『ボズのスケッチ 短編小説集』 ディケンズ(岩波文庫)

ボズのスケッチ―短篇小説篇〈上〉 (岩波文庫)ボズのスケッチ―短篇小説篇〈上〉 (岩波文庫)
(2004/01/16)
ディケンズ

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ボズのスケッチ 短編小説集(下) (岩波文庫)ボズのスケッチ 短編小説集(下) (岩波文庫)
(2004/02/17)
ディケンズ

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書名:ボズのスケッチ
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:藤岡 啓介
出版社:岩波書店
ページ数:281(上)、302(下)

おすすめ度:★★★☆☆




イギリスの国民的作家といえばチャールズ・ディケンズだが、新聞や雑誌に掲載された最も初期の短編を集めたのがこの『ボズのスケッチ』で、これをディケンズのデビュー作と考えてもそう大きな誤りとは言えないだろう。
ディケンズは長編のイメージの強い作家だが、短編にも味わい深い作品を残していると知ることのできる短編集だ。

ディケンズという作家は、後期の作品と比べると初期の頃の作品の方が全体的に明るく、世界を楽観視しているような印象を受けやすいが、『ボズのスケッチ』でもやはりその特徴は顕著だ。
そのような作風を作家の未熟ととらえることもできるかもしれないが、私はそれを作家デビューという輝かしい第一歩を踏み出した青年ディケンズの気分の反映なのではないかと思う。
ディケンズの十八番である優しさに満ちたユーモアは表れているし、それぞれの話が短いので、読みやすさはディケンズの全作品の中でも屈指だろう。

そうはいっても、ディケンズの醍醐味はやはり長編作品でこそ発揮されているのではなかろうか。
強引なストーリー展開や、女性の描写が画一的であるなど、欠点はいろいろと指摘されるし、確かに専門家の批評眼を持たずとも疑問点を抱かずにはいられない作品が多いのは事実だが、それでもディケンズの長編小説は一つ読み終えればその他も読みたくなるという、読者を惹きつけてやまない魅力を存分に持っている。
もし今までディケンズを読んだことのない人がディケンズの小説を何か読んでみたいと言うのであれば、私は何の迷いもなく長編作品を強くお勧めすることだろう。

『ボズのスケッチ』に関して言えば、優れた短編集だから翻訳されたというよりは、かの文豪ディケンズの短編集だからという理由で翻訳されたような感が拭いがたい。
決して出来の悪い作品集ではないのだが、『ボズのスケッチ』はディケンズを楽しむ上で補助的な役割を担う作品のように思えるので、『オリヴァー・ツウィスト』や『デイヴィッド・コパフィールド』などの代表作に触れた後で読んでみてほしい。
そうすれば『ボズのスケッチ』はディケンズという作家に味を付けるいい薬味になると思う。
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『ピクウィック・クラブ』 ディケンズ(ちくま文庫)

ピクウィック・クラブ〈上〉 (ちくま文庫)ピクウィック・クラブ〈上〉 (ちくま文庫)
(1990/02)
チャールズ ディケンズ

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ピクウィック・クラブ〈中〉 (ちくま文庫)ピクウィック・クラブ〈中〉 (ちくま文庫)
(1990/03)
チャールズ ディケンズ

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ピクウィック・クラブ〈下〉 (ちくま文庫)ピクウィック・クラブ〈下〉 (ちくま文庫)
(1990/04)
チャールズ ディケンズ

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書名:ピクウィック・クラブ
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:北川 悌二
出版社:筑摩書房
ページ数:515(上)、493(中)、497(下)

おすすめ度:★★★★★




ボズのスケッチ』がディケンズのデビュー作だとすれば、『ピクウィック・クラブ』は彼の初の長編作品であり、イギリス中にその名を知らしめた出世作でもある。
発行当時、多くの人間が連載の次の号が出るのを首を長くして待ち焦がれていたというのだから、その人気は絶大だったに違いない。

『ピクウィック・クラブ』は、ピクウィック氏という好人物を中心とした行き当たりばったりの珍道中なので、これといったメインテーマもなければ、明確な筋書きがあるわけでもない。
このことを指摘し、『ピクウィック・クラブ』は構成に難があるという向きもいるようだが、構成が悪い、もしくは構成がなかったとしても、読者を楽しませることのできる読み物というのは存在するのではなかろうか。
『ピクウィック・クラブ』がその最たる例で、分析的な視点を捨て、ただただ蛇行するストーリー展開に身を任せてディケンズ・ワールドを楽しんで欲しいと思う。
ピクウィック氏の高尚な人格、道中を共にする愉快な仲間たち、素敵な人々との出会いに加え、不運な争いに巻き込まれたりと、ふんだんに散りばめられた読みどころを読み進めていくうちに、きっと多くの人が次号を待ち焦がれていた理由がわかるに違いない。

ただ少し退屈なのは、登場人物の口を通して語られる、本筋とは関係のない物語だろうか。
セルバンテスを愛読していたディケンズらしい手法であるともいえようが、穴を開けることのできない連載という都合上、ページ数稼ぎの意図もあって、過去に仕上げた短編を放り込んでいたらしい。

ある作家の出世作というものは広く翻訳され、代表作の一つとみなされるのが普通だが、『ピクウィック・クラブ』は入手が難しいのが現状だ。
欠点こそあるものの、それを補って余りある素晴らしい作品であるのに加え、ちくま文庫版には挿絵も豊富に挿入されているので、中古品でも構わないのでぜひ読んでみていただきたい。

『オリヴァ・ツウィスト』 チャールズ・ディケンズ(岩波文庫)

オリヴァ・ツウィスト (上) (岩波文庫)オリヴァ・ツウィスト (上) (岩波文庫)
(1956/06/05)
ディケンズ

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オリヴァ・ツウィスト (下) (岩波文庫)オリヴァ・ツウィスト (下) (岩波文庫)
(1956/06/25)
ディケンズ

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書名:オリヴァ・ツウィスト
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:本多 季子
出版社:岩波書店
ページ数:342(上)、350(下)

おすすめ度:★★★★★




ディケンズの代表作として名高い『オリヴァ・ツウィスト』、読書好きであればこれは必読だ。
初期に書かれた作品であるにもかかわらず、私はこの『オリヴァ・ツウィスト』を『デイヴィッド・コパフィールド』と並びディケンズの最高傑作の一つだと思っているし、読みやすいことこの上ない作品なので、自信を持ってお勧めできる小説の一つだ。

貧しいけれども正直な子供オリヴァが救貧院や貧民街で遭遇する運・不運が、ディケンズお得意の人情味豊かなユーモアを交じえて軽妙に描き出される。
さらに、ディケンズの他の作品に出てくる悪人を含めて考えてみても、最も鮮明に記憶に残る印象的な悪人たちを輩出している。
ピクウィック・クラブ』の執筆時と比べて作家としての地位が安定していたためなのだろう、『オリヴァ・ツウィスト』の筋はよくまとまっていて、『ピクウィック・クラブ』よりも一つの作品としての完成度が飛躍的に高まっている。
そんなこんなで、長所を挙げればきりがないほどだ。
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(2006/06/30)
バーニー・クラーク、ベン・キングズレー 他

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ストーリーを追っていくだけでも十分に楽しめる『オリヴァ・ツウィスト』は、映像化されることもしばしばである。
右は比較的近年になって製作されたポランスキー監督の『オリバー・ツイスト』。
概ね原作に忠実に作られてあるが、後半部分は大いに端折られている。
二時間そこそこに収めないとならないという映画ならではの事情があってのことかもしれないが、原作を知っている人間が見ると少々残念な気がしないでもない。

オリヴァは正直すぎるかもしれない、あまりにいい子供すぎるのかもしれない。
しかし彼の純粋な善意が読む人の胸を打たずにはいない、『オリヴァ・ツウィスト』はそんな素晴らしい作品だ。
『オリヴァ・ツウィスト』が気に入った読者は、ディケンズも愛読していた作家であるフィールディングの代表作『トム・ジョウンズ』もぜひ読んでみていただきたい。
きっと『オリヴァ・ツウィスト』に、ひいてはディケンズの作風に通ずるところを見出してもらえることだろう。

『ニコラス・ニクルビー』 チャールズ・ディケンズ(こびあん書房)

ニコラス・ニクルビー (上)ニコラス・ニクルビー (上)
(2001/04)
チャールズ・ディケンズ

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ニコラス・ニクルビー (下)ニコラス・ニクルビー (下)
(2001/04)
チャールズ・ディケンズ

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書名:ニコラス・ニクルビー
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:田辺 洋子
出版社:こびあん書房
ページ数:518(上)、510(下)

おすすめ度:★★★★




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(2007/12/19)
アン・ハサウェイ、チャーリー・ハナム 他

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ピクウィック・クラブ』、『オリヴァ・ツウィスト』に次ぐ、ディケンズ3作目の長編小説がこの『ニコラス・ニクルビー』である。
比較的初期の作品だけあって、裕福だったニクルビー一家に不幸が訪れるわりには、全体は明るい調子に支配されていて非常に読みやすい。
ディケンズ後期の作品を少々重苦しいと感じられる方も、『ニコラス・ニクルビー』ならすんなり読み進めていただけることと思う。
私はまだ見ていないので紹介するのもいささかおこがましい気がしないでもないが、数年前に『ディケンズのニコラス・ニックルビー』と題して映画化されてもいるらしい。
キャスト等が豪華なので期待していい作品だと予想しているが、実際のところはまだわからない。

タイトルロールであるニコラスは、一家が零落したおかげで、若くして自活を強いられた青年である。
そこで、まずはロンドンに暮らす叔父のつてで、そしてこの叔父というのがなんともいけ好かない男なのだが、それはともかく、ニコラスは田舎の寄宿学校へ教師として赴任することが決まる。
校長一家の生徒たちに対する非道な振る舞いに直面した、実直な青年であるニコラスは・・・。
オリヴァ・ツウィスト』で救貧院を叩いたディケンズが、『ニコラス・ニクルビー』では寄宿学校へ矛先を向けたとみなさずにはいられないが、イギリス社会を少しでも良くしようという社会派作家の面目躍如たる作品であるとも言えようか。

『ニコラス・ニクルビー』には、ニコラスとその妹、そして特筆に価するのはその母だが、ある意味でディケンズ作品に典型的な人物像を多数見出すことができる。
『デイヴィッド・コパフィールド』の登場人物と対照させて読んでみるだけでも、とても興味をそそる作品になるはずだ。
プロットにやや無理がないでもないが、そこは読者の反応を見ながら自作の連載を書き進めていたディケンズのこと、小説もそれなりに奇なり、ということで大目に見てやっていいだろう。

こびあん書房の『ニコラス・ニクルビー』、現在品切れのうえに中古品もあまり出回っていないらしい。
訳文はすでに出来上がっていることだし、どこかの出版社が文庫版でも出してくれることに期待したい。

『バーナビー・ラッジ』 チャールズ・ディケンズ(集英社)

世界文学全集〈15〉バーナビー・ラッジ (1975年)世界文学全集〈15〉バーナビー・ラッジ (1975年)
(1975)
不明

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書名:世界文学全集〈15〉バーナビー・ラッジ
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:小池滋
出版社:集英社
ページ数:638

おすすめ度:★★★☆☆




ディケンズ初のミステリー風長編作品がこの『バーナビー・ラッジ』である。
連載の始まったばかりの頃に、大西洋の向こう側でエドガー・アラン・ポーが殺人の謎を解いてしまったことでも知られる作品だ。
この『世界文学全集〈15〉バーナビー・ラッジ』には、ディケンズの全小説の中で最も読まれていると思われる『クリスマス・キャロル』も併録されている。

バーナビー・ラッジは、頭の働きの鈍い純朴な少年で、ただ周りの人間に翻弄されるばかりでとにかく歯切れの悪い主人公だ。
それが原因かどうかは知らないが、『オリヴァ・ツウィスト』のオリヴァや『ニコラス・ニクルビー』のニコラスと比べると登場頻度が格段に低い。
また、推理小説草創期の作品だけあって、『バーナビー・ラッジ』の冒頭で描かれる殺人の謎は、テレビや映画などによって無数のどんでん返しに慣れてしまっている今日の読者、当時の人々よりはるかにポーの思考に接近している今日の読者には、そう真新しいものではないだろう。
そういう意味では、ミステリーとして読むには少々物足りない作品だと思う。
イギリス〈2〉/集英社ギャラリー「世界の文学」〈3〉イギリス〈2〉/集英社ギャラリー「世界の文学」〈3〉
(1990/06/20)
川村 二郎、 他

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翻訳の少ない『バーナビー・ラッジ』だが、右の『イギリス〈2〉/集英社ギャラリー「世界の文学」〈3〉』にも同じ小池先生の翻訳が収められている。
E・ブロンテ『嵐が丘』、ハーディ『ダーバヴィル家のテス』も訳出してあるのはうれしい限りだが、それだけ本の重厚感は増してしまっている。
文字サイズや印刷の綺麗さなどは非の打ち所がないのだが、全1348ページと、何しろ重たいので扱いにくいというのが欠点だ。

同時代のミステリー風の作品を読むのなら、ウィルキー・コリンズのほうがお勧めできる。
彼はディケンズとも親しく交流しており、『エドウィン・ドルードの謎』などでディケンズの作品がミステリー色を濃くしていく一因ともなったと言われているほどで、ミステリーに関してはコリンズのほうが一枚上手だろう。
ディケンズの最大の長所である巧みな人物描写も、『オリヴァ・ツウィスト』や『デイヴィッド・コパフィールド』などを上回ってはいないのではなかろうか。
失敗作とは言わないまでも、『バーナビー・ラッジ』は新品での入手が難しく、その他の傑作が素晴らしいディケンズだけに、つい他の作品をお勧めしたくなるというのが正直な感想だ。

『クリスマス・キャロル』 チャールズ・ディケンズ(光文社古典新訳文庫)

クリスマス・キャロル (光文社古典新訳文庫)クリスマス・キャロル (光文社古典新訳文庫)
(2006/11/09)
ディケンズ

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書名:クリスマス・キャロル
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:池 央耿
出版社:光文社
ページ数:192

おすすめ度:★★★★★




Disney\\\'s クリスマス・キャロル 3Dセット [Blu-ray]Disney\\\'s クリスマス・キャロル 3Dセット [Blu-ray]
(2010/11/17)
ジム・キャリー、ゲイリー・オールドマン 他

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言わずと知れたディケンズの傑作の一つである『クリスマス・キャロル』。
長編作品が中心のディケンズながら、『クリスマス・キャロル』は中編作品とあって、またおそらくは季節ものということもあって、発表以来、世界中で広く受け入れられてきている。
これまでに映画化された回数も、一つの原作としては最も多い部類に入るのではなかろうか。
右は現時点で最も新しい映画化作品である、ロバート・ゼメキス監督による『Disney's クリスマス・キャロル』だ。
一人で七役を演じ分けたジム・キャリーをはじめ、ゲイリー・オールドマン、コリン・ファースなどの名優たちが声優をしており、壮大さを感じさせる映像の美しさもなかなかのもので、比較的原作に忠実な作品としてたいへんお勧めだ。

『クリスマス・キャロル』のあらすじに複雑なところはない。
クリスマスを筆頭に、祝い事を嫌う守銭奴のスクルージがクリスマス・イヴを迎えるが、そこに亡き友人の亡霊が現われて吝嗇の空しさを説き、三人の精霊がこれからスクルージを訪れるだろうと伝える。
スクルージは現われた精霊たちと共に過去・現在・未来のクリスマスを目の当たりにするのだが・・・。
幻想的でいて感動的な、老若男女を問わず楽しめるハートウォーミングストーリーであることが、本作の人気の理由なのだろう。
人物描写は優れているものの、作品の構成力に欠けるところがあると指摘されることの多いディケンズだが、『クリスマス・キャロル』は短いだけによくまとまっているような印象も受ける。

児童向けの出版の数も多いこの名作を紹介するのに、あまり多くの言葉を費やす必要はないだろう。
それほど長い作品でもないので、ぜひ気軽に手にとって読んでみていただきたい。

『デイヴィッド・コパフィールド』 チャールズ・ディケンズ(岩波文庫)

デイヴィッド・コパフィールド〈1〉 (岩波文庫)デイヴィッド・コパフィールド〈1〉 (岩波文庫)
(2002/07/16)
チャールズ ディケンズ

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デイヴィッド・コパフィールド〈2〉 (岩波文庫)デイヴィッド・コパフィールド〈2〉 (岩波文庫)
(2002/09/18)
ディケンズ

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デイヴィッド・コパフィールド〈3〉 (岩波文庫)デイヴィッド・コパフィールド〈3〉 (岩波文庫)
(2002/11/15)
ディケンズ

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デイヴィッド・コパフィールド〈4〉 (岩波文庫)デイヴィッド・コパフィールド〈4〉 (岩波文庫)
(2003/01/16)
ディケンズ

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デイヴィッド・コパフィールド〈5〉 (岩波文庫)デイヴィッド・コパフィールド〈5〉 (岩波文庫)
(2003/03/14)
ディケンズ

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書名:デイヴィッド・コパフィールド
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:石塚 裕子
出版社:岩波書店
ページ数:446(一)、460(二)、452(三)、430(四)、449(五)

おすすめ度:★★★★★




ディケンズの代表作にその名を連ねる『デイヴィッド・コパフィールド』は、私が読んだディケンズの作品の中で最も高く評価している長編小説だ。
ディケンズ自身も気に入っていた作品らしく、デイヴィッドの職歴がディケンズと似通っていたりと、自伝的要素が最も強く反映されているため、ディケンズを知る上でもたいへん興味深い作品となっている。
ディケンズの傑作であることはもちろん、世界文学の中でも堂々たる地位を占めるにふさわしい作品であると確信しているので、強くお勧めしたい作品である。

『デイヴィッド・コパフィールド』は、ストーリーの面白さもさることながら、個性豊かな登場人物たちの描き分けが最も優れている。
ディケンズの生き写しのようなデイヴィッドの周りには、豪胆さが気持ちいい実直な男もいれば、繊細で美しい女性もいて、さらには鷹揚な大物もいれば卑屈な小者もいるという具合で、作品自体が人格の類型を集めた博覧会かのような様相を呈するほどだ。
特に注目に値するのはミコーバー氏という借金で首の回らない憎めない男で、債務者監獄に拘留された経験のあるディケンズの父親の面影を宿しているとされている。
このミコーバー氏に限らないが、『デイヴィッド・コパフィールド』の登場人物は、一部の悪人を除き、大半が非常に好感の持てる人々で構成されているので、読んでいてとても気持ちがいい。
肝心のデイヴィッドにも、時として行動力の不足を感じるときがないでもないが、彼の言動には概ね共感できるので、ストーリーの展開を心行くまで楽しむことができる。

モームは「世界の十大小説」の一つとして『デイヴィッド・コパフィールド』を挙げているが、うなずける選択である。
全5巻で2000ページ以上と、手を出すのに逡巡する分量かもしれないが、挿絵も豊富に入っているし、読みやすさや面白さは比類がない。
モームは読者が楽しめるかどうかを基準に十大小説を選抜しているわけだし、そのふるいに残った『デイヴィッド・コパフィールド』は、ディケンズの他の作品を読んだことがない読者もぜひ読むべき傑作だろう。

『二都物語』 チャールズ・ディケンズ(新潮文庫)

二都物語 (上巻) (新潮文庫)二都物語 (上巻) (新潮文庫)
(1967/02/01)
ディケンズ

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二都物語 (下巻) (新潮文庫)二都物語 (下巻) (新潮文庫)
(1967/02/14)
ディケンズ

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書名:二都物語
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:中野 好夫
出版社:新潮社
ページ数:338(上)、357(下)

おすすめ度:★★★★




パリとロンドンという、ヨーロッパを代表する二大都市を舞台にした小説が、この『二都物語』である。
フランス革命期のパリも舞台になるが、フランス革命という人類史に残る一大事件に対する言及はあくまで付随的なものでしかなく、歴史小説という呼称はふさわしくないだろう。
あくまで後期ディケンズらしい人間ドラマがメインの作品で、特にそのエンディングは感動的で、一度読めば長く読者の記憶に焼き付けられるように思う。

『二都物語』には犠牲的精神に富んだ人物が多く登場し、私には彼らの見せる誠意の美しさがとても心地よく感じられたのだが、その同じ精神の表れを行き過ぎたものとみなす読者には、『二都物語』がわざとらしい筋運びの駄作ととらえられるかもしれない。
ディケンズお得意の裁判のシーンがあったり、シェイクスピアの『ハムレット』を髣髴とさせる場面があったりと、記憶に残る場面はいくつかあるが、最大の読みどころはやはりその結末部分だろう。
たいていの作品の終幕をめでたしめでたしのエピローグ的な描写に当ててきたディケンズが、『二都物語』では一風変わったかたちで作品を閉じている。
ぜひ最後まで気を抜かず、というよりむしろ終幕が近付くに従ってより力を入れて、読み通してみてほしい。

中野好夫氏の解説は、訳者の解説にしては珍しく『二都物語』の負の面に焦点を当てている。
作品のいいところを誇張気味に述べ立てるのが訳書における解説の常道であるだけに、その中立的な立場の良し悪しは別問題としても、ここまで批判的な解説は後にも先にも読んだことがないというほどだ。
『二都物語』に満足できなかった人にはなるほどと思える記述が多いだろうが、作品の余韻に浸りたい読者は水を差されたような気持ちになるかもしれない。

この『二都物語』、おそらくはディケンズの作品の中では最も毀誉褒貶の甚だしいものの一つだろう。
確かにいくらか難点はあるし、ディケンズ最高傑作との呼び声の高い『デイヴィッド・コパフィールド』と比べれば、ディケンズの長所である人物描写にもやや劣る点があるのは否めない。
しかし、それでいて全世界で読み継がれているのがこの『二都物語』なのであり、この小説には読む人の胸を打つ力がある。
少々の欠点が気にならない人、頭より心で読む人、そんな人たちにお勧めしたい作品だ。

『大いなる遺産』 チャールズ・ディケンズ(新潮文庫)

大いなる遺産 (上巻) (新潮文庫)大いなる遺産 (上巻) (新潮文庫)
(1951/10)
ディケンズ

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大いなる遺産 (下巻) (新潮文庫)大いなる遺産 (下巻) (新潮文庫)
(1951/10)
ディケンズ

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書名:大いなる遺産
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:山西 英一
出版社:新潮社
ページ数:430(上)、450(下)

おすすめ度:★★★★




大いなる遺産 [DVD]大いなる遺産 [DVD]
(2008/10/24)
イーサン・ホーク、グウィネス・パルトロウ 他

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後期ディケンズの代表作として知られる『大いなる遺産』。
右はイーサン・ホーク、グウィネス・パルトロウに加えてロバート・デ・ニーロという豪華キャストで製作された映画『大いなる遺産』だ。
原作であるディケンズの『大いなる遺産』にあまり忠実ではなく、現代アメリカを舞台にしている翻案とでもいった作品なので、ディケンズを意識しながら楽しむのは難しいと思われるが、映画自体はよくできているほうだろう。

『大いなる遺産』は、ピップという愛称で親しまれている孤児に、とある人物が膨大な遺産、すなわち「大いなる遺産」を相続させるつもりであるとわかり、貧しかったピップの運命が大きく変化していくというのが主なあらすじだ。
財産が転がり込むという見込みによって当人はもちろん、周りの人間の振る舞いにまで影響が及ぼされる様は、少々滑稽であると同時に、印籠を見せつけた際の水戸黄門のような痛快ささえも感じられて面白い。
ディケンズ自身が貧しい身から超人気作家へという転変を経験しているわけだから、ディケンズも似たようなことを体験していたのかもしれないと思うと、作品がいっそう興味深くなってくるはずだ。

私のお気に入りは、ピップの義兄である鍛冶屋のジョーだ。
感情表現が決して上手なほうではないのだが、彼の不器用な言動には微笑ましい点が多く、非常に好感が持てる。
バーナビー・ラッジ』にも同様に職人気質の好人物が登場するし、まじめに働く労働者に対するディケンズの好意的なまなざしの表れと考えてもいいのかもしれないが、いずれにせよ、読者は不器用なジョーを応援せずにはいられないはずだ。

脱獄囚や陰惨な館、薄暗い部屋や暗闇の描写などが多く、それらが巧みに謎めいた雰囲気をかもし出しているが、それだけに小説世界全体があまり明るい調子ではなくなっていて、『オリヴァ・ツウィスト』や『デイヴィッド・コパフィールド』の楽天的なディケンズ・ワールドに親しんだ読者には、ひょっとすると期待外れだと感じられるかもしれない。
そうはいっても、ストーリーの面白さは言うまでもなく、さすがにディケンズ円熟期の作だけあって多くの伏線が仕込まれていたりと、作品としての完成度は高いように思うので、ぜひ一人でも多くの読者にディケンズが人類に遺した財産の恩恵にあずかっていただきたい。

『エドウィン・ドルードの謎』 チャールズ・ディケンズ(創元推理文庫)

エドウィン・ドルードの謎 (創元推理文庫)エドウィン・ドルードの謎 (創元推理文庫)
(1988/05)
チャールズ ディケンズ

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書名:エドウィン・ドルードの謎
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:小池 滋
出版社:東京創元社
ページ数:505

おすすめ度:★★★☆☆




ディケンズの絶筆がこの『エドウィン・ドルードの謎』で、ディケンズの他の作品の解説などでよく言及されているわりにはあまり一般に普及していないため、気にはなっているけれども読んだことがないという人も多いはずだ。
ディケンズの全作品中、殺人事件を主題にした最も推理小説的色合いの濃い作品にもかかわらず、謎解きがなされる前にディケンズは帰らぬ人となった。
「エドウィン・ドルードの謎」がまさしく謎のまま後世に残されたわけだ。

『エドウィン・ドルードの謎』は、新たな未知の人物、おそらくは探偵役を担うのであろう人物が登場したりと、まさにこれから話が面白くなっていくことを予感させる数章を最後に終わっている。
バーナビー・ラッジ』同様、それほど手の込んだミステリーではないので、たいていの読者は犯人を察することができるように書かれているが、研究者の間では諸説が飛び交っていて、中には殺人は未遂に終わったのではないかと推測している人もいるほどで、結局のところ、ディケンズがどういう結末を想定していたのかは推論の域を越え出ることがない。
読者は皆、言うなればディケンズの書き残した部分を自ら書き足さなければならない。
そしてこの作業こそが、『エドウィン・ドルードの謎』の最大の楽しみでもある。
世界文学全集〈29〉ディケンズ  エドウィン・ドルードの謎 (1977年)世界文学全集〈29〉ディケンズ エドウィン・ドルードの謎 (1977年)
(1977/04)
ディケンズ

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画像がないので恐縮だが、右は『世界文学全集〈29〉ディケンズ エドウィン・ドルードの謎』で、こちらも現在中古品しか出回っていない。
実物をこの目で確認したわけではないのだが、『エドウィン・ドルードの謎』の他に、岩波文庫版の『ディケンズ短篇集』に収録されている短編、すなわち『ピクウィック・クラブ』に挿入された短編もいくつか収められているらしい。
創元推理文庫の『エドウィン・ドルードの謎』がなかなかの高値で売られているようなので、節約派にはこちらがお勧めだ。

未完の推理小説ということで、『エドウィン・ドルードの謎』が万人に受け入れられる作品でないことは明白だが、ディケンズに興味のある読者なら必ずや面白く読めることだろう。
いつの日か岩波文庫あたりで普及版が出版されることを期待したい。
「ディケンズの絶筆」を売りにすればそこそこの部数はさばけるのではないかと思うのは、出版業界の事情に疎い素人考えなのだろうか。

『アメリカ紀行』 ディケンズ(岩波文庫)

アメリカ紀行 (上) (岩波文庫)アメリカ紀行 (上) (岩波文庫)
(2005/10/14)
ディケンズ

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アメリカ紀行 (下) (岩波文庫)アメリカ紀行 (下) (岩波文庫)
(2005/11/16)
ディケンズ

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書名:アメリカ紀行
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:伊藤弘之、下笠徳次、隈元貞広
出版社:岩波書店
ページ数:433(上)、435(下)

おすすめ度:★★★☆☆




若きディケンズがアメリカに渡り、各地を旅して回った際の記録がこの『アメリカ紀行』。
ユーモアと人間味あふれる筆致は非常にディケンズらしいところであるが、率直な感想が批判的とみなされてアメリカではこの作品は不人気だったらしい。
当時のアメリカ社会の雰囲気、特に旅行事情を知る上では貴重な資料となることだろう。

渡米当時、ディケンズの名はすでにアメリカでも広く知られていて、一般の観光客では出入りできないような場所に入ることを許されたり、会うことのできない人に会うことができたり、ただしそれと同時に、イギリスからやってきた有名人に会いたいというだけの表敬訪問をも無数にこなすことになったわけだが、いずれにせよ人気作家ならではの便宜を得ることができた。
そういうわけで、通常の旅行記とは幾分視点が異なるような印象を受ける。
普遍的というと言い過ぎだろうが、各地の上流階級の面々との触れあいや行政上の施設への視察を通して、私的な経験を綴った紀行文では達し得ない部分にまで筆が及んでいるのだ。
そこが同じディケンズの紀行文である『イタリアのおもかげ』との作風の最大の違いであろう。

同時期のアメリカ社会を取り扱ったものとして、トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』がある。
これは表題のとおりもっぱら政治体制に対する本であるが、アメリカ社会を肯定的にとらえている部分が多いので、ヒューマニズムに則った批判的な傾向の強いディケンズの『アメリカ紀行』と読み比べてみると面白いはずだ。

この『アメリカ紀行』、ディケンズのことをあまり知らない人が読んでも楽しめるだろうが、どちらかといえばディケンズを知っている人のための本のように思える。
ディケンズ作品の読者であれば、『オリヴァ・ツウィスト』や『ニコラス・ニクルビー』の作者らしさを感じ取ることができる旅行記であるに違いない。

『イタリアのおもかげ』 ディケンズ(岩波文庫)

イタリアのおもかげ (岩波文庫)イタリアのおもかげ (岩波文庫)
(2010/04/17)
ディケンズ

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書名:イタリアのおもかげ
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:隈元貞広、伊藤弘之、下笠徳次
出版社:岩波書店
ページ数:432

おすすめ度:☆☆☆☆




アメリカ紀行』と並び、ディケンズの紀行ものであるのがこの『イタリアのおもかげ』。
ユーモアにあふれる筆致は健在だが、小説世界と違って、揶揄されているものには具体的な対象物があるので、ただの皮肉な言い回しにも読めてしまう。
風景や芸術作品を褒めている部分もあるにはあるが、イタリアに対してあまり好意的には書かれていないこの本を読み終わって読者が感じるのは、結局のところディケンズはイタリアに失望したのではないかということ。
同じ旅行記であれば、『アメリカ紀行』のほうがだいぶ出来がいいように思う。

フランスを経由してジェノヴァ、ヴェネツィア、ローマなどを訪れたディケンズが各地の印象を綴っていくのが本書であるが、乞食の多さや不衛生さへの言及にしばしばお目にかかることになる。
まさか嘘を書いているわけではないだろうが、否定的な描写がこうまで多いと、読者は少々退屈してしまうのではないか。
また、ディケンズはイタリア全土に浸透したカトリックや修道院制度にも冷たい態度を見せている。
さすがにローマ教皇にはお手柔らかであるものの、全般に非常に手厳しい記述が目立っている。
単にディケンズはカトリック嫌いだったのではないか・・・そういったバイアスを予想せずにはいられない書きぶりだ。
ふと思い返してみれば、ディケンズの小説には宗教に関する描写がほとんどなかったのではなかろうか。
本書を足がかりにディケンズとキリスト教について考えてみるのもなかなか面白いかもしれない。

『イタリアのおもかげ』からはディケンズの審美眼も読み取ることができる。
「最後の晩餐」を切り抜いた修道士たちに皮肉な一矢を報いるのは共感できるものの、紀行文であるからやむをえないのかもしれないが、論理的な説明なしにベルニーニが駄作呼ばわりされ、また、彼はバチカンを単なる巨大な建物として無感動に眺めることができるという。
これもディケンズのカトリックに対する偏見を予想させる部分ではなかろうか。

この『イタリアのおもかげ』、イタリアに関する本を読みたい読者を満足させることはできないだろうし、ディケンズのファンでもこの本を素直に喜べるかというと非常に疑わしい。
原文の参照などもちろん行っていないが、訳文の読みやすさにも少々難があり、あまり評価のできない本だ。

『チャールズ・ディケンズの「クリスマス・ストーリーズ」』 ディケンズ(渓水社)

チャールズ・ディケンズの「クリスマス・ストーリーズ」チャールズ・ディケンズの「クリスマス・ストーリーズ」
(2011/10)
チャールズ・ディケンズ

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書名:チャールズ・ディケンズの「クリスマス・ストーリーズ」
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:篠田 昭夫
出版社:渓水社
ページ数:174

おすすめ度:☆☆☆☆




本書はディケンズのいわゆる「クリスマスもの」のうち、『柊屋』、『英国人捕虜の危険』、『幽霊屋敷』の三編を収録している。
ディケンズの「クリスマス・ストーリーズ」ということで、ほとんどの方が『クリスマス・キャロル』のような作品を期待されるかもしれないが、本書の収録作品はお世辞にも『クリスマス・キャロル』に似ているとは言い難い。
「クリスマス・ストーリーズ」とはいってもあまり子供向けの内容ではないし、一般受けもあまり望めないのではないかと思う。

収録作品はいずれもコリンズなどの作家との合作という形を採った作品のようだが、本書はそれらの中からディケンズの執筆部分だけを収録した「クリスマス・ストーリーズ」に沿って訳出がされている。
おおまかなあらすじは補ってくれるので読者がちんぷんかんぷんになるということはないにせよ、ディケンズが冒頭部分を担当した『幽霊屋敷』などは、中身が空っぽの枠組みだけが語られたような印象すら受けた。
それも「クリスマス・ストーリーズ」に忠実な訳書ということで仕方ないのかと思いきや、「クリスマス・ストーリーズ」には収録されていた『柊屋』の一部は本書では削除され、第一章の次に第三章が来るという具合なので、まとまった作品を読めるという期待はしないほうが賢明といえる。

ディケンズを何作品か読まれたことのある方ならばご存知だろうが、ディケンズは時として数行にわたる長い一文を書く作家だ。
それを訳出するとなると、原文を正確に読み解く力は言うまでもなく、それを表現する日本語の力にも人並み以上の才能が必要とされることだろう。
その点、これはあくまで個人的な感想なので異論・反論もあるかもしれないが、『チャールズ・ディケンズの「クリスマス・ストーリーズ」』の訳文には改善の余地があるように感じられた。

ディケンズの新訳が出ていると思って飛びついたものの、期待が大きすぎたからか、正直言って私は少々失望してしまったし、ディケンズほどの人気作家の作品であるにもかかわらず、これまであまり「クリスマス・ストーリーズ」が脚光を浴びてこなかったことにもうなずけるような気がしてしまった。
本書を楽しめるのは、「クリスマス・ストーリーズ」がどんなものなのか、ちらりと覗いてみたい方に限られるだろう。

『荒涼館』 ディケンズ(ちくま文庫)

荒涼館〈1〉 (ちくま文庫)荒涼館〈1〉 (ちくま文庫)荒涼館〈2〉 (ちくま文庫)荒涼館〈2〉 (ちくま文庫)荒涼館〈3〉 (ちくま文庫)荒涼館〈3〉 (ちくま文庫)

荒涼館〈4〉 (ちくま文庫)荒涼館〈4〉 (ちくま文庫)

書名:荒涼館
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:青木 雄造、小池 滋
出版社:筑摩書房
ページ数:458(一)、465(二)、438(三)、400(四)

おすすめ度:★★★★★




ディケンズ中期の長編作品の一つであり、ディケンズの作品の中で隠れた人気を誇るのが本書『荒涼館』である。
初期作品と異なり、伏線の張り巡らされた密な構成により完成度の高さを感じさせると共に、作品が行う社会批判にも厳しいものがある。
タイトルから連想される暗鬱な雰囲気もしばしば垣間見えるものの、ディケンズならではのユーモアセンスは健在なので、ディケンズのファンのみならず、幅広い読者層に強くお勧めしたい作品だ。

『荒涼館』の主人公も、ディケンズの長編作品にありがちなようにやはり心優しき孤児、エスタである。
自分の両親が誰なのかさえ知らないエスタは、とある遺産相続にまつわる裁判にて長らく係争中の後見人の元へと引き取られることが決まり・・・。
『荒涼館』は、エスタの一人称で語られる部分と全知の書き手が三人称で語る部分とが交互に連ねられていて、読者の視点もその都度変更を迫られるという興味深いスタイルを用いている。
ましてミステリー風の緊迫感に満ちた『荒涼館』は、それだけでも読者を引き込むのに十分な魅力を備えているはずだ。
荒涼館 全4巻セット荒涼館 全4巻セット

しばしば再版のなされている『荒涼館』は、いまだに新品での入手が可能で、右に示すように全4巻セットもある。
オリヴァ・ツウィスト』や『デイヴィッド・コパフィールド』と比べると、その邦訳が格段に地味な位置に甘んじている『荒涼館』ではあるが、数十年にわたって多くの人に受け入れられ続けていることが作品としての質を保証しているとも言えるのではなかろうか。

全4巻に及ぶ『荒涼館』は、いざ読み始めれば読者が勢い付くことは間違いないが、そうはいっても登場人物が多いため、なるべく短期間に一気に読まれるほうがいいかもしれない。
時間の都合でそれは難しいという方も少なくないことだろうが、読んだことを後悔するような作品ではないので、まずは一読をお勧めしたい。

『ハード・タイムズ』 ディケンズ(英宝社)

ハード・タイムズハード・タイムズ

書名:ハード・タイムズ
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:山村元彦、田中孝信、竹村義和
出版社:英宝社
ページ数:557

おすすめ度:★★★★




ディケンズの長編小説の中で最も短い作品がこの『ハード・タイムズ』である。
ディケンズ中期以降の作品の特徴でもあるが、『ハード・タイムズ』においても教育哲学や労使関係といった社会問題がいくつか取り上げられていて、風刺的な表現や直接的な批判が散見するディケンズらしい書きぶりの作品だ。
ディケンズの小説を華やかに彩るユーモアの発揮はかなり控えめなようだが、全般に会話部分の占める割合が高いことからも、すらすらと読みやすい作品となっているので、とっつきやすい作品であることは間違いないだろう。

『ハード・タイムズ』は、事実に即した思考のできる理性的人間を育成する学校に始まる。
自ら最善と信じる教育システムに固執している校長は、自身の子供たちをも「模範生」に育て上げるために厳しい目を光らせていたのだが・・・。
叩き上げの工場主、没落した名家の夫人、誠実な工場労働者、謎の老婆などが、緊密な構成を保って配列されている『ハード・タイムズ』は、ディケンズの長編小説の中でとてもまとまった作品の一つであるだろう。

これまで『困難な時世』などとも訳されてきた『ハード・タイムズ』は、その表題からして社会問題に焦点を当てた作品であるような印象を受ける方も多いことだろうが、実際には社会問題はさほど前面に打ち出されていないように感じられた。
社会批判を狙った作品と期待して読むと失望を誘うかもしれないが、その反面、社会問題を背景にして登場人物たちの織り成すストーリーは、読者を引き付ける力を十分に備えている。
そして私はそのようなストーリーテラーとしての手腕こそがディケンズの真骨頂であると考えているのだがいかがだろうか。

ロンドンを離れ、工業で栄える町を舞台にした『ハード・タイムズ』は、その舞台選びから文体的特徴に至るまで、どこか異色の作品に仕上がっているため、ディケンズの作品を幅広く鑑賞したい読者には強くお勧めしたい一冊であるといえる。
ただし、悲しいことに今やこの『ハード・タイムズ』の入手が「困難な時世」になっているのであるが・・・。

『ディケンズ短篇集』 ディケンズ(岩波文庫)

ディケンズ短篇集 (岩波文庫 赤 228-7)ディケンズ短篇集 (岩波文庫 赤 228-7)

書名:ディケンズ短篇集
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:小池 滋、石塚 裕子
出版社:岩波書店
ページ数:310

おすすめ度:★★★★




ボズのスケッチ 短編小説集』で作家活動をスタートさせたディケンズの、その後の十一篇の短篇を収録したのが本書『ディケンズ短篇集』である。
ディケンズといえばユーモアやペーソス、豊かな人物造形やストーリー性に富んだ長編作品がその醍醐味であると言えるだろうが、短編作品においてもストーリー性はやはり健在で、どの短編もあらすじに退屈することはないのではなかろうか。
ディケンズらしい少々回りくどい文体もそのままではあるものの、ほとんどの作品がニ十ページ程度とたいへん読みやすいので、気軽に手にしていただいていいように思う。

本書の収録作品には、サスペンス風の緊迫感に満ちたものや、ホフマンばりの怪奇な物語、さらにはポーのように自意識過剰気味の主人公が物語る作品もある。
一冊の短篇集としては文学ジャンルのバラエティーに富んでいて、しかもどの作品も読者を引き込む力を備えているように感じられる。
中でも特にお勧めな作品として、本書以外にも複数の翻訳が存在することが明かしているように、ディケンズの短篇の中で最高傑作との呼び声の高い『信号手』、実在の人間をモデルに書き上げられ、クライマックスまでの筋運びの巧みな『追いつめられて』の二作を挙げておきたい。

岩波文庫版の『ディケンズ短篇集』の欠点は、収録されている短編作品がディケンズの長編作品、たとえば『ピクウィック・クラブ』や『ニコラス・ニクルビー』にそっくりそのまま挿入されている話であるため、それらの長編の読者にとっては収録内容が重複してしまうことだろう。
とはいえ、一部の文学全集以外ではお目にかかることのできない短編も収録されているし、ましてディケンズの短篇作品の代表作である『信号手』はディケンズのファンであれば一読の価値あるものなので、ディケンズに興味のある方にはお勧めできる一冊だ。

『炉辺のこほろぎ』 ディケンズ(岩波文庫)

炉辺のこほろぎ (岩波文庫)炉辺のこほろぎ (岩波文庫)

書名:炉辺のこほろぎ
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:本多 顕彰
出版社:岩波書店
ページ数:148

おすすめ度:★★★☆☆




ディケンズの中編作品としては、文庫本化されている数少ない作品の一つがこの『炉辺のこほろぎ』である。
デイヴィッド・コパフィールド』や『大いなる遺産』などの代表作で知られるように、長編作品においてその持てる才能を遺憾なく発揮するディケンズではあるが、『炉辺のこほろぎ』にもディケンズらしいユーモアやペーソスはもちろん健在で、まして戯曲を思わせる緊密な構成で仕上がっている点は長編作品をしのぐほどですらある。
ディケンズのメジャーどころ以外の作品も読んでみたいという方にはたいへんお勧めの一冊だ。

『炉辺のこほろぎ』に登場する主なキャラクターは、廉直な運送屋とその若く美しい妻、陋屋にて苦しい生活を送っている玩具屋と視力を奪われたその娘、嫌味で陰気な金持ちの男、そしてタイトルロールである「炉辺のこほろぎ」である。
ある日のこと、愛に満ちた運送屋の家に、見ず知らずの謎の老人が転がり込んできて・・・。
それぞれのキャラクターの性格付けがいくらか紋切型に過ぎるような気がしないでもないが、貧しい身の上の人々に対するディケンズの優しい思いやりが伝わってくるのは彼の他の作品と同様で、読者もまたその思いやりの念に包み込まれてしまいさえすれば、登場人物が少々ワンパターンであることは気にもならないかもしれない。

岩波文庫の『炉辺のこほろぎ』には、「こほろぎ」というタイトルからも察せられるように訳文も旧仮名遣いなので、本来であれば気楽に読み進めることのできる心温まるストーリーであるにもかかわらず、読者は随分とかしこまった文体を通じてこの作品に接しなくてはならないという短所がある。
これは古い岩波文庫に共通して言えることだが、『炉辺のこほろぎ』もその原作は多くの読者が敬遠しがちな翻訳しかない状態にしておくにはもったいない出来栄えのものなので、読みやすい新訳による改版に期待したいところだ。

『骨董屋』 ディケンズ(ちくま文庫)

骨董屋(上) (ちくま文庫)骨董屋(上) (ちくま文庫)骨董屋(下) (ちくま文庫)骨董屋(下) (ちくま文庫)

書名:骨董屋
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:北川 悌二
出版社:筑摩書房
ページ数:537(上)、515(下)

おすすめ度:★★★★★




連載当時の人気の高さは比類がなく、文字通り英米を席巻したというディケンズ初期の長編小説がこの『骨董屋』である。
複数の出版社から文庫本として出版されていてもおかしくないほどの名作なので、ディケンズの愛読者に限らず、幅広い読者層にお勧めしたい。

グロテスクな品物に囲まれ、わびしい骨董屋で祖父と二人で暮らしている少女ネル。
愛するネルのために財産を築こうと、祖父は賭博に手を染めたが、資金は失われていく一方で、借金の返済のために骨董屋からも立ち退かねばならなくなってしまい・・・。
『骨董屋』は、『ピクウィック・クラブ』でその本領を発揮した、ディケンズお得意の放浪と遍歴の物語である。
幸福とは言い難い状況の下で出会いと別れを繰り返す健気なネルの行く末は、読者の関心を誘わずにはいないだろう。

『骨董屋』はネルを主人公とした物語であると紹介されることが多いようだが、私は個人的にキット少年を非常に気に入っている。
ネルが精神的で崇高な存在であるのに対して、キットは肉体的で活発な存在であり、躍動感があるだけいっそう面白いキャラクターであるように感じられるからだ。
ディケンズの作品の常で、『骨董屋』にも生き生きとした人物が数多く活躍しているので、読者はそれぞれお気に入りを見つけることができるのではないかと思う。

ディケンズならではのユーモアとペーソスは『骨董屋』においても健在である。
いくらかペーソスを盛り込み過ぎたのではないかという感はあるし、それが実際に批判の的にもなったらしいのだが、ディケンズの作品を好む方であればその筆致を不満に感じることもないのではなかろうか。
欠点を挙げようとすればいくつか挙げられなくもないが、きわめてディケンズらしい作品として強くお勧めできる作品だ。

『リトル・ドリット』 ディケンズ(ちくま文庫)

リトル・ドリット〈1〉 (ちくま文庫)リトル・ドリット〈1〉 (ちくま文庫)リトル・ドリット〈2〉 (ちくま文庫)リトル・ドリット〈2〉 (ちくま文庫)リトル・ドリット〈3〉 (ちくま文庫)リトル・ドリット〈3〉 (ちくま文庫)

リトル・ドリット〈4〉 (ちくま文庫)リトル・ドリット〈4〉 (ちくま文庫)

書名:リトル・ドリット
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:小池 滋
出版社:筑摩書房
ページ数:401(一)、383(二)、409(三)、371(四)

おすすめ度:★★★★★




ディケンズの中期作品の一つである『リトル・ドリット』は、ロンドンのマーシャルシー債務者監獄というディケンズ自身にとっても忘れがたい場所を主な舞台に据えた作品である。
ディケンズならではのユーモアとペーソスはもちろん、社会風刺にミステリーの要素なども交えた、読み応え十分な作品になっている。

中国帰りのアーサー・クレナムが久しぶりに疎遠だった母の元へ戻ると、監獄で生まれ育つという恵まれない境遇にもかかわらず清い心を失わないでいる「リトル・ドリット」に出会う。
ドリット一家、クレナム一家を中心に物語が進んでいく中で、素性の怪しい紳士が暗躍を始め・・・。
しばしば描かれる美しい心情の発露はやはり読んでいて気持ちが良いものだし、ディケンズならではの誇張をもって戯画化された登場人物の醸し出すおかしみも健在なので、『リトル・ドリット』はいろいろな角度から読者を楽しませてくれることだろう。

ストーリー展開にディケンズお得意の行き当たりばったりさも感じられる『リトル・ドリット』は、それだけ登場人物も多く、ある程度一気に読まないと誰が誰だかわからなくなることもあり得るだろうが、途中で行き詰ってしまう作品ではないため、時間の都合さえつけば存分に楽しめるに違いない。
また、カフカを想起させるような遅々として進まないお役所仕事の描写や、ジョイスの先駆けとも言える句読点なしの文体が垣間見られるのも、本書の非常に興味深い点かもしれない。
リトル・ドリット 全4巻リトル・ドリット 全4巻

ディケンズ中期以降の作品の特徴として構成への配慮が挙げられるが、この『リトル・ドリット』にしても、個別のエピソードが乱立しているかのようでありながら全体の枠組みには確固たるものがあるので、『リトル・ドリット』の良し悪しを判別するのはやはり全巻を読み通してからにすべきではなかろうか。
オリヴァ・ツウィスト』や『デイヴィッド・コパフィールド』ほどの知名度や完成度はないかもしれないが、ディケンズのファンには強くお勧めしたい作品だ。

『マーティン・チャズルウィット』 ディケンズ(ちくま文庫)

マーティン・チャズルウィット〈上〉 (ちくま文庫)マーティン・チャズルウィット〈上〉 (ちくま文庫)マーティン・チャズルウイット〈中〉 (ちくま文庫)マーティン・チャズルウイット〈中〉 (ちくま文庫)

マーティン・チャズルウィット〈下〉 (ちくま文庫)マーティン・チャズルウィット〈下〉 (ちくま文庫)

書名:マーティン・チャズルウィット
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:北川 悌二
出版社:筑摩書房
ページ数:621(上)、544(中)、506(下)

おすすめ度:★★★★




『マーティン・チャズルウィット』はディケンズ中期の長編作品の一つである。
全般に明るさを基調とする物語ではあるが、時としてうねうねと蛇行するような妙に長い一文があったり、感傷的な文句が書き連ねられていたりするところからしても、いかにもディケンズらしい作品と言えるはずだ。

年老いた富豪のマーティン・チャズルウィットは、周囲の誰もが彼の財産だけを狙っていると固く信じ込み、親戚一同を毛嫌いするようになっている。
その結果、彼が育てた同名の孫のマーティンでさえ縁を切られてしまい・・・。
ディケンズの他の小説と同様、『マーティン・チャズルウィット』にもいろいろな個性的キャラクターが勢揃いしているが、中でも文学史上まれに見る程の偽善者であるペックスニフは、とても興味深い人物像になっていると言えるのではなかろうか。
他方、ペックスニフの使用人であり、良くも悪くもシンプルと形容されるトム・ピンチに対しては、興味深いとは感じないかもしれないが、並々ならぬ好感を抱くに違いない。

『マーティン・チャズルウィット』の特徴といえば、やはりアメリカを舞台にするという点であろう。
アメリカの人々は決して好意的に描かれてはいず、ディケンズの筆が繰り出す滑稽味豊かな風刺が多少きつすぎる気がしないでもないが、それはディケンズ自身が経験した苦い思い出に由来しているのだろう。
そしてそのあまり好ましくない思い出は『アメリカ紀行』というディケンズの旅行記に結実しているので、本書の読者には『アメリカ紀行』を併せて読まれることを強くお勧めしたいと思う。

『マーティン・チャズルウィット』は、ディケンズの作風が行き当たりばったりの先行き知れずから、明確な構成を持った作品へと移行していく過渡期にあたる作品であるらしい。
確かに、ディケンズならではのユーモアがふんだんに盛り込まれた筋書きの面白さは損なわれておらず、それでいて大まかながら作品としてのまとまりもある。
さほど有名な作品ではないものの、ディケンズのファンならば一読すべき作品であると思う。
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