『けむり』 ツルゲーネフ(河出書房新社)

世界文学全集〈第9〉プーシキン,ツルゲーネフ スペードの女王 猟人日記 けむり 他(1962年)世界文学全集〈第9〉プーシキン,ツルゲーネフ スペードの女王 猟人日記 けむり 他(1962年)

書名:けむり
著者:イワン・ツルゲーネフ
訳者:神西 清
出版社:河出書房新社
ページ数:457

おすすめ度:★★★★




ツルゲーネフ円熟期の長編小説の一つがこの『けむり』である。
思想色の濃い恋愛小説とでも呼べそうな作品であるか、いかにもツルゲーネフらしい読み応えのある作品になっており、ツルゲーネフに興味のある方には非常にお勧めだ。

バーデンを訪れているロシア人の青年リトヴィーノフは、婚約者の合流を待っている身であった。
しかし、そんな折に、かつて相思相愛でありながら、彼を捨てていった美貌の女性と10年振りの再会を果たしてしまったものだから・・・。
『けむり』には、恋愛感情を軸とした心理描写もさることながら、重みのある人物、重みがありそうには見えるが実は薄っぺらな人物、はたまた露骨に軽薄な人物など、いろいろな種類の登場人物から成る当時のロシア社会の上流社会やインテリ層が活写されている。
また、物語の終盤に至って顕在化する『けむり』という表題の奥深さを考えてみるのも面白いように思う。

『けむり』は岩波文庫からも出されているが、こちらは仮名遣いが古く、読みにくいと感じられる読者もいるかもしれない。
私が読んだ河出書房の文学全集のほうは、プーシキンとツルゲーネフを収めた作品集となっていて、プーシキンの『ベールキン物語』と『スペードの女王』、抄訳ではあるがツルゲーネフの『猟人日記』も収められている上に、肝心の『けむり』が名訳者として知られる神西氏の訳業であるというメリットもあるので、活字が小さいという難点はあるにせよ、お勧めできる。

ツルゲーネフの小説は読みやすく、それでいてとても面白いのが常であり、本書『けむり』もその例外ではない。
ツルゲーネフのことを個性の強い作家であるとは言えないかもしれないが、良識と品格に裏打ちされたツルゲーネフの作品は、どこか王道的な小説といった威厳を備えているようにも感じられる。
作品の質の割りに、あまり数多く出回っていないようなので、『けむり』の入手は急いだほうがいいかもしれない。
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『ビュグ=ジャルガルの闘い』 ユーゴー(潮出版社)

ビュグ=ジャルガルの闘い (1982年)ビュグ=ジャルガルの闘い (1982年)

書名:ビュグ=ジャルガルの闘い
著者:ヴィクトル・ユーゴー
訳者: 辻 昶、野内 良三
出版社:潮出版社
ページ数:272

おすすめ度:★★★☆☆




ユーゴー初期の長編小説の一つがこの『ビュグ=ジャルガルの闘い』である。
後に大幅に書き直されたという経緯があるとはいえ、処女作とも言えるほどに初期の作品であり、それなりの粗さというか、緻密さに欠けるところがあるにはあるが、ユーゴーらしい作品になっていることは疑いを入れないように思う。

『ビュグ=ジャルガルの闘い』は、戦闘となれば比類なく勇敢でいながら平時には至って物憂げな様子をしているとある大尉が、カリブ海のフランス植民地であったハイチにおける黒人奴隷の反乱を思い出話として語るという、回想風のスタイルだ。
黒人奴隷の身でありながら、高慢とも言えるほどの毅然とした態度を崩さないピエロに対して、大尉は生意気だという反感だけではなく尊敬の念すら抱き始めるが、奴隷たちを虐げ続けていた植民地には不穏な空気が漂い始めていて・・・。

作品の中頃でストーリーが少し停滞しているように感じられる箇所があるとはいえ、『ビュグ=ジャルガルの闘い』はあくまでスリリングかつスピーディーな展開が基調となっており、一度読み始めれば読者を引き付けて離さないのではないかと思われる。
レ・ミゼラブル』や『エルナニ』を思い出させるような、人間としての誠実さも描かれていて、初期作品にもそういったユーゴーの特徴が表れていることを知れば、読者はそれこそがユーゴーの生涯のテーマであったということを実感できるのではなかろうか。

ユーゴーの小説のあら捜しをしようとすれば欠点は見出せるかもしれないが、何はともあれ、ストーリー性に富んでいて面白いものであることは間違いない。
日本に意外と研究者が乏しいのか、出版界の事情なのかは知らないが、多くの小説作品を残したユーゴーはもっと翻訳紹介されてしかるべき作家の一人であろう。
非常にレアな本となってしまっているのが残念ではあるが、可能であれば『ビュグ=ジャルガルの闘い』を手にしていただければと思う。

『天国・地獄百科』 ボルヘス(叢書 アンデスの風)

天国・地獄百科 (叢書 アンデスの風)天国・地獄百科 (叢書 アンデスの風)

書名:天国・地獄百科 (叢書 アンデスの風)
著者:ホルヘ・ルイス・ボルヘス、アドルフォ・ビオイ=カサーレス
訳者:牛島信明、内田吉彦、斎藤博士
出版社:水声社
ページ数:177

おすすめ度:★★☆☆☆




ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件』や『ブストス=ドメックのクロニクル』と同様に、ボルヘスとカサーレスの共著とされている作品の一つが本書『天国・地獄百科』である。
厳密に言えば、ボルヘスやカサーレス自身の著書ではなく、彼らが古今東西の著作の中から天国や地獄にまつわる記述を集めたアンソロジーとなっており、彼らはあくまで編者という立場であるに過ぎない。
そういう意味では、ボルヘスの手になる作品を読みたいという読者は、私のように少々がっかりすることになるかもしれない。

言うまでもないことであるが、天国と地獄に対しては、洋の東西を問わず古来から人々の関心が非常に高かったので、文献における天国と地獄への言及も止まるところを知らない。
そしてボルヘスらの渉猟する範囲が広範であること、つまり彼らが記述を収集した時代と地域の幅広さには、なかなか目を見張るものがある。
彼らの引用は、キリスト教、イスラム教、ギリシア神話、仏教といった王道的なところはもちろん、スウェーデンボルグ、ゾロアスター教、北欧神話、儒教、インカ帝国まで及んでいるのだ。
「生きる図書館」とでも呼ぶべきボルヘスらしいアンソロジーに仕上がっていると言えよう。

本書では、プラトン『国家』やヴォルテール『哲学辞典』のように、数ページにわたって引用される作品もあれば、1行しかない箴言風の引用もあるといった具合なので、ぱらぱらめくっている限りではあまり統一感のない本という印象を受けかねない。
しかし、最初から最後まで一貫したテーマに導かれているため、先人たちの考えた死後の世界に興味のある方はそれなりに本書を楽しむことができるはずだ。

『天国・地獄百科』のうちに、死後の世界に対する並々ならぬ興味を持っていたボルヘスらしさが表れているのは間違いないが、お世辞にも本書をボルヘスの重要な著作とみなすことはできない。
中古であれば比較的容易に入手可能ではあるが、ボルヘスの作品はすべて読み、その上さらに何か読み進めたいという方のみ、手にすべき本だと思う。
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