『響きと怒り』 フォークナー (岩波文庫)

響きと怒り (上) (岩波文庫)響きと怒り (上) (岩波文庫)響きと怒り (下) (岩波文庫)響きと怒り (下) (岩波文庫)

書名:響きと怒り
著者:ウィリアム・フォークナー
訳者: 平石 貴樹、新納 卓也
出版社:岩波書店
ページ数:391(上)、333(下)

おすすめ度:★★★★★




アメリカ文学の中で特に難解な作家として知られるフォークナーの代表作がこの『響きと怒り』である。
小説のあらすじや思想性よりもその実験的な手法が話題になることが多いが、事実、その書き方は大いに注目に値するものなので、それを体験するためだけに読むというのもありではないかと思う。
『響きと怒り』はフォークナーらしい難解さが発揮されている作品であるが、同じく「意識の流れ」の作家として知られ、文体の実験を過度に推し進めたジョイスの後期作品よりもはるかに読みやすいので、敷居はそう高くないと言えるのではなかろうか。

『響きと怒り』はアメリカの南部社会における名家が没落していく過程を4部構成で描いている。
中心となる視点人物が各部によって異なる上に、その時間軸も必ずしも一定ではなく、特に知的障害を抱えた登場人物が視点となっている箇所の記述は錯綜しており、内容の把握に苦労する読者もいるかもしれない。
他にも一筋縄ではいかない部分が多く、読者は頭の中でもつれ合った糸をほどいていくような感覚を覚えるのではないかと思う。
『響きと怒り』のような作品は、最後まで読み通すという体験にも意義があるはずなので、少しくらい不明な点があっても読み進めることをお勧めしたい。
響きと怒り (講談社文芸文庫)響きと怒り (講談社文芸文庫)

アメリカ文学を代表する作品でもある『響きと怒り』は、いくつかの文学全集に収録されている他にも、右に示すように講談社文芸文庫からも出されている。
読みやすさや注釈の充実度からいって個人的には岩波文庫の方をお勧めしたいが、一冊にまとまっている講談社文芸文庫版も悪くない選択肢かもしれない。

『響きと怒り』が読者に求めるのは、作品に書いてあることをただ読んでいくという受動的な姿勢ではなく、一人一人の読者が判断力を働かせながら読むという能動的な姿勢であるように思う。
個性の強さゆえに好き嫌いが明確に分かれる作品なのだろうが、各人の読書経験の中で、良きにしろ悪しきにしろ『響きと怒り』が印象深い作品の一つになることだけは間違いないはずだ。
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『サンクチュアリ』 フォークナー(新潮文庫)

サンクチュアリ (新潮文庫)サンクチュアリ (新潮文庫)

書名:サンクチュアリ
著者:ウィリアム・フォークナー
訳者:加島 祥造
出版社:新潮社
ページ数:426

おすすめ度:★★★★★




フォークナーの名を世に知らしめた出世作がこの『サンクチュアリ』である。
手法の点では『響きと怒り』より直截的に書かれているので読みやすく、フォークナーの代表的な長編作品の中では文章量も手頃なので、フォークナーを知らない読者が『サンクチュアリ』から始めてみるというのも悪くないかもしれない。

『サンクチュアリ』は、酒を密造している一団の下へ若い男女が迷い込んだことが引き起こした事件の顛末を描いている。
暴力とそれに怯える心情や、善悪の交錯する場面などは、いかにもフォークナーらしい巧みさで書かれており、本書の読みどころの一つと言えるはずだ。
時間軸のぶれと場面の転換の多さが読者を混乱させかねないが、『サンクチュアリ』がスピーディーな作品に仕上がっていることは間違いないだろう。

『サンクチュアリ』は凄惨な事件を描いたものとして紹介されていることが多いが、実際に『サンクチュアリ』の読者が強いインパクトを受けるかというとそうでもない気がする。
単に今日の読者が当時の読者と比べてテレビや映画などを通じてグロテスクな出来事に慣れてしまっているからかもしれないが、肝心なところをオブラートで包みこむようなフォークナーの婉曲的な表現技法による部分も少なくないはずで、読者には行間を読みながらのあらすじの把握が求められる箇所もあることだろう。

一般的にはフォークナーの代表作の一つに数えられているにもかかわらず、『響きと怒り』や『八月の光』といった他の優れた長編作品との対比によるからなのか、『サンクチュアリ』の文学的評価はそれほど高くないらしい。
しかし、暴力的な作品を書く作家というフォークナーに欠かせない一面を知る上で『サンクチュアリ』は格好の素材であるため、フォークナーに関心のある読者には強くお勧めしたい作品だ。

『八月の光』 フォークナー(新潮文庫)

八月の光 (新潮文庫)八月の光 (新潮文庫)

書名:八月の光
著者:ウィリアム・フォークナー
訳者:加島 祥造
出版社:新潮社
ページ数:664

おすすめ度:★★★★★




フォークナーの代表作の一つである『八月の光』。
爽快感さえ覚えかねないタイトルの作品ではあるが、実際のところはアメリカ南部社会の負の面を描き出した濃厚な作品になっている。
サンクチュアリ』にも通じるところの多い作品で、テーマや手法の面から判断しても、フォークナーの作品群の中で重要度の高い作品といえるのではなかろうか。

自分には黒人の血が混じっていると信じ込み、反社会的な存在となっているジョー・クリスマス。
物語が進むにつれて彼の孤児としての生い立ちが徐々に詳らかにされ、半ばは必然的な結果として、クリスマスはその終着点である破滅へと辿り着くのであった。
中心人物のクリスマスを取り巻く人々のエピソードも読み応えがあり、総体として見た場合の『八月の光』に幅と奥行きを与えているように思われる。

『八月の光』に限ったことではないが、フォークナーの作品は後半部分に至るまでのざっくりとしたあらすじが作品紹介の部分に書かれていたりする。
要はネタばれなのであるが、それを読んだ上で作品を読み始めても、読み手を失望させないだけの緻密な心理描写が続いていたり、凝った技法が用いられていたりする。
これらの点こそ、フォークナーを嫌う読者からすれば彼の欠点と感じられるのだろうが、一度その筆致にはまれば癖になること疑いなしだろう。

クリスマスの引き起こした事件の顛末に関して、幕引きが少々あっけない気がしないでもないが、一つの小説としては物足りなさを感じることがほとんどない。
『八月の光』には『響きと怒り』のような読者を戸惑わせる難解さもないので、フォークナーに関心のある方はぜひ本書を手にしていただければと思う。

『フォークナー短編集』 フォークナー(新潮文庫)

フォークナー短編集 (新潮文庫)フォークナー短編集 (新潮文庫)

書名:フォークナー短編集
著者:ウィリアム・フォークナー
訳者:龍口 直太郎
出版社:新潮社
ページ数:353

おすすめ度:★★★★★




フォークナーの代表的な短編作品を集めたのが本書『フォークナー短編集』だ。
一般的には、フォークナーといえば難解な長編小説作家というイメージがあるように思うが、短編にはその難解さがなく、それでいてテーマや登場人物が長編作品に直結するものであるため、フォークナーに関心を持っている読者にとっては、長編作品を補完するもの、もしくは長編作品への格好の足掛かりとなるのではなかろうか。

『フォークナー短編集』には、『嫉妬』、『赤い葉』、『エミリーにバラを』、『あの夕陽』、『乾燥の九月』、『孫むすめ』、『バーベナの匂い』、『納屋は燃える』の八編が収録されている。
南部社会の負の面、すなわち奴隷制度とその名残りであったり、暴力が横行しているさまや没落した名家の悲惨さなどに焦点を当てているあたりはいかにもフォークナーらしいと言えるだろう。
すべてを描ききらない筆致も長編作品と同様で、フォークナーの筆の進め方に短編作品で慣れておくと、難解と評される彼の長編作品が読みやすくなるかもしれない。

それにしても、フォークナーの短編の中でも非常に有名な『エミリーにバラを』と『あの夕陽』は、やはりその知名度に劣ることのない素晴らしい出来栄えだと思う。
特に『響きと怒り』に結び付く『あの夕陽』は、フォークナーに関心のある読者がこの短編集の中で最も念入りに読むべきものになるのではなかろうか。

フォークナーの作品群を見渡した場合、個人的には長編作品のほうをお勧めしたいと思うが、コンプソン家、サートリス家、スノープス家といった長編作品の主要登場人物たちが描かれている短編作品も見過ごすわけにはいかない。
再版が続いている『フォークナー短編集』は入手もきわめて容易であるし、訳文の読みやすさや収録作品の質から言っても自信を持ってお勧めできる一冊だ。

『エミリーに薔薇を』 フォークナー(福武文庫)

エミリーに薔薇を (福武文庫―海外文学シリーズ)エミリーに薔薇を (福武文庫―海外文学シリーズ)

書名:エミリーに薔薇を
著者:ウィリアム・フォークナー
訳者:高橋 正雄
出版社:福武書店
ページ数:295

おすすめ度:★★★★




福武文庫から出されているフォークナーの短編集が本書『エミリーに薔薇を』である。
収録作品は新潮文庫版の『フォークナー短編集』と半数が重複しているが、新潮文庫版とは異なる観点から選ばれている作品も訳出されているため、フォークナーの短編作品に関心のある読者にとっては魅力的な一冊であると言えるのではなかろうか。

本書の収録作品のうち、『赤い葉』、『エミリーに薔薇を』、『あの夕陽』、『ウォッシュ』の4作品が『フォークナー短編集』にも収録されているが、一方で『正義』、『女王ありき』、『過去』、『デルタの秋』の4作品は収録されていない。
『正義』は『赤い葉』の姉妹編とも言うべきインディアンものであり、サートリス家を描いた『女王ありき』はいかにもフォークナーらしい書きぶりである。
また、フォークナーが創造した作中人物の中で注目に値する人物としてアイザックがいるが、そのアイザックの誕生以前を扱った『過去』と、アイザックの晩年の様子をありありと映し出す『デルタの秋』は、アイザックものの読者を楽しませること疑いなしだ。

『女王ありき』と『デルタの秋』からは、アメリカ南部の抱える暴力性を多く描いてきたフォークナーの手になるものとは思えないほどの落ち着きや諦念が読み取られるように思う。
そういう意味では、本書『エミリーに薔薇を』から作家としてのフォークナーの変遷を窺い知ることができるかもしれない。

フォークナーの短編集として比較した場合、収録作品の内容の質でいうと新潮文庫版の『フォークナー短編集』のほうがより幅広くフォークナーの作品を紹介しているように思われるが、より深くフォークナーに迫ることのできるのは福武文庫版であるような気がする。
フォークナーの短編世界に深入りしたい方はぜひ本書を手にしていただければと思う。

『死の床に横たわりて』 フォークナー(講談社文芸文庫)

死の床に横たわりて (講談社文芸文庫)死の床に横たわりて (講談社文芸文庫)

書名:死の床に横たわりて
著者:ウィリアム・フォークナー
訳者:佐伯 彰一
出版社:講談社
ページ数:304

おすすめ度:★★★★★




『響きと怒り』と同時期に書かれたフォークナーの長編作品の一つがこの『死の床に横たわりて』である。
他の長編作品と比べるとやや短めであるが、小説としての完成度は他に劣るどころかむしろ上回ってさえいるかもしれない。
作品を通じて「意識の流れ」を徹底的に駆使しており、フォークナーの手法を知る上で貴重な作品となっているし、それでいてさほど難解さの感じられない読みやすい作品でもあるので、フォークナーに興味のある読者には一読をお勧めしたい。

田舎の農家バンドレン家に嫁ぎ、今や死の床で瀕死の状態にあるアディの望みはといえば、出身の町であるジェファソンに葬ってもらうことだった。
間もなくアディが亡くなり、夫や子供たちによって埋葬のための長い旅が始まったのだが・・・。
『死の床に横たわりて』は、各登場人物の独白の連続というスタイルで物語が進められていくのだが、バンドレン一家が揃いも揃って変人ばかりなので、個性的な独白ばかりが続くことになる。
作品内には説明的な文章が少なめなので人物構成が判別しにくいかもしれないが、講談社文芸文庫版の場合は巻頭に主な登場人物が記載されているので、それさえ頭に入れておけばすんなりと作品世界に入っていけることだろう。

他にも優れた作品を多く残しているフォークナーの場合、代表作として『死の床に横たわりて』が真っ先に紹介されることは少ないが、作品の出来栄えから言えば、フォークナーのみならず、「意識の流れ」を採用した作品の中でも代表的なものとみなすことができるはずだ。
各々の登場人物の意識の断片が見事につなぎ合わされている『死の床に横たわりて』は、最初から最後までリズミカルに進行していき、結末もまた秀逸ときている。
新品での入手が困難な作品ではあるが、なかなか読みごたえのある一冊なので、フォークナーに関心のある読者はぜひ本書を手にしていただければと思う。

『アブサロム、アブサロム!』 フォークナー(岩波文庫)

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書名:アブサロム、アブサロム!
著者:ウィリアム・フォークナー
訳者:藤平 育子
出版社:岩波書店
ページ数:384(上)、416(下)

おすすめ度:★★★★★




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小説家としてのフォークナーに脂が乗り切っていた時期に書かれたのがこの『アブサロム、アブサロム!』である。
以前は右の講談社文芸文庫版で読むのが一般的だったように思うが、数年前に岩波文庫からも出版され、より多くの読者に読まれる機会を得たのではなかろうか。
斬新かつ難解な作品であるために少々取っ付きづらいかもしれないが、フォークナーに興味のある方には強くお勧めしたい作品だ。

アメリカ南部の小さな町ジェファソンに忽然と姿を現したトマス・サトペン。
彼の真の意図も、彼が持つ莫大な資金の出所もあやふやながら、彼はいつの間にか広大な地所を備えた豪華な屋敷を築き上げてしまう。
そんな彼が次に始めたのは嫁探しだった・・・。
数十年にも及ぶ時間軸の上を行き来しながら、『八月の光』のクリスマスに匹敵するような強烈な個性を備えたトマス・サトペンとその一家を描き上げた『アブサロム、アブサロム!』は、あたかも一大歴史絵巻を紐解いているかのような大作と言えると思う。

『アブサロム、アブサロム!』の読者には、彼の短編作品『ウオッシュ』の一読をお勧めしたい。
ウオッシュ』のあらすじは『アブサロム、アブサロム!』によってすべて述べられているので新たな発見はないだろうが、『アブサロム、アブサロム!』の読者ならではの感銘が期待できる。
同じ作品が新潮文庫の『フォークナー短編集』ではタイトルが『孫むすめ』というふうに意訳されているのは、一つの短編小説として独立して読んだ場合、「ウオッシュ」という語のニュアンスが伝わらないからなのだろう。

段落も文も一つ一つが長く、時系列も主語も転々とし、事実と推測とが入り混じる文章が連綿と続く『アブサロム、アブサロム!』。
その内容を正確に把握していくためだけでもけっこうな努力を読者に強いるのではないかと思うが、この文体に一度はまるとやみつきになってしまうような奇妙な魅力があるのもまた事実である。
苦労してでも読み通す価値のある傑作であることは間違いないので、ぜひ挑戦してみていただきたいと思う。

『寓話』 フォークナー (岩波文庫)

寓話〈上〉 (岩波文庫)寓話〈上〉 (岩波文庫)寓話〈下〉 (岩波文庫)寓話〈下〉 (岩波文庫)

書名:寓話
著者:ウィリアム・フォークナー
訳者:阿部 知二
出版社:岩波書店
ページ数:348(上)、404(下)

おすすめ度:★★★★




フォークナー後期の長編作品の中で、代表的な位置付けにある作品の一つがこの『寓話』である。
フォークナーとキリスト教との関係性を顕著に示す作品であり、フォークナーの宗教観を知る上では格好の鍵となるのではなかろうか。

時は第一次大戦中、場所はフランス軍とドイツ軍が対峙する最前線。
ある日のこと、両軍ともに兵士が戦闘を放棄し、戦争が止まってしまうという奇妙な事態に。
兵士たちに戦闘を放棄するように仕向けた首謀者と目される男と、その一味である十三人が捕らえられ・・・。
つかみどころのない前半部分に、独特な理念を持ち込む後半が続く『寓話』ではあるが、章立て毎に何曜日の出来事なのかが書かれているので、フォークナーの長編作品にしては時間の流れはわかりやすいほうだといえる。
しかし、一文が妙に長く、時として論旨があいまいになりがちの複雑で力強いスタイルは『寓話』でも健在であり、読み応えはある反面、難解な作品であることも事実であろう。

神話や聖書に題材を求める場合など、先にある程度の型が決まっている作品では、読者がプロットやディテールにおいていささか窮屈な印象を受けるというのはありがちなことだが、この『寓話』からはこの窮屈さを感じることが少ないように思う。
フォークナーの奔放な創作力は、それが仮にキリスト教道徳の根幹である新約聖書であっても、既成の型に収まりきるものではないということなのかもしれない。

フォークナーにはいくつか作品群があり、それらは複数作品を読むことで一層味わいがあるものだが、この『寓話』は他の作品との直接的な関係性がほぼないので、それだけ単独で楽しめる作品になっている。
そうはいっても、『寓話』はフォークナーを既に何冊か読んだことのある人に向いている、いわば玄人向けの作品であるという気もする。
フォークナーをより深く鑑賞したい方にお勧めしたいと思う。

『サートリス』 フォークナー(白水社)

サートリスサートリス

書名:サートリス
著者:ウィリアム・フォークナー
訳者:林 信行
出版社:白水社
ページ数:352

おすすめ度:★★★★




フォークナーにとって三作目にあたる長編作品がこの『サートリス』である。
フォークナーの作品世界の中心に位置するヨクナパトウファものの第一作目であり、その後の作品でも活躍する登場人物が多数初登場を果たすという『サートリス』は、いわば彼が本領を発揮しだした作品とみなすことができると思う。
そういう意味では、フォークナーに関心のある読者を引き付ける魅力を十分に持っているのではなかろうか。

『サートリス』は、その名のとおり南部の名家であるサートリス一家を描いている物語である。
旧弊な習慣を守っている老サートリスと、その孫であり、第一次世界大戦から生還して、新時代の象徴である自動車を乗り回す孫のサートリスが主要人物であると言えるだろう。
しかし、新旧の価値観の対比だけに止まらないのが『サートリス』の面白いところでもある。
心理描写は少ないが、それだけに読者が登場人物の心情を推測し、自ら補わなければならないというのも楽しみの一つと言えるかもしれない。

フォークナーは、第一次世界大戦後のロスト・ジェネレーションを描いた作家の一人と紹介されることが多いが、彼の代表作を読んでも、必ずしもそれを感じ取ることができるとは限らない。
その点、『サートリス』は典型的と言ってもよいほどにわかりやすくロスト・ジェネレーションに焦点を当てて描かれた作品なので、多面性を持つフォークナーという作家の一面を明確にとらえることができるはずだ。

『サートリス』に描き出される一つ一つの細かなエピソードは、それを読んでいる最中にはさほど重要に感じられないが、読後に全体を振り返ってみると、南部社会の見事な群像が描き出されていたことに読者は気付かされることだろう。
そしてその群像をより一層知るために、ヨクナパトウファものの他の短編や長編を読みたくなることはほぼ間違いない。
あまり注目を浴びない作品ではあるものの、文体にも難解さは見られないので、気軽に手にしていただければと思う。

『兵士の報酬』 フォークナー (文遊社)

兵士の報酬兵士の報酬

書名:兵士の報酬
著者:ウィリアム・フォークナー
訳者:加島祥造
出版社:文遊社
ページ数:484

おすすめ度:★★★★




フォークナーの処女作となるのがこの『兵士の報酬』である。
フォークナーもいわゆるロスト・ジェネレーションの作家の一人と評されることが多いが、『響きと怒り』や『アブサロム、アブサロム!』といった代表作を読んでいる限り、その肩書があまりしっくりこないと感じる読者が多いかもしれない。
その点、戦争を経た若者たちを主な登場人物とするこの『兵士の報酬』を読めば、以後その違和感は消えてなくなるに違いない。

『兵士の報酬』は、第一次世界大戦後の帰還兵の物語である。
死んだと思われていた青年マーンがアメリカの郷里に帰ってくるのだが、顔に大怪我を負っているだけでなく、記憶まで喪失して帰ってきたものだから・・・。
一般にフォークナーと聞けば想像されるような南部ものと比べると、『兵士の報酬』で描かれている作品世界はけっこう異なるものとなっている。
そうはいっても、未熟な青年、粗暴な男、浮薄な娘、大胆な女性など、いかにもフォークナーが描きそうな人物像には事欠かない作品と言えると思う。

フォークナーといえば難解な作家としても知られているが、『兵士の報酬』から難解という印象を受ける読者は少ないはずだ。
一文が短い上に、会話部分も多いので非常に読みやすく、フォークナーらしい重厚な文体による読み応えある作品を期待すると、かえって裏切られるかもしれない。

フォークナーの創り上げた作品群を思い浮かべると、『兵士の報酬』を彼の典型的な作品の一つとみなすことはできなさそうだが、この小説がフォークナーの作家としての出発点となったという事実は案外うなずける気がする。
フォークナーに興味のある方にはお勧めできる一冊だ。

『熊』 フォークナー (岩波文庫)

熊 他三篇 (岩波文庫)熊 他三篇 (岩波文庫)

書名:
著者:ウィリアム・フォークナー
訳者:加島 祥造
出版社:岩波書店
ページ数:271

おすすめ度:★★★★




フォークナー後期の作品を四編収録した中短篇集が本書『熊』である。
難解な作家として知られるフォークナーにしては読みやすい作品であり、文庫本という手頃さもあるので、フォークナーに関心のある方にはお勧めできる一冊だ。

本書には、『熊』、『むかしの人々』、『熊狩』、『朝の追跡』の四篇が収録されていて、いずれも森での狩りをテーマにしたものだ。
止まらなくなったしゃっくりを巡る滑稽話である『むかしの人々』を除けば、狩りの経験が乏しい少年の視点を通じて語られている物語ばかりなので、実際に熊や鹿を追ったことのない読者にとっても、狩猟における鮮烈な印象や興奮を少年と共有することができるように思う。
それらの話の中に精神性が盛り込まれていて、単純にスリリングな狩猟物語ではなくなっているあたりに、フォークナーたる所以を見て取ることもできるはずだ。

本書は元々一つの作品集からの選集になっているので、登場人物が重複していたり、祖先や子孫が登場したり、別の作品内のエピソードへの言及があったりと、それぞれの作品が有機的なつながりを持っていて、一つの長編作品にでも組み立てられそうなストーリーになっている。
『熊』を読んでいるうちに、フォークナーの描く縦方向にも横方向にも伸びているような作品世界を読者は奥深く理解できたような錯覚に陥りかねないが、それこそまさに、フォークナーの術中にはまるというものなのだろう。

フォークナーという作家は本当に色々な顔を持っているものだから、『熊』の作者が『響きと怒り』や『サンクチュアリ』、『寓話』といった作品をも書いたとはにわかには信じ難いほどである。
しかし、森に象徴されている自然と一体になって暮らす狩人の精神をも描き出していたという一面は、見過ごすには惜しい一面であると思うので、フォークナーに興味のある方はぜひ本書を手にしていただければと思う。
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