たち、素敵な人々との出会いに加え、不運な争いに巻き込まれたりと、ふんだんに散りばめられた読みどころを読み進めていくうちに、きっと多くの人が次号を待ち焦がれていた理由がわかるに違いない。

ただ少し退屈なのは、登場人物の口を通して語られる、本筋とは関係のない物語だろうか。
セルバンテスを愛読していたディケンズらしい手法であるともいえようが、穴を開けることのできない連載という都合上、ページ数稼ぎの意図もあって、過去に仕上げた短編を放り込んでいたらしい。

ある作家の出世作というものは広く翻訳され、代表作の一つとみなされるのが普通だが、『ピクウィック・クラブ』は入手が難しいのが現状だ。
欠点こそあるものの、それを補って余りある素晴らしい作品であるのに加え、ちくま文庫版には挿絵も豊富に挿入されているので、中古品でも構わないのでぜひ読んでみていただきたい。

『オリヴァ・ツウィスト』 チャールズ・ディケンズ(岩波文庫)

オリヴァ・ツウィスト (上) (岩波文庫)オリヴァ・ツウィスト (上) (岩波文庫)
(1956/06/05)
ディケンズ

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オリヴァ・ツウィスト (下) (岩波文庫)オリヴァ・ツウィスト (下) (岩波文庫)
(1956/06/25)
ディケンズ

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書名:オリヴァ・ツウィスト
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:本多 季子
出版社:岩波書店
ページ数:342(上)、350(下)

おすすめ度:★★★★★




ディケンズの代表作として名高い『オリヴァ・ツウィスト』、読書好きであればこれは必読だ。
初期に書かれた作品であるにもかかわらず、私はこの『オリヴァ・ツウィスト』を『デイヴィッド・コパフィールド』と並びディケンズの最高傑作の一つだと思っているし、読みやすいことこの上ない作品なので、自信を持ってお勧めできる小説の一つだ。

貧しいけれども正直な子供オリヴァが救貧院や貧民街で遭遇する運・不運が、ディケンズお得意の人情味豊かなユーモアを交じえて軽妙に描き出される。
さらに、ディケンズの他の作品に出てくる悪人を含めて考えてみても、最も鮮明に記憶に残る印象的な悪人たちを輩出している。
ピクウィック・クラブ』の執筆時と比べて作家としての地位が安定していたためなのだろう、『オリヴァ・ツウィスト』の筋はよくまとまっていて、『ピクウィック・クラブ』よりも一つの作品としての完成度が飛躍的に高まっている。
そんなこんなで、長所を挙げればきりがないほどだ。
オリバー・ツイスト [DVD]オリバー・ツイスト [DVD]
(2006/06/30)
バーニー・クラーク、ベン・キングズレー 他

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ストーリーを追っていくだけでも十分に楽しめる『オリヴァ・ツウィスト』は、映像化されることもしばしばである。
右は比較的近年になって製作されたポランスキー監督の『オリバー・ツイスト』。
概ね原作に忠実に作られてあるが、後半部分は大いに端折られている。
二時間そこそこに収めないとならないという映画ならではの事情があってのことかもしれないが、原作を知っている人間が見ると少々残念な気がしないでもない。

オリヴァは正直すぎるかもしれない、あまりにいい子供すぎるのかもしれない。
しかし彼の純粋な善意が読む人の胸を打たずにはいない、『オリヴァ・ツウィスト』はそんな素晴らしい作品だ。
『オリヴァ・ツウィスト』が気に入った読者は、ディケンズも愛読していた作家であるフィールディングの代表作『トム・ジョウンズ』もぜひ読んでみていただきたい。
きっと『オリヴァ・ツウィスト』に、ひいてはディケンズの作風に通ずるところを見出してもらえることだろう。

『ニコラス・ニクルビー』 チャールズ・ディケンズ(こびあん書房)

ニコラス・ニクルビー (上)ニコラス・ニクルビー (上)
(2001/04)
チャールズ・ディケンズ

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ニコラス・ニクルビー (下)ニコラス・ニクルビー (下)
(2001/04)
チャールズ・ディケンズ

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書名:ニコラス・ニクルビー
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:田辺 洋子
出版社:こびあん書房
ページ数:518(上)、510(下)

おすすめ度:★★★★




ディケンズのニコラス・ニクルビー (特別編) [DVD]ディケンズのニコラス・ニクルビー (特別編) [DVD]
(2007/12/19)
アン・ハサウェイ、チャーリー・ハナム 他

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ピクウィック・クラブ』、『オリヴァ・ツウィスト』に次ぐ、ディケンズ3作目の長編小説がこの『ニコラス・ニクルビー』である。
比較的初期の作品だけあって、裕福だったニクルビー一家に不幸が訪れるわりには、全体は明るい調子に支配されていて非常に読みやすい。
ディケンズ後期の作品を少々重苦しいと感じられる方も、『ニコラス・ニクルビー』ならすんなり読み進めていただけることと思う。
私はまだ見ていないので紹介するのもいささかおこがましい気がしないでもないが、数年前に『ディケンズのニコラス・ニックルビー』と題して映画化されてもいるらしい。
キャスト等が豪華なので期待していい作品だと予想しているが、実際のところはまだわからない。

タイトルロールであるニコラスは、一家が零落したおかげで、若くして自活を強いられた青年である。
そこで、まずはロンドンに暮らす叔父のつてで、そしてこの叔父というのがなんともいけ好かない男なのだが、それはともかく、ニコラスは田舎の寄宿学校へ教師として赴任することが決まる。
校長一家の生徒たちに対する非道な振る舞いに直面した、実直な青年であるニコラスは・・・。
オリヴァ・ツウィスト』で救貧院を叩いたディケンズが、『ニコラス・ニクルビー』では寄宿学校へ矛先を向けたとみなさずにはいられないが、イギリス社会を少しでも良くしようという社会派作家の面目躍如たる作品であるとも言えようか。

『ニコラス・ニクルビー』には、ニコラスとその妹、そして特筆に価するのはその母だが、ある意味でディケンズ作品に典型的な人物像を多数見出すことができる。
『デイヴィッド・コパフィールド』の登場人物と対照させて読んでみるだけでも、とても興味をそそる作品になるはずだ。
プロットにやや無理がないでもないが、そこは読者の反応を見ながら自作の連載を書き進めていたディケンズのこと、小説もそれなりに奇なり、ということで大目に見てやっていいだろう。

こびあん書房の『ニコラス・ニクルビー』、現在品切れのうえに中古品もあまり出回っていないらしい。
訳文はすでに出来上がっていることだし、どこかの出版社が文庫版でも出してくれることに期待したい。

『バーナビー・ラッジ』 チャールズ・ディケンズ(集英社)

世界文学全集〈15〉バーナビー・ラッジ (1975年)世界文学全集〈15〉バーナビー・ラッジ (1975年)
(1975)
不明

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書名:世界文学全集〈15〉バーナビー・ラッジ
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:小池滋
出版社:集英社
ページ数:638

おすすめ度:★★★☆☆




ディケンズ初のミステリー風長編作品がこの『バーナビー・ラッジ』である。
連載の始まったばかりの頃に、大西洋の向こう側でエドガー・アラン・ポーが殺人の謎を解いてしまったことでも知られる作品だ。
この『世界文学全集〈15〉バーナビー・ラッジ』には、ディケンズの全小説の中で最も読まれていると思われる『クリスマス・キャロル』も併録されている。

バーナビー・ラッジは、頭の働きの鈍い純朴な少年で、ただ周りの人間に翻弄されるばかりでとにかく歯切れの悪い主人公だ。
それが原因かどうかは知らないが、『オリヴァ・ツウィスト』のオリヴァや『ニコラス・ニクルビー』のニコラスと比べると登場頻度が格段に低い。
また、推理小説草創期の作品だけあって、『バーナビー・ラッジ』の冒頭で描かれる殺人の謎は、テレビや映画などによって無数のどんでん返しに慣れてしまっている今日の読者、当時の人々よりはるかにポーの思考に接近している今日の読者には、そう真新しいものではないだろう。
そういう意味では、ミステリーとして読むには少々物足りない作品だと思う。
イギリス〈2〉/集英社ギャラリー「世界の文学」〈3〉イギリス〈2〉/集英社ギャラリー「世界の文学」〈3〉
(1990/06/20)
川村 二郎、 他

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翻訳の少ない『バーナビー・ラッジ』だが、右の『イギリス〈2〉/集英社ギャラリー「世界の文学」〈3〉』にも同じ小池先生の翻訳が収められている。
E・ブロンテ『嵐が丘』、ハーディ『ダーバヴィル家のテス』も訳出してあるのはうれしい限りだが、それだけ本の重厚感は増してしまっている。
文字サイズや印刷の綺麗さなどは非の打ち所がないのだが、全1348ページと、何しろ重たいので扱いにくいというのが欠点だ。

同時代のミステリー風の作品を読むのなら、ウィルキー・コリンズのほうがお勧めできる。
彼はディケンズとも親しく交流しており、『エドウィン・ドルードの謎』などでディケンズの作品がミステリー色を濃くしていく一因ともなったと言われているほどで、ミステリーに関してはコリンズのほうが一枚上手だろう。
ディケンズの最大の長所である巧みな人物描写も、『オリヴァ・ツウィスト』や『デイヴィッド・コパフィールド』などを上回ってはいないのではなかろうか。
失敗作とは言わないまでも、『バーナビー・ラッジ』は新品での入手が難しく、その他の傑作が素晴らしいディケンズだけに、つい他の作品をお勧めしたくなるというのが正直な感想だ。

『クリスマス・キャロル』 チャールズ・ディケンズ(光文社古典新訳文庫)

クリスマス・キャロル (光文社古典新訳文庫)クリスマス・キャロル (光文社古典新訳文庫)
(2006/11/09)
ディケンズ

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書名:クリスマス・キャロル
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:池 央耿
出版社:光文社
ページ数:192

おすすめ度:★★★★★




Disney\\\'s クリスマス・キャロル 3Dセット [Blu-ray]Disney\\\'s クリスマス・キャロル 3Dセット [Blu-ray]
(2010/11/17)
ジム・キャリー、ゲイリー・オールドマン 他

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言わずと知れたディケンズの傑作の一つである『クリスマス・キャロル』。
長編作品が中心のディケンズながら、『クリスマス・キャロル』は中編作品とあって、またおそらくは季節ものということもあって、発表以来、世界中で広く受け入れられてきている。
これまでに映画化された回数も、一つの原作としては最も多い部類に入るのではなかろうか。
右は現時点で最も新しい映画化作品である、ロバート・ゼメキス監督による『Disney's クリスマス・キャロル』だ。
一人で七役を演じ分けたジム・キャリーをはじめ、ゲイリー・オールドマン、コリン・ファースなどの名優たちが声優をしており、壮大さを感じさせる映像の美しさもなかなかのもので、比較的原作に忠実な作品としてたいへんお勧めだ。

『クリスマス・キャロル』のあらすじに複雑なところはない。
クリスマスを筆頭に、祝い事を嫌う守銭奴のスクルージがクリスマス・イヴを迎えるが、そこに亡き友人の亡霊が現われて吝嗇の空しさを説き、三人の精霊がこれからスクルージを訪れるだろうと伝える。
スクルージは現われた精霊たちと共に過去・現在・未来のクリスマスを目の当たりにするのだが・・・。
幻想的でいて感動的な、老若男女を問わず楽しめるハートウォーミングストーリーであることが、本作の人気の理由なのだろう。
人物描写は優れているものの、作品の構成力に欠けるところがあると指摘されることの多いディケンズだが、『クリスマス・キャロル』は短いだけによくまとまっているような印象も受ける。

児童向けの出版の数も多いこの名作を紹介するのに、あまり多くの言葉を費やす必要はないだろう。
それほど長い作品でもないので、ぜひ気軽に手にとって読んでみていただきたい。

『デイヴィッド・コパフィールド』 チャールズ・ディケンズ(岩波文庫)

デイヴィッド・コパフィールド〈1〉 (岩波文庫)デイヴィッド・コパフィールド〈1〉 (岩波文庫)
(2002/07/16)
チャールズ ディケンズ

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デイヴィッド・コパフィールド〈2〉 (岩波文庫)デイヴィッド・コパフィールド〈2〉 (岩波文庫)
(2002/09/18)
ディケンズ

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デイヴィッド・コパフィールド〈3〉 (岩波文庫)デイヴィッド・コパフィールド〈3〉 (岩波文庫)
(2002/11/15)
ディケンズ

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デイヴィッド・コパフィールド〈4〉 (岩波文庫)デイヴィッド・コパフィールド〈4〉 (岩波文庫)
(2003/01/16)
ディケンズ

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デイヴィッド・コパフィールド〈5〉 (岩波文庫)デイヴィッド・コパフィールド〈5〉 (岩波文庫)
(2003/03/14)
ディケンズ

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書名:デイヴィッド・コパフィールド
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:石塚 裕子
出版社:岩波書店
ページ数:446(一)、460(二)、452(三)、430(四)、449(五)

おすすめ度:★★★★★




ディケンズの代表作にその名を連ねる『デイヴィッド・コパフィールド』は、私が読んだディケンズの作品の中で最も高く評価している長編小説だ。
ディケンズ自身も気に入っていた作品らしく、デイヴィッドの職歴がディケンズと似通っていたりと、自伝的要素が最も強く反映されているため、ディケンズを知る上でもたいへん興味深い作品となっている。
ディケンズの傑作であることはもちろん、世界文学の中でも堂々たる地位を占めるにふさわしい作品であると確信しているので、強くお勧めしたい作品である。

『デイヴィッド・コパフィールド』は、ストーリーの面白さもさることながら、個性豊かな登場人物たちの描き分けが最も優れている。
ディケンズの生き写しのようなデイヴィッドの周りには、豪胆さが気持ちいい実直な男もいれば、繊細で美しい女性もいて、さらには鷹揚な大物もいれば卑屈な小者もいるという具合で、作品自体が人格の類型を集めた博覧会かのような様相を呈するほどだ。
特に注目に値するのはミコーバー氏という借金で首の回らない憎めない男で、債務者監獄に拘留された経験のあるディケンズの父親の面影を宿しているとされている。
このミコーバー氏に限らないが、『デイヴィッド・コパフィールド』の登場人物は、一部の悪人を除き、大半が非常に好感の持てる人々で構成されているので、読んでいてとても気持ちがいい。
肝心のデイヴィッドにも、時として行動力の不足を感じるときがないでもないが、彼の言動には概ね共感できるので、ストーリーの展開を心行くまで楽しむことができる。

モームは「世界の十大小説」の一つとして『デイヴィッド・コパフィールド』を挙げているが、うなずける選択である。
全5巻で2000ページ以上と、手を出すのに逡巡する分量かもしれないが、挿絵も豊富に入っているし、読みやすさや面白さは比類がない。
モームは読者が楽しめるかどうかを基準に十大小説を選抜しているわけだし、そのふるいに残った『デイヴィッド・コパフィールド』は、ディケンズの他の作品を読んだことがない読者もぜひ読むべき傑作だろう。

『二都物語』 チャールズ・ディケンズ(新潮文庫)

二都物語 (上巻) (新潮文庫)二都物語 (上巻) (新潮文庫)
(1967/02/01)
ディケンズ

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二都物語 (下巻) (新潮文庫)二都物語 (下巻) (新潮文庫)
(1967/02/14)
ディケンズ

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書名:二都物語
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:中野 好夫
出版社:新潮社
ページ数:338(上)、357(下)

おすすめ度:★★★★




パリとロンドンという、ヨーロッパを代表する二大都市を舞台にした小説が、この『二都物語』である。
フランス革命期のパリも舞台になるが、フランス革命という人類史に残る一大事件に対する言及はあくまで付随的なものでしかなく、歴史小説という呼称はふさわしくないだろう。
あくまで後期ディケンズらしい人間ドラマがメインの作品で、特にそのエンディングは感動的で、一度読めば長く読者の記憶に焼き付けられるように思う。

『二都物語』には犠牲的精神に富んだ人物が多く登場し、私には彼らの見せる誠意の美しさがとても心地よく感じられたのだが、その同じ精神の表れを行き過ぎたものとみなす読者には、『二都物語』がわざとらしい筋運びの駄作ととらえられるかもしれない。
ディケンズお得意の裁判のシーンがあったり、シェイクスピアの『ハムレット』を髣髴とさせる場面があったりと、記憶に残る場面はいくつかあるが、最大の読みどころはやはりその結末部分だろう。
たいていの作品の終幕をめでたしめでたしのエピローグ的な描写に当ててきたディケンズが、『二都物語』では一風変わったかたちで作品を閉じている。
ぜひ最後まで気を抜かず、というよりむしろ終幕が近付くに従ってより力を入れて、読み通してみてほしい。

中野好夫氏の解説は、訳者の解説にしては珍しく『二都物語』の負の面に焦点を当てている。
作品のいいところを誇張気味に述べ立てるのが訳書における解説の常道であるだけに、その中立的な立場の良し悪しは別問題としても、ここまで批判的な解説は後にも先にも読んだことがないというほどだ。
『二都物語』に満足できなかった人にはなるほどと思える記述が多いだろうが、作品の余韻に浸りたい読者は水を差されたような気持ちになるかもしれない。

この『二都物語』、おそらくはディケンズの作品の中では最も毀誉褒貶の甚だしいものの一つだろう。
確かにいくらか難点はあるし、ディケンズ最高傑作との呼び声の高い『デイヴィッド・コパフィールド』と比べれば、ディケンズの長所である人物描写にもやや劣る点があるのは否めない。
しかし、それでいて全世界で読み継がれているのがこの『二都物語』なのであり、この小説には読む人の胸を打つ力がある。
少々の欠点が気にならない人、頭より心で読む人、そんな人たちにお勧めしたい作品だ。

『大いなる遺産』 チャールズ・ディケンズ(新潮文庫)

大いなる遺産 (上巻) (新潮文庫)大いなる遺産 (上巻) (新潮文庫)
(1951/10)
ディケンズ

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大いなる遺産 (下巻) (新潮文庫)大いなる遺産 (下巻) (新潮文庫)
(1951/10)
ディケンズ

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書名:大いなる遺産
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:山西 英一
出版社:新潮社
ページ数:430(上)、450(下)

おすすめ度:★★★★




大いなる遺産 [DVD]大いなる遺産 [DVD]
(2008/10/24)
イーサン・ホーク、グウィネス・パルトロウ 他

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後期ディケンズの代表作として知られる『大いなる遺産』。
右はイーサン・ホーク、グウィネス・パルトロウに加えてロバート・デ・ニーロという豪華キャストで製作された映画『大いなる遺産』だ。
原作であるディケンズの『大いなる遺産』にあまり忠実ではなく、現代アメリカを舞台にしている翻案とでもいった作品なので、ディケンズを意識しながら楽しむのは難しいと思われるが、映画自体はよくできているほうだろう。

『大いなる遺産』は、ピップという愛称で親しまれている孤児に、とある人物が膨大な遺産、すなわち「大いなる遺産」を相続させるつもりであるとわかり、貧しかったピップの運命が大きく変化していくというのが主なあらすじだ。
財産が転がり込むという見込みによって当人はもちろん、周りの人間の振る舞いにまで影響が及ぼされる様は、少々滑稽であると同時に、印籠を見せつけた際の水戸黄門のような痛快ささえも感じられて面白い。
ディケンズ自身が貧しい身から超人気作家へという転変を経験しているわけだから、ディケンズも似たようなことを体験していたのかもしれないと思うと、作品がいっそう興味深くなってくるはずだ。

私のお気に入りは、ピップの義兄である鍛冶屋のジョーだ。
感情表現が決して上手なほうではないのだが、彼の不器用な言動には微笑ましい点が多く、非常に好感が持てる。
バーナビー・ラッジ』にも同様に職人気質の好人物が登場するし、まじめに働く労働者に対するディケンズの好意的なまなざしの表れと考えてもいいのかもしれないが、いずれにせよ、読者は不器用なジョーを応援せずにはいられないはずだ。

脱獄囚や陰惨な館、薄暗い部屋や暗闇の描写などが多く、それらが巧みに謎めいた雰囲気をかもし出しているが、それだけに小説世界全体があまり明るい調子ではなくなっていて、『オリヴァ・ツウィスト』や『デイヴィッド・コパフィールド』の楽天的なディケンズ・ワールドに親しんだ読者には、ひょっとすると期待外れだと感じられるかもしれない。
そうはいっても、ストーリーの面白さは言うまでもなく、さすがにディケンズ円熟期の作だけあって多くの伏線が仕込まれていたりと、作品としての完成度は高いように思うので、ぜひ一人でも多くの読者にディケンズが人類に遺した財産の恩恵にあずかっていただきたい。

『エドウィン・ドルードの謎』 チャールズ・ディケンズ(創元推理文庫)

エドウィン・ドルードの謎 (創元推理文庫)エドウィン・ドルードの謎 (創元推理文庫)
(1988/05)
チャールズ ディケンズ

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書名:エドウィン・ドルードの謎
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:小池 滋
出版社:東京創元社
ページ数:505

おすすめ度:★★★☆☆




ディケンズの絶筆がこの『エドウィン・ドルードの謎』で、ディケンズの他の作品の解説などでよく言及されているわりにはあまり一般に普及していないため、気にはなっているけれども読んだことがないという人も多いはずだ。
ディケンズの全作品中、殺人事件を主題にした最も推理小説的色合いの濃い作品にもかかわらず、謎解きがなされる前にディケンズは帰らぬ人となった。
「エドウィン・ドルードの謎」がまさしく謎のまま後世に残されたわけだ。

『エドウィン・ドルードの謎』は、新たな未知の人物、おそらくは探偵役を担うのであろう人物が登場したりと、まさにこれから話が面白くなっていくことを予感させる数章を最後に終わっている。
バーナビー・ラッジ』同様、それほど手の込んだミステリーではないので、たいていの読者は犯人を察することができるように書かれているが、研究者の間では諸説が飛び交っていて、中には殺人は未遂に終わったのではないかと推測している人もいるほどで、結局のところ、ディケンズがどういう結末を想定していたのかは推論の域を越え出ることがない。
読者は皆、言うなればディケンズの書き残した部分を自ら書き足さなければならない。
そしてこの作業こそが、『エドウィン・ドルードの謎』の最大の楽しみでもある。
世界文学全集〈29〉ディケンズ  エドウィン・ドルードの謎 (1977年)世界文学全集〈29〉ディケンズ エドウィン・ドルードの謎 (1977年)
(1977/04)
ディケンズ

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画像がないので恐縮だが、右は『世界文学全集〈29〉ディケンズ エドウィン・ドルードの謎』で、こちらも現在中古品しか出回っていない。
実物をこの目で確認したわけではないのだが、『エドウィン・ドルードの謎』の他に、岩波文庫版の『ディケンズ短篇集』に収録されている短編、すなわち『ピクウィック・クラブ』に挿入された短編もいくつか収められているらしい。
創元推理文庫の『エドウィン・ドルードの謎』がなかなかの高値で売られているようなので、節約派にはこちらがお勧めだ。

未完の推理小説ということで、『エドウィン・ドルードの謎』が万人に受け入れられる作品でないことは明白だが、ディケンズに興味のある読者なら必ずや面白く読めることだろう。
いつの日か岩波文庫あたりで普及版が出版されることを期待したい。
「ディケンズの絶筆」を売りにすればそこそこの部数はさばけるのではないかと思うのは、出版業界の事情に疎い素人考えなのだろうか。

『アメリカ紀行』 ディケンズ(岩波文庫)

アメリカ紀行 (上) (岩波文庫)アメリカ紀行 (上) (岩波文庫)
(2005/10/14)
ディケンズ

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アメリカ紀行 (下) (岩波文庫)アメリカ紀行 (下) (岩波文庫)
(2005/11/16)
ディケンズ

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書名:アメリカ紀行
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:伊藤弘之、下笠徳次、隈元貞広
出版社:岩波書店
ページ数:433(上)、435(下)

おすすめ度:★★★☆☆




若きディケンズがアメリカに渡り、各地を旅して回った際の記録がこの『アメリカ紀行』。
ユーモアと人間味あふれる筆致は非常にディケンズらしいところであるが、率直な感想が批判的とみなされてアメリカではこの作品は不人気だったらしい。
当時のアメリカ社会の雰囲気、特に旅行事情を知る上では貴重な資料となることだろう。

渡米当時、ディケンズの名はすでにアメリカでも広く知られていて、一般の観光客では出入りできないような場所に入ることを許されたり、会うことのできない人に会うことができたり、ただしそれと同時に、イギリスからやってきた有名人に会いたいというだけの表敬訪問をも無数にこなすことになったわけだが、いずれにせよ人気作家ならではの便宜を得ることができた。
そういうわけで、通常の旅行記とは幾分視点が異なるような印象を受ける。
普遍的というと言い過ぎだろうが、各地の上流階級の面々との触れあいや行政上の施設への視察を通して、私的な経験を綴った紀行文では達し得ない部分にまで筆が及んでいるのだ。
そこが同じディケンズの紀行文である『イタリアのおもかげ』との作風の最大の違いであろう。

同時期のアメリカ社会を取り扱ったものとして、トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』がある。
これは表題のとおりもっぱら政治体制に対する本であるが、アメリカ社会を肯定的にとらえている部分が多いので、ヒューマニズムに則った批判的な傾向の強いディケンズの『アメリカ紀行』と読み比べてみると面白いはずだ。

この『アメリカ紀行』、ディケンズのことをあまり知らない人が読んでも楽しめるだろうが、どちらかといえばディケンズを知っている人のための本のように思える。
ディケンズ作品の読者であれば、『オリヴァ・ツウィスト』や『ニコラス・ニクルビー』の作者らしさを感じ取ることができる旅行記であるに違いない。

『イタリアのおもかげ』 ディケンズ(岩波文庫)

イタリアのおもかげ (岩波文庫)イタリアのおもかげ (岩波文庫)
(2010/04/17)
ディケンズ

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書名:イタリアのおもかげ
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:隈元貞広、伊藤弘之、下笠徳次
出版社:岩波書店
ページ数:432

おすすめ度:☆☆☆☆




アメリカ紀行』と並び、ディケンズの紀行ものであるのがこの『イタリアのおもかげ』。
ユーモアにあふれる筆致は健在だが、小説世界と違って、揶揄されているものには具体的な対象物があるので、ただの皮肉な言い回しにも読めてしまう。
風景や芸術作品を褒めている部分もあるにはあるが、イタリアに対してあまり好意的には書かれていないこの本を読み終わって読者が感じるのは、結局のところディケンズはイタリアに失望したのではないかということ。
同じ旅行記であれば、『アメリカ紀行』のほうがだいぶ出来がいいように思う。

フランスを経由してジェノヴァ、ヴェネツィア、ローマなどを訪れたディケンズが各地の印象を綴っていくのが本書であるが、乞食の多さや不衛生さへの言及にしばしばお目にかかることになる。
まさか嘘を書いているわけではないだろうが、否定的な描写がこうまで多いと、読者は少々退屈してしまうのではないか。
また、ディケンズはイタリア全土に浸透したカトリックや修道院制度にも冷たい態度を見せている。
さすがにローマ教皇にはお手柔らかであるものの、全般に非常に手厳しい記述が目立っている。
単にディケンズはカトリック嫌いだったのではないか・・・そういったバイアスを予想せずにはいられない書きぶりだ。
ふと思い返してみれば、ディケンズの小説には宗教に関する描写がほとんどなかったのではなかろうか。
本書を足がかりにディケンズとキリスト教について考えてみるのもなかなか面白いかもしれない。

『イタリアのおもかげ』からはディケンズの審美眼も読み取ることができる。
「最後の晩餐」を切り抜いた修道士たちに皮肉な一矢を報いるのは共感できるものの、紀行文であるからやむをえないのかもしれないが、論理的な説明なしにベルニーニが駄作呼ばわりされ、また、彼はバチカンを単なる巨大な建物として無感動に眺めることができるという。
これもディケンズのカトリックに対する偏見を予想させる部分ではなかろうか。

この『イタリアのおもかげ』、イタリアに関する本を読みたい読者を満足させることはできないだろうし、ディケンズのファンでもこの本を素直に喜べるかというと非常に疑わしい。
原文の参照などもちろん行っていないが、訳文の読みやすさにも少々難があり、あまり評価のできない本だ。

『ガリヴァー旅行記』 スウィフト(岩波文庫)

ガリヴァー旅行記 (岩波文庫)ガリヴァー旅行記 (岩波文庫)
(1980/10/16)
スウィフト

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書名:ガリヴァー旅行記
著者:ジョナサン・スウィフト
訳者:平井 正穂
出版社:岩波書店
ページ数:461

おすすめ度:★★★★★




あまりにもその名を知られた作品である『ガリヴァー旅行記』、おそらくこの名を知らぬ人はいないのではなかろうか。
とはいえ、子供向けのダイジェスト版を除けば、それを読んだ人はさほど多くないかもしれない。
スウィフトは、大人が読んでも十分楽しめる洞察力の深さや風刺力の鋭さを備えた作家なので、ぜひ子供向けの抄訳ではない原典からの完訳を読んでみてほしいと思う。

『ガリヴァー旅行記』についてあまり知らない人は、よくガリヴァーの訪れた異国を小人の国と巨人の国だけだと思っていたりする。
現に私が子供の頃に読んだダイジェスト版では、それらの二つ国への旅行、というか漂着のみを扱っていたはずだ。
だが、実際にはガリヴァーはラピュタと呼ばれる天上の国にも、聡明な馬たちの国をも訪れている。
そしてこの「ラピュタ」とは、宮崎駿監督による『天空の城ラピュタ』の源であり、事実、映画内で登場人物の口から「スウィフト」の名が語られてもいる。
今日の読者が読んでも斬新に感じられる着想に満ちた『ガリヴァー旅行記』は、創造を仕事とする人々にインスピレーションを与えてやまない作品と言えるだろうか。
ガリバー旅行記 [Blu-ray]ガリバー旅行記 [Blu-ray]
(2011/12/14)
ジャック・ブラック、ジェイソン・シーゲル 他

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過去に何度も映画化されている『ガリヴァー旅行記』だが、最も新しいものは右のジャック・ブラックによるコメディー映画だろう。
『ガリヴァー旅行記』における数々の名場面を作品内に導入してはいるものの、当然ながら原作に忠実に作られたものではないし、ガリヴァーが訪れる異国の数も限られているので、あくまで『ガリヴァー旅行記』風のものとして見られることをお勧めしたい。

有名なタイトルの小説こそ一度は読んでおきたいものだ、そう考えている方には、この『ガリヴァー旅行記』を強くお勧めしたい。
一読すれば、『ガリヴァー旅行記』は子供向けの冒険譚だと思っていたイメージが、がらりと一新されることだろう。

『トム・ジョウンズ』 フィールディング(岩波文庫)

トム・ジョウンズ〈1〉 (岩波文庫)トム・ジョウンズ〈1〉 (岩波文庫)
(1975/06/16)
フィールディング

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トム・ジョウンズ〈2〉 (岩波文庫)トム・ジョウンズ〈2〉 (岩波文庫)
(1951/12)
フィールディング

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トム・ジョウンズ〈3〉 (岩波文庫)トム・ジョウンズ〈3〉 (岩波文庫)
(1975/08/18)
フィールディング

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トム・ジョウンズ〈4〉 (岩波文庫)トム・ジョウンズ〈4〉 (岩波文庫)
(1975/09/16)
フィールディング

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書名:トム・ジョウンズ
著者:ヘンリー・フィールディング
訳者:朱牟田 夏雄
出版社:岩波書店
ページ数:300(一)、320(二)、329(三)、294(四)

おすすめ度:★★★★★




18世紀のイギリスを代表する作家の一人で、「イギリス小説の父」とも呼ばれるフィールディングの代表作がこの『トム・ジョウンズ』である。
同じイギリス人であるモームの選んだ『世界の十大小説』に入ってもいるほどの作品だが、残念ながら今日の日本ではあまり読まれていないのではなかろうか。
イギリス版『ドン・キホーテ』とでも言うべき愉快な物語である『トム・ジョウンズ』は読みやすいことこの上なく、幅広い読者層に受け入れられるように思われる名作の一つなので、少々長いがぜひ読んでみていただきたい作品の一つだ。

『トム・ジョウンズ』は、実直で正義感の強い青年であるトム・ジョウンズの珍道中を描いた作品である。
親族との亀裂があったり、かなわぬ恋に身をやつしたり、痴話騒ぎに巻き込まれたりと、波瀾に満ちたストーリー展開が読者を飽きさせることはないはずだ。
読者は好感の持てる主人公トムと共に、登場人物たちが絶妙に絡み合う大団円に向けて突き進んでいくことができるだろう。

イギリス小説といえば、スウィフトやディケンズを筆頭に、ユーモア精神に富んだ傑作を物した作家たちの宝庫であるが、フィールディングもその系譜中の一人である。
それどころか、最も重要な作家の一人でもあるだろう。
そういう意味では、純粋に楽しい読み物を求めている読者も、イギリス文学史に関心のある読者も、いずれをも満足させうる作家がフィールディングであるように思う。

物語性が強く面白い上に、朱牟田氏の翻訳も非常に読みやすいので、繰り返しになるが『トム・ジョウンズ』はぜひ読んでみていただきたい作品だ。
『トム・ジョウンズ』を気に入られた読者には、数年前に同じくフィールディングの『ジョウゼフ・アンドルーズ』が岩波文庫から出されたので、そちらも非常にお勧めしたい。

『ジョウゼフ・アンドルーズ』 フィールディング(岩波文庫)

ジョウゼフ・アンドルーズ〈上〉 (岩波文庫)ジョウゼフ・アンドルーズ〈上〉 (岩波文庫)
(2009/04/16)
フィールディング

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ジョウゼフ・アンドルーズ〈下〉 (岩波文庫)ジョウゼフ・アンドルーズ〈下〉 (岩波文庫)
(2009/05/15)
ヘンリー フィールディング

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書名:ジョウゼフ・アンドルーズ
著者:ヘンリー・フィールディング
訳者:朱牟田 夏雄
出版社:岩波書店
ページ数:336(上)、353(下)

おすすめ度:★★★★




フィールディングの代表作として知られる『ジョウゼフ・アンドルーズ』。
ストーリーや作風は『トム・ジョウンズ』に似ているし、どちらかといえば『トム・ジョウンズ』の方が出来がいいように思われるが、全四冊からなる『トム・ジョウンズ』が少々長すぎるように思われる方には『ジョウゼフ・アンドルーズ』から読み始めてみるのもいいだろう。
喜劇的精神に満ちた『ジョウゼフ・アンドルーズ』、内容にややこしいところもなく、読みやすい文章でもあるので、気軽に手にとっていただける作品としてお勧めだ。

主人公の若者ジョウゼフ・アンドルーズと、その友人であり師でもあるアダムズ神父が、面白おかしい珍道中を繰り広げる。
謹厳なはずの神父が滑稽な事件に巻き込まれるというギャップはたまらなく愉快で、必ずや読者を楽しませてくれるだろう。
豊富な好人物に彩られた『ジョウゼフ・アンドルーズ』、活気に満ちた名作と呼べるのではなかろうか。

以前は『ジョウゼフ・アンドルーズ』は文学全集に収められていただけだったが、うれしいことについ最近岩波文庫に収められた。
本書を読み通せば、フィールディングはもちろん、訳者の朱牟田氏の魅力も感じていただけるのではないかと思う。
フィールディングを気に入られた読者には、こちらも朱牟田氏の翻訳によるほぼ同時代の作家、スターンの傑作『トリストラム・シャンディ』をお勧めしたい。
ユーモアあふれる作風が、イギリス文学をより身近に感じさせてくれること請け合いである。

作品の構成自体は非常に緩いが、それだけ登場人物たちが自由で動的なのかもしれない。
フィールディングの創り上げた人間味に富んだ物語はとても面白く読めるものと思うので、ぜひ気軽に手にしていただきたい作品だ。

『ロビンソン・クルーソー』 デフォー(岩波文庫)

ロビンソン・クルーソー〈上〉 (岩波文庫)ロビンソン・クルーソー〈上〉 (岩波文庫)
(1967/10/16)
デフォー

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ロビンソン・クルーソー〈下〉 (岩波文庫 赤 208-2)ロビンソン・クルーソー〈下〉 (岩波文庫 赤 208-2)
(1971/09/16)
デフォー

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書名:ロビンソン・クルーソー
著者:ダニエル・デフォー
訳者:平井 正穂
出版社:岩波書店
ページ数:416(上)、423(下)

おすすめ度:★★★★




キャスト・アウェイ [DVD]キャスト・アウェイ [DVD]
(2009/04/10)
ヘレン・ハント、トム・ハンクス 他

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『ロビンソン・クルーソー』といえば、誰もが孤島での一人暮らしというエピソードを知っているし、作者であるデフォーの名をはるかにしのぐ知名度を備えた作品であろう。
当然ながら登場人物は限られているし、ストーリーの振幅には限界があるものの、一人称で語られていく現実的な物語はたいへん読み応えがある。
右は現代版ロビンソン・クルーソーとでも言うべき、トム・ハンクス主演の『キャスト・アウェイ』だ。
この映画を見てロビンソン・クルーソーの名を思い出さない人はいないように思うし、孤島で暮らすというモチーフを世に知らしめた『ロビンソン・クルーソー』はやはり一読に値するのではなかろうか。

『ロビンソン・クルーソー』の上巻では、誰もが知る無人島への漂着とそこでの暮らしぶりが語られる。
下巻は第二部として後日発表された作品で、原題は『The farther adventures of Robinson Crusoe』であり、普通日本で『ロビンソン・クルーソー』として出版されている本では訳出されていないようで、二巻組みとなっている岩波文庫の『ロビンソン・クルーソー』が他の出版社のそれより二倍ほどの分量があるのはそういうわけだ。
下巻ではロビンソンが過ごした島を再訪するというエピソードが大半で、その後さらに航海、冒険を行う様子が描かれているが、『ロビンソン・クルーソー』の醍醐味はやはり上巻にあると言わざるをえない。
いかに窮地に陥ろうとも人道的な見地を固守しようとするロビンソンだが、他民族を見下すような言辞や宗教臭さが感じられる部分も多く、デフォーの作品に強い関心を抱いている方以外はあまり楽しめないかもしれない。
同時代の日本人、江戸時代中期の日本人が欧米人をどのように見ていたかを考え合わせれば、ロビンソンがキリスト教信仰や文明の恩恵を受けていない人々を「蛮人」だ「未開」だと蔑視することに対しても寛容にならなければならないのかもしれないが、そのような書きぶりを今日の読者が愉快に感じることは甚だ難しいから、『ロビンソン・クルーソー』の下巻は今後次第に読まれなくなっていく文学作品の一つであると思われる。

何はともあれ、あまりにも有名な古典である『ロビンソン・クルーソー』、上巻だけでもぜひ読んでみていただきたい作品だ。

『モル・フランダーズ』 デフォー(岩波文庫)

モル・フランダーズ 上 (岩波文庫 赤 208-3)モル・フランダーズ 上 (岩波文庫 赤 208-3)
(1968/03/16)
ダニエル・デフォー

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モル・フランダーズ 下 (岩波文庫 赤 208-4)モル・フランダーズ 下 (岩波文庫 赤 208-4)
(1968/02/16)
ダニエル・デフォー

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書名:モル・フランダーズ
著者:ダニエル・デフォー
訳者:伊澤 龍雄
出版社:岩波書店
ページ数:278(上)、268(下)

おすすめ度:★★★☆☆




ロビンソン・クルーソー』の作者として知られるデフォーだが、そもそもの作品数が多くないとはいえ、彼の長編作品はあまり翻訳されていないのが現状だ。
そんな中の一つとしてかつて岩波文庫入りを果たしたのが、この『モル・フランダーズ』だ。
主人公がある行動に至るまでを細密に描き出す論理的な筆致は、多くの読者がいかにもデフォーによるものであると感じることができるのではなかろうか。

『モル・フランダーズ』は、同名の女主人公がその生涯を語るというスタイルの作品である。
語り手たるモルの回顧は、ロビンソンとはまったく異なった意味合いではあるものの、まさに波乱万丈と言っていいだろう。
というのも、結婚を繰り返す中で奔放な愛人関係を改めようともせず、金銭のためなら法をも犯すという悪女の一代記なのだ。
残忍さではかなり劣るものの、とはいえこの点において劣っているということは登場人物にとって決して不名誉なことではないだろうが、モルの無軌道な生活を読んでいて、私はサドの『悪徳の栄え』の主人公であるジュリエットを思い起こしたほどだ。

イギリス文学において、ファム・ファタル的な要素を備えた女主人公はそういないように記憶しているのだがいかがだろうか。
イギリス文学に対して基本的に道徳的な作品が多いというイメージを抱いているのは、おそらく私だけではないだろう。
ひょっとするとこの『モル・フランダーズ』は、その結末はともかくとして、イギリス文学中における数少ない悪女を描いた作品の一つなのかもしれない。

岩波文庫では少しも珍しいことではないが、『モル・フランダーズ』も絶版になって久しい作品である。
たいていの読者は『ロビンソン・クルーソー』を知った上でこの本を手にすることだろうが、『モル・フランダーズ』は必ずしも『ロビンソン・クルーソー』を読んだことがなくとも十分楽しみうる作品だと思う。
それどころか、『ロビンソン・クルーソー』より楽しめたという読者がいても、私は少しも驚かないことだろう。

『ペスト』 デフォー(中公文庫)

ペスト (中公文庫)ペスト (中公文庫)
(2009/07)
ダニエル デフォー

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書名:ペスト
著者:ダニエル・デフォー
訳者:平井 正穂
出版社:中央公論新社
ページ数:453

おすすめ度:★★★★




デフォーの代表的な小説の一つである『ペスト』。
ペストが蔓延したロンドンで、ある人はこうしたとか、こうする人々が多かったという傍観者が記した記録的要素が強い作品であるのに加え、行政の対応や統計的な資料を示していたりもするので、個別の人間に焦点を当てた人間ドラマを描いたというよりは、大きな都会にペストが広がるという一つの事象を包括的に描いた作品である。
ロビンソン・クルーソー』にも通ずるところが多く、デフォーの作風や文体を好む人ならば必ずや楽しんでいただける作品であろう。

時は17世紀の半ば、ロンドンの町をペストが襲う。
富裕層の多くが田舎へと逃げ出す中、筆写である「私」は神の摂理かと思われる数々の支障に遭遇し、結局ロンドンに留まることを決めた。
生命に危険を招くほどの好奇心が「私」を街路へと招き寄せ、そこで「私」は多くの凄惨な場面に立ち会うことになる・・・。
神の摂理を基礎に、道徳的かつ理路整然と物事を考える「私」はロビンソン・クルーソーに似ており、まして好奇心からわざわざ危地に赴くとあっては、「私」はイギリスで生活中のロビンソンなのではないかと思ってしまうほどだ。
また、ロンドンを逃れ、森の中でキャンプ生活をする一団の人々を描いたくだりは、読者にロビンソンの孤島での生活を思い出させるのではなかろうか。
ペスト (新潮文庫)ペスト (新潮文庫)
(1969/10)
カミュ

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デフォーの『ペスト』の読者にお勧めしたいのは、カミュによる同題の小説『ペスト』だ。
カミュの作品の方が世に知られているかもしれないが、ある町に伝染病が流行したという作品を描くのに、二人の作家の採る視点がまるで異なるため、それだけ一層互いの特徴を引き立たせていると言える。
デフォーの『ペスト』を気に入られた読者は次にカミュのそれを手にしていただきたいと思うし、その逆もまた然りである。

伝染病を扱ったストーリーは、いまやハリウッドを席巻しているとも呼べるほどに世界に蔓延している。
しかし、デフォーが扱ったのは実際の出来事なのであり、それらの作り話とは迫真性も異なれば、現実味もまったく違い、それだけ読者の心にずしりと響く重みのある作品となっている。
名訳者平井正穂氏によるこの『ペスト』、非常にお勧めの一冊である。
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