『隊長ブーリバ』 ゴーゴリ(潮文学ライブラリー)

隊長ブーリバ (潮文学ライブラリー)隊長ブーリバ (潮文学ライブラリー)
(2000/12)
ニコライ ゴーゴリ

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書名:隊長ブーリバ
著者:ニコライ・ゴーゴリ
訳者:原 久一郎
出版社:潮出版社
ページ数:224

おすすめ度:★★★★




ゴーゴリの出生の地であるウクライナを舞台とする中編小説を集めた作品集『ミルゴロド』の中の一編が、この『隊長ブーリバ』である。
『ミルゴロド』の収録作品はゴーゴリの若い頃のものであると言われていて、それは間違ってはいないのだが、出版年でいえば『狂人日記』や『ネフスキイ大通り』などと同時期のものとなっている。
しかし、『隊長ブーリバ』はそれらの「ペテルブルグもの」で描かれた世界とは空間的にも質的にもまったく異なる作品で、『』や『死せる魂』の読者からすれば、これまでのゴーゴリのイメージを根底から覆すものとなるかもしれない。

本書の原題ともなっているタラス・ブーリバは、粗暴で剛毅なコサック兵を絵に描いたような人物で、コサックの間でも一目置かれている歴戦の勇者である。
そんな彼が、教育を終えて実家に戻ってきた二人の息子を連れてコサックの集まる駐屯地に赴いたところに、とある知らせが届き・・・。

『隊長ブーリバ』には、鼻が出歩いたり幽霊が登場したりといった幻想性が見られず、ゴーゴリ得意の皮肉やユーモアも影を潜めている。
上官の威厳にびくつく部下もいなければ、金や地位をなりふり構わず求めている卑小な人物もおらず、本書の主役となるのは、感情の起伏が激しく、行き過ぎた勇猛さに加えて残忍さをも備えた、自由奔放に生きるコサックたちである。
今日的な観点からすれば、血と暴力で彩られたコサックの生き様は到底首肯できるものではないにせよ、ゴーゴリの作品の中で最もロマン主義的な作品の一つとして読むとたいへん興味深いものであることは間違いないだろう。

中編小説を集めた『ミルゴロド』に収録された四編は、いずれも現在一般の読者が読みやすい形のものが出回っていないのだが、この『隊長ブーリバ』だけが例外で、現時点ではいまだに新品での入手さえ可能となっている。
ゴーゴリのあまり知られていない筆致に触れたい方に強くお勧めしたい作品だ。
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『孤客―ミザントロオプ』 モリエール(岩波文庫)

孤客―ミザントロオプ (岩波文庫)孤客―ミザントロオプ (岩波文庫)
(1976/07)
モリエール

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書名:孤客―ミザントロオプ
著者:モリエール
訳者:辰野 隆
出版社:岩波書店
ページ数:110

おすすめ度:★★★★★




シェイクスピア同様、モリエールにも代表作が複数存在するが、誰がモリエールの代表作を数え上げるにしても、その選を漏れることがない作品がこの『孤客―ミザントロオプ』である。
守銭奴』や『スカパンの悪だくみ』のような滑稽味あふれる愉快な喜劇を期待している方はその期待を裏切られるだろうが、モリエールの最高傑作に推す声も高い作品であるだけに、モリエールに興味のある方であれば必読の一冊になるはずだ。

誠実さを欠く世間に失望し、孤独を求める若き青年。
そんな彼が「社会復帰」できるようにと、親友が彼を救おうとするのだが・・・。
『孤客』は、モリエールの作品の魅力の一つでもある馬鹿馬鹿しさが少なく、どこかシリアスな雰囲気の喜劇となっていて、読者の中にはこれは本当に喜劇に分類されるべきものなのだろうかと訝しがる方もおられるかもしれないが、『孤客』が読み応えのある戯曲であることまで否定する方はめったにいないことだろう。
人間ぎらい (新潮文庫)人間ぎらい (新潮文庫)
(1952/03)
モリエール

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岩波文庫では『孤客』という訳題となっているが、同じ作品が新潮文庫からは『人間ぎらい』とのタイトルで出版されている。
『孤客』もしくは『人間ぎらい』は、岩波版ではカタカナで副題とされている"Le Misanthrope"が原題であり、日本語への逐語的な置き換えが難しいため、それをどう訳すのかは判断の分かれるところなのだろう。
「ミザントロオプ」自体はしばしば欧米文学中に用いられている単語のようで、翻訳によってはわざわざ「ミザントロオプ」とルビがふってあるのを目にすることもあり、ひょっとすると近い将来、カタカナ語として通用するようになっているかもしれない。
いずれにしても、この戯曲が「ミザントロオプ」という表題であることは記憶に値するように思う。

軽快さを特徴とするモリエールの作品にしては、独特の深みのある、ドラマ性の強い作品となっている『孤客―ミザントロオプ』。
本書に触れた後、時を経てその筋書きを忘れることがあっても、グレーがかったその作風だけは長く記憶に留まる名作の一つとして、老若男女を問わずお勧めしたい一冊だ。

『守銭奴』 モリエール(岩波文庫)

守銭奴 (岩波文庫 赤 512-7)守銭奴 (岩波文庫 赤 512-7)
(1973/01)
モリエール

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書名:守銭奴
著者:モリエール
訳者:鈴木 力衛
出版社:岩波書店
ページ数:179

おすすめ度:★★★★★




モリエールの数ある戯曲のうちで、最も面白いものの一つとして高い人気を誇り、舞台にかけられた回数においてもトップクラスなのがこの『守銭奴』だ。
細かいところまで配慮の行き届いた台詞回しにはモリエールの喜劇作家としての才能が存分に発揮されているし、何より喜劇として面白いことこの上ないので、『タルチュフ』と同様、モリエールを始めて読む方にも自信を持ってお勧めできる作品だ。

『守銭奴』は、いかなる欲望よりも圧倒的に金銭欲の強いアルパゴンを中心に話が進んでいく。
親が金持ちであっても、それを貯め込むことにばかり熱心であったのでは、その息子も苦労が絶えないというもので・・・。
歪んだ性格を持つ一人の曲者、『守銭奴』の場合はもちろんアルパゴンがそれに当たるわけだが、そんな彼を取り巻く常識的な人々が四苦八苦し、知恵を絞って差し迫った問題を克服していくという王道的な筋書きによって、『守銭奴』はモリエールの代表作はおろかフランス古典喜劇の代表作にまで押し上げられていると言っても、さほど大きな誤りを犯したことにはならないはずだ。

偏執的な性格の人物を数多く創出したバルザックも、金に拘泥する守銭奴タイプの人間を何人か描いてはいるが、アルパゴンほどのインパクトの強いケチな人物は彼の膨大な著作群である人間喜劇中にも見当たらないのではなかろうか。
作品自体が短く、主要登場人物も少ない『守銭奴』においては、戯画化されたアルパゴンの吝嗇ぶりがいっそう前面に押し出されやすいという事情もあるだろうが、いずれにしても、『守銭奴』の読者は単に戯曲を楽しむだけではなく、モリエールの腕前に賛嘆の念を抱かずにはいられないだろう。

これまでに何度となく版を重ねてきている『守銭奴』は、岩波文庫におけるモリエール作品の定番の一つとなっていて、いまだに新品の入手がしやすい本である。
ひょっとすると、現在では「守銭奴」という単語自体が少々古びてきているのかもしれないが、優れた性格喜劇の一つである『守銭奴』が古びることはないだろうし、本棚に加えておいて損はない一冊だと思う。

『タルチュフ』 モリエール(岩波文庫)

タルチュフ (岩波文庫 赤 512-2)タルチュフ (岩波文庫 赤 512-2)
(1974/01)
モリエール

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書名:タルチュフ
著者:モリエール
訳者:鈴木 力衛
出版社:岩波書店
ページ数:115

おすすめ度:★★★★★




フランスが誇る古典的喜劇作家であるモリエールの代表作の一つがこの『タルチュフ』である。
本来のタイトルは『タルチュフ、あるいはペテン師』とでもいったところだが、「あるいは」で副題を加えたり言い換えを行ったりするのは欧米文学で長きにわたってなされていた一つの流行のようなものであり、これは『タルチュフ』に限ったことではないが、作品名を呼ぶ場合に「あるいは」以降は省略されることが多いようだ。
タイトルロールということもあってか、ペテン師であるタルチュフはモリエールが創造した登場人物の中で最も有名な人物の一人であり、しばしば偽善者を意味する一般名詞として用いられることもあるほどなので、モリエールの戯曲はもちろん、フランスの古典劇に関心のある方に真っ先にお勧めしたい作品がこの『タルチュフ』だ。

裕福なオルゴン一家に居候の身であるペテン師のタルチュフは、素晴らしい人格を備えた優れた人物であると、主人のオルゴンから絶大な信頼を受けている。
しかし、彼のような俗物にだまされるのは所詮ごく一部の愚鈍な人間でしかなく、家族はタルチュフの欺瞞に気付いている。
タルチュフの画策の行く末はどうなるのか・・・。
読者や観客を含めた真実を見抜いている人々と、タルチュフを信じ抜いている愚かなオルゴンとの明確な対比の生み出す滑稽味は秀逸で、ページを繰り続けた挙句、たいていの読者はものの数時間で読み終えてしまうのではなかろうか。

数百年の時を経てなお異国の地日本で読まれ続けているモリエールの代表作であるとはいえ、『タルチュフ』の筋運びの巧みさは必ずしも百点満点とは言えないかもしれない。
しかし、多くの人に読まれ続け、さらにいまだに上演され続けるにはやはりそれなりの理由があり、典型的な偽善者像であるタルチュフを創り上げたモリエールの功績はいつまでも消えることがないはずだ。
これが歓迎すべきことなのかどうかはわからないが、タルチュフに似た人間がこの世から姿を消さない限り、タルチュフ像は普遍的なものであり続けるだろうし、偽善者を戯画化した『タルチュフ』の面白みも存続するに違いない。

『狂人日記 他二篇』 ゴーゴリ(岩波文庫)

狂人日記 他二篇 (岩波文庫 赤 605-1)狂人日記 他二篇 (岩波文庫 赤 605-1)
(1983/01/17)
N.ゴーゴリ

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書名:狂人日記 他二篇
著者:ニコライ・ゴーゴリ
訳者:横田 瑞穂
出版社:岩波書店
ページ数:232

おすすめ度:★★★★




表題作のほかに、ゴーゴリの代表的な中編小説である『ネフスキイ大通り』と『肖像画』を収録したのがこの『狂人日記 他二篇』である。
いずれもゴーゴリの作品の中ではよく知られた部類に入るが、そもそもさほど作品数の多くないゴーゴリの場合、『外套・鼻』と本書を読めば有名な中編小説はほぼ網羅したと言ってもいいほどなので、ゴーゴリに興味のある方はぜひ本書を読んでみていただきたいと思う。

『狂人日記』をはじめ、本書に収録されている作品はいずれも「ペテルブルグもの」に属しており、舞台はペテルブルグに置かれている。
『狂人日記』は、下級官吏の日記というスタイルで書かれた作品で、その官吏が長官の令嬢に空しい恋心を抱くことから徐々に狂い出していく彼の精神模様が巧みに描き出されている。
本書の中では最も短い作品だが、おそらくは最も強く読者の印象に残ることだろう。
ペテルブルグの目抜き通りを行き交う人々を描いた『ネフスキイ大通り』、怪しい力を秘めた絵画を扱った『肖像画』も、ペテルブルグに好印象を持っていなかったゴーゴリらしい作品に仕上がっており、ゴーゴリの著作を読みたいと思われる方の期待を裏切ることはないはずだ。
阿Q正伝・狂人日記 他十二篇(吶喊) (岩波文庫)阿Q正伝・狂人日記 他十二篇(吶喊) (岩波文庫)
(1981/02)
魯 迅

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『狂人日記』の読者にお勧めしたいのは、同じく『狂人日記』との表題で知られる魯迅の作品だ。
時代と地域は違えど、同じ表題の作品ということで興味は尽きないし、両者の相違点を意識しながら読んでみるのも面白いことだろう。
ゴーゴリにしても魯迅にしても、どちらも非常に読みやすい文章を書く作家であるため、あまり好きになれないという読者は少ないはずだ。

『狂人日記 他二篇』の収録作品には、『検察官』ほどの風刺性や『』ほどのユーモア性は見られないが、それらの特徴はやはり底流となって存在している。
ゴーゴリの見たペテルブルグを知ることのできる『狂人日記 他二篇』、ゴーゴリに関心のある方にはお勧めの一冊だ。

『ほらふき男爵の冒険』 ビュルガー編(岩波文庫)

ほらふき男爵の冒険 (岩波文庫)ほらふき男爵の冒険 (岩波文庫)
(1983/04/18)
ビュルガー、 他

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書名:ほらふき男爵の冒険
著者:ビュルガー
訳者:新井 皓士
出版社:岩波書店
ページ数:260

おすすめ度:★★★★




実在の人物であるミュンヒハウゼン男爵の語ったとされる大言壮語を集めたのがこの『ほらふき男爵の冒険』である。
本書の成立過程には少々複雑な紆余曲折があり、話の筋自体もビュルガーの創作によるものではなく、彼の名前が著者としてではなく編者とされているのはそのためだ。
とはいえ内容が内容であるだけに、あまり難しいことを考えずにさらりと読んでしまっていいように思う。

『ほらふき男爵の冒険』は、いわばミュンヒハウゼン男爵の武勇伝である。
シリアスさのかけらもない荒唐無稽な筋書きはただただ愉快で、読者を楽しませるという以外の意図は微塵も感じられないのがかえって心地よいほどだ。
同じ滑稽な冒険譚であっても、『ドン・キホーテ』は登場人物が地に足を着けているのに対し、『ほらふき男爵の冒険』のほうはふわふわと浮いているかのようで、ミュンヒハウゼン男爵が実在の人物であり、彼の伝記的事実を若干取り入れているらしいと聞かされても、『ほらふき男爵の冒険』は依然として空想世界の産物にとどまることだろう。
ミュンヒハウゼン
岩波文庫版の『ほらふき男爵の冒険』には、ギュスターブ・ドレによる挿絵が多数挿入されている。
表紙を飾る三点や右のものなどはそのほんの一例だが、ドレによる滑稽な挿絵を眺めているだけでもけっこう面白く、それらがそれぞれどのような場面を描いたものなのかと、本文に対する関心も高まること疑いなしだ。
豊富な挿絵と解説があっての260ページなので文章量自体は比較的少なく、また、難解なところのない読みやすい文章であることは言うまでもないことで、中には時の経つのを忘れて一日で読み切ってしまう読者もいるかもしれない。

『ほらふき男爵の冒険』が文学的に高い評価を受けることはないだろうし、編者のビュルガーも詩人としては日本ではほとんど知られていないが、この作品のストーリーがめっぽう面白いものであることは誰にも否定できないのではなかろうか。
児童向けに数種類の本が出されているのもうなずけるし、この全訳に触れて懐かしさを覚える方もいることだろう。
『ほらふき男爵の冒険』は、童心に返って楽しんでいただきたい、そんな一冊だ。

『聖アントワヌの誘惑』 フローベール(岩波文庫)

聖アントワヌの誘惑 (岩波文庫 赤 538-6)聖アントワヌの誘惑 (岩波文庫 赤 538-6)
(1986/07)
フローベール

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書名:聖アントワヌの誘惑
著者:ギュスターヴ・フローベール
訳者:渡辺 一夫
出版社:岩波書店
ページ数:

おすすめ度:★★★☆☆




フローベールが若い頃の着想を温め続け、数十年の時を経て完成させたのがこの『聖アントワヌの誘惑』だ。
岩波文庫の表紙で「夢幻劇的小説」と紹介されているが、小説と呼ぶにはあまりに戯曲風の作品で、きわめてト書きの多い戯曲とでも言う方が正確であるように思う。
類似の作品としては、フローベールが愛読していた作品でもあるゲーテの『ファウスト』が挙げられ、両者を読み比べてみるのも興味深いに違いない。

聖アントワヌとは、日本ではラテン名の聖アントニウスが一般的であるように思われるが、砂漠で苦行の日々を送ったエジプトの聖者のことである。
禁欲生活を送るアントニウスに対する誘惑は、ドイツなどの北方系の画家に好まれていた題材でもあり、実際に本書はブリューゲルの『聖アントニウスの誘惑』を最大のインスピレーション源としているようで、混沌としたブリューゲルの絵画にも似た独特の作品世界ができあがっている。
単に物質的な欲望をそそるだけではなく、キリスト教への信仰自体をも揺さぶるような誘惑があの手この手を尽くして行われ、読者はブリューゲルの絵画を横長に引き延ばした絵巻物を見ているかのような印象を受けるのではなかろうか。

しかしながら、『聖アントワヌの誘惑』は決して一般読者向けの作品ではない。
フローベールの築き上げた幻想世界こそが本書の醍醐味であるとはいえ、人々が幻想的なものに慣れ親しんでしまっている今日、本に書かれた幻想で多くの読者を獲得するには限界があるだろうし、巻末に30ページにも及ぶ固有名詞の索引が付けられていることからもわかるように、『聖アントワヌの誘惑』には異端とされるキリスト教の宗派や、ギリシア・ローマやアジアの神々などが数多く名を連ねており、フローベールの言わんとするところのすべてを理解しながら鑑賞するのは非常に困難であるはずだ。
論文の対象にするのであればこれほど格好の作品もないだろうが、読書に楽しみを求める方には少々荷が重い作品であるように思う。

そうはいっても、フローベールに興味のある方であれば彼が半生をかけて仕上げた『聖アントワヌの誘惑』に賛嘆の念を抱くことは間違いないだろうし、文学的には高い価値のある希少な作風の一冊であることもまた確かだ。
フローベールや幻想文学に関心のある方にお勧めしたいと思う。

『ケニア』 ヘミングウェイ(アーティストハウス)

ケニアケニア
(1999/07)
アーネスト ヘミングウェイ

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書名:ケニア
著者:アーネスト・ヘミングウェイ
訳者:金原 瑞人
出版社:アーティストハウス
ページ数:563

おすすめ度:★★★★




海流のなかの島々』や『移動祝祭日』など、ヘミングウェイは死後に遺稿が出版されることの多い作家の一人だが、この『ケニア』も生前未発表の作品の一つである。
タイトルからも察せられるとおり、ヘミングウェイと密接な関係のある土地アフリカを舞台にした作品であるが、原題は表紙にもあるように"True at First Light"となっていて、『ケニア』という明快だけれども趣の乏しい表題はあくまで翻訳者もしくは出版社が付したものらしい。
作品としては未完であるし、出版に向けてヘミングウェイ自身による草稿の整理・推敲がなされていないとはいえ、500ページを超える大部の自伝的作品であり、ヘミングウェイがライフル片手にアフリカで過ごした日々を垣間見ることのできる『ケニア』は、ヘミングウェイのファンであれば大いに楽しむことができる作品だろう。
そういう意味では、アフリカ関連の作品であるということが一目瞭然となる『ケニア』という邦題も、成功していると言うべきなのかもしれない。

ヘミングウェイは最後の妻であるメアリを伴って、密猟を取り締まる狩猟管理局の一員として、キリマンジャロにほど近いケニアの草原でテント暮らしをしている。
しばしばゾウやサイを目にし、食糧のためにはガゼルやインパラを狩り、周辺にはマサイ族やカンバ族が暮らしているという環境の中で、ヘミングウェイの一団は妻のメアリの獲物と定められた一頭のライオンを追い続けている。
キャンプ地で共に生活しているカンバ族の男たちをはじめ、ヘミングウェイの友人である白人のハンターや、近隣の村に住むヘミングウェイに魅了されている若い娘など、ヘミングウェイは巧みに描き分けられた興味深い登場人物たちに囲まれており、すらすら読めてしまうあたりはさすがにヘミングウェイの作品だと感じさせるものがある。

フィクションとノンフィクションの狭間に位置する『ケニア』は、日記風のスタイルで書かれてはいるものの、真実と虚構との境目は明確には判別しがたい。
そうはいっても、サファリツアーに参加した一人のツーリストとしてではなく、現地の人々と溶け合わんばかりにアフリカで暮らした経験のあるヘミングウェイだからこそ書けた作品であることは間違いない。
新品こそ出回っていないが中古品ならば非常に安く買えるので、ヘミングウェイの見たアフリカに興味のある方にはぜひ本書をお勧めしたい。

『春の水』 ツルゲーネフ(岩波文庫)

春の水 (岩波文庫)春の水 (岩波文庫)
(1961/07/25)
ツルゲーネフ

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書名:春の水
著者:イワン・ツルゲーネフ
訳者:中村 融
出版社:岩波書店
ページ数:263

おすすめ度:★★★☆☆




「春の水」のごとく流れ去っていく、楽しくも幸多き青春時代を描いたツルゲーネフの円熟期の長編作品がこの『春の水』だ。
ツルゲーネフには『初恋』や『片恋』のように、恋愛をテーマにした作品がいくつかあるが、これもそのうちの一つに数えることができるだろう。

『春の水』は、初老に差し掛かった主人公の回想を綴るという体裁で進んでいく。
回想の舞台となる町はフランクフルト。
主人公サーニンは、散策の疲れを癒そうと思って入った喫茶店で、意識を失った弟の命を助けてほしいと懇願する美しいイタリア娘と運命的な出会いを果たす。
彼女から優しく声をかけてもらい、彼は徐々に彼女の魅力に惹きつけられていくのだが、しかし彼女には婚約者がいて・・・。

上記の『春の水』の冒頭部分に描かれる情景は、若き日のツルゲーネフが実際に体験したものらしい。
本書に付せられた5ページに満たない解説を参考にする限りでは、この小説のどこまでが事実でどこからが創造によるものなのか、明確な線引きをすることは難しいが、いずれにしても、作家の身に起きた実際の出来事をベースにした物語ということで興味をそそられるし、主人公と同じく初老のツルゲーネフが自らの過去を追憶しているという事情のおかげで、小説作品としてのリアリティも増しているように思う。
また、いくらかステレオタイプ的な判断ではあるものの、ツルゲーネフのドイツ人やイタリア人に対する評言も読むことができて興味深い。

あまり知名度の高くない作品である『春の水』は、初版以降さほど版を重ねてもいないので、流通量自体は非常に少ないはずだ。
それにもかかわらず、アマゾンでは定価のおよそ10分の1程度と、安価での入手が可能となっている。
初恋』や『片恋』でツルゲーネフの恋愛小説に関心を持たれた方にお勧めしたい。

『散文詩』 ツルゲーネフ(岩波文庫)

散文詩 (1958年) (岩波文庫)散文詩 (1958年) (岩波文庫)
(1958)
ツルゲーネフ

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書名:散文詩
著者:イワン・ツルゲーネフ
訳者:神西 清、池田 健太郎
出版社:岩波書店
ページ数:210

おすすめ度:★★★★




晩年のツルゲーネフの散文による小品を集めたのがこの『散文詩』である。
生前に出版された約50編に加え、手稿の形で残っていたもの約30編をも収録しており、そのテーマは多岐にわたっていて読み応えがある。
それらの多くは本来ツルゲーネフが『散文詩』という本にしようとの意図をもって書かれていたわけではなく、前半の50編は特に、どちらかといえば断片・断章という性格の散文のようでもあるが、晩年のツルゲーネフの心境を探る上で貴重なエッセンスの集まりとなっていることは確かだ。

『散文詩』が扱うテーマは、人間はもちろんのこと、動物や自然に関するものが多く、政治思想色は薄いといっていいように思う。
細かい相違点を挙げればきりがないにせよ、ツルゲーネフが作家生活を始める契機となった作品である『猟人日記』に通ずる雰囲気も垣間見られるように感じられる。
ツルゲーネフの魅力の一つである優しい思いやりの感じられる文章に出会うことができるので、ツルゲーネフを好きな方にはぜひ本書をお勧めしたい。

『散文詩』に収録されている作品はいずれも数ページで終わる小品ばかり。
ツルゲーネフ自身が読者に対し、一気に読み通さずに気の向くままに紐解いてくれるよう言っていたようで、読者はそれに従うのが賢明かもしれない。
通常の詩集と同じく、何度も気軽に立ち返ることができるのも『散文詩』のいいところだ。

幅広い読者の心を揺さぶりうるのがこの『散文詩』であり、それが証拠にこれまでにだいぶ版を重ねてはきているのだが、現在新品はほとんど出回っていないようだ。
改訳を終えることなく世を去られた神西氏の訳業をベースに池田氏が完了された訳文は読みやすく、挿絵が豊富に入っているのも読者の目を楽しませてくれる。
ツルゲーネフの代表作ではないし、その性質上、代表作にはなりえないかもしれないが、自信を持ってお勧めできる作品の一つだ。

『片恋・ファウスト』 ツルゲーネフ(新潮文庫)

片恋・ファウスト (新潮文庫)片恋・ファウスト (新潮文庫)
(1952/06)
ツルゲーネフ

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書名:片恋・ファウスト
著者:イワン・ツルゲーネフ
訳者:米川 正夫
出版社:新潮社
ページ数:174

おすすめ度:★★★★




ツルゲーネフの円熟期の中編二編を収めたのが本書『片恋・ファウスト』だ。
ライン河のほとりの町を舞台にした『片恋』と、いかにもドイツらしい雰囲気を帯びたタイトルである『ファウスト』ということで、どちらもほのかにドイツの香りが漂ってくる作品である。
ロシア以外の文学にも通じ、ロシアの外での暮らしが長かったツルゲーネフらしい二編と言えるのではなかろうか。

『片恋』の原題は『アーシャ』で、近年では『アーシャ』とされることの方が増えてきているが、本書では二葉亭四迷による訳題を受け継いで『片恋』としているとのこと。
作中においては物語の語り手よりも自由奔放なアーシャの存在の方が格段に異彩を放っており、そういうわけでツルゲーネフも彼女に比重を置いた表題『アーシャ』を用いたのだろうから、読者に何らかの先入観を植え付けかねない『片恋』よりも『アーシャ』の方が表題としては優れているかもしれない。
いずれにしても、中編小説としての『片恋』もしくは『アーシャ』の出来は素晴らしく、ツルゲーネフのファンでなくとも楽しめる作品の一つに数えられるだろう。

『ファウスト』の方は、大方の読者が想像するとおり、ゲーテの『ファウスト』にちなんだ作品である。
ろくに読書もしたことがないという美しい人妻に主人公がゲーテの『ファウスト』を朗読してあげることになり、二人の運命が変わっていくのだが・・・。
主人公が友人に宛てた書簡というスタイルを取っていて、小説の形式として少々古いのは事実であるが、今日の読者が読んでも十分感銘を受けることができる佳作であるように思う。

『片恋・ファウスト』は中古でしか手に入らないのが現状であるが、それほどレアな本ではないため、アマゾンでは非常に安く売られている。
訳文が少々古いとはいえ、読みにくいというほどでもないので、ツルゲーネフに関心のある方はぜひ手にしていただければと思う。
きっとどことなく『初恋』や『猟人日記』に似た、諦念と優しさを基にしたツルゲーネフらしいペーソスに触れることができるに違いない。

『紋切型辞典』 フローベール(岩波文庫)

紋切型辞典 (岩波文庫)紋切型辞典 (岩波文庫)
(2000/11/16)
フローベール

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書名:紋切型辞典
著者:ギュスターヴ・フローベール
訳者:小倉 孝誠
出版社:岩波書店
ページ数:316

おすすめ度:★★★☆☆




フローベールが、本来の語の意味とは異なる、当時の通俗的な観念や偏見を集めて編んだ辞典がこの『紋切型辞典』である。
全編にわたって風刺と皮肉に満ち満ちており、風刺性を強めていった晩年のフローベールを知る上で格好の作品であることは間違いなく、『ブヴァールとペキュシェ』の読者であれば、その構想や執筆の経緯などもあって、大いに楽しめるはずの一冊だ。
フランス文学の系譜の面においても、偉大な先人ラ・ロシュフーコーの『箴言集』に連なるものであると言えるのではなかろうか。

本書のページを繰っていくうちに、よくもここまでアイロニーあふれる定義を集めることができたものだと、読者はフローベールのユーモアセンスには舌を巻かざるをえないはずだ。
定義自体はきわめて短いながらも各々の項目はよくできている。
これは余談ながら、最近では「紋切型」という語の意味がわからない人が増えているらしい。
この『紋切型辞典』の存在が、「紋切型」という語の保存・普及に一役買ったとすれば、違った意味で辞典としての役割を担うことになるかもしれない。
悪魔の辞典 (角川文庫)悪魔の辞典 (角川文庫)
(1975/04)
アンブローズ ビアス、奥田 俊介 他

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『紋切型辞典』の読者にお勧めしたいのが、アメリカの作家であるビアスによる右の『悪魔の辞典』だ。
痛烈な皮肉によって社会を切り裂く鋭い視点はフローベールと似通っているが、それぞれの生きた時代性と地域性が異なるため、編まれた語などに若干の差異が見られる。
二つの辞典を比較対照してみるのも興味深いことだろう。

項目とその説明の羅列という、小説でも戯曲でもなく、詩でも評論でもないという独特のスタイルゆえに、いくらか抵抗を感じられる方もいるかもしれない。
確かに、読者の心に感動を呼び覚ますような作品ではないのだが、機知に富んだユーモアのエッセンスが詰まっているのは事実だ。
斜に構えたフローベールだけでなく、当時の俗なフランス社会の実態を窺い知ることのできる本として、空いた時間にぱらぱらめくってみてはいかがだろうか。

『ブヴァールとペキュシェ』 フローベール(岩波文庫)

ブヴァールとペキュシェ (上) (岩波文庫)ブヴァールとペキュシェ (上) (岩波文庫)
(1954/10/25)
フロベール

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ブヴァールとペキュシェ (中) (岩波文庫)ブヴァールとペキュシェ (中) (岩波文庫)
(1955/04/05)
フロベール

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ブヴァールとペキュシェ (下) (岩波文庫)ブヴァールとペキュシェ (下) (岩波文庫)
(1955/05/05)
フロベール

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書名:ブヴァールとペキュシェ
著者:ギュスターヴ・フローベール
訳者:鈴木 健郎
出版社:岩波書店
ページ数:210(上)、192(中)、158(下)

おすすめ度:★★★★




フローベールの死によって執筆が中断された未完の長編作品がこの『ブヴァールとペキュシェ』である。
フローベール関連の文章を読んでいるとかなりの頻度でそのタイトルに出くわすに違いない作品で、彼の代表作の一つにその名を挙げられることもあるぐらいだが、まれに復刊にあることはあっても、邦訳は入手しづらい状態が続いている。
作品の性質上、一般受けはしにくいかもしれないが、フローベールに関心のある方であれば必ずや押さえておきたい作品だ。

初老の紳士ブヴァールは、ひょんなことから生活に困らないだけの財産を持つことになった。
彼は気の合う親友ペキュシェを誘い、仕事を辞めて田舎で隠遁生活を始める。
そして彼らは知的好奇心の赴くままに、次から次へと多方面にわたる研究と実践を繰り広げることとなるのだが・・・。
風刺色が強い作品なので、『ボヴァリー夫人』や『感情教育』の読者には少々意外な作品に思えるかもしれないが、『紋切型辞典』にも見られるように、フローベールにとって風刺性は重要なファクターの一つでもあるから、それが存分に発揮された小説作品である本書は、フローベールに接近するためには貴重な作品であるということができるだろう。

百科全書的な『ブヴァールとペキュシェ』を書き上げるにあたり、フローベールがその準備のために行った読書の量の膨大さは有名だ。
農業、医学、文学、政治と、ブヴァールとペキュシェが関心を示す分野が広大であるだけに、作者の予備知識もそれを網羅していなければならないというのは理の当然ではあるが、それにしてもフローベールの一見やり過ぎとも思える徹底した姿勢からは、己の限界まで作品の完成度を高めていこうという芸術家気質が窺えるというもので、彼の生み出した作品に接する読者は畏敬の念すら抱いてしまうのではなかろうか。

未完の遺作であるとはいえ、全三冊に及ぶ『ブヴァールとペキュシェ』は、それなりにひとまとまりの作品に仕上がってはいる。
新品の入手が難しく、中古品でさえ定価以上で売られていることもしばしばではあるが、フローベールという作家像を完成させるためには『ブヴァールとペキュシェ』は必要不可欠なピースであるはずだ。
ボヴァリー夫人』とは一味違うフローベールを楽しみたい方にお勧めしたい。

『感情教育』 フローベール(岩波文庫)

感情教育〈上〉 (岩波文庫)感情教育〈上〉 (岩波文庫)
(1971/03/16)
フローベール

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感情教育〈下〉 (岩波文庫)感情教育〈下〉 (岩波文庫)
(1971/04/16)
フローベール

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書名:感情教育
著者:ギュスターヴ・フローベール
訳者:生島 遼一
出版社:岩波書店
ページ数:401(上)、338(下)

おすすめ度:★★★★★



ボヴァリー夫人』と並び、フローベールの代表作とされるのがこの『感情教育』である。
フローベールの代表作として絶対的な地位を築いている『ボヴァリー夫人』と比べると、同じ代表作であるにもかかわらずやや地味な存在かもしれないが、作品としての完成度の点において劣っているわけではないように思うし、両方を読んだ読者の間で『ボヴァリー夫人』と人気を二分するとまでは言えないにせよ、『感情教育』の方を好むという読者も少なからずいるはずだ。
かく言う私も『感情教育』派の一人なので、フローベールに、19世紀のフランス文学に興味のある方には強くお勧めしたい作品だ。

若き青年フレデリックは、とある船の上でアルヌー夫妻と知り合いになり、その妻であるアルヌー夫人に恋心を抱いてしまう。
アルヌー家に出入りするようになったフレデリックと夫人の恋の行方はいかに・・・。
ボヴァリー夫人』の読者であれば、その筋書きが思い出されることだろう。
2月革命前後のパリを舞台にした作品でもあるので、作中にはその特異な時代性も垣間見られ、ストーリー展開との絡み合いもまた読者の興味をそそるに違いない。

歴史に名を残す文豪の中にも女性像が一面的だと指摘される作家がしばしばいるものだが、フローベールはその逆に女性像を創造する筆力に長けている作家の一人だ。
そしてその優れた人物像の代表格がボヴァリー夫人とアルヌー夫人で、この二人は似ているようでもあり似ていないようでもあり、作品中においてそれぞれが独特の存在感を放っているので、フローベールの描いた女性に注目して読んでみるのも面白いように思う。
とはいっても、あえて注目をせずとも自ずと女性像が記憶に焼き付けられるのがフローベールのすごさでもあるのだが。

例によって執筆に数年の歳月を費やし、フローベールが自信をもって世に送り出した『感情教育』は、今でこそフローベールの代表的な作品の一つに数えられているものの、発表当時は予想外に評判が悪かったらしい。
しかし、異国の地である日本においてもいまだに読まれ続けていることが、作品の秘めている魅力を何よりも如実に物語っているだろう。
ぜひ『ボヴァリー夫人』と合わせて読んでみていただきたい作品だ。

『ボヴァリー夫人』 フローベール(新潮文庫)

ボヴァリー夫人 (新潮文庫)ボヴァリー夫人 (新潮文庫)
(1997/05)
フローベール

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書名:ボヴァリー夫人
著者:ギュスターヴ・フローベール
訳者:生島 遼一
出版社:新潮社
ページ数:500

おすすめ度:★★★★★




言わずと知れたフローベールの代表作がこの『ボヴァリー夫人』であるが、これは同時に彼の出世作でもある。
文学史においては、風俗紊乱のかどで訴えられた作品というものがいくつか存在するが、『ボヴァリー夫人』はそれらの中で最も有名なものの一つであり、その裁判のおかげでフローベールの文名が確立されたという経緯もある。
私は個人的にはフローベールの作品の中で『感情教育』を最も好んでいるが、そうはいってもフローベールの作品で真っ先に手に取るべきはやはりこの『ボヴァリー夫人』であるように思う。

『ボヴァリー夫人』は、おそらく主人公であるボヴァリー夫人の心理の描写が最大の読みどころになってくるはずだ。
冷たく鋭い書きぶりでヒロインの心情を浮き彫りにしていく優れた技巧には、今日でこそその新しさを感じることはできないかもしれないが、フローベールが写実主義文学の祖と呼ばれるのを納得させるだけのものがある。
「不道徳」なボヴァリー夫人の行く末を追っていくだけでなく、フローベールの書き方にも注意を払いながら読めば、『ボヴァリー夫人』の面白さは倍増するに違いない。

しばしばフローベールの作品は退屈であるという感想を耳にすることもあるが、それは文学作品としての完成度の高さが一因ではないかと思うのだがいかがだろうか。
フローベールは推敲に推敲を重ねることでも知られており、緻密に過ぎる仕上がりの作品を目指したがために、いくらか一般受けをしにくい作品となっているのは事実だろう。
そういう意味では、文学史における重要性や芸術作品としての出来栄えよりも、読み物としての面白さを期待している読者には、フローベールという作家はあまりお勧めできないかもしれない。

フローベールの発言とされるものの一つに、「ボヴァリー夫人は私だ」というのがある。
その真意を読み解くがためにも、『ボヴァリー夫人』は一読の価値ある小説であるように思う。

『ノーサンガー・アビー』 ジェーン・オースティン(ちくま文庫)

ノーサンガー・アビー (ちくま文庫)ノーサンガー・アビー (ちくま文庫)
(2009/09/09)
ジェイン オースティン

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書名:ノーサンガー・アビー
著者:ジェーン・オースティン
訳者:中野 康司
出版社:筑摩書房
ページ数:392

おすすめ度:★★★★




出版時期が前後しているとはいえ、ジェーン・オースティンの実質的な処女作はこの『ノーサンガー・アビー』である。
アビー、もしくはアベイと表記される原語は、修道院を意味する"Abbey"であり、かつては『ノーサンガー僧院』というタイトルも用いられていたようだ。
しかし、そもそも修道院制度が廃止されているイギリスにおいて、「アビー」とはかつて修道院だった建物を指しているのであり、『マンスフィールド・パーク』の「パーク」と同様、「アビー」も屋敷の呼び方の一つに過ぎないから、本作には「僧院」といった堅苦しさも宗教臭さも感じられず、オースティンの描いた女主人公が柄にもなく尼僧になるというわけでもない。
堅苦しいどころか、ストーリー展開の軽妙さはオースティンの長編作品の中でも屈指であるので、気軽な読み物としてお勧めできるのがこの『ノーサンガー・アビー』だ。

本書のヒロインであるキャサリンは、ひょんなことからオースティン自身が若き日を過ごした地でもある温泉保養地バースに滞在することとなる。
世間知らずでゴシック小説が大好きというキャサリンだが、素直でいささか信じやすい性格は、どれだけそそっかしかろうがやはり好感が持てる。
登場人物の造形は全体に粗削りな印象を受けないでもないが、軽薄な人間もいれば誠実な人間もおり、聡明な人間もいれば愚鈍な人間もいるという具合に、オースティン流の物語を進めていく上で必要な役者は十分そろっている。

騎士道小説を読み過ぎた主人公が繰り広げる珍道中を描いた『ドン・キホーテ』に似て、『ノーサンガー・アビー』はヒロインのゴシック小説の読みすぎが展開を面白くしてくれる。
ゴシック小説に対するパロディ的な要素も多分に盛り込まれていて、全般にユーモアやウィットに富んでいるというのも、『ノーサンガー・アビー』を非常に読みやすい小説に仕上げてくれているはずだ。

オースティンの長編六編の中で、『ノーサンガー・アビー』を最高傑作に推す声はめったに聞かれないようだが、タッチが軽めである点に加えて、『説きふせられて』と同様比較的短い作品であるということを考え合わせれば、最も読みやすい作品であるとは言えるのではなかろうか。
オースティンに興味のある方はぜひ手にしてみていただきたいと思う。

『ワイルド全詩』 オスカー・ワイルド(講談社文芸文庫)

ワイルド全詩 (講談社文芸文庫)ワイルド全詩 (講談社文芸文庫)
(1995/12)
オスカー ワイルド

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書名:ワイルド全詩
著者:オスカー・ワイルド
訳者:日夏 耿之介
出版社:講談社
ページ数:516

おすすめ度:★★☆☆☆




小説家や戯曲家としてのみならず、詩人としても優れた業績を残したオスカー・ワイルドだが、そんな彼のすべての詩を一冊にまとめたのがこの『ワイルド全詩』だ。
ワイルドの処女作とされる『ラヴェンナ』をはじめ、古代ギリシア関連のものやキーツにまつわるものなど、いかにもワイルドらしい数多くの詩を経て、男色の罪を問われて投獄されていた経験を素材にした『レディング牢獄の歌』に至るという、ワイルドの詩業を一冊の文庫本で俯瞰することができる。
ワイルドの詩の翻訳は決して多くないということもあり、ワイルドの詩の世界に興味を持っている方には本書をお勧めしたいと思う。

『ワイルド全詩』は、詩人としても活躍していた日夏耿之介を訳者に迎えており、それだけに訳文に見られる詩趣はワイルド研究に従事しているたいていの大学教授に勝る部分もあるだろうが、しかし如何せん、訳文自体が古いときている。
今日であれば通常カタカナを使うところに頻繁に漢字が使われており、「英吉利」や「仏蘭西」ぐらいはともかくとして、「希臘」や「埃及」まで漢字で書かれていたのでは、少々戸惑われる読者がいても何ら不思議ではない。
当然ながら訳文に古さを感じさせるのは漢字表記のみではなく、全体の言い回しや語彙も一昔前のものといったところだ。
日夏耿之介の書いたものを読みたいという方であれば、まったく問題がないどころかむしろその旧弊さをこそ味わいたいのだろうが、お世辞にも今日の一般読者向けの本であるとは言い難いというのが私の感想だ。

そうはいっても、まったく理解しがたいほどに難解というわけではないし、いまだに多くの読者を獲得し続けている『サロメ』や『ドリアン・グレイの肖像』の作者であるワイルドの詩に興味を持つ人は少なくないのではなかろうか。
ワイルドといえば耽美的であるとか退廃的であるとか、はたまた世紀末風であるとか、様々な魅力的な形容辞を与えられている作家であるが、そういった性格がより鮮明に打ち出されているのは、おそらくその詩行においてであろう。
ワイルドに興味のある方ならば、訳文が古いためにいくらか読みにくいというのを承知の上で、ぜひ手に取ってみていただきたい一冊だ。

『クオ・ワディス』 シェンキェーヴィチ(岩波文庫)

クオ・ワディス〈上〉 (岩波文庫)クオ・ワディス〈上〉 (岩波文庫)
(1995/03/16)
シェンキェーヴィチ

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クオ・ワディス〈中〉 (岩波文庫)クオ・ワディス〈中〉 (岩波文庫)
(1995/03/16)
シェンキェーヴィチ

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クオ・ワディス〈下〉 (岩波文庫)クオ・ワディス〈下〉 (岩波文庫)
(1995/03/16)
シェンキェーヴィチ

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書名:クオ・ワディス
著者:シェンキェーヴィチ
訳者:木村 彰一
出版社:岩波書店
ページ数:355(上)、359(中)、323(下)

おすすめ度:★★★★★




ポーランド出身のノーベル賞作家であるヘンリク・シェンキェーヴィチの代表作が、歴史小説であるこの『クオ・ワディス』である。
原題は"Quo Vadis"というラテン語で、かつては『クォ・ヴァディス』とも表記されていたが、最近ではよりラテン語読みに近い『クオ・ワディス』が主流のようだ。
そして聖書に由来するこの語の意味は「あなたはどこへ行くのか?」であり、本書の読者であればなおさらのこと、これが非常に意味深なタイトルであると実感できることだろう。

『クオ・ワディス』の舞台は、ネロ帝の君臨する古代ローマ。
作中にはネロをはじめ、聖ペテロや『サテュリコン』の作者と考えられているペトロニウスも登場し、歴史上の人物と創作の人物とが交じり合った一大ロマンは、その構成はもちろん人物造形に至るまで、きわめて完成度の高い作品に仕上がっているように思う。
キリスト教徒への迫害や、ローマへの放火をその最たるものとするネロの暴虐も描かれており、緊迫感あるストーリー展開が読者をとらえて放さないはずだ。

シェンキェーヴィチがポーランド人ということで、ポーランドのおかれていた政治的状況も『クオ・ワディス』の読者の脳裏をかすめずにはいない。
迫害されるキリスト教徒たちの姿は、強国に囲まれるという不運な地勢により侵略や「分割」といった被害を被っていたポーランド人たちをしばしば思い浮かばせ、この作品に悲しみの色合いを添えているようにも感じられるが、それだけ奥行きのある作品になっていることもまた事実だろう。

日本において決して知名度の高い作家ではないシェンキェーヴィチは、ひょっとすると『クオ・ワディス』以外の作品の翻訳はないのかもしれない。
しかし、小説としての『クオ・ワディス』はあまりにもよくできていて、読む者みなに感動を与えずにはおかないだろう。
訳文も読みやすい上に、新品の入手も容易であるので、全三冊という長編小説に抵抗を感じない方はぜひ読んでみていただきたいと思う。

『危険な夏』 ヘミングウェイ(草思社)

危険な夏危険な夏
(1987/07)
アーネスト ヘミングウェイ

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書名:危険な夏
著者:アーネスト・ヘミングウェイ
訳者:諸岡 敏行
出版社:草思社
ページ数:254

おすすめ度:★★★★




スペインとは切っても切れない間柄であるヘミングウェイによる、闘牛士たちの命懸けの闘いを描いたルポルタージュがこの『危険な夏』だ。
ヘミングウェイ一行がパンプロナにたどり着いたときには『日はまた昇る』への言及がなされていたりするため、ヘミングウェイの小説に親しんだ人間ならいっそう興味深く読める部分もあることだろう。

自他共に認める当代随一の闘牛士であるミゲルと、類まれなる実力でミゲルに追いつき、追い越そうとしているアントニオ、この二人が闘牛場でその華麗な技を競い合う。
しかし、最高の闘牛士の称号を獲得するための闘いは、彼らの身に迫る危険度が増すことを意味する。
「危険な夏」とは、二人の対決姿勢が強まり、死の危険の大幅に増したシーズンのことを指しているのだ。
二人と親しかったヘミングウェイは、特にアントニオとは闘牛場以外でも共に過ごす時間が多く、単に闘牛場に通い詰める闘牛ファンを超えた視点から描かれているというのも、本書を非常に面白いものにしているはずだ。

『危険な夏』は、そのテーマがテーマであるだけに闘牛用語が頻繁に用いられているため、ある意味で一般受けしにくい本でもある。
用語に対する知識だけではなく、闘牛において闘牛士が牛を殺すに至るまでのステップを大雑把にでも把握しておかないと、ヘミングウェイが何を伝えようとしているのかが今ひとつわからないだろうし、本書を読みながらヘミングウェイの興奮を共にすることは到底望めないと思う。
本書にはジェイムズ・A・ミッチェナーのおよそ50ページにも及ぶ解説が合わせて訳出されているが、そちらに闘牛用語の説明もあるので、闘牛に不案内な方はその用語説明だけでも先に読んでおくとより本書を楽しめるのではないだろうか。

スペインの闘牛界を舞台にしたノンフィクションを書く上で、スリルを求めてやまない作家であるヘミングウェイほどの適任者はいなかったかもしれない。
歴史に残る闘牛士たちの闘いを、こちらも歴史に残る作家が描いた『危険な夏』。
闘牛に、そしてヘミングウェイに興味のある方には非常にお勧めの一冊だ。

『完訳 カンタベリー物語』 ジェフリー・チョーサー(岩波文庫)

完訳 カンタベリー物語〈上〉 (岩波文庫)完訳 カンタベリー物語〈上〉 (岩波文庫)
(1995/01/17)
チョーサー

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完訳 カンタベリー物語〈中〉 (岩波文庫)完訳 カンタベリー物語〈中〉 (岩波文庫)
(1995/01/17)
チョーサー

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完訳 カンタベリー物語〈下〉 (岩波文庫)完訳 カンタベリー物語〈下〉 (岩波文庫)
(1995/01/17)
チョーサー

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書名:完訳 カンタベリー物語
著者:ジェフリー・チョーサー
訳者:桝井 迪夫
出版社:岩波書店
ページ数:350(上)、472(中)、326(下)

おすすめ度:★★★★




ジェフリー・チョーサーの主著であり、英語で書かれたイギリス文学最初期の作品として知られているのがこの『カンタベリー物語』だ。
カンタベリー大聖堂への巡礼の途上、チョーサーも含めた複数の登場人物がそれぞれ自分の知っている面白い話を披露するという、いわゆる枠物語という形式が採られており、作品中で語られるエピソードの内容などと合わせて、非常に中世風の雰囲気が漂っている作品である。

『カンタベリー物語』の登場人物には、騎士や尼僧、法律家や商人など、幅広い階層の人々が選ばれている。
彼らの本来の目的がカンタベリーへと巡礼に向かうことであるから、経済的余裕のない貧困層は登場せず、さらに聖職関連の職業に就いている人間の割合が高いようにも思えるが、いい意味で雑多な取り合わせとなっているように思う。
作中にはそんな登場人物同士のやり取りもあり、エピソードをはめ込むための単なる枠を超えた面白さを味わうこともできる。

時代が古いこともあってか、チョーサーの生涯についてはあまり多くのことが知られているとは言い難いが、使節としてイタリアを訪問したことは間違いないとされており、その際にボッカッチョの『デカメロン』も読んだのではないかと推定されている。
作品の構成の類似だけではなく、逸話の重複もしばしば見られるので、『デカメロン』と比べて読んでみるのも興味深いことだろう。

作品の冒頭で語られる『カンタベリー物語』のブループリントを完成することなく、チョーサーはこの世を去ってしまったが、元来が多くのエピソードの連なりである『カンタベリー物語』は、冒頭での約束が果たされないという物足りなさこそあれ、未完であってもさほど中途半端な印象を受けることのない作品だ。
それどころか、もしチョーサーが当初の予定通りの作品を完成させていたとしたら、あまりの長大さゆえに本書のような完訳が文庫本という形で出されることもなかったかもしれない。
古い時代のイギリス文学に興味のある方にはもちろん、実際にカンタベリーに赴く機会のある方が道中の退屈を紛らすための本としてもお勧めしたいと思う。
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