『ゴンチャローフ日本渡航記』 ゴンチャロフ(講談社学術文庫)

ゴンチャローフ日本渡航記 (講談社学術文庫)ゴンチャローフ日本渡航記 (講談社学術文庫)

書名:ゴンチャローフ日本渡航記
著者:イワン・ゴンチャロフ
訳者:高野 明、島田 陽
出版社:講談社
ページ数:448

おすすめ度:★★★★




鎖国中の日本に開国を迫るため、日本を訪れたロシアの軍艦パルラダ号に、秘書官として乗り組んでいたゴンチャロフによる記録がこの『ゴンチャローフ日本渡航記』である。
ゴンチャロフらしい平明かつ達意の文体で書かれていて読みやすいので、タイトルに興味を感じた読者を裏切ることは少ないのではなかろうか。

小笠原諸島を経て長崎へと入港したパルラダ号は、長崎の奉行に公文書を渡し、その後謁見の儀を行うのだが、日本側にとっては外国人とのやり取りは極めてデリケートな問題であるため、遅々として進まないことに苛立つゴンチャロフだったが・・・。
いくらか文明的に見て劣った日本を見下ろしているように感じられなくもないユーモラスな表現にも出会うが、それらも我々が不快に感ずるほど偏見に満ちたものではないように思う。
異国人であるゴンチャロフが江戸時代の男性の髪型を見て滑稽に感じたとしても何ら不思議はないし、そもそも渡航記とは筆者の印象、所感を綴るべきものであることを考え合わせれば、そのことを本書で表明するのも当然といえば当然のことだろう。

『ゴンチャローフ日本渡航記』は、『フリゲート艦パルラダ号』という大部の著作の中から日本に関する部分のみを抜粋し、訳出したものとなっている。
全訳を好まれる方の中には不満を覚えられる方もおられるかもしれないが、訳者による注が充実していることもあって、個人的には抄訳であることにそれほど物足りなさを感じることなく読み終えることができた。

19世紀のロシアを代表する作家の一人であるゴンチャロフが日本を訪問し、その時の体験を事細かに文章として残していたというのは、日本人にとって幸運としか言いようがないのではなかろうか。
ゴンチャロフはもちろん、幕末の日本を外国人がどのように見ていたかに関心のある方は、ぜひ本書を手にしていただければと思う。
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『断崖』 ゴンチャロフ(岩波文庫)

断崖(一) (岩波文庫)断崖(一) (岩波文庫)断崖(二) (岩波文庫)断崖(二) (岩波文庫)断崖(三) (岩波文庫)断崖(三) (岩波文庫)

断崖(四) (岩波文庫)断崖(四) (岩波文庫)断崖(五) (岩波文庫)断崖(五) (岩波文庫)

書名:断崖
著者:イワン・ゴンチャロフ
訳者:井上 満
出版社:岩波書店
ページ数:364(一)、519(ニ)、420(三)、377(四)、410(五)

おすすめ度:★★★★




ゴンチャロフ最長の長編小説である『断崖』は、『平凡物語』、『オブローモフ』と続いた三部作を完結させる作品でもある。
全五冊となかなかのボリュームではあるが、ほぼ一貫してゴンチャロフに特有の読みやすい文体で書かれているので、多くの読者が素直に楽しめる作品なのではないかと思う。

絵画、音楽、文学といった多方面に才能を持ち、芸術家を自認しているライスキーではあるが、これといって世間に認められる創作を成し遂げたわけではない。
価値観の対立する人々との暮らしの中で、彼は芸術家として、また一人の人間として、失敗者に終わってしまうのか・・・。
『断崖』を楽しむために必ずしも『オブローモフ』を読んでおくべきだとは思わないが、それぞれの作品の主人公であるライスキーとオブローモフを比較しながら読んでみるのもたいへん興味深いことだろう。

ライスキーの恋物語がかなりの紙幅を割いて描かれている『断崖』は、恋愛を主題とした小説であると言っても過言ではない。
ライスキー以外の登場人物たちの恋愛模様もしばしば描かれているのだからなおさらだ。
主人公が芸術を志す『断崖』には、芸術家小説としての側面ももちろんあり、円熟期のゴンチャロフならではの奥行きの深さを感じさせる作品となっていると言える。

岩波文庫版の四冊目には、作家としての筆を置いたゴンチャロフ自身による三部作に対する解説である「おそ蒔きながら」が付録として収められている。
『断崖』そのものの小説としての出来栄えも当然のことながら、100ページに及ぶこの充実した付録の存在により、ゴンチャロフに関心のある読者の本書に対する満足度は高いことだろう。
ぜひ『平凡物語』、『オブローモフ』、そしてこの『断崖』と読み進め、「おそ蒔きながら」で三部作を締めくくっていただければと思う。

『ハード・タイムズ』 ディケンズ(英宝社)

ハード・タイムズハード・タイムズ

書名:ハード・タイムズ
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:山村元彦、田中孝信、竹村義和
出版社:英宝社
ページ数:557

おすすめ度:★★★★




ディケンズの長編小説の中で最も短い作品がこの『ハード・タイムズ』である。
ディケンズ中期以降の作品の特徴でもあるが、『ハード・タイムズ』においても教育哲学や労使関係といった社会問題がいくつか取り上げられていて、風刺的な表現や直接的な批判が散見するディケンズらしい書きぶりの作品だ。
ディケンズの小説を華やかに彩るユーモアの発揮はかなり控えめなようだが、全般に会話部分の占める割合が高いことからも、すらすらと読みやすい作品となっているので、とっつきやすい作品であることは間違いないだろう。

『ハード・タイムズ』は、事実に即した思考のできる理性的人間を育成する学校に始まる。
自ら最善と信じる教育システムに固執している校長は、自身の子供たちをも「模範生」に育て上げるために厳しい目を光らせていたのだが・・・。
叩き上げの工場主、没落した名家の夫人、誠実な工場労働者、謎の老婆などが、緊密な構成を保って配列されている『ハード・タイムズ』は、ディケンズの長編小説の中でとてもまとまった作品の一つであるだろう。

これまで『困難な時世』などとも訳されてきた『ハード・タイムズ』は、その表題からして社会問題に焦点を当てた作品であるような印象を受ける方も多いことだろうが、実際には社会問題はさほど前面に打ち出されていないように感じられた。
社会批判を狙った作品と期待して読むと失望を誘うかもしれないが、その反面、社会問題を背景にして登場人物たちの織り成すストーリーは、読者を引き付ける力を十分に備えている。
そして私はそのようなストーリーテラーとしての手腕こそがディケンズの真骨頂であると考えているのだがいかがだろうか。

ロンドンを離れ、工業で栄える町を舞台にした『ハード・タイムズ』は、その舞台選びから文体的特徴に至るまで、どこか異色の作品に仕上がっているため、ディケンズの作品を幅広く鑑賞したい読者には強くお勧めしたい一冊であるといえる。
ただし、悲しいことに今やこの『ハード・タイムズ』の入手が「困難な時世」になっているのであるが・・・。

『オブローモフ』 ゴンチャロフ(岩波文庫)

オブローモフ〈上〉 (岩波文庫)オブローモフ〈上〉 (岩波文庫)オブローモフ〈中〉 (岩波文庫)オブローモフ〈中〉 (岩波文庫)

オブローモフ〈下〉 (岩波文庫 赤 606-4)オブローモフ〈下〉 (岩波文庫)

書名:オブローモフ
著者:イワン・ゴンチャロフ
訳者:米川 正夫
出版社:岩波書店
ページ数:312(上)、477(中)、252(下)

おすすめ度:★★★★★




ゴンチャロフの代表作である『オブローモフ』は、ロシア文学の一大テーマである「余計者」を描いた作品の中でも代表的なものだ。
いわばロシア文学の代表作とさえ呼ぶことのできる作品なので、ロシア文学に関心のある方であれば必読の作品と言えるのではなかろうか。

心の中に理想こそあれ、怠惰と無気力に支配されて無為の日々を過ごしている貴族の青年オブローモフ。
主人に輪をかけてものぐさな従僕と過ごす彼の沈滞した現実生活が活気付くような出来事は起こるのか・・・。
ツルゲーネフの『ルーヂン』やプーシキンの『オネーギン』など、「余計者」を描いた作品と比べて文章量の多い『オブローモフ』は、それだけ「余計者」のイメージを明確に把握することのできる作品となっている。
「余計者」は、その行動スタイルで大きく分ければ積極的なグループと消極的なグループに分類できるように思うが、オブローモフは消極的なグループの最たるものであり、一つの典型を示しているというのも興味深い点だ。
オブローモフ主義とは何か?―他一編 (岩波文庫 赤 610-1)オブローモフ主義とは何か?―他一編 (岩波文庫 赤 610-1)

『オブローモフ』の読者にお勧めしたいのが、右に挙げるドブロリューボフの『オブローモフ主義とは何か?』だ。
難解そうに感じる方もおられるかもしれないが、岩波文庫の「赤」に分類されていることからもわかるように、それほど専門的な内容とはなっていないので、一種の解説のような感覚で読むことができるはずだ。

主人公のオブローモフは決して悪人ではなく、それどころか、好感すら持てる人間である。
「余計者」を扱った作品の常で、『オブローモフ』もハッピーエンドとはならないが、それにもかかわらず読後感が悪くないのは、オブローモフその人の人柄によるところも大きいのではなかろうか。
オブローモフの長所も短所もまとめてじっくりと味わっていただきたい作品だ。

『平凡物語』 ゴンチャロフ(岩波文庫)

平凡物語(上) (岩波文庫)平凡物語(上) (岩波文庫)平凡物語(下) (岩波文庫)平凡物語(下) (岩波文庫)

書名:平凡物語
著者:イワン・ゴンチャロフ
訳者:井上 満
出版社:岩波書店
ページ数:300(上)、432(下)

おすすめ度:★★★★




オブローモフ』で知られるゴンチャロフの作家生活における最初の小説がこの『平凡物語』である。
ゴンチャロフというと、少々手ごわい作家というイメージを持っている方もいるかもしれないが、一般的に文体は非常に平易で、特にこの『平凡物語』は内容にも難解さが見受けられず、たいへん読みやすい作品となっている。
ゴンチャロフの長編の中では短い部類なので、ゴンチャロフに関心のある方は、まずこの『平凡物語』を読んでみていただきたいと思う。

高い理想を抱いた田舎の青年が都会に出て行き、都会の現実に接する。
世間の人々の行動規範は、彼の思い描いていたような美しいものではなく、利己的で、欺瞞に満ちたものだった・・・。
処世訓に富み、現実的な考え方を持つ彼の叔父との興味深い会話は、そのすべてがとは言わないまでも、現在にまで通ずる部分もあり、そういう意味では『平凡物語』のテーマはいまだに古びていないはずだ。

『平凡物語』のストーリー展開は、やはりいささか「平凡」であると言わざるをえない。
しかし、『平凡物語』は都会と田舎の対比を描くだけでなく、主人公とその叔父という、老若の対比も作品の主軸となっている。
『平凡物語』の読者は、大人らしく考え、大人らしく振舞うことの良し悪しに対して、改めて考えさせられるのではなかろうか。

『平凡物語』は、『オブローモフ』、『断崖』に連なる三部作の第一作目ということもあり、ゴンチャロフを本格的に読んでみようという方が真っ先に手にすべき作品であるとも言える。
激動のあらすじを期待することはできないが、それでも独特の読み応えを備え、さらには当時のロシア社会の一面を巧みに描き出した作品として、ロシア文学ファンにはお勧めの作品だ。

『エッダ グレティルのサガ』 (ちくま文庫)

中世文学集〈3〉エッダ;グレティルのサガ (ちくま文庫)中世文学集〈3〉エッダ;グレティルのサガ (ちくま文庫)

書名:エッダ グレティルのサガ
著者:作者不詳
訳者:松谷 健二
出版社:筑摩書房
ページ数:377

おすすめ度:★★★★




ちくま文庫の中世文学集の一冊である『エッダ グレティルのサガ』。
北欧神話の集成である『エッダ』と、数あるサガの中でも代表的なサガであるとされる『グレティルのサガ』を併録しているという点だけではなく、文庫版であるという手軽さもあるので、幅広い読者層にお勧めできる一冊となっている。

『エッダ』に見られる北欧神話の世界においても、ギリシア神話に似て、きわめて人間的な神々が描かれている。
遠く離れた異国の神話であるにもかかわらず、『エッダ』に登場するオーディン、トール、ロキなどは、ハリウッド映画の『マイティ・ソー』のおかげもあって、今日の日本でもだいぶおなじみのキャラクターとなっているのではなかろうか。
ただ、本書の『エッダ』は全体の半分程度を訳出した抄訳なので、物足りなさを感じる読者もおられるかもしれない。

『グレティルのサガ』のほうはというと、『エッダ』と比べてリアリティの度合いに大きな差があるのが特徴で、こちらは主人公グレティルの生涯を描き出した英雄物語である。
人名の重複や耳慣れない地名などが頻繁に現れることが少々混乱を招きかねないが、自らの武勇だけを頼みに生きているグレティルの豪傑ぶりは、誰もが読んでいて痛快さを覚えることだろう。
登場人物の細かい心理描写などはもちろんないが、その成立時代を思えば、非常に完成度の高い作品であると感じさせられる。

アイスランドやノルウェーの文学作品は決して豊富に紹介されているわけではないが、それだからこそ、北欧ならではの雰囲気を味わうことのできる『エッダ グレティルのサガ』は貴重であるといえる。
『エッダ グレティルのサガ』を北欧文学への入門書として手にした方が後悔することはまれであるはずだ。

『エル・シードの歌』 (岩波文庫)

エル・シードの歌 (岩波文庫)エル・シードの歌 (岩波文庫)

書名:エル・シードの歌
著者:作者不詳
訳者:長南 実
出版社:岩波書店
ページ数:459

おすすめ度:★★★★




スペイン文学の出発点に位置する武勲詩が、この『エル・シードの歌』である。
エル・シードは歴史上の実在の人物で、武勲詩において多少の脚色が施されていることは否定できないが、それでも『エル・シードの歌』は概ね史実を元にした、かなりリアリティに富んだ作品であると言えるように思う。
スペイン人たちとイスラム勢との戦いを眼前に見ているかのような迫力ある描写も、大いに読者を楽しませてくれることだろう。

陰謀によって王の不興を被ったエル・シードは、故郷から追放の身となってしまう。
しかしエル・シードは部下を引き連れイスラム勢との戦いを続け、破竹の勢いでバレンシアにまで迫り・・・。
扱う事件の性質からして、『エル・シードの歌』は血なまぐさい作品にもなりかねないが、主人公であるエル・シードの発揮する騎士道精神のおかげでどこか心地よいものを感じさせられるため、読後の印象が悪いということはないはずだ。

岩波文庫版の表紙のように、エル・シードは生まれ故郷に程近いブルゴスの町の広場に今も騎馬像がある。
日本であまり多くは紹介されていないスペイン文学であるが、レコンキスタ時代の遺産を数多く遺すスペインを旅行される方には、『ドン・キホーテ』はもちろん、この『エル・シードの歌』をも一読されることをお勧めしたい。
熾烈な戦闘を支えた騎士たちの生き様を心に焼き付けておけば、スペインならではの荒涼とした平野にさえ、違った景色が見えてくることだろう。

英雄を主人公にした物語は、描かれている出来事のダイナミックさが一つの魅力であろう。
そしてこの『エル・シードの歌』は、その雄渾さにおいて必ずや読者を満足させるに違いない躍動感を備えているし、『忠臣蔵』にも通ずるような主君への忠義立ての美しさも描かれている。
後半部分からはやや失速したような印象を受けてしまうが、それでもなお、個人的にはたいへんお勧めの作品だ。
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