『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』 トーマス・マン(光文社古典新訳文庫)

詐欺師フェーリクス・クルルの告白〈上〉 (光文社古典新訳文庫)詐欺師フェーリクス・クルルの告白〈上〉 (光文社古典新訳文庫)詐欺師フェーリクス・クルルの告白(下) (光文社古典新訳文庫)詐欺師フェーリクス・クルルの告白(下) (光文社古典新訳文庫)

書名:詐欺師フェーリクス・クルルの告白
著者:トーマス・マン
訳者:岸 美光
出版社:光文社
ページ数:350(上)、409(下)

おすすめ度:★★★★




トーマス・マンが構想だけを持ち続け、晩年になって完成させた長編作品がこの『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』である。
完成させたとはいっても、フェーリクス・クルルの告白自体はまったく完結しておらず、この小説がいささか唐突な終わり方をする点に失望する読者も少なくないことだろう。
しかし、それでもなお一読の価値ある作品に思えるので、トーマス・マンに関心のある方にはお勧めだ。

様々な衣装を着こなし、本来の自分とは異なる立場である存在になりきることを楽しんでいた少年フェーリクス・クルルは、容姿端麗で渡世術に長けた大人へと成長していく。
他者を騙すことに喜びを感じているクルルは、憧れの大都会であるパリへと送り出されることになり・・・。
『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』は、「告白」ものの常で一人称で語られているのだが、クルルの観察眼の鋭さからは、年老いても衰えることのなかったマンの強靭な創作力を読み取ることができるはずだ。

『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』には、後で述べるつもりだと予告だけはされるが、実際のところはそれに該当する記述が書かれていないケースが多々あるという、読者に非常にもどかしい気持ちを抱かせる作品でもある。
物語が完結されなかったことが惜しまれるのはもちろんだが、マンがこの作品を完全に仕上げてくれていたとしたら、クルルの運命はどのような道筋を辿ったのだろうかと自由に想像してみるのも楽しいかもしれない。

ピカレスク小説のような行き当たりばったりの展開の連続である『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』に対して、首尾一貫性に欠ける、脈絡がないなどと批判することもできるだろうが、その脈絡のなさこそがピカレスク小説の面白さであり、ひいては『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』の面白さともなっている。
文庫化されるトーマス・マンの作品に駄作があるわけがない、ということで、騙されたと思って一度手にしてみてはいかがだろうか。
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『風俗研究』 バルザック(藤原書店)

風俗研究風俗研究

書名:風俗研究
著者:オノレ・ド・バルザック
訳者:山田 登世子
出版社:藤原書店
ページ数:227

おすすめ度:★★★★




バルザックが19世紀前半のフランスの風俗を論じた作品を集めたのが本書『風俗研究』である。
『優雅な生活論』、『歩き方の理論』、『近代興奮剤考』の三編から構成されており、一時代の風俗を看破するバルザックの鋭い観察眼と同時に、ユーモアセンスも見受けられるのが特徴となっている。
観点こそ限られてはいるが、バルザックの書いたどの小説よりも、バルザックの暮らした時代の雰囲気を垣間見ることのできる一冊だと思う。

そもそも優雅とはどのようなものなのかということから検討を開始する『優雅な生活論』や、脱線を重ねつつもバルザックらしい持論を展開する『歩き方の理論』は、決して優雅なスタイルではなく、歩き方も美しくなかったに違いない著者バルザックの姿を思い浮かべながら読むと、どこか微笑ましく感じられるのではなかろうか。
『近代興奮剤考』では嗜好品の数々、たとえばアルコールやコーヒー、タバコなどが論じられている。
これはブリア=サヴァランの『美味礼讃』の付録として扱われたという経緯があるため、『美味礼讃』を先に読んでおくといっそう楽しめる小論である。

本書に訳出されている『優雅な生活論』、『歩き方の理論』、『近代興奮剤考』の三編は、「人間喜劇」にそのタイトルを留める幻の大著である『社会生活の病理学』の一部を成している。
明確な構想を持ちながら結局完成されることのなかった『社会生活の病理学』だが、本書を『風俗研究』ではなく『社会生活の病理学』という書名で刊行してくれれば、「人間喜劇」を少しでも多く読みたい読者の助けになったように思うのは私だけだろうか。

本書の収録作品はいずれも少し堅苦しい表題を掲げてはいるものの、その内容はというとエッセイとして読むことのできる軽快なタッチで書かれている。
バルザックに、19世紀のパリに興味のある方は気軽に手にしていただければと思う。

『ブレイク詩集』 ウィリアム・ブレイク(岩波文庫)

ブレイク詩集 (岩波文庫)ブレイク詩集 (岩波文庫)

書名:ブレイク詩集
著者:ウィリアム・ブレイク
訳者:寿岳 文章
出版社:岩波書店
ページ数:448

おすすめ度:★★★★




ブレイクの初期の詩作品を中心に訳出したのが本書『ブレイク詩集』である。
『無心の歌』、『有心の歌』、『セルの書』、『天国と地獄の結婚』、『永遠の福音』、『小品詩集』、『ユリゼンの書』などが収録されており、ブレイクの詩の翻訳としては入手の容易さやその内容の充実度から見て現在最もお勧めできる一冊だ。

本書を一般的な詩の翻訳と分け隔てている最大の特徴は、巻末に「向日庵私版」というブレイクの出版した『無心の歌』と『有心の歌』を再現したものが、対訳という形式で掲載されていることだ。
昭和初期に成された訳文がやや難解である点、また、色合いやサイズの都合で英文の判読が困難なページもあるという点が欠点ではあるが、詩人でもあり画家でもあるブレイクの醸し出す各ページの雰囲気は十分読者に伝わってくることだろう。
欲を言えば、原本を再現したページがすべてカラーであればなお美しかったに違いないが、画家としてのブレイクの魅力を感じ取りながら彼の詩を読めるのは嬉しい限りだ。

本書の出版年は2013年だが、故人である寿岳文章氏の訳業を集約して出版された本書は、掲載されている訳文の訳出年代にけっこうな開きがあり、後半部分においてしばしば読みにくい箇所にも出会うというのが少々残念なことである。
特に『ユリゼンの書』などは、ブレイクらしさが存分に発揮されている作品であるだけに、ブレイクに興味を持つ読者のためにも読みやすい訳文が望まれるのではなかろうか。

そうはいっても、ブレイクが創り上げたページと見比べながら『無心の歌』と『有心の歌』が読めるという本書が与えてくれるメリットはかなり大きなものなので、多少の欠点はあっても本書がお勧めの本であることに変わりはない。
ブレイクに関心を持つ人はぜひ手にしていただければと思う。

『ブレイク詩集』 ウィリアム・ブレイク(平凡社ライブラリー)

ブレイク詩集―無心の歌、経験の歌、天国と地獄との結婚 (平凡社ライブラリー)ブレイク詩集―無心の歌、経験の歌、天国と地獄との結婚 (平凡社ライブラリー)

書名:ブレイク詩集
著者:ウィリアム・ブレイク
訳者:土居 光知
出版社:平凡社
ページ数:174

おすすめ度:★★★☆☆




ウィリアム・ブレイクの詩作品のうち、『無心の歌』、『経験の歌』、『天国と地獄との結婚』という初期の代表的な3作を収録したのが本書である。
ブレイクの詩をあまり知らない人が初めて手にするブレイクの詩集としては悪くない内容になっているのではなかろうか。

神秘的な宗教思想で知られるブレイクの詩はしばしば難解なものであるが、『無心の歌』と『経験の歌』は、何しろとっつきやすいのが特徴である。
特に『無心の歌』がテーマとする純真無垢は、容易に読者の心を和ませる力を備えており、誰もが優しい気持ちになって読み進めることができるに違いない。

その一方で、『天国と地獄との結婚』は詩作品としての形式においてもその思想内容においても、ブレイクならではのオリジナリティが鮮明に打ち出されていて、それだけブレイクらしい作品とも言えるのだが、やはり『無心の歌』や『経験の歌』と比べると少々難しい詩となっている。
とはいえ、『無心の歌』と『経験の歌』だけからブレイクのイメージを形成するとしたら、それはあまりに平板なブレイク像になってしまうことは否めない。
ブレイクの真骨頂はその神秘性にあると考えている読者も少なくないことだし、ブレイクを語る上で『天国と地獄との結婚』は欠かせない作品の一つと言えるだろう。

本書に苦言を呈するとすれば、2013年に岩波文庫から出された『ブレイク全集』と内容が完全に重複している点が挙げられる。
訳文もそちらの方が読みやすいという印象を受けたし、岩波文庫版には『無心の歌』、『経験の歌』、『天国と地獄との結婚』以外の詩も訳出されているときている。
ブレイクの詩を読みたいという方には本書よりも岩波文庫版『ブレイク詩集』をお勧めしたいと思う。
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