『天国・地獄百科』 ボルヘス(叢書 アンデスの風)

天国・地獄百科 (叢書 アンデスの風)天国・地獄百科 (叢書 アンデスの風)

書名:天国・地獄百科 (叢書 アンデスの風)
著者:ホルヘ・ルイス・ボルヘス、アドルフォ・ビオイ=カサーレス
訳者:牛島信明、内田吉彦、斎藤博士
出版社:水声社
ページ数:177

おすすめ度:★★☆☆☆




ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件』や『ブストス=ドメックのクロニクル』と同様に、ボルヘスとカサーレスの共著とされている作品の一つが本書『天国・地獄百科』である。
厳密に言えば、ボルヘスやカサーレス自身の著書ではなく、彼らが古今東西の著作の中から天国や地獄にまつわる記述を集めたアンソロジーとなっており、彼らはあくまで編者という立場であるに過ぎない。
そういう意味では、ボルヘスの手になる作品を読みたいという読者は、私のように少々がっかりすることになるかもしれない。

言うまでもないことであるが、天国と地獄に対しては、洋の東西を問わず古来から人々の関心が非常に高かったので、文献における天国と地獄への言及も止まるところを知らない。
そしてボルヘスらの渉猟する範囲が広範であること、つまり彼らが記述を収集した時代と地域の幅広さには、なかなか目を見張るものがある。
彼らの引用は、キリスト教、イスラム教、ギリシア神話、仏教といった王道的なところはもちろん、スウェーデンボルグ、ゾロアスター教、北欧神話、儒教、インカ帝国まで及んでいるのだ。
「生きる図書館」とでも呼ぶべきボルヘスらしいアンソロジーに仕上がっていると言えよう。

本書では、プラトン『国家』やヴォルテール『哲学辞典』のように、数ページにわたって引用される作品もあれば、1行しかない箴言風の引用もあるといった具合なので、ぱらぱらめくっている限りではあまり統一感のない本という印象を受けかねない。
しかし、最初から最後まで一貫したテーマに導かれているため、先人たちの考えた死後の世界に興味のある方はそれなりに本書を楽しむことができるはずだ。

『天国・地獄百科』のうちに、死後の世界に対する並々ならぬ興味を持っていたボルヘスらしさが表れているのは間違いないが、お世辞にも本書をボルヘスの重要な著作とみなすことはできない。
中古であれば比較的容易に入手可能ではあるが、ボルヘスの作品はすべて読み、その上さらに何か読み進めたいという方のみ、手にすべき本だと思う。

『心の城』 フローベール(大阪大学出版会)

心の城心の城

書名:心の城
著者:ギュスターヴ・フローベール
訳者:柏木加代子
出版社:大阪大学出版会
ページ数:303

おすすめ度:★★★☆☆




フローベールの書いた夢幻劇がこの『心の城』である。
著者として名前は挙げられていないが実は本書は友人との共作らしく、友人の詩がそのまま挿入されていたりもするが、実質的にはフローベールの手になる作品と呼んでよさそうだ。
舞台での上演や出版の機会に恵まれなかったという不遇の作品であり、知名度も非常に低いようで、本書が本邦初訳となっている。

人間の心を糧に生きる土の精グノームたちと、妖精たちが勢力争いをしている。
妖精たちが勝つためには、純粋な愛を持つ人間の心が必要らしい。
果たして、そんな心を持つ人間を見つけることができるのか・・・。
通常、リアリズムの作家の一人に分類されるフローベールではあるが、『聖アントワヌの誘惑』を見てもわかるように、夢幻の世界と無縁だったわけではない。
『心の城』からは、そんなフローベールの夢幻への志向を容易に読み取ることができるだろう。

『心の城』には随所に挿絵が用いられていて、フローベールの描いた夢幻の世界へアプローチする助けとなるのだが、その一方で、本書に付された解説は一般読者に対しては過剰と思えるほどに充実しており、どちらかと言えば研究書に近い本に仕上がっているとさえ言えるほどだ。
その分ページ数も増え、価格帯も上がってしまっているのだが、できればフローベールの知られざる作品を世に広めるための普及版にして欲しかったというのが正直なところである。
誤植の多さも目に付くので少し残念な思いをするのも事実だ。

フローベール自身も述べていることだが、『心の城』のような夢幻劇は視覚効果や音響効果ありきの作品なので、できれば映画化でもしてもらって楽しむべき作品なのだろう。
一般受けはあまり期待できないので、フローベールの作品ならばすべて読みたい、という方が手にすべき本だと思う。

『熊』 フォークナー (岩波文庫)

熊 他三篇 (岩波文庫)熊 他三篇 (岩波文庫)

書名:
著者:ウィリアム・フォークナー
訳者:加島 祥造
出版社:岩波書店
ページ数:271

おすすめ度:★★★★




フォークナー後期の作品を四編収録した中短篇集が本書『熊』である。
難解な作家として知られるフォークナーにしては読みやすい作品であり、文庫本という手頃さもあるので、フォークナーに関心のある方にはお勧めできる一冊だ。

本書には、『熊』、『むかしの人々』、『熊狩』、『朝の追跡』の四篇が収録されていて、いずれも森での狩りをテーマにしたものだ。
止まらなくなったしゃっくりを巡る滑稽話である『むかしの人々』を除けば、狩りの経験が乏しい少年の視点を通じて語られている物語ばかりなので、実際に熊や鹿を追ったことのない読者にとっても、狩猟における鮮烈な印象や興奮を少年と共有することができるように思う。
それらの話の中に精神性が盛り込まれていて、単純にスリリングな狩猟物語ではなくなっているあたりに、フォークナーたる所以を見て取ることもできるはずだ。

本書は元々一つの作品集からの選集になっているので、登場人物が重複していたり、祖先や子孫が登場したり、別の作品内のエピソードへの言及があったりと、それぞれの作品が有機的なつながりを持っていて、一つの長編作品にでも組み立てられそうなストーリーになっている。
『熊』を読んでいるうちに、フォークナーの描く縦方向にも横方向にも伸びているような作品世界を読者は奥深く理解できたような錯覚に陥りかねないが、それこそまさに、フォークナーの術中にはまるというものなのだろう。

フォークナーという作家は本当に色々な顔を持っているものだから、『熊』の作者が『響きと怒り』や『サンクチュアリ』、『寓話』といった作品をも書いたとはにわかには信じ難いほどである。
しかし、森に象徴されている自然と一体になって暮らす狩人の精神をも描き出していたという一面は、見過ごすには惜しい一面であると思うので、フォークナーに興味のある方はぜひ本書を手にしていただければと思う。

『ホリデイ・ロマンス』 ディケンズ(編集工房ノア)

ホリデイ・ロマンスホリデイ・ロマンス

書名:ホリデイ・ロマンス
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:杉山洋子 他
出版社:編集工房ノア
ページ数:124

おすすめ度:★★★☆☆




ディケンズの最晩年の短編小説集がこの『ホリデイ・ロマンス』である。
ディケンズ自身が編集者を務めていた雑誌に連載した作品で、こどもが書いた設定になっているという点からしても、異色の作品であると言える。
内容的には短編小説というよりは童話とみなしていいように思うが、無名の作品を紹介してくれているとあって、ディケンズのファンにはうれしい一冊ではなかろうか。

『ホリデイ・ロマンス』には、一連の物語が書かれるようになったきっかけを述べた『はじめのお話』、妖精が王女にくれた何でも願い事の叶う魔法の骨を描いた『魔法の魚の骨』、ラテン語の先生を目の敵とする剛勇無双の海賊船船長の物語である『キャプテン・ボールドハートの冒険』、大人とこどもの立場が逆転し、こどもが出来の悪い大人を寄宿学校でしつけるという『さかさま国のお話・大人の学校』の四編が収められている。
どれも短いだけでなく、文章もこどもが書いたものとして訳されているので非常に読みやすい。
ディケンズが本当は何を意図していたのかを考えてみる等、あえて深読みする程の作品ではなさそうなので、読み応えある作品を期待する読者には不向きだろう。

本書には、愛らしいイラストが掲載されていて読者の心を和ませてはくれるものの、それらは原書の挿絵の掲載をあえてやめて、本書のために書き下ろされたものらしい。
個人的には、原書に付されていた挿絵をそのまま採用してくれたほうがはるかにありがたかったので、この点は少し残念な気もする。

自らの小説の中で、当時のこどもの教育機構に対しては常に手厳しかったディケンズであるから、『ホリデイ・ロマンス』のようにこどもの側の視点から作品が書かれるのも、そこそこ妥当なことであると思う。
ディケンズにしても、これらの作品にそれほど力を入れて書いたわけではないだろうが、年齢を問わず気軽に読める作品集として、本書を書架に加えておいても損はないのではなかろうか。

『ドンビー父子』 ディケンズ(こびあん書房)

ドンビー父子 (上)ドンビー父子 (上)ドンビー父子 (下)ドンビー父子 (下)

書名:ドンビー父子
著者:チャールズ・ディケンズ
訳者:田辺 洋子
出版社:こびあん書房
ページ数:550(上)、509(下)

おすすめ度:★★★★




ディケンズ中期の長編小説の一つがこの『ドンビー父子』である。
あまり代表的な作品とみなされることはないし、翻訳も乏しいのが実情ではあるが、身体面や性格面がやや大袈裟に戯画化された登場人物に満ちていて、非常にディケンズらしい作品と言えると思う。

ロンドンのシティに傲然と構えるドンビー商会の社主であり、横柄この上ないドンビー氏の気掛かりといえば、跡継ぎがいないことだった。
しかし、そんな彼に待望の息子が生まれ、店の名を「ドンビー父子商会」に変える見込みができたのだが・・・。
優しい心を持ちながらもドンビー氏にまるで構ってもらえない娘のフローレンス、社長にへつらい続けながらも下心が透けて見える支配人のカーカー、誠実で活気ある少年のウォルター、お人好しで単純そのものである船長のカトル。
ディケンズの作品を既にいくつか読んでいる読者であれば、初対面とは思えないいささか類型的な登場人物に数多く出会えることだろう。

『ドンビー父子』にも、ユーモアとペーソスというディケンズの二大特徴は顕著に表れている。
確固たる構成の有無ということで言えば、『マーティン・チャズルウィット』と同様、過渡期にあたる作品と言えるだろう。
ストーリー展開はというと、ある程度は先が予想できるわかりやすいものであるのは事実だが、それにもかかわらずすらすらと楽しく読めてしまうのだから、やはり小説家としてのディケンズの手腕には恐れ入るというものだ。

決して安価ではないし、文章量も多いので、なかなか気軽には手が出せない作品かもしれない。
そうはいっても、『ドンビー父子』がディケンズのファンならば必ずや楽しめる作品であることは間違いないので、興味のある方は躊躇せずに手を出してみてほしいと思う。

『神秘の書』 バルザック(水声社)

神秘の書神秘の書

書名:神秘の書
著者:オノレ・ド・バルザック
訳者:私市保彦、加藤尚宏、芳川泰久、大須賀沙織
出版社:水声社
ページ数:432

おすすめ度:★★★☆☆




バルザックが自身の著作の中から神秘的傾向の強い作品を選び、一冊の著作として編んだのが本書『神秘の書』である。
人間喜劇の哲学的研究の中でも、その内容的な偏りからあまり紹介されることがないか、ひょっとすると敬遠すらされてしまう類の作品、すなわち『追放された者たち』、『ルイ・ランベール』、『セラフィタ』の三篇を収録している。
こういう種類の作品は、特異と言えば特異なのだが、裏を返せば、だからこそ読んでおくべきとも言えるのではなかろうか。

『追放された者たち』は、中世のパリを舞台とするというだけで、すでに他の人間喜劇の作品と一味違う。
神秘性はそれほど強くないが、歴史上のとある有名人物が登場するので、それだけでも興味深い作品であると言える。
『ルイ・ランベール』にも実在の人物が組み込まれていて、さらにはバルザック自身の自伝的要素も盛り込まれていて、リアリティ豊かな作品になっている。
こちらも神秘的というよりは、哲学的という形容がより正確であるような気がする。

『神秘の書』の中でも最も神秘色の強い『セラフィタ』は、過去に単行本が出されてもいる。
本書の中でも200ページ近くを占める『セラフィタ』は、やはりバルザックの神秘思想の中心に据えられるべき作品であろう。
本書の収録作品に限らず、バルザックの作品からは意外と神秘的な傾向を見て取ることができるというのは、よく指摘されていることでもある。

なかなか重厚な精神世界を描き出している『神秘の書』は、やはり一般向けの本であるとは言い難いが、間違って気軽に手を出してしまうようなタイトルの本でもないので、期待外れに終わることはそれだけ少ないだろう。
バルザックの神秘思想に触れてみたい方には、この本しかないと言える。

『まぶしい庭へ』 ディキンソン(KADOKAWA)

まぶしい庭へまぶしい庭へ

書名:まぶしい庭へ
著者:エミリー・ディキンソン
訳者:ないとうえりこ
出版社:KADOKAWA/メディアファクトリー
ページ数:63

おすすめ度:★★★★




ディキンソンの詩に、有名な絵本作家であるターシャ・テューダーの挿絵を添えて編まれた詩集が、本書『まぶしい庭へ』である。
春夏秋冬をテーマにした詩作品を、それぞれの季節ごとにいくつか選び出した作品となっていて、短い詩ばかりが収録されているものの、柔らかな挿絵の効果もあって、季節の移ろいを感じ取ることができる詩集になっているのではなかろうか。

『まぶしい庭へ』では、一つの詩に対して一つの挿絵が配されている。
詩を本書の中心ととらえてしまう私はそれらの絵を挿絵と呼んでしまうが、それだけでも十分に完成した絵本の世界を織り成すことのできる絵に対して挿絵と呼んだのでは、少々失礼な言い方になっているのかもしれない。
いずれにしても、それらの絵を通じて、ディキンソンが見ていたであろう風景を今日の読者が垣間見ることができ、詩人がその心に抱いていた原風景が見えてくるようで、たいへん興味深く感じられることは事実である。

本書の訳者である内藤氏自身が詩人であるだけに、他のディキンソンの翻訳書と比べて、『まぶしい庭へ』の訳文の語感のよさは際立っているように思う。
詩の訳文は、各々の読者によって好みの分かれやすいところなので一概には言えないが、ディキンソンはたぶんそれほど硬い詩を書きたかったわけではないと考える私にとっては、内藤氏の訳文は非常に心地よく読めるものであった。

本書『まぶしい庭へ』に訳出されている作品数は非常に少ないが、編者によるテーマの絞り方は、ディキンソンらしさを存分に引き出すことのできるものとなっている。
ディキンソンに関心のある方、ターシャ・テューダーに関心のある方、どちらも楽しめる一冊としてお勧めしたいと思う。

『わたしは誰でもない―エミリ・ディキンソン詩集』 ディキンソン(風媒社)

わたしは誰でもない―エミリ・ディキンソン詩集わたしは誰でもない―エミリ・ディキンソン詩集

書名:わたしは誰でもない―エミリ・ディキンソン詩集
著者:エミリー・ディキンソン
訳者:川名澄
出版社:風媒社
ページ数:144

おすすめ度:★★★★




ディキンソンの残した作品の中から、短いものばかり約60篇を集めたのが本書『わたしは誰でもない』である。
ディキンソンの詩は、そもそもが短いめのものではあるが、本書の収録作品は最長でも8行までと、特に短い小品ばかりが選ばれている。
おそらくはそのおかげで、それぞれの詩の制作年代はまちまちであるものの、詩集としては非常に統一感のある仕上がりになっている。

『わたしは誰でもない』には、愛、神、自然といったいかにもディキンソンらしいテーマに沿った詩が多く収められているので、ディキンソンの作品を好きな方ばかりでなく、ディキンソンがどういう詩人なのかをあまり知らない方が初めて読むにも適しているように思う。
孤独を愛する一人の女性の胸のうちからあふれ出る言葉の数々を読んでいるうちに、読んでいるこちらの胸まで優しい気持ちでいっぱいになってくるが、この感覚こそが、ディキンソンの詩が時代を越えて愛される理由の一つなのではなかろうか。

本書の構成は、右ページに原詩、左ページに訳文という、対訳形式となっている。
ディキンソンの原詩に触れることで、語数の少なさゆえにとっつきやすそうに感じられる反面、その解釈が意外と難しいことがわかるのではないかと思う。
率直なところを言えば、本書を読みながら、訳文がもう少しこなれたものであるといいと感じたことが何度かあったが、ストーリー性に乏しいディキンソンの短詩をうまく訳すのは、なかなか至難の業なのかもしれない。

ディキンソンの書くような内向的な詩は、一度読んだだけでは味わいつくせないのが普通だと思う。
文章量が少ないからといって、数時間のうちに一気に読み通して、それで終わりにしてしまうのももったいないと思う。
一人静かな黄昏時にでも、ゆっくりと味読されることをお勧めしたい。

『兵士の報酬』 フォークナー (文遊社)

兵士の報酬兵士の報酬

書名:兵士の報酬
著者:ウィリアム・フォークナー
訳者:加島祥造
出版社:文遊社
ページ数:484

おすすめ度:★★★★




フォークナーの処女作となるのがこの『兵士の報酬』である。
フォークナーもいわゆるロスト・ジェネレーションの作家の一人と評されることが多いが、『響きと怒り』や『アブサロム、アブサロム!』といった代表作を読んでいる限り、その肩書があまりしっくりこないと感じる読者が多いかもしれない。
その点、戦争を経た若者たちを主な登場人物とするこの『兵士の報酬』を読めば、以後その違和感は消えてなくなるに違いない。

『兵士の報酬』は、第一次世界大戦後の帰還兵の物語である。
死んだと思われていた青年マーンがアメリカの郷里に帰ってくるのだが、顔に大怪我を負っているだけでなく、記憶まで喪失して帰ってきたものだから・・・。
一般にフォークナーと聞けば想像されるような南部ものと比べると、『兵士の報酬』で描かれている作品世界はけっこう異なるものとなっている。
そうはいっても、未熟な青年、粗暴な男、浮薄な娘、大胆な女性など、いかにもフォークナーが描きそうな人物像には事欠かない作品と言えると思う。

フォークナーといえば難解な作家としても知られているが、『兵士の報酬』から難解という印象を受ける読者は少ないはずだ。
一文が短い上に、会話部分も多いので非常に読みやすく、フォークナーらしい重厚な文体による読み応えある作品を期待すると、かえって裏切られるかもしれない。

フォークナーの創り上げた作品群を思い浮かべると、『兵士の報酬』を彼の典型的な作品の一つとみなすことはできなさそうだが、この小説がフォークナーの作家としての出発点となったという事実は案外うなずける気がする。
フォークナーに興味のある方にはお勧めできる一冊だ。

『生きる歓び』 エミール・ゾラ(論創社)

生きる歓び (ルーゴン=マッカール叢書)生きる歓び (ルーゴン=マッカール叢書)

書名:生きる歓び
著者:エミール・ゾラ
訳者:小田光雄
出版社:論創社
ページ数:424

おすすめ度:★★★★




ルーゴン・マッカール叢書の第十二巻に当たるのが本書『生きる歓び』である。
叢書中の内容的なつながりでいうと第三巻の『パリの胃袋』に続く作品ということにはなるが、単独で読んでも特に支障はないと思えるほどに相互の連関は薄く、それぞれ独立した鑑賞が可能になっていると言えるだろう。

『生きる歓び』の舞台は、人里離れた海沿いの小村である。
一族にまつわる遺伝的要素を受け継ぎつつも、純真さと慈悲の心を持つ孤児ポリーヌが、親戚の家に引き取られる。
豊富な遺産を抱えてやってきた娘に、新しくできた家族の面々も最初は誠実さに満ちた親切を尽くしていたのだが・・・。
舞台は終始同じで閉鎖的であり、登場人物も多くはないため、『生きる歓び』からはわかりやすい構成で淡々と続いていく物語という印象を受けるかもしれない。
確かに全般にこれといった派手さはないが、それでも各章のドラマは読者を楽しませるに足るものとなっているから不思議なものだ。

ゾラにしてはポジティブさを感じさせるタイトルである『生きる歓び』ではあるが、その内容はいかにもゾラらしく、堕落しきった社会のはみ出し者だけでなく、身内の人間の不親切や身勝手、さらには怠惰や裏切りといった、読者を不愉快にさせるような人間社会の負の側面は随所に盛り込まれている。
『生きる歓び』がゾラの代表作とされることはほぼないとはいえ、作風はゾラらしいものになっていると言えるはずだ。

ルーゴン・マッカールの家系図におけるポリーヌの位置付けから判断しても、正直なところ『生きる歓び』を叢書中の重要な著作とみなすことは少々難しいが、作品の完成度にはさすがゾラと感じさせるだけのものがある。
夢想』とともに、叢書中の異色の一冊としてゾラのファンにお勧めしたいと思う。
カテゴリ
PR
最新記事
RSSリンク