『厄介な年頃』 ヘンリー・ジェイムズ(あぽろん社)

厄介な年頃厄介な年頃

書名:厄介な年頃
著者:ヘンリー・ジェイムズ
訳者:青木 次生
出版社:あぽろん社
ページ数:556

おすすめ度:★★★★




ジェイムズ後期の長編作品の一つがこの『厄介な年頃』である。
まるで戯曲を読んでいるかのような会話を中心とした作品なので、一見すると、後期ジェイムズの特徴である難解さがそれほど感じられない作品のように見えるかもしれない。
しかし、会話に込められた心理の機微は意外と奥深く、読み手次第でどこまでも作品世界を膨らませることが可能になるのではないかと思う。

結婚相手を探す年齢、いわゆる「厄介な年頃」の娘であるナンダが、交流の場であるサロンに新たに登場する。
魅力的な容姿を持つが決して裕福ではない青年ヴァン、見た目は醜いが莫大な資産を持つミチーの二人が花婿候補となっているところに、ナンダの祖母を恋していた独身の老人ロングドンが登場して・・・。
500ページを超える大作ではあるが、後期ジェイムズの作品にしては読みやすい文体で書かれており、読者の理解度の程度をあまり問わないとすれば、すらすら読み進めることができることは間違いないだろう。

ジェイムズのいつものやり方ではあるが、『厄介な年頃』にも、本人のいないところで他の登場人物の主観的判断によって語られる他人の思考や心情が頻繁に見受けられる。
いわば複数の「視点」が登場し、物語が進んでいくわけだが、それらの記述は全知全能の筆者による誤ることのない説明的語句とは異なり、話者の意図していない誤解もあれば故意に吐かれた虚偽もあったりと、読み手が素直すぎるとついそれに惑わされて間違った解釈をしてしまいかねない。
解説に書かれている内容がすべて正しいと主張する気はないけれども、本編の後で訳者による解説を一種の答え合わせとして読んでみると、思わぬ読み落としが見つかる方も多いのではなかろうか。

鳩の翼』、『大使たち』、『金色の盃』という三部作が有名すぎるからか、ほぼ同時期に書かれた『厄介な年頃』の知名度は低いというのが実情である。
実験的手法とでも呼ぶべきやや特殊なスタイルで書かれた作品ではあるが、ジェイムズの小説の持つ楽しさは最初から最後まで存分に味わうことのできる秀作なので、ジェイムズファンには強くお勧めしたいと思う。
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『二人の若妻の手記』 バルザック(水声社)

二人の若妻の手記 (バルザック愛の葛藤・夢魔小説選集)二人の若妻の手記 (バルザック愛の葛藤・夢魔小説選集)

書名:二人の若妻の手記(バルザック愛の葛藤・夢魔小説選集)
著者:オノレ・ド・バルザック
訳者:加藤尚宏、芳川 泰久
出版社:水声社
ページ数:365

おすすめ度:★★★★




『二人の若妻の手記』は、バルザックにしては珍しい書簡体の長編小説である。
また、本書には短い作品ではあるが『女性研究』も収録されている。
300ページを超える『二人の若妻の手記』と、15ページに過ぎない『女性研究』とを一冊の本で組み合わせるというのは、一見アンバランスであるようだが、恋愛をテーマとして編まれたというこの小説選集の趣旨には沿っていると言えるだろう。

修道院で育てられていた二人の美しい娘が、修道院を出て家に戻る。
親の思惑もあって、それぞれ結婚を考えることになるのだったが・・・。
『二人の若妻の手記』とは言っても、作品を構成する書簡は二人の若妻が記したものだけではなく、スペインを追われた元公爵など、他の登場人物の手になる書簡もいくつか含まれている。
少々回りくどさを感じさせる文体もしばしば見られ、全体的にスピード感のある作品であるとは言い難い気がするが、それでも複数の視点による立体的な小説スタイルとしての書簡体小説の長所は存分に生かされている作品であると思われる。

『女性研究』のほうは、「人間喜劇」の中でも特に有名なラスティニャックを中心人物にしているというだけでも、バルザックファンの好奇心を十分くすぐるのではなかろうか。
構造も筋書きもシンプルこの上ない作品だが、要はラブレターの送り間違いをラスティニャックがどう乗り切るのかが見ものである。

『二人の若妻の手記』には、一つの段落が数ページにわたって続くというバルザックらしい文章が随所に見られ、お世辞にも読みやすいとは言えない作品というのが正直なところだ。
そうはいっても、バルザックが二つの対立的な視点から恋愛観を論じた作品としての興味は尽きないことだろう。
すでにバルザックを何冊も読んでいる方にお勧めしたい一冊だ。

『チェーホフ・ユモレスカ 傑作短編集』 チェーホフ(新潮文庫)

チェーホフ・ユモレスカ―傑作短編集〈1〉 (新潮文庫)チェーホフ・ユモレスカ―傑作短編集〈1〉 (新潮文庫)チェーホフ・ユモレスカ―傑作短編集〈2〉 (新潮文庫)チェーホフ・ユモレスカ―傑作短編集〈2〉 (新潮文庫)

書名:チェーホフ・ユモレスカ―傑作短編集
著者:アントン・チェーホフ
訳者:松下 裕
出版社:新潮社
ページ数:389(一)、384(二)

おすすめ度:★★★★




チェーホフ初期のユモレスカと呼ばれる小品の中から、優れた作品を集めたのがこの『チェーホフ・ユモレスカ 傑作短編集』だ。
短編集Ⅰには65編収録、短編集Ⅱには49編収録という具合に、収録作品の数は非常に豊富である。
当然ながら、内容は容易なものばかりなので、電車の中など、ちょっとした時間のできたときの読み物としても向いているように思う。

チェーホフ・ユモレスカが取り扱う主題はきわめて広範に及んでいる。
『チェーホフ・ユモレスカ』の収録作品の傾向性を述べるとすれば、結婚生活をテーマにするもの、官僚社会を諷したもの、劇場を舞台にするもの、そして医者の出てくるものなどが比較的多く、本格的な作家として始動する以前のユモレスカにおいても、作家としてのチェーホフの特徴がよく表れている、とは言えそうである。
チェーホフ・ユモレスカチェーホフ・ユモレスカチェーホフ・ユモレスカ〈2〉チェーホフ・ユモレスカ〈2〉チェーホフ・ユモレスカ〈3〉チェーホフ・ユモレスカ〈3〉

新潮文庫入りを果たす前に、『チェーホフ・ユモレスカ』は同じく新潮社から単行本が全三冊で刊行されていた。
第一巻と第二巻は、文庫版の傑作短編集とほぼ同じ内容で、収録作品の相違はせいぜい1、2編に過ぎないので、どちらか一方で読めばそれで十分だろう。
第三巻は、中公文庫の『郊外の一日』と収録作品が同じであるため、単行本で出された『チェーホフ・ユモレスカ』は実質的にはすべて文庫化されていると言える。

チェーホフのユモレスカは、あくまで文学的な価値を高めていった後期チェーホフありきの、習作的な位置付けに過ぎない若書きの作品群であると言われれば、それは否定できないだろう。
しかしながら、わずか5ページの小品においても若きチェーホフの才能は発揮されており、最小限の文言で最大限の情景が描き出されていて、読者を楽しませてくれる。
文学史に名を残す作品ではないかもしれないが、読んで面白い「習作」であれば、それはそれで読む価値があると言えるのではなかろうか。

『ともしび・谷間』 チェーホフ(岩波文庫)

ともしび・谷間 他7篇 (岩波文庫)ともしび・谷間 他7篇 (岩波文庫)

書名:ともしび・谷間 他七篇
著者:アントン・チェーホフ
訳者:松下 裕
出版社:岩波書店
ページ数:392

おすすめ度:★★★★




表題作の他、『美女』、『気まぐれ女』、『箱に入った男』、『すぐり』、『恋について』、『僧正』、『いいなずけ』を収録した短編集が本書『ともしび・谷間 他七篇』である。
『曠野』以降の作品、いわばチェーホフ円熟期から晩年に至るまでの作品を収めており、収録作品の執筆時期だけに関して言えば、同じ岩波文庫から出ている初期の作品を収めた『子どもたち・曠野』と対になる一冊と言うことができるだろう。

規範から抜け出せない人物を描く『箱に入った男』、すぐりのある屋敷に憧れてやまない『すぐり』、偶然再会した幼なじみの人妻との恋愛を語る『恋について』の三作品は、チェーホフにしては珍しく、同じ人物が登場するシリーズものとなっている。
とはいえ、登場人物はあくまで物語の枠組みを提供するだけで、作中で物語られるエピソードがメインなので、単独で読んでもそれぞれ短編作品としては成立している。
また、深読みをせずに読み流しても十分面白い『ともしび』は、ペシミズムの脱却という、チェーホフ自身にとっても無縁ではなかったテーマが取り扱われている点が注目に値するだろうか。

谷間の村の富裕な商人一家の運命を描いた『谷間』もまた優れた作品である。
商売はうまくいっているし、長男にも嫁をもらうことが決まり、まるで順風満帆そうな一家ではあったが・・・。
『谷間』は発表当時から非常に好評だったようで、事実、コンパクトな作品ながら個々の人物を巧みに描き分けた情緒豊かな作風は、いかにもチェーホフらしく素晴らしい短編であると感じられる。

チェーホフの主要な中・短編小説は、『可愛い女・犬を連れた奥さん』、『カシタンカ・ねむい』、『六号病棟・退屈な話』、『子どもたち・曠野』、そして本書『ともしび・谷間』によって、岩波文庫ですべて押さえることができる。
チェーホフの描く小説世界に魅了された方は、五冊とも読み通して、いよいよチェーホフの虜となっていただければと思う。
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