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『センチメンタル・ジャーニー』 ロレンス・スターン(岩波文庫)

センチメンタル・ジャーニー (岩波文庫 赤 212-4)センチメンタル・ジャーニー (岩波文庫 赤 212-4)
(1952/10/25)
スターン

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書名:センチメンタル・ジャーニー
著者:ロレンス・スターン
訳者:松村 達雄
出版社:岩波書店
ページ数:214

おすすめ度:★★★★




ロレンス・スターン晩年の作品がこの『センチメンタル・ジャーニー』だ。
『センチメンタル・ジャーニー』だけでも十分鑑賞に値するが、『トリストラム・シャンディ』と重複する部分もあるので、どちらか一方を選ぶというのであれば、『トリストラム・シャンディ』を読むべきだろう。

『センチメンタル・ジャーニー』は、『トリストラム・シャンディ』に登場する牧師ヨリックのフランスでの体験記という形式を採っているが、スターンは牧師であったし、静養のために大陸旅行を経験してもいるので、スターンがヨリックの名を借りて自らの体験をつづっているとする見方が一般的のようだ。
トリストラム・シャンディ』と同じくゆったりとした進みぶりで、こちらもまた未完に終わってしまったが、スターンの文章が帯びるしっとりとした味わい深さは備えている。

スターンの魅力は、独特なユーモアセンスだけではなく、人情味あふれる筆致にもある。
人情味を素直に表現しすぎるあまり、牧師のくせにずいぶんとふしだらな人間だと評されることもあるようだが、同じ牧師が書いたものでも説教集なんかよりはよほど人間的で面白い作品に仕上がっているのは間違いない。
『センチメンタル・ジャーニー』には、牧師ならではの他者を慮る気持ちも表れているし、病を患う人間ならではの線の細さも感じられる。

朝日出版社からも小林亨氏の翻訳で出版されていて、実を言うと私が読んだのはそちらの方なので、岩波文庫版の『センチメンタル・ジャーニー』は確認したことがない。
版が古いので活字の古さや多少の読みにくさはあるのかもしれないが、朝日出版社の方はアマゾンに登録されていなかったので、岩波文庫版を紹介せざるをえないというのが現状だ。
そしてその岩波文庫版も長らく欠品が続いている。
漱石も高く評価していたスターンが、日本で日の目を見るときはやってこないのだろうか・・・。

職業作家ではなかったスターン、体調を崩しがちだったスターンの小説作品は、いずれも未完の『トリストラム・シャンディ』と『センチメンタル・ジャーニー』だけであるから、バルザックやディケンズなんかと比べるとはるかに簡単に読破できる。
優しさと温もりのあふれるスターンの小説を、ぜひ読破していただきたい。
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『トリストラム・シャンディ』 ロレンス・スターン(岩波文庫)

トリストラム・シャンディ 上 (岩波文庫 赤 212-1)トリストラム・シャンディ 上 (岩波文庫 赤 212-1)
(1969/08/16)
ロレンス・スターン

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トリストラム・シャンディ 中 (岩波文庫 赤 212-2)トリストラム・シャンディ 中 (岩波文庫 赤 212-2)
(1969/09/16)
ロレンス・スターン

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トリストラム・シャンディ 下 (岩波文庫 赤 212-3)トリストラム・シャンディ 下 (岩波文庫 赤 212-3)
(1969/10/16)
ロレンス・スターン

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書名:トリストラム・シャンディ
著者:ロレンス・スターン
訳者:朱牟田 夏雄
出版社:岩波書店
ページ数:400(上)、378(中)、319(下)

おすすめ度:★★★★★




スターンの傑作長編、『トリストラム・シャンディ』。
いかにもイギリスらしいユーモアに満ちた作風は、フィールディングやディケンズと並び、伝統的なイギリス文学の系譜の一角を成している。
イギリス文学、ひいては世界の文学の中でも、他の作家には到底真似のしようがない独特の作品で、まさに奇作と呼ぶにふさわしいのが、スターンの代表作であるこの『トリストラム・シャンディ』だ。

トリストラムの生涯を描くというのが小説の本筋なのだが、脱線に次ぐ脱線でトリストラムの生涯の方はなかなか進まない。
だがその脱線がなにしろ面白いので、バルザックのような作家のうんちく披露のための脱線とはわけが違い、早く本筋に戻ってくれないものかと期待することもなく、読者は次から次へとページを繰ることができる。
『トリストラム・シャンディ』は岩波文庫から3分冊で発行されているが、おそらくすぐに読み終わってしまうことだろう。
ただ一つ非常に残念なのは、スターンの死により作品が完結していないということだ。
しかし、途中で終わるとわかっていても独特な作風は十二分に楽しめる作品なので、欧米文学に興味のある方には強くお勧めしたい。

今日の日本ではあまり知名度も高くなく、さほど広く読まれている作品であるとも思わないが、『トリストラム・シャンディ』の登場人物に対する言及は、18、19世紀の他の作家の作品にしばしば見受けられるし、ジョイスなど20世紀の作家への影響も指摘されている。
私の読後の率直な感想は、なぜこんなに面白くもあり興味深くもある作品が日本でもっと有名にならないのだろうか、といったものだった。
「イギリス文学」のカテゴリーを追加するにあたり、一番最初に紹介する作品として『トリストラム・シャンディ』を選んだのも、その気持ちがいまだに根強く存在するからだ。

岩波文庫によくあることだが、この『トリストラム・シャンディ』も時折再版されてはいるものの、常に在庫があるわけではないので、在庫があるときにぜひ買われることをお勧めしたい。
他では味わえないオリジナリティあふれる小説に触れることができるはずだ。

『初期名作集』 エミール・ゾラ(藤原書店)

初期名作集 ゾラ・セレクション (1)初期名作集 ゾラ・セレクション (1)
(2004/09)
ゾラ、宮下 志朗 他

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書名:初期名作集
著者:エミール・ゾラ
訳者:宮下 志朗
出版社:藤原書店
ページ数:460

おすすめ度:★★★★




藤原書店ゾラセレクションの第一巻である『初期名作集』。
ゾラの傑作の一つである『テレーズ・ラカン』を含め、八つの作品が収録されている。
テレーズ・ラカン〈上〉 (岩波文庫)テレーズ・ラカン〈上〉 (岩波文庫)
(1966/09/16)
エミール ゾラ

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テレーズ・ラカン〈下〉 (岩波文庫)テレーズ・ラカン〈下〉 (岩波文庫)
(1968/05/16)
エミール ゾラ

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右のように『テレーズ・ラカン』は岩波文庫からも上下分冊で出版されていたが、中古品を除けばアマゾンでは現在入手が困難のようだ。
居酒屋』などに代表されるルーゴン・マッカール叢書と比べると、『テレーズ・ラカン』はストーリー展開以外の描写が格段に少なめであるように思う。
それがそのまま作品としての完成度の高さを表すものではないにしても、筋が読者をどんどん引っ張っていってくれるのでたいへん読みやすい小説になっているのは事実だ。
かつてどこかの文学全集にゾラの代表作として掲載されていたこともあるらしい。
紙幅の都合等もあっただろうが、ゾラの長所が数多く盛り込まれた『テレーズ・ラカン』をゾラの代表作とする人がいても何ら不思議ではないと思う。

『初期名作集』に収められている他の作品にもいくらか触れておこう。
お勧めなのは『引き立て役』で、風刺の効いた軽快な短編に仕上がっている。
『ある恋愛結婚』は、『テレーズ・ラカン』の原型とされる十ページにも満たない小品で、『テレーズ・ラカン』の要約のような作品であるから、細かな違いを探してみたりとそれだけ興味深い作品とも言えるが、それと同時に、比較考証に関心のない読者にとっては退屈でもある。
辛辣さの少ない『コクヴィル村の酒盛り』は、ルーゴン・マッカール叢書のゾラとは別の一面を垣間見ることができて面白い。

ゾラを好きな人であれば『テレーズ・ラカン』は必読だと思うし、『テレーズ・ラカン』はとても読み応えのある作品だとも思うのだが、『初期名作集』との書名にあるように必ずしも収録作品のすべてが「名作」であるかというと、少々小首を傾げざるをえないような気がする。
ぜひ『テレーズ・ラカン』狙いで読んでみていただきたい、そんな「名作集」だ。

『シャベール大佐』 バルザック(東京創元社)

シャベール大佐 (創元ライブラリ―バルザック選集)シャベール大佐 (創元ライブラリ―バルザック選集)
(1995/09)
オノレ・ド バルザック

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書名:シャベール大佐
著者:オノレ・ド・バルザック
訳者:川口 篤、石井 晴一
出版社:東京創元社
ページ数:190

おすすめ度:★★★★




人間喜劇の中で「私生活情景」に分類されている『シャベール大佐』。
文庫が出ていることもあって比較的タイトルが知られている作品だと思うが、あまり発行部数が多くないからか、さほど読まれていないのではなかろうか。
バルザックは時に人の胸を打つ小説を書くが、『シャベール大佐』もその一つで、バルザックの残した素晴らしい小品の一つに数えていいように思う。

ナポレオン戦争で戦死したと思われていたシャベール大佐は、実は奇跡的に一命を取り留めていた。
数年を経てようやくパリにたどり着くが、容姿に過去の名残も消え失せていた大佐は、パリから、いや、社会から完全に葬り去られている。
ナポレオン派の残党として扱われるという厳しい情勢の中で、彼は失った資産と妻を取り戻そうとするのだが・・・。
毎度おなじみの代訴人であるデルヴィルが活躍するという筋書きも、人間喜劇ファンを大いに楽しませてくれることだろう。
それはそうと、このデルヴィル、人間喜劇に登場するまっとうな人物たちの中で、最も有能な男なのではなかろうか。

戦争の最中に死亡したと考えられていた夫が生還するというのは、大きな戦争の後には実際にしばしば起こるようだが、同じテーマを基に、モームは『夫が多すぎて』という戯曲を書いている。
こちらは非常に出来のいい軽妙な喜劇に仕上がっており、哀愁漂う『シャベール大佐』と比べて読んでみるのも興味深いはずだ。

『シャベール大佐』は、現在のところアマゾンでは中古品しか出回っていないらしい。
バルザックの作品にありがちな前半部分の肥大こそあるものの、全体としては非常に面白い作品だと思うので、再版や新訳の出版に期待したいところだ。

『金融小説名篇集』 バルザック(藤原書店)

金融小説名篇集 第7巻 (バルザック「人間喜劇」セレクション)金融小説名篇集 第7巻 (バルザック「人間喜劇」セレクション)
(1999/11)
バルザック、Balzac 他

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書名:金融小説名篇集
著者:オノレ・ド・バルザック
訳者:吉田 典子、宮下 志朗
出版社:藤原書店
ページ数:524

おすすめ度:★★★☆☆




長編を中心に編まれた藤原書店刊行のバルザック「人間喜劇」セレクション中、唯一短編・中編を収めたものがこの『金融小説名篇集』である。
『ゴプセック』、『ニュシンゲン銀行』、『名うてのゴディサール』、『骨董室』の四編が収録されており、いずれもバルザックらしい作品なので、バルザックに興味のある方にはお勧めだ。

四篇の中で最もお勧めなのは『骨董室』だ。
四つの中で一番長く、それだけ登場人物たちにも明確な輪郭が与えられているし、二転三転するストーリーも読み応えがある。
時代性も色濃く反映されているので、人間喜劇を一社会を写した絵巻物にしようというバルザックの企図には欠かせない一編なのかもしれない。

反対に、少々退屈に思えたのは『ニュシンゲン銀行』。
ニュシンゲンやラスティニャックが行った金儲けの方法が詳しく語られるが、その経緯の説明に重心が置かれていて登場人物の描き分けがやや疎かになっているのではなかろうか。
他の作品でニュシンゲンやラスティニャックをすでに知っている読者ならともかく、独立した短編としては『ニュシンゲン銀行』はやや物足りない感がある。
ゴプセック・毬打つ猫の店 (岩波文庫)ゴプセック・毬打つ猫の店 (岩波文庫)
(2009/02/17)
バルザック

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比較的最近のことだが、『ゴプセック』は岩波文庫からも翻訳が出た。
こちらは『毬打つ猫の店』を併録している。
藤原書店の『金融小説名篇集』と比べて格段に安価なうえに、『毬打つ猫の店』の金融色が弱いので、金融の話ばかり読むのはちょっと・・・という読者には右の岩波文庫のほうがいいだろう。

とはいえ、バルザックの小説における最大級のファクターの一つは何といっても「金」であるし、『骨董室』を読むことができるのも実質的にはこの『金融小説名篇集』だけであるから、テーマの偏りがあまり気にならない方はぜひ読んでみていただきたい。

『ラブイユーズ』 バルザック(藤原書店)

ラブイユーズ―無頼一代記 (バルザック「人間喜劇」セレクション)ラブイユーズ―無頼一代記 (バルザック「人間喜劇」セレクション)
(2000/01)
バルザック、Balzac 他

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書名:ラブイユーズ
著者:オノレ・ド・バルザック
訳者:吉村 和明
出版社:藤原書店
ページ数:473

おすすめ度:★★★☆☆




人間喜劇「地方生活情景」に収められている長編小説がこの『ラブイユーズ』。
パリが舞台になっているシーンも多いが、田舎で起きる出来事に重点を置いているという点は『幻滅』などと同様だ。

「ラブイユーズ」とは一人の女のあだ名だが、必ずしも彼女を中心に話が進んでいくというわけではなく、どちらかというと本編の主人公はフィリップという破天荒な生き方をしている軍人である。
そういうわけで、本作には「無頼一代記」という副題があてがわれているのだろう。
豪胆で不道徳な荒くれ男の振る舞いを読んでいると、バルザックの時代からさらに一昔さかのぼったピカレスク小説を思い起こす読者もいるのではなかろうか。

ピカレスク風の小説を書いていても、そこに遺産相続問題を絡ませてくるあたり、やはりバルザックの作品だなと感じることができる。
親切な代訴人のアドバイスがあり、実のない女に惚れ込む男まで登場するとあっては、各ページにバルザックの署名がしてあるようなものだ。
そういう意味では、『ラブイユーズ』をバルザック風ピカレスク小説ととらえてもいいのかもしれない。

しかし、フィリップの活躍の後でも、とはいえ彼が『ラブイユーズ』の中でなしたことを活躍と呼んでよければの話だが、いずれにしても、散々活躍した主人公を読者はどうにも好きになれないまま小説が終わるように思う。
人情味の乏しいフィリップは決して人好きのするたちの男ではないし、かといって悪者としてさほどのインパクトがあるわけでもなく、強いて言えばせこい小悪党とでもいったところだろうか。
起伏に富んだストーリー自体はなかなか楽しめるのだが、バルザックの作品への期待値が高いだけに、いくらか物足りない印象を受ける作品だ。

『あら皮』 バルザック(藤原書店)

あら皮―欲望の哲学 (バルザック「人間喜劇」セレクション)あら皮―欲望の哲学 (バルザック「人間喜劇」セレクション)
(2000/03)
バルザック、Balzac 他

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書名:あら皮
著者:オノレ・ド・バルザック
訳者:小倉 孝誠
出版社:藤原書店
ページ数:436

おすすめ度:★★★☆☆




『あら皮』は、バルザックの代表作とされる『ペール・ゴリオ』や『従兄ポンス』とは雰囲気が大きく異なる作品だが、バルザックはストーリー展開重視の作品だけではなく、人間性を深く掘り下げた小説をも数多く残しているので、バルザックの全小説の中で見れば、『あら皮』は必ずしも異色の作品というわけではない。
そしてそれらの人間性を追究した作品は人間喜劇の中で「哲学的研究」に分類されていて、『あら皮』はその第一作目に位置づけられている。

「あら皮」とは、まさしく皮の切れ端のことである。
切れ端とは言っても、手のひらサイズというほど小さいわけではないが、持ち主の願いをかなえてくれるたびに縮んでいくという、不思議な力を持った皮だ。
絶望の底に打ち沈む青年がその皮を手に入れるところから物語は始まる・・・。
しばしばリアリストと呼ばれるバルザックだが、幻想的な雰囲気を帯びた作品もいくつか書いた。
『あら皮』はその一つであり、読み応えのある長編としては最良の作に数えられるだろう。

謎の「あら皮」と人間の欲望との交錯。
「あら皮」の存在が不思議であるだけに、物語の奥行きはぐっと増している。
巨匠バルザックは、そのような神秘を前にした人々の描写にも抜かりがない。
読書好きを自認する方なら大いに楽しむことのできる、深みのある作品に違いない。
ペール・ゴリオ』などの読者であれば、ラスティニャックに再会する楽しみもあるだろう。

この『あら皮』もこれまであまり脚光を浴びることのなかった作品だが、バルザック生誕200年を記念した藤原書店「人間喜劇」セレクションの出版によって手に取りやすい形で普及したのは非常にうれしいことだ。
私個人としてはこの手の小説も決して嫌いではないのだが、一般受けはしにくいのかもしれないと思ったので★三つ。

『セザール・ビロトー』 バルザック(藤原書店)

セザール・ビロトー―ある香水商の隆盛と凋落 (バルザック「人間喜劇」セレクション)セザール・ビロトー―ある香水商の隆盛と凋落 (バルザック「人間喜劇」セレクション)
(1999/07)
バルザック、Balzac 他

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書名:セザール・ビロトー
著者:オノレ・ド・バルザック
訳者:大矢 タカヤス
出版社:藤原書店
ページ数:449

おすすめ度:★★★★




「ある香水商の隆盛と凋落」との副題が付されている『セザール・ビロトー』。
バルザックのまさに十八番である、投機と破産の物語である。
あまり知られた作品ではないように思うが、バルザックファンにはもちろん、バルザックの初心者にもお勧めできる作品だ。

「パリ生活情景」に分類されている『セザール・ビロトー』は、パリのとある香水商が主人公だ。
叩き上げで香水商の主人とまでなったセザール・ビロトーは、いまや界隈でも特に信頼されている一廉の人物で、実直さで知られる名士である。
そんな彼にも、自身の成功に伴いちょっとした欲が出てきて、妻の反対にも聞く耳を持たず、身の程以上の出費や投資をはじめて・・・。
代訴人や銀行家など、人間喜劇でおなじみの人物も垣間見られるその後の展開は見もので、バルザックならではの巧みな筋運びで終幕へと突き進む。

『セザール・ビロトー』の気持ちのいいところは、セザールをはじめ、誠実な人間が複数登場している点だ。
正直者のセザールを正直者が取り囲み、彼らが団結して訪れた不幸に誠意を持って対処していくさまは、あたかもユゴーに代表されるロマン主義の作品を読んでいるかのようだ。
いい人すぎる登場人物はいかにも作り物くさいと感じられる読者もいることだろうが、それでもやはりいい人の話は読む人の心を和ませるものではなかろうか。
バルザックの描く人物の中で、私はヴォートランのような悪人も大好きだが、その性質こそ違えど、ビロトー一家も同じくらいに好ましい人々だと思っている。

今まで全集でしか翻訳されていなかった『セザール・ビロトー』だが、決して退屈な作品ではない。
ストーリーの面白さはもちろん、いかにもバルザックらしい小説でもあるので、バルザックに興味のある人はぜひ読んでみて欲しい。

『ムーレ神父のあやまち』 エミール・ゾラ(藤原書店)

ムーレ神父のあやまち (ゾラ・セレクション)ムーレ神父のあやまち (ゾラ・セレクション)
(2003/10)
エミール ゾラ

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書名:ムーレ神父のあやまち
著者:エミール・ゾラ
訳者:清水 正和、倉智 恒夫
出版社:藤原書店
ページ数:490

おすすめ度:★★☆☆☆




ルーゴン・マッカール叢書第五巻、『ムーレ神父のあやまち』。
居酒屋』や『ナナ』はもちろん、『ジェルミナール』や『獣人』などはゾラの代表作としてその名を挙げられるが、『ムーレ神父のあやまち』は代表的な作品と呼ばれることがまずない。
そして事実、ゾラを好きな人が好むであろうはずのゾラらしい点をあまり見出すことのできない作品だ。

『ムーレ神父のあやまち』は、そのタイトルからも察せられるとおり、神父が犯すあやまちが作品の主題になっている。
その「あやまち」という少々幅のある表現からすれば、宗教的な意味合いとも道徳的な意味合いともどちらにも解釈できるのだが、私はゾラがその両方を含ませたものと考える方に傾いている。
また、ゾラがムーレ神父を肯定しているのか否定しているのかを考えてみるのもいいだろうし、ムーレ神父と第四巻の『プラッサンの征服』に登場する神父との対称関係を考察してみるのも、この作品をより深く味わうためには有益なはずだ。

第二帝政期を様々な視点でとらようというゾラの意図を考えれば、叢書内に本作が存在していることも一種の成功だと言えるだろうし、叢書の最終巻が『パスカル博士』であることを知っていれば、パスカル博士が度々顔を出すこの『ムーレ神父のあやまち』に対する関心も強まるだろう。
ただ、宗教世界と現実世界の相克というテーマが現代の日本人に不向きというだけでなく、『ムーレ神父のあやまち』はストーリー性に乏しく、三部構成の真ん中、第二部において物語りは著しく停滞し、いくらか中だるみを感じずにはいられない。
読み通してみればその停滞は必要不可欠なものであったようにも感じられるのだが、生き生きとした娘や個性あふれる老人たちに囲まれている主人公のムーレ神父が、悲しいことにとても頼りなく退屈な人間と感じられてしまう。
同様のテーマを扱ったものであれば、ホーソーンの『緋文字』のほうが圧倒的に面白く読めるはずだ。

『ムーレ神父のあやまち』一冊だけを読んでゾラの他の名高い作品が与えてくれるような感動を覚えることは、現実に信仰心と現世的な愛情との板挟みを経験した人でもない限り、非常に難しいように思う。
あくまでルーゴン・マッカール叢書内の一冊として読むべき作品だろう。

『十三人組物語』 バルザック(藤原書店)

十三人組物語 バルザック「人間喜劇」セレクション十三人組物語 バルザック「人間喜劇」セレクション
(2002/03/30)
バルザック

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書名:十三人組物語
著者:オノレ・ド・バルザック
訳者:西川 祐子
出版社:藤原書店
ページ数:533

おすすめ度:★★★★




ランジェ公爵夫人 [DVD]ランジェ公爵夫人 [DVD]
(2009/04/03)
ジャンヌ・バリバール、ギヨーム・ドパルデュー 他

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「パリ生活情景」の冒頭を飾るのがこの『十三人組物語』。
「デヴォラン組頭領フェラギュス」、「ランジェ公爵夫人」、「金色の眼の娘」の三話から構成されている物語群で、それぞれの話に直接的なつながりはないが、いずれも十三人組が関与しているという点でつながっている。
『十三人組物語』を読むにあたり、『十五少年漂流記』を手にする際と同様の逡巡を覚えた方もいらっしゃるかもしれないが、十三人も登場人物が出てきたら途中で誰が誰やらわからなくなるではないか、という心配はいらない。
そこらへんは文豪バルザックがうまくやってくれている。

『十三人組物語』第二話の「ランジェ公爵夫人」が、数年前にフランスで映画化された。
右上がそのジャケットだが、映画自体は概ね原作に忠実に作られているようで、映画を先にしても原作を先にしても、違和感を覚えることなくどちらも楽しめることだろう。
私個人の意見としては、三篇のうちで「デヴォラン組頭領フェラギュス」が一番面白いように思うのだが、映像化するならやはり最も華のある「ランジェ公爵夫人」なのかもしれない。
ランジェ公爵夫人ランジェ公爵夫人
(2008/03/04)
オノレ・ド・バルザック

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映画化を受けてのことだろうが、三篇のうち「ランジェ公爵夫人」のみを翻訳したものが集英社から出版されていて、右がそれである。
訳者は工藤庸子先生で、確か岩波文庫で『シェリ』、『シェリの最後』など、コレットの翻訳を数点されていた方だと思う。
それらがみなすんなりと読める自然な訳文だったように記憶しているので、私は集英社版の「ランジェ公爵夫人」には目を通していないが、こちらも読みやすい訳文になっているはずだと確信している。

しかし、『十三人組物語』は三つで一つの物語群なのであるから、そのうちの一つを読むのか、三つとも読むのかによって、読後の印象は大きく異なることだろう。
映画でもそうだったが、「ランジェ公爵夫人」だけではどうしても十三人組の登場がやや唐突すぎるように感じられるし、十三人組がどのような集団であるかも非常に曖昧でしかない。
十三人組の実態に少しでも迫れるように、また、作者であるバルザックの意図を汲んで、ぜひ三篇で一つの『十三人組物語』として読んでいただきたい作品だ。

『従妹ベット』 バルザック(藤原書店)

従妹ベット 上 (バルザック「人間喜劇」セレクション <第11巻>)従妹ベット 上 (バルザック「人間喜劇」セレクション <第11巻>)
(2001/07/20)
バルザック

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従妹ベット 下 (バルザック「人間喜劇」セレクション <第12巻>)従妹ベット 下 (バルザック「人間喜劇」セレクション <第12巻>)
(2001/07)
バルザック、鹿島 茂 他

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書名:従妹ベット
著者:オノレ・ド・バルザック
訳者:山田 登世子
出版社:藤原書店
ページ数:346(上)、348(下)

おすすめ度:★★★★★




従兄ポンス』と合わせて「貧しき縁者」に分類されているバルザックの長編小説『従妹ベット』。
決して華々しいストーリーではないが、金と女をめぐる泥臭さが面白いという、いかにもバルザックらしい作品だ。

利己的な人々の群れの中にわずかに正直者がいるという構図は、『従兄ポンス』と同様だ。
しかし、「貧しき縁者」の側が親戚を食い物にしようと画策するという意味では、正反対の物語である。
そしてその手の意地汚い人々の暗躍する物語を書かせれば、バルザックの右に出る小説家はそういないのではなかろうか。

狡猾で執念深いベットの立ち回りのうまさには、全編を通じて感心させられるばかりだが、ベット以上に注目に値するのは、『従妹ベット』の主人公といっても過言ではないユロ男爵だろう。
副題の「好色一代記」は、当然彼を念頭においてのことに違いない。
彼の女関係の、ひいては人間としてのだらしなさは、人間喜劇においても比類がないほどで、バルザックはまったく見所のない人間を何人か生み出してきてはいるが、この男爵の駄目さ加減はトップクラスだと思う。
読者は彼に腹が立つというよりは、ただただその情けなさには呆れてしまうばかり・・・。
男爵夫人の貞淑さとの対比もまた鮮烈で、読者は皆、彼に救いようがない人間との烙印を押すはずだ。
そしてまさにそれゆえに、彼は非常に興味深い登場人物の一人となっている。

長編小説において、何ページにも及ぶくだくだしい脱線をするのがバルザックの癖であり、それを退屈と感じる読者が多いらしいが、この『従妹ベット』にはほとんどそれがない。
登場人物や筋の絡み合いの完成度が高く、全体が緊密に結びついていて無駄がない。
それをわざとらしさとみなすこともできるだろうが、話の面白さという観点からすれば非常に高く評価できるのではなかろうか。
『従妹ベット』は、上・下巻にもかかわらず、ふと気付いたら読み終わっているような、そんな作品だ。

『従兄ポンス』 バルザック(藤原書店)

従兄ポンス―収集家の悲劇 (バルザック「人間喜劇」セレクション)従兄ポンス―収集家の悲劇 (バルザック「人間喜劇」セレクション)
(1999/09/30)
オノレ・ド・バルザック、Honor´e De Balzac 他

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書名:従兄ポンス
著者:オノレ・ド・バルザック
訳者:柏木 隆雄
出版社:藤原書店
ページ数:496

おすすめ度:★★★★




パリ生活情景の中で、『従妹ベット』と共に「貧しき縁者」としてくくられている『従兄ポンス』。
貧しく役に立たない親戚と思われ、疎んじられていたポンスのコレクションに意外な価値があるとわかり・・・。
親族としての絆と金銭上の利益というテーマの選び方が、いかにもバルザックらしい。
やや厚めの一冊だが、さくさく読み進めることのできる作品だ。

『従兄ポンス』は、善人と悪人の区別がはっきりしているわかりやすい構図で、筋にもそう複雑なところはない。
バルザックの悪い癖である、知識のひけらかしのような部分もないわけではないが、物語自体はとても面白い。
ただ気になるのは、誤植の多いところだろうか。
人間の仕事だけに、ごくまれに誤植が存在するのは仕方のないことだろうが、藤原書店のバルザック「人間喜劇」コレクションではそれがとても目立つ。
句読点の脱落・重複、固有名詞の間違い、漢字の変換ミスなど、その出現頻度には驚かされる。
後のゾラ・セレクションにおいてだいぶ改善されているようなので、他であまり出版されない名作を出版してくれているだけに、今後の出版物や再版に期待したいと思う。

そうはいっても、バルザックの小説の面白さは出版上の不手際を補って余りあるだろう。
登場人物に欲望を持たせることで血を通わせ、具体的な金銭をやり取りさせることで話にリアリティを付与するその手腕は『従兄ポンス』においても健在だ。
バルザックはある特定の物事に偏執する人間をよく描くが、ポンスにとっては自身のコレクションがその対象である。
命の次に、いや、ひょっとすると命よりも大事にしているコレクションに危機が迫っていることを知ったときのポンスの描写は忘れがたい。
自らの財産を奪われるという権利の侵害に対する憤りだけではなく、愛情を注ぎ込んできた対象を奪われることに傷つく哀れな老人には、読者はいかに同情してもしすぎたことにはならないのではなかろうか。

『従兄ポンス』はバルザック最晩年の作品で、ストーリーの展開に無駄がなく、全体にとても引き締まった印象を受ける。
読み終えて本を閉じてみれば、よくたった一冊の本にこれほどまで紆余曲折を組み込めたものだと思えるほどで、フランス文学を代表する巨匠の巧みを感じることのできる作品の一つだといえるだろう。
同じく「貧しき縁者」に区分されている『従妹ベット』はもちろん、『絶対の探求』や『知られざる傑作』と読み比べてみるのも非常に面白いと思う。

『娼婦の栄光と悲惨』 バルザック(藤原書店)

娼婦の栄光と悲惨―悪党ヴォートラン最後の変身〈上〉 (バルザック「人間喜劇」セレクション)娼婦の栄光と悲惨―悪党ヴォートラン最後の変身〈上〉 (バルザック「人間喜劇」セレクション)
(2000/12)
バルザック

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娼婦の栄光と悲惨―悪党ヴォートラン最後の変身〈下〉 (バルザック「人間喜劇」セレクション)娼婦の栄光と悲惨―悪党ヴォートラン最後の変身〈下〉 (バルザック「人間喜劇」セレクション)
(2000/12)
バルザック

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書名:娼婦の栄光と悲惨(上・下巻)
著者:オノレ・ド・バルザック
訳者:飯島 耕一
出版社:藤原書店
ページ数:440(上)、432(下)

おすすめ度:★★★★★




ヴォートラン3部作の第3作目、『娼婦の栄光と悲惨』。
これは面白い、四の五の考えずにストーリーを追って読み進めていくだけでも十分面白い。
3部作の前2作においてヴォートランの活躍に物足りなさを感じていた読者も、『娼婦の栄光と悲惨』を読んでなお彼の働きに不満が残るということはないだろう。
バルザックのすべての作品に目を通したわけではないが、『娼婦の栄光と悲惨』こそ、現時点で私が思うバルザックの最高傑作だ。

『娼婦の栄光と悲惨』は、『幻滅』の続編に当たる。
3部作とはいっても、『ペール・ゴリオ』と『幻滅』との間に筋の上での直接的なつながりはないが、『娼婦の栄光と悲惨』を『幻滅』と切り離して考えることは不可能であるほどに話がつながっているので、『幻滅』を先に読んでおくとさらに面白みが増すはずだ。
幻滅』の主人公であるリュシアンは、『娼婦の栄光と悲惨』でもまた主要登場人物であり、彼のその後の運命が語られている『娼婦の栄光と悲惨』は、『幻滅』の読者には非常に興味深いものとなるだろう。

『娼婦の栄光と悲惨』は、娼婦とそれを取り巻く男たちの物語であると要約できなくもないが、終盤にさしかかってからのヴォートランの目覚ましい活躍ぶりと、彼を中心とした急展開の連続によって、『娼婦の栄光と悲惨』を読み終えた読者は、もっぱらヴォートランの物語を読んでいたかのような錯覚に包まれるかもしれない。
これはなにもバルザックが娼婦の描き方に失敗したからでも、リュシアンの使い方がまずかったからというのでもなく、他の登場人物の存在を霞ませてしまうぐらいヴォートランという男が面白いということだ。
そういうわけで、藤原書店のこの版では「悪党ヴォートラン最後の変身」という副題をつけているのだろう。
とはいえ、私は訳者や出版社が勝手につけた副題にはあまり感心しないことが多いのだが・・・。

本作にはラスティニャックやニュシンゲンも再登場する。
つまり、ヴォートラン3部作の1作目である『ペール・ゴリオ』とは、ヴォートラン以外の点でも結びついているということだ。
縦横無尽に人物網を張り巡らせることによって、人間喜劇は前代未聞の幅と奥行きを獲得しているわけだが、読者がこの網にからめ取られることこそ、まさにバルザックの思うつぼなのだろう。
現に私はまんまとバルザックの術中に陥っており、バルザックの小説を読んでいて、貴族、軍人、代訴人、政治家、伊達男など、知った名前の人物が顔を出すとそれだけでうれしくなってしまう。
人間喜劇を代表するこの3部作を皮切りに、少しでも多くバルザックの作品に触れてもらえれば、旧友に再会したかのようなこの独特の喜びを感じていただけるのではないかと思う。
『娼婦の栄光と悲惨』だけではなく、バルザックが私のお勧めだ。

『幻滅』 バルザック(藤原書店)

幻滅 ― メディア戦記 上 (バルザック「人間喜劇」セレクション <第4巻>)幻滅 ― メディア戦記 上 (バルザック「人間喜劇」セレクション <第4巻>)
(2000/09)
バルザック、鹿島 茂 他

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幻滅―メディア戦記〈下〉 (バルザック「人間喜劇」セレクション)幻滅―メディア戦記〈下〉 (バルザック「人間喜劇」セレクション)
(2000/10)
バルザック、Honor´e de Balzac 他

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書名:幻滅(上・下巻)
著者:オノレ・ド・バルザック
訳者:野崎歓、青木真紀子
出版社:藤原書店
ページ数:480(上)、472(下)

おすすめ度:★★★★★




ペール・ゴリオ』に続き、ヴォートラン3部作の第二作目がこの『幻滅』。
3部作とはいっても、本作におけるヴォートランの暗躍は最小限に抑えられているから、3部作という観点からすると『娼婦の栄光と悲惨』へのつなぎ、もしくは導入としてとらえたほうがいいだろう。
しかしこの『幻滅』、ヴォートランの登場は少なくても読者を魅了する力は十分に持っている。

人間喜劇中で地方生活情景に分類されているように、アングレームという田舎町で物語りは始まる。
主人公は詩人を夢見る若き田舎の青年リュシアン、幸か不幸か彼は容姿端麗なのだが、そんな彼がパリに上京、いつしかジャーナリストとしての成功を目指し始め・・・。
結果的にはジャーナリズムの腐敗を痛烈に風刺した作品にもなっているのだが、「メディア戦記」と副題が付けられているのはそういうわけだろう。
とはいえ、あまりこの副題自体が必要なものであるとは思えないけれども。

ところでこのリュシアン、時として腹立ちを覚えてしまうほどに情けない男で、決して魅力的な人格を備えた主人公とは言い難い。
しかし、けっこうなページ数を誇る『幻滅』を読み通せば、おのずとリュシアンの先行きに興味も湧いてくるはずだ。
続編である『娼婦の栄光と悲惨』においてリュシアンがどのような運命をたどることになるのか、ぜひ読み進めてみていただきたい。

バルザックといえば借金大王としても有名だが、個人的な経験のおかげでその事情に通じているからか、作品中でも借金や手形、破産や高利貸しへの言及はきわめて多い。
セザール・ビロトー』は破産物語だし、『ゴプセック』は高利貸しの話、『骨董室』は借金のやり繰り算段が主筋であるし、バルザックの小説から金の話を抜き取ったら、多くの小説がそれはそれは味気ないものとなってしまうに違いない。
そして本作『幻滅』でも、やはり金が大きく物を言う。
バルザックを好きになれるかどうかの一つの分かれ道は、ひょっとするとこれら延々と続く金の話を面白いと思えるかどうか、この点にあるのだろうか。

田舎から若い青年が上京し成功をつかもうとする。
あらすじだけをざっと見るならば、ゴンチャロフが『平凡物語』で描いたような、いかにも「平凡」な話なのかもしれない。
しかし、そこはバルザックの腕の見せ所、欲望と愛情が織り成した、浮き沈みのあるストーリーに読者は強く惹きつけられることだろう。
そしてそこに輝きを添えるのは、そう、金だ。
『幻滅』は、とてもバルザックらしい傑作長編の一つとして非常にお勧めである。

『ペール・ゴリオ』 バルザック(藤原書店)

ペール・ゴリオ パリ物語 バルザック「人間喜劇」セレクション (第1巻)ペール・ゴリオ パリ物語 バルザック「人間喜劇」セレクション (第1巻)
(1999/05/30)
バルザック、Honor´e de Balzac 他

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書名:ペール・ゴリオ
著者:オノレ・ド・バルザック
訳者:鹿島 茂
出版社:藤原書店
ページ数:466

おすすめ度:★★★★★




ゴリオ爺さん [DVD]ゴリオ爺さん [DVD]
(2008/04/23)
シャルル・アズナヴール、チェッキー・カリョ 他

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バルザックの代表作として知られる『ペール・ゴリオ』。
これまで日本語訳としては『ゴリオ爺さん』が一般的だったが、藤原書店版の「人間喜劇」セレクションでは『ペール・ゴリオ』と題されている。
『ペール・ゴリオ』は、バルザックが初めて「人物再登場法」を用いたことでも名高く、バルザックの作品群においてのみならず、文学史上においてもきわめて重要な作品の一つだ。
筋も非常に面白く、良い点も悪い点も含めてバルザックらしさが全開となっているので、バルザックを初めて読む人に特にお勧めである。

右のDVDはフランスで映像化された『ゴリオ爺さん』で、比較的原作に忠実に作ってあるように思う。
時間の制約からか、全般に多少駆け足のような気がしないでもなかったが、漠然とではあれ当時の雰囲気をつかむことができるし、母国フランスで今日バルザックがどのような形で鑑賞されているかも知ることができるので、バルザックファンなら必見だ。

『ペール・ゴリオ』で特に注目に値する登場人物は、タイトルロールであるゴリオ爺さんはもちろん、田舎から出てきたばかりの若き日のラスティニャック。
彼にはバルザックの小説を読み続けていれば何度となくお目にかかることだろう。
駆け出しの頃のラスティニャックを見ることができる『ペール・ゴリオ』は、後になって彼に関する描写だけを読み返してみるだけでも興味深いはずだ。
同じく登場頻度の高い人物である銀行家のニュシンゲンにも目をつけておくべきかもしれない。

とはいえ、『ペール・ゴリオ』の中で最も注目してほしい登場人物は、怪しげな雰囲気を漂わせる男、ヴォートランだ。
彼には実在のモデルがいて、バルザックも面識があったらしい。
『ペール・ゴリオ』だけを読むと、ただの小悪党として見過ごしてしまいがちだが、彼は後の作品『娼婦の栄光と悲惨』において縦横無尽の大活躍を見せることとなる。
人間喜劇の全登場人物の中でも、人気、知名度、共に非常に高く、バルザックが創作した何百という人物たちの中で最も印象的で魅力的な人物の一人だろう。

藤原書店から出版されたこの「人間喜劇」セレクションは、いわゆるヴォートラン3部作を網羅している。
過去にバルザックの全集も存在したが、人間喜劇の中でも特に興味深い一連の作品を手に取りやすい形で出版してくれた藤原書店にはただただ感謝である。
私にしたところで、このセレクションがなければ今ほどバルザックを好きになっていたかどうか・・・。
『ペール・ゴリオ』を読まれた方は、ぜひ『幻滅』、『娼婦の栄光と悲惨』と順を追って読み進めてみていただきたい。
必ずやバルザックの、人間喜劇の、そしてヴォートランの魅力に引き込まれ、もっとバルザックの作品を読んでみたいと感じられることと思う。

『プラッサンの征服』 エミール・ゾラ(論創社)

プラッサンの征服 (ルーゴン=マッカール叢書)プラッサンの征服 (ルーゴン=マッカール叢書)
(2006/11)
エミール ゾラ

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書名:プラッサンの征服
著者:エミール・ゾラ
訳者:小田 光雄
出版社:論創社
ページ数:441

おすすめ度:★★★★




ルーゴン・マッカール叢書第四巻、『プラッサンの征服』。
第一巻の『ルーゴン家の誕生』の続編的位置付けであるだけではなく、後の作品で重要な登場人物となるムーレ家の人々が準備されてもおり、叢書内において枝分かれの起点の一つとなる作品だ。
同じ続編的性格を備えているといえども、『ごった煮』と『ボヌール・デ・ダム百貨店』の二作品より、『ルーゴン家の誕生』と『プラッサンの征服』のほうが、筋の上での結びつきが強い。
家族関係も多少複雑なので、『プラッサンの征服』だけを読んでも理解しにくい部分が多く、やはり『ルーゴン家の誕生』と合わせて読まれることをお勧めしたい。

本作『プラッサンの征服』は、この論創社版が本邦初訳とのこと。
訳者の小田光雄氏は、『プラッサンの征服』がこれまで翻訳されなかったのは、前後との関係性が強い分、単独訳が出版されにくかったのではないか、と推測されている。
非常にうなずける考えのように思うが、これは裏を返せば、『プラッサンの征服』が叢書の中で重要な役割を占めているということだろう。
ルーゴン・マッカール叢書に興味のある読者が飛ばしてはいけない必読の一巻ということだ。

『プラッサンの征服』の舞台はもちろんプラッサン。
ムーレ家に下宿人として謎めいた神父がやってくるところから話は始まる。
その怪しげな神父をはじめ、登場人物たちのうち何人かの目論見がなかなか明かされず、ミステリアスな雰囲気が持続しているため、読者は嫌でも興味をそそられる。
人物関係さえ把握できれば、ストーリー自体は非常にわかりやすいし、作品中における会話の割合も高いので、とても楽に読み進めることのできる作品だ。

ルーゴン家の誕生』についても同じことが言えるが、ある程度フランスの歴史を知っておいたほうが理解が深まるかもしれない。
そうは言っても、もちろん歴史的知識は必須ではないし、理解を深めずともストーリーを追っていくだけでも『プラッサンの征服』は十分面白いはずだ。
そしてさらに、『ルーゴン家の誕生』の後に続けて読めば何十倍も楽しめる、これは間違いない。

『パリの胃袋』 エミール・ゾラ(藤原書店)

パリの胃袋 (ゾラ・セレクション)パリの胃袋 (ゾラ・セレクション)
(2003/03)
エミール ゾラ

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書名:パリの胃袋
著者:エミール・ゾラ
訳者:朝比奈 弘治
出版社:藤原書店
ページ数:446

おすすめ度:★★★☆☆




ルーゴン・マッカール叢書の第三巻がこの『パリの胃袋』である。
一つの風俗画として読むこともできるような非歴史的なストーリーにもかかわらず、それでいてきわめてゾラらしい時代性に富んだ作品だ。

タイトルの「パリの胃袋」とは、パリ中央市場のこと。
ロンドン万博を彷彿とさせる、ガラスと鉄骨で作られたモダンな中央市場には、あちこちから野菜、肉、魚介類がパリの人々の食欲を満たすために集まってくる。
それらの食材を色彩豊かに描き出すゾラは、やはり色彩に対する感覚が他の作家より鋭敏だったのだろう。
また、市場で働く雑多な人々を大雑把に、それでいて読者が彼らに興味を抱いてしまうように描く手腕には、ただただ感心せずにはいられない。

『パリの胃袋』は、叢書中において、マッカール家が主要登場人物となる初めての作品だ。
ルーゴン家と比べてはるかに庶民的な一族であるマッカール家の人々が活躍する作品は、活気に満ちているものが多い。
本作『パリの胃袋』は、それらの中でも特に生き生きとした印象が強く、描かれた食材のみならず、登場人物たちも全般にとても鮮度がいい。
ガラスを通して差し込む日の光に満たされた明るい雰囲気の中では、彼らの抱く邪な欲望でさえ、その暗鬱さを和らげられてしまうかのようだ。
その分あっさりめのストーリーに仕上がったようにも思うが、それだけ読みやすい作品とも言える。

強いて言うならば、庶民階級を描いた『パリの胃袋』は叢書の中で最も『居酒屋』に近い性質の作品だろうか。
居酒屋』を気に入られた読者ならば、本書『パリの胃袋』でまた一味違ったゾラの描き出すパリの情景を楽しめるはずだ。

『獣人』 エミール・ゾラ(藤原書店)

獣人 ゾラセレクション(6)獣人 ゾラセレクション(6)
(2004/11)
エミール ゾラ

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書名:獣人
著者:エミール・ゾラ
訳者:寺田 光徳
出版社:藤原書店
ページ数:526

おすすめ度:★★★★★




ルーゴン・マッカール叢書第十七巻の『獣人』。
ミステリー的な要素の強い作品で、クライマックスの盛り上がり方、スピード感は、ゾラの全作品の中でも屈指だろう。
ゾラのことをあまり知らない人にも安心してお勧めできるし、ゾラが好きな読者なら絶対に楽しめるはずだ。

『獣人』は、文明化の象徴でもある鉄道を舞台にしている。
ゾラの作品は、他殺、自殺、病死など、登場人物が最低でも一人は死ぬものが圧倒的に多いが、「愛と殺人の鉄道物語」との副題が示すとおり、本作においてもやはり人が死ぬ。
そしてこの場合の「愛」が清純なものでないことも、副題から予想されるとおりだ。
あまり内容については触れたくないので深入りはしないでおくが、愛と殺人の絡まり合いと、それに拍車をかけるかのような機関車の疾駆が、作家として円熟したゾラによって巧みに描かれている。

そういえば、官能の瞬間と死の瞬間の類似は、ゾラがこの小説を書く前の世紀にサドが指摘していたように思う。
そして同様の事実を基に、二十世紀になってバタイユが自説を展開するのではなかったか。
このような思想的側面に焦点を当てて読んでみるのも面白いかもしれない。

『獣人』はルーゴン・マッカール叢書の第十七巻だが、他の作品とのつながりはきわめて弱い。
とはいえ、ルーゴン家、マッカール家の始祖とも言えるアデライードからの遺伝性は、主人公であるジャックにおいて一つの頂点を迎えている。
ジャックの母は『居酒屋』のジェルヴェーズであり、彼もマッカール家の一員だ。
ところで、マッカール家の面々を主人公にした作品に傑作が多いように思うのは気のせいだろうか。

『獣人』といういかにも魅力的なタイトル。
以前から読みたいとは思っていたのだが、文学全集などに収録されているものを除けば、かつては岩波文庫しか翻訳がなかった。
しかし、その訳文は古かったし、そもそも入手が難しかったりした。
挿絵入りの読みやすい『獣人』を出版してくれた藤原書店に感謝である。
これを機に、これまで埋もれがちだったゾラの傑作『獣人』がより多くの人に読まれ、人々にただならぬ感動を与えることを期待したい。

『ボヌール・デ・ダム百貨店』 エミール・ゾラ(藤原書店)

ボヌール・デ・ダム百貨店―デパートの誕生 (ゾラ・セレクション)ボヌール・デ・ダム百貨店―デパートの誕生 (ゾラ・セレクション)
(2004/02)
エミール ゾラ

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書名:ボヌール・デ・ダム百貨店
著者:エミール・ゾラ
訳者:吉田 典子
出版社:藤原書店
ページ数:651

おすすめ度:★★★★




ルーゴン・マッカール叢書第十一巻がこの『ボヌール・デ・ダム百貨店』。
第十巻の『ごった煮』の続編として紹介されることも多いが、『ごった煮』を知らずとも十分一つの作品として完結している。
とはいえ、『ごった煮』の主人公オクターヴ・ムーレのその後が描かれているので、両方とも読む予定なら順序としては『ごった煮』を先に読むのがベターだ。

『ボヌール・デ・ダム百貨店』は、世界最初の百貨店といわれるボン・マルシェ百貨店をモデルにした、デパートの黎明期を描いた作品。
ゾラの目指したものは歴史書ではないから、記述のすべてを鵜呑みにするわけにはいかないが、それでもおよそ150年前のデパートの様子を想像してみるよすがとはなる。
今日のデパートのあり方と比べてみるだけでも、興味深い相違点が多いことだろう。

ところで、同時期のフランスの作家たちを思い返してみても、本格化した産業革命の進展や、大量消費社会の形成など、社会の一大変革を取り扱った作品を残した作家は意外と少ないのではなかろうか。
百貨店を取り上げるということ自体が、様々な角度から第二帝政期を浮き彫りにしようとしようとしたゾラらしい焦点の当て方なのだろうし、このような手法によって、ゾラのライフワークとも言うべきルーゴン・マッカール叢書は、その分量では大きく引けを取るとはいえども、バルザックの「人間喜劇」にはない幅と奥行きを獲得している。
そういう意味では、急速に普及していった鉄道を舞台にした作品である『獣人』に通ずるところのある、時代性に富んだ素晴らしいテーマの選び方だと思う。

テーマの選び方は非常にゾラらしく、百貨店内に陳列された商品の描写にも、印象派を擁護したゾラらしい華やかな色使いは健在だ。
しかし、ストーリーの力強さやインパクトにやや欠けるところがあるだけではなく、ルーゴン・マッカール叢書内において異色の観もあるので、これだけで読むよりは叢書内の一作品として読むほうが面白みも倍増することだろう。
そういうわけで、やや玄人向けの作品だと思う。

『ごった煮』 エミール・ゾラ(論創社)

ごった煮 (ルーゴン・マッカール叢書)ごった煮 (ルーゴン・マッカール叢書)
(2004/09)
エミール ゾラ

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書名:ごった煮
著者:エミール・ゾラ
訳者:小田光雄
出版社:論創社
ページ数:528

おすすめ度:★★★★




『ごった煮』はルーゴン・マッカール叢書第十巻に当たる。
しばしば第十一巻の『ボヌール・デ・ダム百貨店』との連続性を指摘されるが、実際にはさほど厳密な意味での前編・後編という感じはなく、いつもの「ルーゴン・マッカール的」な緩いつながりがあるに過ぎない。
とはいっても、主要登場人物や、舞台となる服飾店など、共通する部分は多いので、やはりこの『ごった煮』、『ボヌール・デ・ダム百貨店』の二作品は順序どおり読むほうがより楽しめるだろうか。

『ごった煮』は、パリの一つのアパルトマンを舞台に繰り広げられる確執、打算、痴話、駆け引き・・・それらの混じりあう坩堝、まさしく一つ屋根の下に暮らす人々の「ごった煮」を描いている。
主人公は、『プラッサンの征服』で出来の悪い息子として登場したオクターヴ・ムーレ。
彼はルーゴン・マッカール叢書中、最も登場頻度の高い核となる人物の一人なので、また、彼の境遇や性格は非常に変化に富んでいるので、他の巻での彼の活躍を追ってみるのも興味深いに違いない。

ゾラの多くの傑作にありがちなことだが、『ごった煮』にもあまり心の清い人々は登場せず、腹黒い人々が大半を占めている。
そしてこのような人々を描いているときにこそ、自然主義の提唱者としてのゾラの腕前が遺憾なく発揮されているように思う。
決して作品の中で出しゃばらない作者は、ただ淡々と起こった出来事を連ねていくが、その無関心そうな態度が、冷たい突き放しのようで、いかにもとげとげしいと感じてしまうのは、私だけではないのではなかろうか。
醜悪なものをぎろりと横目でにらみつけたかのような、そんなゾラの鋭さが私は好きだ。

あまり知名度は高くないが、非常にゾラらしさの出ている『ごった煮』は読み物として普通に面白く、ゾラを初めて読む人にでもとっつきやすい。
『ごった煮』を気に入ることのできた方には、引き続いて『ボヌール・デ・ダム百貨店』を読んでみてもらいたい。
きっと少々毛色の異なるゾラを楽しんでもらえることだろう。
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