『チリの地震―クライスト短篇集』 クライスト(河出文庫)

チリの地震---クライスト短篇集 (KAWADEルネサンス/河出文庫)チリの地震---クライスト短篇集 (KAWADEルネサンス/河出文庫)

書名:チリの地震―クライスト短篇集
著者:ハインリヒ・フォン・クライスト
訳者:種村 季弘
出版社:河出書房新社
ページ数:238

おすすめ度:★★★☆☆




戯曲作家として有名なクライストの短篇小説集が本書『チリの地震』である。
クライストが遺した短篇小説自体も数は決して多くはなく、少し長めの作品を除けば、本書ですべて読むことができるようだ。

本書には、表題作である『チリの地震』の他、『聖ドミンゴの婚約』、『ロカルノの女乞食』、『拾い子』、『聖ツェツィーリエあるいは音楽の魔力』、『決闘』の短編小説6篇と、『話をしながらだんだんに考えを仕上げてゆくこと』、『マリオネット芝居について』というエッセイ2篇が収録されている。
クライストの短篇小説は、全体的に暴力的な印象を受ける作品が多く、狂暴性とか破滅的といった表現がけっこうしっくり来る気がするが、それらの特徴とも相まって、筋書きが緊迫感に富んでいるとも言えるだろう。
個人的なお勧めは聖ドミンゴ島の白人と黒人の闘争を描いた『聖ドミンゴの婚約』で、展開のスリリングさから判断すれば本書随一なのではなかろうか。

本書に収録されているエッセイに関しては、おそらくは軽く読み流す読者が大半であろう。
かなりの数のエッセイを書いていたクライストではあるが、そもそもエッセイストとしてのクライストに強い期待を抱いている方も少ないだろうし、本書のエッセイ2篇にしても、それほどクライストという作家の精神を浮き彫りにする種類のものではないように感じられる。

イギリス文学でいうところのド・クインシーのように、クライストはドイツ文学界で美しい文章を書く散文家として知られているらしい。
残念ながら種村氏の訳文が美文であるとは言い難いのだが、本書『チリの地震』の中でいうと、エッセイ『マリオネット芝居について』あたりがそれを実感しやすいのではないかと思う。
そういう意味では、クライストに興味のある方だけではなく、ドイツ文学全般に関心のある方にもお勧めできる一冊だ。
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『こわれがめ』 クライスト(みすず書房)

こわれがめ―― 付・異曲 (大人の本棚)こわれがめ―― 付・異曲 (大人の本棚)

書名:こわれがめ― 付・異曲
著者:ハインリヒ・フォン・クライスト
訳者:山下 純照
出版社:みすず書房
ページ数:208

おすすめ度:★★★★




クライストの、ひいてはドイツ文学を代表する喜劇作品が、この『こわれがめ』である。
作品完成当初はあまり評価されず、後世の再評価によって名を高めたという作品ではあるが、滑稽味だけではなく風刺的な側面も備えていて、多くの読者を楽しませてくれるだろう。

オランダのとある田舎町で、顔に怪我を負った村長でもあり裁判官でもある一人の男が朝を迎え、頭の中も身の回りもろくに整理がつかないでいるうちに、司法官が抜き打ちで巡視に来てしまう。
司法官を前に普段通りの裁判を行う羽目になり、早速、壊れた甕の犯人を判定してほしいという事件が持ち込まれて・・・。
今日においても、裁判ドラマは人を魅了し続けているが、『こわれがめ』もその一種とみなすことができるだろう。
冗漫に感じられる部分もあるものの、全体的には謎が解き明かされていくスリリングさと滑稽さのバランスがよく、さすがに傑作と言われるだけのことはあるというものだ。
こわれがめ (岩波文庫)こわれがめ (岩波文庫)

日本でも何度か舞台で上演されたことがあるほどに有名な作品であるにもかかわらず、出版界からは不当とも言えるほどに等閑視されがちのこの『こわれがめ』は、古くは岩波文庫で読むのが主流だったのではなかろうか。
みすず書房から2013年に刊行された『こわれがめ』には、副題に「付・異曲」とあることからもわかるように、改作前のヴァリアントが収録されていて、読者がクライストの当初の意図に近付けるというのが長所になるだろう。
また、みすず書房版は訳注や解説が豊富なのも特徴となっており、『こわれがめ』をより深く理解し、楽しむことができるに違いない。

若くして自ら世を去る決断をしたクライストには、多くの作品を世に遺すだけの時間的ゆとりがなかったが、読み応えのある作品を書いた作家であることは誰もが認めることだろう。
代表作の『こわれがめ』を皮切りに、クライストの繊細な精神に触れてみていただければと思う。

『サハリン島』 チェーホフ(中央公論新社)

サハリン島サハリン島

書名:サハリン島
著者:アントン・チェーホフ
訳者:原卓也
出版社:中央公論新社
ページ数:422

おすすめ度:★★★★




チェーホフの短編小説でも戯曲でもなく、旅行記となるのが本書『サハリン島』である。
当時のサハリンはロシア帝国にとっての流刑地であり、旅行者が訪れるような場所とはかけ離れた存在であって、旅行記というよりはルポルタージュと呼ぶ方がふさわしい内容になっている。

チェーホフは、シベリアから海峡を渡ってサハリン北部へ、その後サハリンの南部へと、流刑地としての実情を詳細に調査しながら旅を続ける。
サハリンの厳しい気候、囚人管理や植民地経営のずさんさなどが活写されていて、『サハリン島』の出版をきっかけにロシアでサハリン島の実態が社会問題の一つとして取り上げられるようになったことも頷けるというものだ。
統計データばかりを並べるのではなく、随所に具体的なエピソードなども挟んだ作品となっていて、チェーホフならではの読みやすさも健在である。

『サハリン島』には、サハリンに居住していた民族の一つであるアイヌはもちろん、日本領事などもわずかではあるが登場し、日本人読者を楽しませてくれる。
チェーホフというヨーロッパの一教養人の視点から描かれており、多少のバイアスの存在は否めないものの、日本に関することは概ね好意的に書かれているようで、日本人の読者としてはうれしい限りである。
チェーホフには日本を美化して伝える必要はなかったはずなので、実際にチェーホフの目に映ったとおりの見解が述べられているのだろう。

チェーホフの作家としての最大の転機はサハリン島訪問であると考える研究者が多く、チェーホフを語る上でサハリンでの体験は欠かすことのできないものとなっている。
チェーホフが何を見て、何を感じたことで後期チェーホフが生まれたのかを考えてみるというのも、チェーホフのファンには『サハリン島』の面白い読み方になるのではなかろうか。

『決闘・妻』 チェーホフ(岩波文庫)

決闘・妻 (岩波文庫)決闘・妻 (岩波文庫)

書名:決闘・妻
著者:アントン・チェーホフ
訳者:神西 清
出版社:岩波書店
ページ数:296

おすすめ度:★★★★




チェーホフの『決闘・妻』は、他の岩波文庫とは違って短編集ではなく、本書には表題作である二つの中編小説が収録されている。
いずれの作品にも結婚問題と「余計者」問題という、チェーホフと切り離すことのできないテーマが描かれており、チェーホフらしさは存分に発揮されていると言えるだろう。

200ページの紙幅が割かれている『決闘』には、駆け落ちを後悔していて倦怠から逃れられないでいる青年、そんな青年を軽蔑してやまない実際家の学者、鷹揚でお人好しの医者、退屈さからコケットリーに陥るヒロインなど、舞台を彩る役者は揃っている。
オネーギン』、『現代の英雄』以来、いわばロシア文学における正統イベントでありながら、当時すでに時代遅れだったはずの決闘をチェーホフがどう扱うのかが、なかなか興味深いところである。
また、結婚生活を揶揄することの多かったチェーホフが、崩壊寸前の夫婦関係を描いた『妻』も、別の意味で注目に値するだろう。
チェーホフ全集〈6〉 (ちくま文庫)チェーホフ全集〈6〉 (ちくま文庫)

岩波文庫の『決闘・妻』は、名訳者として名高い神西氏の翻訳ではあるが、初版が戦前であるため、仮名遣いが古いというのがデメリットである。
私自身は読んだことがないのだが、旧仮名遣いに抵抗のある方は、『決闘』はちくま文庫の全集で読んでみるのもいいかもしれない。
全集とはいえ手頃な価格で手に入るし、訳者も松下氏であれば間違いないだろう。

チェーホフの小説作品の中で最長と言われる『決闘』は、並々ならぬ意気込みをもって書き進められ、様々な逡巡と書き改めの末に生み出された作品らしい。
作家が苦心した作品が必ず面白いものであるとは限らないが、『決闘』の場合は読者に伝わりやすい形でその努力が結実しているようだ。
チェーホフに関心のある方であれば手にして損はない一冊だと思う。

『危険な関係』 ラクロ(岩波文庫)

危険な関係〈上〉 (岩波文庫)危険な関係〈上〉 (岩波文庫)危険な関係〈下〉 (岩波文庫 赤 523-2)危険な関係〈下〉 (岩波文庫 赤 523-2)

書名:危険な関係
著者:コデルロス・ド・ラクロ
訳者:伊吹 武彦
出版社:岩波書店
ページ数:295(上)、297(下)

おすすめ度:★★★★★




ラクロの書簡体小説『危険な関係』は、文学全集によく収められていた作品でもあり、十八世紀のフランス文学を代表する傑作の一つと目されている。
男女関係を中心に、それぞれの登場人物の心理を巧みに描写した広義で言うところの恋愛小説となっており、いかにも伝統的なフランス文学という感じを受ける作品だ。

百戦錬磨の遊び人である子爵が、まだ若い無垢な乙女に近付いて・・・。
『危険な関係』を形作っているのは、復讐、嫉妬、欺瞞、誘惑などといった、人間心理の負の要素が大半である。
実際に体験すると虫唾が走るような負の要素でも、小説で読むととても興味深いものに思え、読者を最後まで強く引き付けるのだから不思議なものだ。
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世界的に有名な作品である『危険な関係』は、これまでに何度も映画化されているらしいが、ここでは右のハリウッド版を紹介しておきたい。
けっこう前の作品にはなるがブルーレイ化もされていて、演技派俳優として名高いジョン・マルコビッチが演じる誘惑者には独特の味わいがあり、『危険な関係』の読者ならば必ずや楽しめるのではなかろうか。
とはいえ、プロットよりは微細な心理描写が肝である『危険な関係』の場合、映画よりも原作のほうを好む方が多いような気はするのだが。

後世に残る唯一のラクロの作品がこの『危険な関係』であり、逆に言えば『危険な関係』なしにはラクロは名を残すことはなかったはずだ。
しかし、作者は有名でもないのに作品だけが何世紀も残るということ自体、『危険な関係』の質の高さを明確に物語っているといえよう。
書簡体小説というスタイルのせいもあって古風な印象を受ける読者もいるかもしれないが、『危険な関係』は欧米文学に関心のある方が一読しておくべきクラシックの一つだと思う。

『庭仕事の愉しみ』 ヘルマン・ヘッセ(草思社文庫)

文庫 庭仕事の愉しみ (草思社文庫)文庫 庭仕事の愉しみ (草思社文庫)

書名:庭仕事の愉しみ
著者:ヘルマン・ヘッセ
訳者:岡田 朝雄
出版社:草思社
ページ数:382

おすすめ度:★★★★




庭にまつわるヘッセの詩やエッセイ、さらには小説から手紙に至るまでを集めたのが本書『庭仕事の愉しみ』である。
都会から離れた田舎での暮らしを好み、非常に多くの時間を庭いじりに割いていたヘッセは、玄人と呼んでもよいほどの熱心な園芸家でもあった。
『庭仕事の愉しみ』は、そんなヘッセの自分の庭に対する強い思い入れが如実に見て取れる本となっている。

本書に収められているたいていの作品は10ページ未満の小品であるが、例外的に、叙事詩『庭でのひととき』、小説断片『夢の家』と童話『イーリス』は、いずれも30ページ以上あり、これらの作品は質的に見ても本書の中心的存在と言えるだろう。
このうち、童話の『イーリス』は、新潮文庫の『メルヒェン』にも『アヤメ』というタイトルで収録されていて、ヘッセの童話作品の中では代表的なものに数えられるようだ。
また、未完の小説の断片に過ぎないとはいえ、『夢の家』からはヘッセの自伝的要素が随所に透けて見えるようで、読者は非常に興味深いと感じるのではなかろうか。

本書には、ヘッセの写真だけではなく、ヘッセの描いた水彩画も数点、カラーで収められており、我々の目を楽しませてくれる。
ヘッセの詩と、ヘッセ自身によって描かれて詩に添えられた絵を同時に見ることができるというのは、ヘッセに興味ある人にはやはりうれしいものである。

『庭仕事の愉しみ』のようにテーマが限定的な詩文集は、実際に庭いじりをしている方のほうがより一層の共感を持って読み進めることができるはずだが、『庭仕事の愉しみ』の場合は、必ずしも庭仕事に愉しみを見出していない方でも面白いと感じることのできる内容になっていると思う。
むしろ、自らの庭を持つことのできない都会暮らしの人にこそ、お勧めすべき本なのかもしれない。

『人は成熟するにつれて若くなる』 ヘルマン・ヘッセ(草思社文庫)

文庫 人は成熟するにつれて若くなる (草思社文庫)文庫 人は成熟するにつれて若くなる (草思社文庫)

書名:人は成熟するにつれて若くなる
著者:ヘルマン・ヘッセ
訳者:岡田 朝雄
出版社:草思社
ページ数:250

おすすめ度:★★★★




85歳でその生涯を閉じたヘッセによるエッセイや詩を集めた詩文集がこの『人は成熟するにつれて若くなる』である。
本書はヘッセ自身が編纂したものではなく、『ヘッセの読書術』などと同様、ヘッセの研究者の一人であるミヒェルスがヘッセの作品をテーマに沿って編んだものの翻訳となっている。
表紙もその一例であるが、本書には写真が多数掲載されているので、晩年のヘッセとその暮らしのイメージを得やすいというのが本書の長所と言えるだろう。

本書の場合、内容に関する誤解を招きやすいタイトルになっているかもしれない。
「成熟するにつれて人はますます若くなる」というヘッセの書いた文言があるのは事実だが、本書の内容がすべてその逆説に沿って書かれているというわけではないからである。
どちらかといえば、死を親しく迎え入れる従容とした態度がヘッセの主な立脚点となっているという印象を受けるのは、おそらく私だけではないだろう。

一般的に、代表作の『車輪の下』や『デミアン』などが青年向けの作品であると言われがちのヘッセではあるが、本書『人は成熟するにつれて若くなる』は、その逆に年配の方へのメッセージ性が強い作品であると思われる。
私自身、老境に入るにはまだかなりの時間的ゆとりがあり、そういう意味では当事者として判断できているわけではないのだが、既に山あり谷ありの長い人生を経てきた方であれば、本書に描かているヘッセの心的態度に共感する点が数多く見つかるのではないかと私は想像している。

今は文庫本として出されている『人は成熟するにつれて若くなる』ではあるが、かつて単行本が出版された時には、けっこうな注目作品となったらしい。
ヘッセによる物柔らかな筆致の心地よさを備えた本書は、そのような注目にふさわしいものと言える。
若い頃にヘッセを読んでヘッセに興味を持っていて、さらに自身の成熟を感じる年頃に達した方にこそ、最も強くお勧めしたいと思う。

『メルヒェン』 ヘルマン・ヘッセ(新潮文庫)

メルヒェン (新潮文庫)メルヒェン (新潮文庫)

書名:メルヒェン
著者:ヘルマン・ヘッセ
訳者:高橋 健二
出版社:新潮社
ページ数:199

おすすめ度:★★★☆☆




ヘッセの創作した童話を集めたのが本書『メルヒェン』である。
童話を集めているとは言っても、収録作品の全部が全部、子供でも楽しめるいわゆるメルヘンチックな作品かというとそうでもなく、中には少々堅苦しい内容のものもあるので、あまり軽い気持ちで手にすると期待外れとなるかもしれない。

本書には、『アウグスツス』、『詩人』、『笛の夢』、『別な星の奇妙なたより』、『苦しい道』、『夢から夢へ』、『ファルドゥム』、『アヤメ』の八作品が収録されている。
いずれも10ページから30ページ程度の作品となっており、メルヘンの要素の一つである幻想性に富んだものが多いが、その反面、寓意が不鮮明な『苦しい道』や、シュールレアリスム的な『夢から夢へ』の場合は、今日の日本人の一般的な感覚に従えば、「メルヘン」であると判断するのはさすがに少し無理があるような気もする。

しかし、『メルヒェン』の収録作品にヘッセらしさが表れていることは否定のしようもない。
ヘッセ文学にとってのキーワードとも言うべき、旅や漂泊が頻繁に取り上げられていることは注目に値するだろう。
また、中国を舞台とした『詩人』からは、ヘッセを特徴付ける東洋志向が窺えると言える。
本書の収録作品には、第一次大戦中に執筆されたものが少なくないようで、しばしばヘッセの暗澹たる内面が浮き彫りにされてしまっているのも、ヘッセらしいと言えばヘッセらしいことである。

本書の収録作品から、ヘッセの築いた文学作品の総体を予想することは不可能だが、ワイルドやトルストイもそうであったように、童話や民話というジャンルの作品を残したということ自体は、少なくともヘッセという作家を構成している一つのエッセンスになっていると言えるのではなかろうか。
安価な文庫本での入手も可能なことだし、ヘッセに関心を抱く方であれば手にする価値のある一冊だと思う。
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