『こわれがめ』 クライスト(みすず書房)

こわれがめ―― 付・異曲 (大人の本棚)こわれがめ―― 付・異曲 (大人の本棚)

書名:こわれがめ― 付・異曲
著者:ハインリヒ・フォン・クライスト
訳者:山下 純照
出版社:みすず書房
ページ数:208

おすすめ度:★★★★




クライストの、ひいてはドイツ文学を代表する喜劇作品が、この『こわれがめ』である。
作品完成当初はあまり評価されず、後世の再評価によって名を高めたという作品ではあるが、滑稽味だけではなく風刺的な側面も備えていて、多くの読者を楽しませてくれるだろう。

オランダのとある田舎町で、顔に怪我を負った村長でもあり裁判官でもある一人の男が朝を迎え、頭の中も身の回りもろくに整理がつかないでいるうちに、司法官が抜き打ちで巡視に来てしまう。
司法官を前に普段通りの裁判を行う羽目になり、早速、壊れた甕の犯人を判定してほしいという事件が持ち込まれて・・・。
今日においても、裁判ドラマは人を魅了し続けているが、『こわれがめ』もその一種とみなすことができるだろう。
冗漫に感じられる部分もあるものの、全体的には謎が解き明かされていくスリリングさと滑稽さのバランスがよく、さすがに傑作と言われるだけのことはあるというものだ。
こわれがめ (岩波文庫)こわれがめ (岩波文庫)

日本でも何度か舞台で上演されたことがあるほどに有名な作品であるにもかかわらず、出版界からは不当とも言えるほどに等閑視されがちのこの『こわれがめ』は、古くは岩波文庫で読むのが主流だったのではなかろうか。
みすず書房から2013年に刊行された『こわれがめ』には、副題に「付・異曲」とあることからもわかるように、改作前のヴァリアントが収録されていて、読者がクライストの当初の意図に近付けるというのが長所になるだろう。
また、みすず書房版は訳注や解説が豊富なのも特徴となっており、『こわれがめ』をより深く理解し、楽しむことができるに違いない。

若くして自ら世を去る決断をしたクライストには、多くの作品を世に遺すだけの時間的ゆとりがなかったが、読み応えのある作品を書いた作家であることは誰もが認めることだろう。
代表作の『こわれがめ』を皮切りに、クライストの繊細な精神に触れてみていただければと思う。
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『チリの地震―クライスト短篇集』 クライスト(河出文庫)

チリの地震---クライスト短篇集 (KAWADEルネサンス/河出文庫)チリの地震---クライスト短篇集 (KAWADEルネサンス/河出文庫)

書名:チリの地震―クライスト短篇集
著者:ハインリヒ・フォン・クライスト
訳者:種村 季弘
出版社:河出書房新社
ページ数:238

おすすめ度:★★★☆☆




戯曲作家として有名なクライストの短篇小説集が本書『チリの地震』である。
クライストが遺した短篇小説自体も数は決して多くはなく、少し長めの作品を除けば、本書ですべて読むことができるようだ。

本書には、表題作である『チリの地震』の他、『聖ドミンゴの婚約』、『ロカルノの女乞食』、『拾い子』、『聖ツェツィーリエあるいは音楽の魔力』、『決闘』の短編小説6篇と、『話をしながらだんだんに考えを仕上げてゆくこと』、『マリオネット芝居について』というエッセイ2篇が収録されている。
クライストの短篇小説は、全体的に暴力的な印象を受ける作品が多く、狂暴性とか破滅的といった表現がけっこうしっくり来る気がするが、それらの特徴とも相まって、筋書きが緊迫感に富んでいるとも言えるだろう。
個人的なお勧めは聖ドミンゴ島の白人と黒人の闘争を描いた『聖ドミンゴの婚約』で、展開のスリリングさから判断すれば本書随一なのではなかろうか。

本書に収録されているエッセイに関しては、おそらくは軽く読み流す読者が大半であろう。
かなりの数のエッセイを書いていたクライストではあるが、そもそもエッセイストとしてのクライストに強い期待を抱いている方も少ないだろうし、本書のエッセイ2篇にしても、それほどクライストという作家の精神を浮き彫りにする種類のものではないように感じられる。

イギリス文学でいうところのド・クインシーのように、クライストはドイツ文学界で美しい文章を書く散文家として知られているらしい。
残念ながら種村氏の訳文が美文であるとは言い難いのだが、本書『チリの地震』の中でいうと、エッセイ『マリオネット芝居について』あたりがそれを実感しやすいのではないかと思う。
そういう意味では、クライストに興味のある方だけではなく、ドイツ文学全般に関心のある方にもお勧めできる一冊だ。

『ミヒャエル・コールハースの運命』 クライスト(岩波文庫)

ミヒャエル・コールハースの運命―或る古記録より (岩波文庫)ミヒャエル・コールハースの運命―或る古記録より (岩波文庫)

書名:ミヒャエル・コールハースの運命―或る古記録より
著者:ハインリヒ・フォン・クライスト
訳者:吉田 次郎
出版社:岩波書店
ページ数:114

おすすめ度:★★★★




クライストの小説作品といえば、何はともあれこの『ミヒャエル・コールハースの運命』である。
どことなくシラーに通ずるような精神性がにじみ出ており、執筆された時代性をも感じることができる作品に仕上がっていると言えるように思う。

『ミヒャエル・コールハースの運命』は、その巻頭で語られるとおり、誠実この上ない馬商人だったコールハースが司法に逆らう盗賊となるまでを描いた小説である。
コールハースが馬を売りに出かけたところ、通りがかった土地を治める領主に馬を担保として要求され、そこに仕方なしに馬を預けていったところまでは特に問題もなかったのだが・・・。
本書を手にする読者はみな、国民としての権利を不当に踏みにじられたコールハースに対する共感を強く心に抱きながら読み進めていくに違いないので、それだけいっそうストーリーに引き込まれやすくなっていることだろう。
政治的な駆け引きや神秘的なエッセンスも盛り込まれていて、一つの作品としての彩りも豊かであるといえる。
世界の文学〈5〉シラー.クライスト―新集 (1972年)世界の文学〈5〉シラー.クライスト―新集 (1972年)

『ミヒャエル・コールハースの運命』を読むには岩波文庫が一般的かと思うが、仮名遣いが古くて少々読み辛いのが短所であり、これでは『ミヒャエル・コールハースの運命』の備える展開の軽快さが損なわれることにもなりかねない。
その点、右に紹介する文学全集に収められている国松孝二氏の訳文は、仮名遣いが新しいだけではなく、そもそも訳文も読みやすいので、流通量は少ないがこちらもお勧めである。

クライストのストーリーテラーとしての才能が遺憾なく発揮されている『ミヒャエル・コールハースの運命』は、どれだけ控えめに言っても、かなりよくできた作品である。
個人的には、クライストの代表作とされる『こわれがめ』よりも楽しめたし、本書を読みながら退屈する読者を想像するのはちょっと難しいと感じてもいる。
クライストに興味のある方には強くお勧めしたい作品だ。

『O侯爵夫人 他六篇』 クライスト(岩波文庫)

O侯爵夫人 他六篇 (岩波文庫 赤 416-4)O侯爵夫人 他六篇 (岩波文庫 赤 416-4)

書名:O侯爵夫人 他六篇
著者:ハインリヒ・フォン・クライスト
訳者:相良 守峯
出版社:岩波書店
ページ数:259

おすすめ度:★★★☆☆




岩波文庫から出されているクライストの短篇集が本書『O侯爵夫人 他六篇』である。
表題作である『O侯爵夫人』を除けば、河出文庫から出されたクライストの短篇集である『チリの地震―クライスト短篇集』と収録作品が完全に重複しているため、訳の新しいそちらをお勧めすべきかもしれないが、クライストに関心のある方が『O侯爵夫人』を読まずにいるのは少し惜しい気がする。

『O侯爵夫人』はその書き出しが鮮烈で印象深い。
とあるイタリアの町で、貞淑な未亡人として知られるO侯爵夫人が、「私は身に覚えがなく妊娠しているようなので、心当たりのある殿方は名乗り出てほしい」という趣旨の新聞広告を出すというのだから、なかなか珍妙な話である。
その殿方が誰なのか、読者は容易に確信できるので、登場人物たちと一緒に謎解きを楽しむというわけにはいかないが、それでも尋常ならざる状況に置かれたO侯爵夫人一家の描写は、読む者の興味を引き付けてやまないことだろう。
世界の文学〈5〉シラー.クライスト―新集 (1972年)世界の文学〈5〉シラー.クライスト―新集 (1972年)

『O侯爵夫人』を読むには、右の文学全集もお勧めである。
これには『こわれがめ』も『ミヒャエル・コールハースの運命』も訳出されていて、クライストの有名どころがこの一冊で網羅できてしまうだけではなく、『ヴィルヘルム・テル』や『たくみと恋』といったシラーの戯曲も収められているという充実ぶりだ。
それにしても、この類の文学全集の出版が下火になってしまったことが残念でならないのは、私だけではないだろう。

収録作品がほぼ重複している河出文庫の『チリの地震』がある中で、あえて岩波文庫の『O侯爵夫人』を手にしようとする人はかなり限られてしまうのではなかろうか。
しかし、『O侯爵夫人』はそんな少々マニアックな方の期待を裏切らないはずの作品だと思う。
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